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#26 夏休み前の最終関門

「なあ裕太。俺、思うんだがよ」


 リビングにて。とてつもなく苦い顔をした直樹が、ぐでっと机に倒れ込んで、言う。


「所詮はただのテスト。点数だってただの数値じゃん? なら別に必死になって勉強する必要ないんじゃなあかなって」


「そういうことを言うのは、普段からしっかり勉強して、ちゃんといい点数をとってから言え」


「裕太の鬼ー! 悪魔ー!」


 6月下旬。定期テストまで1週間を切ったというところ。いつものことではあるのだが、直樹が「なにもわからねえ!」と泣きついてきた。

 丁度テスト前については各自勉強に集中するために、ということで絢香さんたちにも一旦自宅に帰って貰っているので、都合よく直樹を家に入れることができた。


「全く。こうなるのがわかってるのに、なんで直樹は授業中に寝てるのかしら」


「茉莉。言いたいことはよくわかるが、そういうことはせめてお前自身が胸を張れる点数になってから言え」


「はい……」


 お前も勉強を教えてほしいと言ってきた側だろう、と。そう伝えると、茉莉はそっと目を逸らす。

 事実、直樹ほどひどいというわけではないが、茉莉の成績も他人に見せるのは憚られる出来である。


 ちなみに、茉莉はできる科目とできない科目でめちゃくちゃな差がつくタイプ。直樹は全ての科目が揃って低いタイプだ。なんなら科目によってはなにがわかっていないかすらわかっていないこともザラである。


「でもよ。もうすぐ7月だぜ? 夏だぜ? 俺たちは勉強なんてしてる場合じゃなくて、いかにして夏休みを充実させるかについて話し合うべきだと思うんだ」


「そ、それはたしかにそうかもしれない」


 なに言ってんだこのバカふたりは。直樹はいつもどおりだからともかくとして、茉莉までその言い分に流されてどうするんだよ。お前ツッコミ側の人間だろ、

 こと勉強が絡むそれだけで、ここまで人はダメになれるものなのかと、そんなことをしみじみ思いながら。しかし、これを放置していては彼らのためにならないので現実を叩きつける。


