#21 いざハイキング
ガッシャガッシャと、随分な音を立てながら山道を歩いている姿がひとつ。
「ぜぇ、はぁ。ぜぇ、はぁ。くっそ。めちゃくちゃ重い……暑い……」
「お前がやりたいっつって持ってきたんだろーが。ほら、シャキッとする。しっかり歩く!」
「それはそうだがよぉ、裕太の鬼ぃ……」
駄々にも似た無駄口を漏らす直樹を、後ろから急かすように追い立てる。
今朝、あんまりにも大荷物の彼を見て大丈夫か? と心配になったが、案の定というべきか、このザマである。
その荷物の量は、自然公園のハイキングコース程度の山道とはいえ、それでも多いだろうと思ってしまうほどで。気温だって春の陽気が木漏れ日として差し込む程度の道なのに、直樹は滝のように汗をかいている。
さすがに良心が傷むので多少持ってやろうかと思ったが、しかしコイツの自業自得の結果でもあるので、そこはしっかりと線引きしておく。
「その代わりにちゃんと昼飯は作ってきてやったんだからよ」
「うおおあお! それ聞いたらやる気出てきた!」
彼女の手料理とかでそういうセリフは見かけたことあるが、男の料理でそうなるのか。……それでいいのか、直樹よ。
まあ、男の料理とはいえ、茉莉と。それから絢香さんも手伝ってくれているのだが。
今朝。いざこれから弁当を作ろうかというとき。絢香さんが起きてきて「私にも手伝わせてください」と、そう言ってきた。
しかし隣の家という理由がある茉莉とは違い、絢香さんとの同棲は伏せている。だから他のメンバーには手伝っていることを明かせないけど、それでもいいの? そう確認を取ったが、彼女はそれでもいいから手伝いたいと言ってきた。
正直手柄を横取りするような形に見えなくもないので気乗りはしないのだが、しかしそこまで言われて断る理由もない。そういう関係で、絢香さんも弁当作りには参加していた。
まあ、一緒に暮らしている云々以前に、絢香さんの作った料理と知ってしまえば、雨森さんが手を付けるのがおこがましいとか。あるいは食べたそばから卒倒しそうなものなのでどのみち彼女が作ったことは伏せることにはなっていただろうが。
そんな雨森さんはというと、直樹とはまた別の理由で息を荒くしながら、絢香さんの少し後ろをついていっていた。
その表情は、まるで満ち足りたとでもいいたげな恍惚としたもので、ずっとこの調子である。これはこれであとでバテたりしないのかと不安になる。
「…………」
絢香さんは、いつもどおりだった。
茉莉から意味深長なことを言われ、それからそれとなく気にかけはしていたが、これといっていつもと変わった様子はなかった。
とはいえ、茉莉が絢香さんの仕事の負担を減らしたいと言った直後に、そんな話題を振ってきた。さすがになにもないはずはないと思うのだが。
しかし家での彼女は、やはりどこかぶっ飛んだ彼女のままだったし、学校での。そして今現在も含めて、外での彼女は氷の女王様、もとい外行きモードになっていた。
「お、どうした? 彼女の様子をジッと見つめちまってよお。惚気か? 惚気話なら聞くぞ!」
「黙れ。万が一に備えてお前の後ろに詰めてやってるんだが、放っていくぞ」
「嘘ですごめんなさい」
直樹のこの荷物で、山道で転びでもすれば大惨事になりかねない。だから念の為、俺が殿として詰めている。
ついでに、先行する女子たちからあんまり遅れるわけにも行かないので、どうしても坂道がキツそうなときだけは後ろから押してやってるが、どうやらそれもなかなかに助かっているらしい。
そういう都合もあってかこれをダシに脅すと、存外素直に言うことを聞く。
「ほら、裕太、直樹! あともう少しだよ!」
いちばん前で先導してくれていた茉莉が、こちらを振り返り、手を振ってくる。
