#27 なんでそれを俺に言うんですか
「もんふふぇふぁ、ふぉうふぁめふはひふほうふぇいふぁふぁ」
「なーに言ってんだかわかったもんじゃねえから、飲み込んでから言え。ついでに汚え」
「ふぁーい」
もっもっもっもっ。頬を丸くさせるまで口に食べ物を詰め込んでいた直樹は、しっかりと咀嚼してからゴクッとそれを飲み込んだ。
「んくっ。……で、そういえばなんだが、今日は珍しく豪勢だな、と」
「……ああ。まあ、材料の用意があったからな」
「ほえぇ、珍しいこともあるもんだな」
まるで、普段の俺の冷蔵庫の中身が空っぽであると言っているようなそれに。本人としては純粋な疑問として聞いているものの、しかし的確な指摘点に。冷や汗がたらりと垂れる。
俺がいつも直樹に出している料理といえば、よっぽどの事情がない限りは、例えば炒飯であるようなたくさんの量を一度に作ってしまえるものが大抵であった。特に、テスト勉強後にたかられるときは、なおのことそういう傾向が強くなる。
それは、当然ながら手間をケチっているというのもそうだご。それ以外の理由としては、当時の俺の冷蔵庫が空っぽだったことが大きい。
しかし、今日はといえば。唐揚げ、サラダ、味噌汁。決して手が込んでいるとは言わないが、調理に手間のかかっていないものかといえば否になる。まあ、揚げ物なんかは作るより片付けのほうが大変なのだが。
とはいえ、作る手間以前にそんなものを作った最大の理由は、先程直樹に言ったように食材の用意があったから。
「んー! うまいっ!」
とりあえずは、なんの疑問もなく食べてくれているようなのでひと安心だが、しかし本当に肝を冷やした。
冷蔵庫が充実している理由は絢香さん、もといメイドたちであり。それ関連の事情は直樹には伏せているのだが、勘付かれたのかと一瞬焦った。
だが、「おかわり!」と。茶碗を高々と持ち上げ、そう宣言する彼を見る限りでは、とりあえず杞憂だと思っていていいだろう。
「それくらい自分で入れてこい」
「はーい」
俺がそう言うと、彼は素直に茶碗片手にキッチンへと行く。
「直樹には、教えてあげないんだね」
「まあな」
直樹が席を立ったその瞬間に。茉莉は小さな声でそう話しかけてきた。
「親友でしょう? あなたたち」
「親友でも、だ。そもそもこの話はそんな簡単なレベルじゃねえことはわかってるだろ?」
「まあ、それはそうね」
親友だからといって、そうやすやすとこの秘密については共有するわけにはいかない。これが俺ひとりの秘密であればいざ知らず、俺と4人の秘密だからだ。
直樹は普段からあの調子だが、しかし絶対に言ってはいけないことについてはしっかりと秘密にする男だ。そういう意味で、この秘密の共有を皮切りに拡散していくのではないかという懸念は、実は俺自身はしていない。
だがしかし、俺以外の4人。特にこと涼香ちゃんについては接点すらない。そんな4人にとって、俺と同等の信頼を直樹に置けというのは無理がある。
だからこそ、直樹自身が自力で気づき、その上俺自身もこれ以上の誤魔化しが不可能だと判断しない限りは、おそらく共有することはない。少なくとも、4人と直樹の間に信頼が生まれるまでは、俺から明かすことはない。
つまり、よっぽどのことがない限りは、俺から明かすことはない。
「まあ、直樹は変なところで勘がいいというか、鋭いというか。だから、いいところまでは気づくと思うが」
「……直樹の性格があれだからね。よっぽど雑な誤魔化しをされでもしない限りはバレないでしょうね」
茉莉の言葉に、俺は頷いて反応する。
事実、最近スーパーに絢香さんと一緒にいるところを目撃されたのたが。しかしたまたまそこで会ったんだというあまりにも雑すぎる言い訳で、しかし直樹は納得していた。