「この定期テストで赤点取ると夏休みに補講が入って遊びどころじゃなくなるけど、それでも大丈夫なら」


「勉強しますっ!」


「わがままいってすみませんっした!」


 茉莉が先に反応し、続いて直樹が謝ってくる。

 ……まあ、形はどうあれ勉強してくれるのならそれでいいか。






「やっほー、私が来たよー!」


 思っても見なかった声がした。

 ガチャリ。玄関の扉が開き、人が入ってくる。声で誰かがわかっているから止めはしないが、まさかくるとは思ってなかった。

 トットットットッ、軽快な足取りで廊下を歩いてきた彼女は、さも当然とばかりにリビングのドアを開く。


「なにしにきたんですか、美琴さん」


「なにしにきたもなにもいつもどおり……って、あれ? 今日は直樹くんがいるんだ」


「そりゃまあ、テスト前なので。アホどもの勉強を見てるんですよ」


 俺がそう言うと、直樹はピッと腕を挙げ、元気よく「アホ1号です!」と宣言をする。

 それを見た茉莉は、苦い顔をしながら「えっ、もしかして2号が私?」と。

 どうやら直樹と同列に扱われるのが癪に触るらしいが、しかしどうしてか、正直大差がないというのも事実。とりあえず俺は笑って誤魔化しておく。


「というか、今日はってことは、昨日は誰かいたのか?」


「いいや? 最近お前が来てなかったから、それだけだろ」


「ふーん、まあたしかに最近は来てなかったというか、来させてくれなかったからなあ」


 直樹がもっと連れてこーい! と、冗談混じりに抗議しながら。とはいえ、俺は彼から顔をそらして冷や汗を拭う。

 相変わらず、変なところで鋭い。絢香さんたちがいないことを差したほんの少しのその言葉を、まさか的確に拾ってくるとは思わなかった。


「そもそも美琴さんもテスト前でしょう。勉強しなくていいんですか?」


「うーん、私わざわざ勉強するの嫌いなんだよねぇ。楽しくない。誰かと一緒にワイワイしながらやるなら別だけどさ」


「ああ、たしかに美琴さん一緒に勉強してくれる相手とかいなさそうですもんね」


「ひどいっ! 後輩からの心無いひとことが私の心を抉ってくる!」


 しかし、そうは糾弾するものの否定はしてこないあたり、おそらくは図星なのだろう。

 そして、突かれた所が相当に痛かったのだろう。プイッとそっぽを向いて拗ねながら「いいもーん、私は勉強しなくたって大丈夫だもーん」と、子供のわがままように言い放つ。


 だが、この状況は良くない。この場にはつい先刻にやっとこさ勉強する気になった人間がふたりいるのだ。そのやる気をかき消されてしまっては面倒すぎる。

 そしてたちの悪いことに、この美琴さんという人間は、事実として勉強しなくても大丈夫を体現してしまっている。もちろんその背景には授業をちゃんと聞くであるとか、教科書を読むであるとかはあるとは思うのだが。

 しかし返して言うなれば、たったそれだけの労力で彼女の名前は学年トップクラスに連ねられているということでもある。


 つまりは、この場において美琴さんの機嫌をこのまま損ね続けるのは悪手なわけで。

 しかし、彼女の不機嫌の原因は俺にぼっちをイジられたことではあるので。

 ならばそれを、逆に利用させてもらおう。


「ひとりでやるのが嫌なのであれば、一緒にやります?」


 俺のその言葉に、拗ねていたはずの美琴さんはすぐさま顔をパッと明るくする。なんというか、とてつもなく単純な人だ。

 しかし、いま開かれているこれは形の上では俺が教え続けている状態ではあるが、いちおうの名目上では勉強会なわけで。

 そう。美琴さんがさっき言っていた「友達とワイワイやっている勉強」なわけで。いやまあ、ワイワイと言うには発言の内容が勉強に対する不満とそれを窘める声で、少しふさわしくない気がするが。


 しかし、美琴さんにとっては先程までの気分もすっかり吹き飛んで、その上ルンルン気分で参加したくなるほどのものだったらしく。

 それであれば、こちらとしても好都合。教える人間ひとりに対して教えられる人間がふたりだったので、少々似が重かったところだ。

 なんならついでに美琴さんは1学年上で、更には先述のとおり学年トップの実力なわけで。


「よーし、それじゃあやろっか! わかんないことがあれば私に聞いてくれていいからね!」


 ポンッと、胸を叩いて。彼女は満面の笑みでそう言った。


「うおおおおお! 美琴さん、いや、美琴先生っ! よろしくお願いしますっ!」


 そんな彼女に、これまたややオーバー気味に直樹が反応するので。美琴さんは照れくさそうにしながらも満更ではなさそうにニヘヘと笑う。

 茉莉はというと、この家以外での美琴さんをよく知らないこともあってか、なかなかに半信半疑といったところだった。いちおうは以前に頭はいい方だと言っていたのは聞いていたはずだが、しかしあくまで自己申告、自称なのでそう思ってしまう気持ちもよくわかる。

 なにせ、普段がアレだし。


「そういえば、直樹と美琴さんって面識あったんですね」


 ふと、茉莉がそんなことを言った。


「おう、あったぞ! まあ、それで言うなら俺からすれば茉莉が美琴さんに面識があったことが驚きなんだが」


「わっ、私はほら、まあ、裕太の様子を見に来たときにたまたま顔を合わせることがあったから」


 直樹からの切り返しに、茉莉が慌ててそう返した。

 理由としては取り繕えているのでいいのだが、しかし対応の焦りようがなかなかに不自然だった。

 そんなやり取りに苦笑しながら、俺は口を開く。


「コイツと美琴さんはアレだ。飯たかり仲間なんだよ」


「飯たかり仲間……?」


 なんだそれは、と言う反応を見せる茉莉。しかしこれが事実な上に、実際に直樹が自称してみせた言い方でもある。


「裕太は相変わらずだいたいのことをいいぞって許可するせいで、ある日たまたま俺と美琴さんとでダブルブッキングしちまったことがあってな?」


「アレはダブルブッキングじゃねえ。ふたりとも料理を作ってくれっていうお願いだったから、じゃあ両方当時に作りゃいいかってなっただけだ」


「ああ、飯たかり仲間ってそういう……」


 なるほど、納得した様子で茉莉は頷いた。

 そう。要は直樹も美琴さんもしばしば俺に飯をたかってくることがあって。そしてふたりともお互いにお互いが自身と同じく飯をたかっているということを認知している。そうして直樹が言ったのが飯たかり仲間という言葉だった。


