#35 そのうち刺されても知らないぞ
「夏だ! 海だ! 海水浴だー!」
「ただでさえ暑いのに暑苦しくしないでくれ」
「なに言ってんだよ裕太! 青い空に、青い海! そして白い砂浜! 暑さなんて吹っ飛ぶだろう!」
「そんな根性論で気温が変わるわけ無いだろ」
普段の2割増でテンションの高い直樹のことを適 当にあしらいつつ、額に流れる汗を拭う。……暑い。
ペットボトルを少しあおる。やや甘みのあるスポーツドリンクが、ほどよく渇きを潤してくれる。
「ところで、女性陣は? 遅くね?」
「着替えに時間がかかってるんだろ。少なくとも俺らと比べちゃダメだろ」
どんな水着を選んだのかは知らないが、少なくとも全部脱いで海パン1枚着るだけで終わる俺や直樹と一緒にしてはいけない。
直樹はなるほどなあ、といいながら。しかし、周囲をキョロキョロと見回しながら、ずっとそわそわしている。
「どうした? なにか気になるものでもあったか?」
「うん? ああ、かわいい娘でもいないかなーって思ってな?」
「直樹に限ってそんなわけないだろう」
「……その評価は、それはそれでどうなんだ?」
俺の返答に、直樹はそう苦い顔をした。
しかし、直樹の反応を見る限りでも。そして、直樹の性格を鑑みる限りでも。直樹がこの場において軟派なことをするとは思えない。
この直樹という人間、勉強に対する向き合い方こそアレだが顔もよく性格も好まれるものなため、結構にモテる。茉莉曰くそこそこに人気があるらしいし、実際、告白されることもそれなりにある。
なお、現在彼女はおらず、フリーである。理由を聞いてみたことはあるものの、要約すれば今は恋愛よりも遊びに力を入れたいみたいなことを言っていた。
これで「彼女欲しい」とか冗談みたくほざいているのだからいろいろと主張が矛盾している。そのうち誰かに刺されても知らないぞ。
まあ、とにもかくにもこの直樹という男。現状恋愛にそんなに興味がない。その上、現在女子と一緒に来ているというのに、その女子を無視して他の女性に軟派なことをするような不義理なやつでもない。
「まあ、本音を言えば早く遊びたくてウズウズしてるだけなんだが」
「だろうな。そのほうが直樹らしい」
「いちおう、褒め言葉として受け取っておく」
そんな談笑を交わしつつ、しかし思っていたより女性陣の着替えが長いようで。
荷物番、兼、彼女らを待つだけならひとりでも十分なため。「先に少し遊んでくるか?」と俺が提案しようとしていた頃合いに。
「ふたりともー! 待たせたわね!」
茉莉が手をブンブンと振りながら、待ちに待った彼女らがやって来た。
直樹はこれでやっと遊べる! と、今にも感極まって涙を流しそうな勢いで喜んでいた。
「うおおおお、待ったぞー!」
「直樹? そういうことは思っても言動や態度には出さないものよ? 裕太のことを見てみなさいよ」
「待たせたわねって言ったのは茉莉のほうだろ」
「そういう建前ってやつよ! これでも急いで着替えてきたんだからね!」
まあ、どちらの気持ちもどちらの主張も理解できるが。……と、その前に。
「ええっと、その。……思い切ったな」
「ん? ああ、これ? まあ、たしかにこういうのは初めて選んだけど。これ、思ったよりも動きやすいのよ」
俺がそう指摘すると、彼女は自身の胸元。水着を指差した。
白地にオレンジの水玉があしらわれた、形状としてはホルターネックビキニで、前側に小さな結び目がある。そしてパンツの方がタイサイドなので、正直かなり露出が多い。
たしかに、身体に引っかかる部分も少ないので、動きやすいのかもしれない、が。
「でも、かわいいでしょう?」
「それはまあ、認める」
やや視線の向け先に困ることにさえ目を瞑れば、実際、とてもかわいらしい。
色合いについても、茉莉の性格にもよく合っていると言える。
「で、直樹はなにかないの?」
「ん? ああ、なんかことわざあっただろ? えーっと、馬の子供にもナントカって」
「馬の子供……?」
直樹の発言に、一瞬ヒヤリとしたが。しかし、お互い勉強が苦手だったことが功を奏したのか、伝わってはいなかった。