「言えば、随分と喜んでくれると思うけどね?」
「喜ぶか? 煩雑に言えば、お前の親友4人も女子侍らせてるんだぜ? って伝えられるようなもんだと思うのだが」
「えっ嘘、私たちのことそんなふうに思ってたの……」
「ちげーよ。俺の感情抜きに字面から状況だけを判断すればそうなるだろって話だ」
俺がそう言うと、茉莉はわかってるわかってると言い、カラカラと笑う。
「でも、喜ぶと思うよ? だって直樹だし」
「直樹だしってお前……」
そこまで言いかけて、ふと頭の中で思い出されるものがあった。
そういえばアイツ。俺が絢香さんと茉莉のふたりに手を出しているのかという話題になったときに、涼香ちゃんにも手を出してる、と茉莉が言ったとき。つまりは、俺が3人も侍らせているという話題になったときに泣いて喜んでたな。なぜか。
「……たしかに直樹なら喜ぶかもしれん」
「でしょ?」
茉莉はそう言うと、めちゃくちゃに笑い始めた。
ちょうどその時、直樹がおかわりを取って戻ってきて。お腹を抱えながら笑っている茉莉を不思議そうに見ていた。
「なんだ、どうしたんだ茉莉は」
「あー、ちょうどお前について話てたんだがな」
「はひっ……ふぅ、そうそう。あなたがちゃんと定期テスト切り抜けて、無事に夏休みを満喫できるのかって話ね」
「それで、茉莉が変なところでツボに入っちまったみたいでな」
咄嗟に引き出してきた嘘だったが、存外いい誤魔化しになった気はする。
実際、直樹の反応はというと、嫌なことを思い出させてくれるんじゃねえよ! という苦い顔で。しかしどういう評価をされていたのかが気にならないでもないという複雑そうな表情をしていた。
「夏休み。夏休み。……ああ、そうか! だからあんなに必死で勉強しようとしてたんだね」
なるほど、と。美琴さんがポンと手を打った。
……逆に今まで気づいていなかったのかと思いはしたが、しかし勉強しないでも夏休みが没収される見込みのない彼女なので、まあそのあたりの感覚がズレているのだろう。
なにせ、受験生の癖にこうして後輩の家に頻繁に遊びに来ているくらいである。ハッキリ言って通常の感覚ではありえない。
「夏休み、いいねえ。海に行って海水浴、山に行ってキャンプ! んー! いいねえ、夢が広がるよ!」
美琴さんは意気揚々と、指折り数えながら、あれもやりたい、これもやりたいとひとつひとつ数えていく。横から直樹が「これも楽しいっすよ!」と茶々を入れるので、カウントは止まるところを知らず、十を超えて、二十を超えて。
俺は知っている。このテンションの美琴さんが、よくないことを。そして俺は知っている。だからといって止めようがないことを。
「裕太くん!」
「……なんですか」
「夏休み、楽しみだね!」
「なんでそれを俺に言うんですか」
「夏休み、楽しみにしていてね!」
「だからなんでそれを俺に言うんですか」
ふっふーん、と。彼女は自慢げにそう笑っていた。
まあ、なぜと聞きはしたが、理由はわかってる。どうせ巻き込まれるんだろうな、と。
つまるところ俺を指名しながら言ったそれは、俺が強制参加であることを意味していて。
多忙になることが確定した夏休みに俺は諦観しながら、残っていた味噌汁をズズッと飲み干した。
うん、我ながらいい出来だ。
夕飯からしばらくして、俺が多少身なりを整えていると「どこか行くのか?」と直樹が声をかけてきた。
「ああ、もうそろそろいい時間だし、帰り道を送っていこうかと」
「えっ!? 俺の家はそんなに離れてないし大丈夫だぞ!」
「だーれがお前を送っていくって言った。テメエは男だろ、ひとりで帰れ」
俺がそう言うと、男女差別だーと言いながらもどういうことかを把握した直樹は、なるほどなと合点していた。
ちょうど美琴さんも帰りの支度ができたところで、大きな紙袋を持って、その場に立っていた。
