#22 もう少し体力をつけておけばよかった
空っぽになった重箱を片付けながら、少しばかりの嬉しさと安堵が湧き上がってくる。
まさか直樹から「足りない! もっと食べたい!」とせがまれるとは思ってもみなかったが。仮にもざっくり8人前くらいは準備してきたつもりだったんだが。
まあ、そこは男子高校生の底知れぬ食欲といったところか。……俺も男子高校生だけどさ。
そんな直樹の駄々も、思わぬ想定外で収まってくれたし。
「あっ、あの! なにもしないのはなあって思って、作るだけ作ってきたんですけど」
そう言って雨森さんが差し出してくれたのは、手作りのチョコチップクッキーだった。
「そっ、その! 新井さんがチョコやクッキーと言ったものが好きだと聞いていたので! その、裕太さんたちの料理のあとじゃ、私のなんてダメダメかもなんですけど……」
恥ずかしさからか、若干ヤケクソ気味に大きな声でみんなの前にそれを提供してくれた。
チョコチップクッキーは彼女自身が卑下するのとは対照的にしっかりおいしいもので、絢香さんが雨森さんにお礼を言った際には、失神して倒れかけていた。
しかし、さすがはファンだなあ。絢香さんの好物まで知ってるなんて。
と、そう思っていたのだが。聞けば絢香さん自身が公言していることであり、割と知っている人が多いとのことだった。
俺が興味を示したことが嬉しかったのか、新井さんノートなるものを引っ張り出してきて公式? 情報を語ってくれる雨森さんだったが、いいの? そこに本人いるよ?
……たしかに言われてみれば、買い物に行ってるときにたまにカゴにチョコやクッキーが入っていたな。俺自身もお菓子は購入していたので別にこれといって気にしてはいなかったが、なるほど好物だったのか。
改めて自分自身が絢香さんについて知らないことが多いのだと自覚する。一緒に暮らしているくせに。
「よっしゃあ、飯も食って完全復活したことだし、遊ぶぞ!」
「別にそれは構わないが、ちゃんと帰りの体力も残しておけよ?」
「大丈夫大丈夫! なんとかなるって!」
どこからその自信が湧いてくるのかと問い詰めたくなるが、しかし直樹はこういう人間なので仕方ない。
あっはっはっはっと、豪快に笑いながら彼は持ってきたリュックサックから遊び道具を引っ張り出す。
「テニスだろ? バドミントンだろ? フリスビーだろ? それからそれから……」
いったいいくつ出てくるのだ、と。直樹の荷物の重さのワケを痛感しながら、あまりの無謀さに苦笑する。
そりゃ山道でああもなるわけだ。
「持ってきたはいいが、流石にこれ全部はできないぞ? 時間もあるし」
「わかってるって。この中からやりたいやつを選んでやれたらいいなってだけだから!」
曰く、アレ持ってくりゃ良かった、なんてことにしたくなかったとのことで。しかしそのためだけにこの大荷物……山道の苦行と、そして結構な散財をしたのだと思うと、
「バカだろお前」
「おうよっ!」
決して褒めているわけではないのだが、しかしそれを自慢げに胸を張られるとどうも対応に困る。
「それで? どれからやるんだよ」
遊びに関して手を抜きたくなかったバカが、こうして持ってきたのだ。
自由時間には限りがある。ならば、それを有効に使うためにも手早く始めていこうじゃないか。
「それじゃあまずはフリスビーからやろうぜ! こういう広いとこでもなけりゃ、そうそうやらないし!」
しばらくして。遊び道具自体は多いため、飽きるということはなかった。が、
「よっしゃ! 次はテニスやろうぜ!」
「お前、ほんっとその体力どこから湧いて出てきてんだよ……」
体力が、保たなかった。
ドサッとその場に腰を落として、大きく息を吐き出す。
もとよりどちらかというとインドア派な生活を送っている人間なため、体力は無い方だった。