おそらくは馬子にも衣装のことだろうが。……言わないほうがお互いの為だろう。たぶん直樹も間違って使ってるし。
「まっ、よくわからない直樹はともかくとして。褒めるのは私だけじゃないからね?」
そういってバッと彼女がその場から退くと、後ろに並んでいた絢香さんたちの姿がハッキリと見える。
これは、すごい。というのが率直な感想だった。しかし、それで終わらせてしまうのは彼女らに失礼だろう。
絢香さんは黒色のオフショルダービキニで、上下ともに大きめのフリルがついている。それもあってか身体のラインがかなり誤魔化されていて、露出具合の割にはかなり清楚な印象を受ける。
彼女の素肌をここまで見るのは初めてだが、やはり色白で。そういう意味合いとしてもこの水着の黒は、よいコントラストとなって絢香さんと水着とが、お互いによく映えている。
美琴さんは上は水色のフレアビキニで、下にはパレオを巻いている。パレオはピンク色に、白でボタニカル柄があしらわれているもの。全体的にパステルな色で纏まっていて、美琴さんのかわいらしさが強調されている。
長めのパレオなこともあって特に下半身における露出は少なめだが、しかしときおり覗く素足は、だからこそ、むしろというべきか。
そして、
「……スク水?」
俺の質問に対してコクリと頷いたのは、涼香ちゃんだった。
なんで? という感想が一瞬出てきそうになったが。一旦それは飲み込んでおく。
学校の水泳の授業は男女別なので、実際に最後にこれを見たのはいつぶりだろうかと、そんなことを思ってしまう。
が、間違いなくこれはいわゆるスク水……スクール水着だ。
胴体の全面の過半数を覆う青い布。白色の肩紐は背中側でVの字を作るようにして繋がっている。
「需要があるかと思って」
「どんな需要だよ」
こういう言い方をするのは失礼かもしれないが。しかし本人が需要云々を言うのであれば、……まあいいか。
正直似合ってはいる。選択肢としてはやはりなんで? という疑問が浮かぶところではあるが、けれど年齢の割には幼い体つきをしている涼香ちゃんには、よく似合っている。
「まあ、実のところはラッシュガードを着なきゃだから、正直下はなに着ても見た目が変わらないというか。それならスク水が機能的という判断」
絢香さんに負けじ劣らじ、なんなら肌の白さだけならこの中では群を抜いて白い涼香ちゃんだったが。しかし、その影響はそのままあるようで。あまり直射日光に肌がさらされ続けるのはよくないのだとか。
絢香さんはかろうじて日焼け止めをしっかりと塗ればなんとかなるらしいが、涼香ちゃんはそれでもずっと日に当たっていると火傷のようになってしまうらしく、仕方なくラッシュガードを、とのことらしい。
彼女はそうとだけ言うと、カバンの中から黒地の長袖長ズボンのラッシュガードを取り出し、そのまま着用をする。ついでに、麦わら帽子も被っていた。
「それは、仕方ないな」
「そう。仕方ないこと。決して体つきがどうこうとかで恥ずかしくて着れないわけではない。決して」
「……俺はなにも言ってないからな?」
「言ってはない。たしかに言ってはない。視線は動いているけど」
それについては、否定はできないので。うん。
あんまり見ないように、とは思っているが。どうしても目が惹かれることはあるし、露骨に避けようとしているのも、それはそれでバレるのだろう。
けど、わざわざそれを言うってことは、実は気にしてない? ……とは。口が裂けても言いはしないが。
「あれ、雨森さんは?」
と。直樹がそう尋ねる。茉莉、絢香さん、美琴さん、涼香ちゃんはいるが、たしかに姿が見えない。
茉莉が「あれ? 一緒に来たはずなのに」と、そう言って周囲を見回していると。先程まで俺と話していた涼香ちゃんがスッと立ち上がり、どこかへとトコトコ歩いていった。
「隠れてないでこっちくる」
「ふぎゃっ」
間の抜けた声がしたかと思い、視線を向けてみれば、蹲っている黒い影。
「というか、パーカー着てると暑いでしょ。脱いで」
「暑くない暑くない! 大丈夫だから!」
「見てるこっちが暑い。ただでさえラッシュガード着てるからちょっと暑いのに」