 ちなみにそれ以来、しばしばふたり同時に飯をたかってくるようになった。……いや、それならまだいい方で、時折片方しかたかっていなかったはずが、いざ蓋を開けてみると、ふたりとも訪問してきた、なんてこともあった。

 事前の準備の量が変わるんだから、先に言ってくれ。


 そうして同じように俺から飯をたかる仲間ということ。そして、それだけでなく、元より直樹と美琴さんとの性格の相性も良いこともあったのだろう。このふたり、普段はあまり関わり合いがないのだが、実はめちゃくちゃに仲がいい。


「なんというか、前からたまに言ってるけど。裕太、あなたいい加減断るということを覚えなさい?」


「そうだそうだ! そんなんだから毎度毎度俺や美琴さんにたかられるんだぞ!」


 たかってる本人がそれを言うのか。

 とはいえ、別に迷惑というわけでもないしなあ、と。俺がそう言うと、3人が揃ってため息をつく。えっ、なんだ。これ、俺がおかしいのか?


「あっ、そうだ!」


 直樹はそう言うと、手をポンと打ち、なにかを思い出したかのように振る舞い、言葉を放つ。


「飯たかり仲間といえば、今日もたかっていいか! 飯!」


 せっかく茉莉や美琴さんもいることだし、と。彼はそう言いながら、期待に満ちた目でこちらを見つめてくる。

 はあ、と。俺はため息をつく。


「元よりそのつもりだったが。……しかし、直樹。食いたいなら正直に言いな? 思い出したテイを装っているが、最初っからたかるつもりだっただろ」


「あれ、バレてた? あはは……」


 直樹はポリポリと頬をかきながら、そう誤魔化す。

 まあ、バレていたというよりかは、いつその話を切出そうかとソワソワしているときがあったし、そもそも勉強会のあとはだいたいいつもたかられるので、その経験則もあった。


 とはいえ、直樹の方から言ってくれたのはある意味ありがたい。おかげで、これで飯を文字どおり餌にできる。


「それじゃ、飯にありつくためにも勉強を頑張ろうか」


 つまるところは、勉強を頑張らなければ飯はやらねえぞ、と。……もちろん、嘘で方便で、あくまでも建前である。

 しかし、万が一にでも飯を抜かれるわけにはいかない、と。驚くほどに、直樹に対してこの脅しは有効である。

 相も変わらず鬼だの悪魔だの、ぶつくさ文句を言ってくる直樹だったが、しかし問題を解く手は、先程と比べて目に見えて速くなっていた。

 わからないことがあったらすぐさま美琴さんに質問しているようだし、この分であれば大丈夫そうだろう。


「それで? 茉莉は勉強しなくていいのか?」


「……別に晩御飯がどうとか、そういう理由で頑張るんじゃないからね」


 フンッと、不機嫌そうに鼻を鳴らし。しかし、彼女も真面目に机に向かってくれる。

 茉莉の場合、料理のためではないというのは間違いではない。どちらかといえば、料理に釣られて頑張り出したアホ1号が原因である。

 彼女としては直樹と同列に扱われたくないし、下に見られるのはもっと気に食わない。

 だからこそ、その直樹が頑張っているのに、自分が頑張らないのは負けた気がする。

 そうしてこう頑張ってくれるのだから、こちらとしては扱いやすくて助かるのだが。しかしまあ、難儀な性格である。


 ふふっ、と。小さく笑いをこぼす。


「なんか、今ちょっとバカにされたような気がするんだけど、気のせい?」


 おっと、随分と優秀な耳なことで。……今の聞こえてたのか。

 まあ、バカにしたわけではないからその点については安心してほしい。


「気のせい気のせい。ほら、そこの問題間違えてるぞ」


「嘘っ!?」


 該当箇所に俺が指を差すと、彼女は消しゴムでそれを消して、ぐぬぬぬ、と改めて考え出した。


 バカには、していない。単純だなあ、とは思ったが。

 直樹も。そして、結果的にではあるが、茉莉も。俺の料理を原因にして勉強する気になってくれているわけで。

 とはいえ、そんなものでやる気を出してくれているのであれば、作り甲斐があるというものだ。


 少し離れたところで両親に許可をとっていたのだろう。美琴さんが「はいはーい! 私も晩御飯! ほしい!」と。元気よく手を挙げていた。

 さて、晩御飯にはなにを作ろうか。全員分必要となったこともあり、少し作りごたえのある量になった晩御飯に。けれど、俺はちょっぴり楽しみに思えてきていた。

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