しかしそれでも最低限は動ける方だと思っていたのだが、その点に関しては相手が悪い。
遊びに関して全力すぎる直樹は、無尽蔵ともいえる元気で次々に遊び回るため、こちらが力尽きてしまっている。
その程度は運動部所属の茉莉ですら肩で呼吸を始めているほどで、雨森さんに至っては俺より先に体力の限界が来て木陰で休んでいる。
というか、その直樹の元気についていけてる絢香さんがヤベえ。さすがというべきかなんというべきか。それでいて直樹と違って成績もいいので、文武両道、なんでも超人すぎる。
「雨森さんは……どう? 戻れそう?」
直樹が俺に「はい、これ」と、ラケットを渡しながら、休憩中の雨森さんにそう声をかける。彼女はそれに首を振って、断っていた。
ちなみに俺は強制参加らしい。俺にも参加するかよ確認取れよ。
「それじゃ、俺と茉莉、裕太と新井さんで!」
「待て待て待て待て、なんで運動部ふたり対文化部と無所属のペアなんだよ」
そう俺が抗議するが、しかしチーム分けはそれで決定してまった。
曰く男チームと女チームで分けるとパワーバランスが偏るし、現状まだ元気な直樹と絢香さんが組むとワンサイドゲームになりかねない。そうなるとこの組み合わせしか残らなないとのことだった。
いや、運動部ふたりが固まるのも十分バランスが崩れてる気はするんだけどね?
「というか、マシでテニス持ってきたのな」
「いやまあ、やってみたくってさあ」
テニスは、実は案出しのときに一度却下されたものだった。
というのも、行く場所がそこそこなだらかであるとはいえ坂のある場所なので、球技ではボールが転がっていってしまう可能性があったから。
「お前サッカー部だろ。なんでテニスにそこまで」
「いやあ、最近マンガでテニスのやつ読んでさ? どんな感じなんだろーなって」
思ったよりミーハーな理由だった。とはいえ、直樹らしいといえば直樹らしいが。
それでテニス道具を遊び用の簡易なものとはいえ一式買ってくるので、その行動力はすごいものである。
「まっ、やるとは言ってもネットやコートなんかがあるわけじゃないから、適当にラリーをする程度だがな!」
「……今度、市民体育館で付き合ってやるよ」
「マジ!?」
意見を出し合う際に軽く調べたから覚えている。遊び用とはいえ、これ、そんなに安くはない。そんなものをやってみたいという理由で買ってきたのだから、せめて多少は付き合ってやってもいいだろう。
たしか、少し離れたところの体育館なら外にテニスコートがあって、借りられたはずだ。
「まっ、とにかく一旦は遊ぼうぜ!」
差し出された手を取り、立ち上がる。
頑張ってくださーい、という力無い声が木陰から飛んでくる。
「それじゃあ俺から行くぜ!」
俺と絢香さん、直樹と茉莉でそれぞれ並び、向かい合う。
最初は俺からと直樹がサーブする。
それぞれテニスについては授業以外での経験はなかったが、存外にやれるもので。と、いうか直樹と絢香さんがめちゃくちゃに上手くて、思っていたよりも随分と長くラリーは続いていた。
ラリーが途切れる原因のほとんどが俺で、絢香さんがカバーに入ってくれるものの、俺自身がヘバっていることもあってか球を取りこぼすことが多かった。
「体力が無い方だとは思ってたけど、もうちょっと運動したほうがいいかもなあ……」
「あっはっはっはっ、それもそうだな!」
直樹はそう言いながら、ラケットを力いっぱい振り切った。
球速の速い球が俺に向かって飛んできて、当然それに対応できるわけもなく俺の横を球が通り過ぎて行った。
テン、テン、テン、と。ボールは転がっていく。
「ばっかお前! ラリーだっつってんのに返しにくい球を撃ってくるんじゃねえよ!」
「悪い悪い、ついうっかり」
全くコイツは。そう思い、ボールを拾おうと後ろを振り返る。