なにかと思えば、涼香ちゃんが少女の衣服を掴み、こちらへと引っ張ってこようとしていた。
その声。そしてその姿をよくよく見てみると、隠れていたのは雨森さん。夏のビーチにはあまりにも不似合いな、灰色で、大きめのパーカーを身に着けていた。
引っ張ってこようとする涼香ちゃんと、嫌がる雨森さん。体格差もあって当然動きはしないのだが。
しかしそんな攻防戦も、一瞬で決着がつく。
「ほら、雨森さん。一緒に行こっか」
「ひえっ」
それだけ騒いでいたら、当然茉莉も気づいているわけで。
ひょいっと雨森さんの身体を持ち上げては、そのまま立たせ、背中側から無理やりに押してこちらへと連れてくる。
途中「いやああああ!」とか「やだああああ!」とか。雨森さんがめちゃくちゃに叫んでいたので、周囲の他の海水浴客からかなり目立ってしまっていた。……もう少し平和的な方法はなかったのか。
「さっき涼香ちゃんも言ってたけど、そのパーカー暑くない?」
「暑くないです暑くないです、ほ、ほら、私寒がりなので」
「いやいや、さすがに無理があるって。だってめちゃくちゃ汗かいてるじゃん?」
「いやそのこれは! えっと、その!」
「御託はいいから、とりあえず脱ごっか!」
「ああああああああ!」
「騒がない騒がない! 他の人から目立っちゃうよ?」
「宮野さんや涼香ちゃんはかわいいから問題ないんです! 私は! 私はあああああ!」
容赦ねえなあ。そんなことを他人事みたく思いながら、しかしやりすぎないようにだけ見守っていると。ファスナーを開けられ、袖を腕から外され。茉莉と涼香ちゃんのふたりかかりでみるみるうちに脱がされていった。
そうして雨森さんの容姿が顕になって。
「なんだ、すっげーかわいいじゃん!」
真っ先に声を上げたのは、直樹だった。
「ふぇ?」
「雨森さんも、すげえかわいいよ! 他の4人と遜色ないくらいに! なあ裕太」
急に俺に振るのか、と。そう思わなくもなかったが、しかし俺としても直樹の意見と同じではあった。
かわいさとひとくちに言っても方向性なんかがあって定量化というのはなかなかに難しいが。しかし、この面子の中で不安に思い、自身を卑下する必要はないように思える。
「でっ、でも。私にはこんな水着……」
「似合ってるぞ!」
キッパリと、直樹は言い放つ。
雨森さんの水着は、前方に大きなリボンを携えた、白色のかわいらしいビキニで。たしかに雨森さんっぽさ、らしさという意味合いでは、普段の彼女のイメージからはかけ離れている。
しかしそれは、あくまで普段のイメージからは離れているという話であって、似合わないというわけではない。
そのイメージ自体が容姿からしているものではなく、縮こまり気味で、俯きがち。そういった印象からくるものなので、雨森さん自身のポテンシャルからしてみれば、こういったかわいらしいものはよく似合う。
俺や直樹がそうして雨森さんのことを褒めていると、なぜか茉莉のほうが偉そうに胸を張り始める。
「そうでしょうそうでしょう、なにせ私と美琴さんと涼香ちゃんで選んだんだからね! 似合ってないわけないでしょう!」
「そりゃそうだ。美琴さんと涼香ちゃんがいるなら間違いねえ」
「ちょっと直樹? なんで私のことを頭数に入れてないの?」
ジロリと睨む茉莉の視線からのらりくらりとかわしながら、けれど、と。直樹はそう言いながら、雨森さんに近づいた。
「顔を上げて、しっかりと前を向いて。胸を張ったら、もっと似合うかな?」
直樹は雨森さんと自身の顔とを向かい合わせにして、ニッと笑った。
瞬間、ボッと雨森さんの顔が真っ赤になり、目を白黒させ――、
キャパオーバーした雨森さんは、フッとそのまま意識を手放してしまい、倒れるすんでのところで直樹が支える。
「直樹! あんたなにしてるのよ!」
「えっ、俺!? あ、俺か。俺のせいだな! すまん、雨森さん!」
胸の中に抱えている彼女に、直樹はそう謝るが。
思考がショートしきってしまった雨森さんに、当然そんな言葉届いているわけもなく。
「むきゅー……」
「ごめええええん!」
とりあえずは、日陰でクールダウンをすることになったのだった。