「そういえば。美琴さんのその紙袋、なんすか?」
直樹がずっと気になっていたと言わんばかりに、そう発言する。
来たときから持っていたものだが、結局それを取り出すでもなく、ついでに俺に渡すでもなく、ずっとそのままで。そして今から持ち帰るのだから、直樹としては疑問に思ったのだろう。
中身の察しがついている俺からしたら、少し背筋が凍る指摘ではあったが。
「うん。ちょっと部活関連でね? 作ってきたものの意見をもらおうかなーって思ってたんだけど、でもまあ今日は勉強してたから別の日にしよっかなって」
「それは……なんか悪いことしちまったっすかね?」
直樹が、美琴さんを勉強会に巻き込んでしまったことに、バツの悪そうな顔をする。まあ、直接に巻き込んだのは俺なのだが、しかしいちばん美琴さんに質問をしていたのは直樹だった。
「ううん、大丈夫だよ。別日に改めてみてもらおうと思うし」
「そもそも今日がテスト前なのに勉強もせずにやってきた美琴さんが悪いから直樹は気にしなくていいぞ」
「むっ、私自身そうだとは思ってるけど、裕太くんに言われるのはなんか釈然としないなあ」
裕太くんだって自分の勉強をしてないじゃん! と。そんな抗議の声があがっていたが、しかし他人に教えるというのは存外自分の復習にもなるので、それなりに自分の勉強は捗っていた。
少々不機嫌になった美琴さんを適当にあしらいながら、お前らも帰る時間だ、と言い。茉莉と直樹とを先に帰らせる。
「それじゃ、また飯食いに来るからな!」
「飯じゃなくて勉強しに来い」
「うげっ……」
冗談半分に言ったその言葉に、やはり直樹は顔をしかめる。どれだけ勉強が嫌いなんだよお前は。
これ以上の会話は、さらなる勉強の催促に繋がると判断したのか、直樹は手早くその場から去っていく。茉莉も茉莉で、巻き込まれ事故は嫌だとばかりに、それじゃあねとひとこと言って、隣に帰っていった。
「それじゃ、先輩も帰りますか?」
「うん、そうだね」
美琴さんはそういうと、キュッと紙袋を握る力を強めた。
「……それとも、俺に作ってきたものの評価をしてほしい、とか?」
「ふぇっ!? えっ、私いつそれを言ってた!?」
「いや、言ってないですけど。俺のただの予想ですけど」
しかし、どうやら図星らしかった。
どうやら紙袋の中身は俺の予想のとおりなようで。どうやら、やはり見てほしいという思惑があったようだ。
うん。気持ちはわかる。せっかく作ってきたのだから、いち早く見てもらって感想を聞きたいという気持ちは、とてもよくわかる。
「でもまあ、時間が時間だし、今日はもういいかなーって。もし、裕太くんがどうしても見たいって言うなら、別だけど」
あはは、と。申し訳なさそうに笑う美琴さん。正直、見たいか見たくないかで言えば、見たい。
時間的な話をするならば、それなりに余裕を持ってはいる。夏前ということで日没もやや遅くなっていて、ついさっきやっと暗くなったばかりではあった。
しかし。いくら送るといっても駅までしか送らないので、最寄りについてからはひとりになってしまう美琴さんのことを思えば、やはり遅くなるのはよくない。
「その、えっと……」
でも、見たい。
わかってはいる。どうせ今見なくても、しばらくしたらまた持ってきてくれて、それを見ることができるというのは。
しかし、せっかく持ってきてくれたからという建前と。それから、純粋にどんなものなのだろうという興味と。
その2つの感情が、俺になにかいい案がないかを探させる。
「美琴さんの家まで。今日は、美琴さんの家まで俺が送って、ええっと、それ以前に美琴さんのご両親から許可があれば、その」
見せてくれませんか? 俺がそう伝えると、美琴さんは顔を真っ赤にして、コクリと頷いた。