#28 初めて見る彼女の一面
「えっと……俺としては別に衣服を見せてもらうだけで良かったんだけども」
それじゃ、着替えてくるね! と。ものすごい勢いで脱衣所へと駆け込んでいった美琴さんを引き止めることなど叶うわけもなく、彼女は着替えに行ってしまった。
正直時間が押しているというのもあるが、先程吐いた自分の言葉が、思い返せば思い返すほどになかなかこれが気恥ずかしいもので。
その上で実際に着用したところを見るというのは、どうも気持ちの落ち着かないところがある。
「その、裕太くん。それじゃ、見せるね?」
脱衣所から顔だけをぴょこっと出した美琴さんは、俺から確認を取ると、ゆっくりとその姿を表した。
感想。というか、第一印象を言うなれば、目のやり場に困る。
「……ふぁっ!?」
我ながら、随分と摩の抜けた声を出したものである。しかし、そんな頓狂な声の理由は間違いなく美琴さんの服のそれで。
意匠とするならば、それは一般にメイド服と呼ばれるそれではある。全体的に白黒のツートーンでまとめられ、要所要所をフリルであしらったそれは、デザインの話で言うなればとてもかわいらしいという感想になる。
しかし、メイド服として見るなれば、どう考えても布面積がそれとは違う。明らかに少ない。
衣服の形として評価するなれば、下着の形。いいや、違う。この形は、
「えっと、水着?」
「そっ、そう! 正解! ……まあ、素材は普通の布だから、実際に水着として使用できるわけじゃないんだけどね」
夏だから、せっかくだし、と。美琴さんはそう言った。
衣服の構成としては上はビキニに近い形状で、下はエプロンを模した装飾のついている短いプリーツスカートのようなものになっている。
「その、どうかな? 感想を聞きたいんだけど」
美琴さんは恥ずかしそうにしながらそう聞いてくる。
「その、いつものメイド服もそうなんですけど、やっぱりとてもかわいらしいなと思います」
端的に言い表すならば、今言ったようにとてもかわいらしいのひとことに尽きる。
美琴さんが使っているメイド服もそうだが、ふんだんにあしらわれた装飾は美琴さんの純真なかわいらしさをよく引き立てている。
しかし、それと同時にとても魅惑的でもあった。そもそも俺が普段から女性の露出に対して慣れのある人間ではないのだが、しかしそれにしても彼女の今の姿はとても魅力的に映っている。
……美琴さんが望んでいるのはこの衣服に対する感想だ、と。なんとかそう自分を律していないと、どうにも自分の中にある下劣な気持ちが、その柔らかな肌へと視線を向けようとするくらいには、俺自身の感情が揺さぶられていた。
併せて、美琴さん自身も少し恥ずかしいのであろう。顔を赤らめてモジモジとしている様子が、どうしてこう、さらに訴えかけてくるものがある。
「でも、やっぱりちょっと、あんまり普段使いはしてほしくないか、とは」
「……えっと、裕太くんはこういうの嫌いだった?」
「いやっ、そういうわけでは無くて、その」
言わせないでくれ、と思わないでもないが。しかし、これは言わなくてはいけないことだろう。
「あんまりにも、その、好きではあるんです。でも、好きだからこそ。なんというか、劣情を抱いてしまいそうで」
ときどき、こうして見せられる分にはまだなんとか自制が効く。しかし、これが普段からとなると自分としても制御が効くかどうかの自身が無くなってくる。
「それに、茉莉あたりがすごく怒りそうな気がする」
「ああ、たしかにそれはそうだね」
俺がそう言うと、美琴さんはあはは、と苦笑いをしていた。
「そっか。好きなのね。そっか」
満足そうに、確かめるように彼女はそう言うと。手を胸元でキュッと握り、嬉しそうに笑った。
「それじゃ、あんまり遅くなっても仕方ないし、着替えてくるね!」
そう言って、トットットットッと小走りで脱衣所へと向かった彼女は、中に入る前に、くるり、と一度こちらを向く。
なにか忘れていたことでもあったのだろうか、と。俺がそんなことを考えていると。
「これは、またふたりっきりのときに、見せてあげるからね!」
「――ッ!」
そう、大きな爆弾を落とすだけ落として、彼女はふりふりっと手を振って脱衣所へと入っていった。
くっそ。どうしてこうも、刺激してくるのだろう。
こちとら自制するのに必死だというのに。
美琴さんの姿が完全に見えなくなって。身体から力が抜け、その場に座り込んでしまう。
網膜に未だ焼き付いている彼女の姿を思い浮かべる。
「かわいかった。……それでいて綺麗だった」
絢香さんとは別ベクトルで魅力的な肌で。それがあんなにも露出されているのだから、魅惑的なのはそうなのだが。
しかし、露出が多いという事実の一方で、あの衣服からは下品さであるとか、そういう雰囲気は感じられなかった。感じられたのは、ただひたすらのかわいさと、綺麗さ。
とはいえ。だからといってそういった感情をなにも感じなかったわけではなく。
「……やっぱ、でかかったなあ」
脱衣所には届かないように、小さな声でそう呟く。
自分にも人並みにそういうものへの興味があったのかと、自嘲気味に笑ってみる。
やはりどうしてもあの手の衣服では胸元は強調されるものであり、その結果として視線が胸元へと向いてしまうことが少なくはなかった。
断った理由として、劣情を抱きそうであるとか、茉莉に怒られそうということを言った。それ自体は嘘ではない。
しかし、理由はもうひとつあった。
あの衣服は。本当に、目のやり場に困る。
それだけなら、劣情を抱きそうという理由に包含されそうだが、そこだけではない。アレを見た絢香さんが。いいや、厳密に言うなれば涼香ちゃんが同じようなものを作らないとは言い切れない。いや、むしろ彼女なら作るだろう。