勢いの良かったボールは、その勢いのままになだらかとはいえ傾斜のあった坂によって加速を受け、どんどん転がっていく。
「私、拾ってきます。裕太さんは少し休憩しておいてください」
そう言ったのは絢香さん。俺が取りこぼしたボールだからと断ろうとしたが、まだ私は元気ですからとそう言って、彼女はボールを追いかけて走っていってしまった。
既に俺が追いかけても追いつけないところまで行ってしまった彼女の背を見て、情けなくも、しかしそれならその言葉に甘えさせてもらおうと、休憩をさせてもらうことにした。
しかし、結果論的に話すのであれば。俺はこのとき、選択を間違えた。
どうせ追いつけないとわかっていたとしても、それでも追いかけるべきだった。
「遅くない?」
最初に口火を切ったのは茉莉だった。しかし、その感覚は誰もが持っていた。
転がったボールを拾いに行っただけ。坂でどんどん転がってしまっていたとはいえ、絢香さんがここを離れてからそろそろ10分が経つ。
もしかしたらめちゃくちゃ遠くまで転がってしまっているだけかもしれない。もしかしたら茂みに入ってしまって見つからないだけかもしれない。
しかし、あくまでそれらはただの可能性であって。嫌な予感が膨れ上がってくる。
「新井さんに連絡……」
「は、できない。新井さん、スマホを置いて行っちゃってる」
直樹の提案を、雨森さんが否定する。その手には運動するときに落としたら大変だから、と荷物置き場に置いていた絢香さんのスマホが握られている。
嫌な予感がする。
「俺、探してくる」
すれ違いや二次被害を防ぐため自分のスマホを手に取り、彼女が向かった方向へと駆け出した。
「あんまり遅かったら小野ちゃんに連絡してくれ! 絢香さんが帰ってきたら、そのときは俺に!」
「あっ、おい裕太!」
直樹が声をかけてくるが、それよりも心配な気持ちが勝つ。
正直体力が万全に回復したというわけではないが、しかしそんなこと今はどうだっていい。
杞憂で済めば、それでいい。そうじゃないときが、いちばんマズイ。
坂を駆け下りる。緩やかとはいえ、だんだんと速度が増してくるそれには、ちょっと恐怖を覚える。
しばらく走り続けると草原からだんだんと木々が増えていき、林……いや、森と呼ぶにふさわしい景色に変わってきた。
方向感覚だけ喪失しないように気をつけながら、俺は木々の間を歩く。「絢香さーん」と呼んでみるが、返事はない。
そうして探していて。見つかったのは、ボールの方だった。
唇を噛む。同時、焦りが増す。
電話をして直樹に確認をとってみるが、まだ帰ってきていないらしい。
どこかですれ違ったなんてことは、ないはずだ。焦っているとはいえ、いくらなんでも彼女を見落とすほどテンパってはいないはすだ。それに、彼女の名前を呼んでいるのに、返事が帰ってきたことはない。
ボールを追ってきたはずの絢香さんが、ボールを持っていないどころか、その近くにもいない。
杞憂で、終わってはくれそうにない。嫌な予感が的中してしまったことに冷静さを欠きそうになる。
しかし、とりあえず最悪だけは避けられている。だからこそ、今俺が慌ててしまっては元も子もない。そう自分に言い聞かせて、焦りを落ち着かせる。
「どこにいるってんだ……」
グルッと周りを見回してみる。木、木、木、木。あんまりにも壮大なそれに、飲み込まれてしまいそうな不安感を感じる。
とにかく、探さないと。
ボールが見つかってないということは、きっとボールの転がった方向に向かって探しているはず。しかし、ここから多少ズレた方向に向かってしまって、見つけられていない。
だから、向かう方向は、こちらでいいはず。
「絢香さーん! 聞こえたら返事してくれー!」
頼む。この声が、届いてくれ……!