それを見てみたいかどうかで言えば、それは見てみたいに決まっているのだが。しかし、仮にそんなものが出来上がってしまえば絢香さんまでもがそのメイド服普段から着るかも知れない。
いや、機能的な話をするならばアレはメイド服としては機能しないので家事中には着用しないかもしれないが、家事をしないときだけでもそれを着られると、本気でこの家の中で俺の視線の行き場が行方不明になるのが目に見えている。
はあ。と、俺が大きくため息をついていると、ガラッと脱衣所が開き、美琴さんが元の服装で出てくる。
俺は立ち上がり、パンパンと脚を払う。
「お待たせ!」
「それじゃ、帰りますか」
思っていた時間よりは遅くなったが。まあ、美琴さんは遅すぎない時間には送り届けられるだろう。
そこから折り返しで帰る俺自身は、まあまあな時間になるだろうが。まあ、そこは自業自得なので仕方ない。
玄関を開き、美琴さんをエスコートするために先行しようとする。
と、そのとき。美琴さんは、靴を履く直前にニコッと笑って口を開く。
「ねぇ、さっき裕太くんは劣情を抱いちゃいそうって言ってたけどさ、それってちゃんと君の目には魅力的に映ってたってことでいいの?」
「……そのあたりのコメントは伏せさせてもらいます」
この反応自体が肯定をしているようなものなのだが。しかし、だからといって素直に肯定できるほど、度胸のある人間ではない。
そんな俺を見て、美琴さんはふふふっと楽しそうに笑う。
「うん、嬉しいね。そう思ってもらえたのなら、恥ずかしいのを頑張って着た甲斐があったよ」
うんうんと頷きながら、美琴さんは満足げにしてから。グッと俺へと距離を詰めてきて。
「別に、劣情を抱いてくれてもいいんだよ」
と。耳元で囁いてくる。
ふわり、と。シャンプーと汗との混じった香りが鼻腔をくすぐる。サラリとした髪が頬を撫でる。
聴覚が、嗅覚が、触覚が。やっと抑え込んでいた下劣な感情を一気に思い起こさせる。
パッと、美琴さんが俺から離れる。
「なんたって、私は裕太くんの先輩だからね!」
そう、堂々と宣言する彼女を見て。
……こういう性格の人で、本当によかった。純真な美琴さんを見ていると、邪な感情がすっと引いていった。
「はいはい、変なこと言ってないでとっとと帰りますよ」
「ひっどーい! 相変わらず裕太くんが邪険にするー!」
「まあ、いつものことなので」
「むー。いつもしてる自覚はあるんだ。わかってるなら改善してくれてもいいじゃん!」
改善してほしいなら、どうしてそういう対応されているのか、胸に手を当ててよーく考えてみてください。内心で俺はそう思い、ふふっと笑う。
とはいえ、しかしやっぱりこちらの美琴さんのほうが付き合いやすい。面倒だけど。
カタン、カタンカタン。
電車の中、ふたりで並んで座る。時間が遅いこともあって、混みこそしていないもののまだまだそこそこに乗客はいた。
他の乗客の迷惑になるため会話は無く。ただひたすらに隣にいるだけ。けれど、詰めて座っている都合、どうしても距離が近くなる。
今日の一件があったからか、いつもならなんとも思わないくらいの距離なのに。ふとした瞬間に感じられる彼女の匂いに。しかしどうして心臓がバクバクと拍動を強める。
「……ふゅ」
突然、気の抜けた声が隣からした。直後、肩にかかっていた重みが一層強まる。
……どうやら、美琴さんが寝落ちてしまったようだった。なんでも今日の服を作るために最近は寝るのが遅くなっていたらしい。テスト前なんだから勉強しろよと思わなくもないが、こと美琴さんについてはその領分に当てはまらない。正直若干ズルいと思うし羨ましい。
まあ、寝不足気味だったところに、今日は勉強会に巻き込んでしまったこともあって、疲れが溜まっていたのだろう。
逆側に体重をかけて他の人の厄介になっていないことには安心するが、しかし彼女の存在をより近くに感じてしまって、気分が落ち着かない。
とはいえ、それはあくまで俺自身の問題であり、それを理由に起こすのも忍びない。乗り過ごしてしまう可能性についても、普段と違って今は俺がいるのだから最寄りの駅につく頃に起こせば問題ないだろう。
「ふへ、ふへへ……」
にんまりと、とてもいい笑顔で。随分といい夢を見ているらしかった。気も抜けているのだろう、口元がかなり緩んでしまっていて、よだれが垂れてきている。
俺はポケットからハンカチを取り出すと、起こさないようにそっと彼女の口元を拭う。
こうしてみていると、本当に子供っぽいんだけど。
普段の美琴さんも、どちらかというとこちら側だ。
本人としては先輩らしく振る舞っているらしいが、どう考えても小さな子供が「私お姉さんなの!」と、子供なりに見得を張っているときのそれと大差がない。
だからこちらとしても、意図や希望が見えやすく、感情の変化もわかりやすいので。適当に、そして適切にあしらいやすいのだが。
しかし、今日の彼女は。……あのとき、一瞬迫ってきた彼女は。初めて見る美琴さんだった。
美琴さんとしては冗談として、俺をからかう口実としてあんなことを言ったのかもしれない。しかし、それを一瞬本気として捉えてしまいそうになるほどに、あのときの美琴さんは魅惑的だった。
それこそ。あのとき、あの瞬間は。あの言葉が冗談でもなんでもなく、本当のことのように思えて。……そして、本当であったらいいなと思ってしまったくらいには。
「んふー、んへへー」
今、こうして俺の隣で幸せそうに夢に浸っている人が、同一人物だとは思えないほどに。