見ると、茉莉の姿のその奥に、開けた草原が見受けられる。同じく彼もそれを見たのだろう。直樹は少し気を持ち直した様子で、背負っていた荷物の位置を調節して、さっきよりいくばくか背筋を伸ばした。
「裕太! あそこだ。早く行こう!」
「誰のせいで遅かったと思ってんだ」
直樹はそう言うと、俺の文句など聞こえないといった様子で、残りの十数メートルを駆け出した。
その元気があったのであれば、さっきまでの歩みをもう少し頑張ってくれてもよかったのに。
呆れの混じったため息をつきつつ、俺も直樹のあとに続く。前を歩いていた女子3人に追いつく。
木々の間を抜け去ると、そこに広がっていたのは雄大と評するべき草原。なだらかな坂でありながら、しかしその広大な面積はクラス40名が遊び回ったとしても全く問題がなさそうなほどだった。
俺たちより前を歩いていた班は既にレジャーシートを敷き始めていた。ちょうど今ついたばかりの俺たちにも小野ちゃんが近づいてきて、他の班と同じようにお昼ごはんの準備をするように指示される。
「いよっしゃああああ! 昼飯だあああああっ!」
それに、最も喜んでいたのは間違いなく直樹だった。時計を確認してみると、まだ11時で昼食の時間には少し早いとは思うのだが。しかし、大荷物をここまで運んできて、なおかつ昨晩は楽しみ過ぎて寝不足だという直樹にとっては待ちに待った至福の時間なのだろう。
まあ、直樹の体力を削っていたそのどちらもが、彼自身の身から出た錆なのだが。
「ごっはんー、ごっはんー!」
直樹はまるで子供のように、即興の歌を歌い出す。
ガッシャン、と。いったいなにが入っているんだと尋ねたくなるほどの音を立てながら、直樹は持ってきたリュックサックを下ろし、中を弄る。
「別にこの辺で構わないよな?」
レジャーシートを取り出した直樹がそう確認してくる。俺としてはどこでも構わないので、頷く。
他のメンバーからも肯定の返事を貰い、彼は楽しそうにレジャーシートを広げ始める。……こいつ、さっきまでバテかけてたやつだよな? 本当にどこから湧いてきたんだその元気。
俺も持ってきたレジャーシートを広げようかと思ったが、見る限り直樹の持ってきたものがかなり大きそうで、これ1枚で足りそうである。……別にこれまで全員分用意しろとは言ってないんだが。
とりあえず、大きい分だけ広げるのも大変そうなので俺も荷物を下ろして直樹を手伝う。
そうして俺が手伝い始めた矢先、どうしてか直樹が手を止める。
「おい、俺が手伝ってるからと言って、手を止めるんじゃねえよ」
「あっ、いやすまん。ただ、そうじゃなくって」
慌てた様子で謝ってくる彼だったが、しかし理由は別のところにあるらしく、直樹は周囲をグルリと見回す。
どういうことだ? と。俺も彼に倣って周囲を見回して、納得する。
他の班の人たちが、ジッとこちらを見ながら、俺たちがレジャーシートを敷くのを待っている。その手には早く敷けばいいのに、レジャーシートが握られたままで、ただひたすらにこちらを見つめていた。
なるほど。同じ班になれなかったのだから、せめて近くで昼飯を、というわけか。
その気持ちがわからないわけではないし、絢香さんがそれほどの人物だというのも納得している。
しかし、俺だって他の人から注目される中で昼食を取るのは嫌だ。
絢香さん関連で他人の目線に晒されることの多い俺ですら嫌なのだ。「私なんかが新井さんと……」と言ってしまうような引っ込み思案なところのある雨森さんがその視線に耐えられるかどうかなんて、わかりきっている。無理だ。
俺と直樹は互いに視線を交わし合い、頷く。女子たちには茉莉へと視線をやると、彼女も気づき、そして意図を汲んでくれたのだろう。絢香さんと雨森さんを近くに呼んで、ふたりの手を取る。
「で、どっちだ」
「2時の方!」
「お前それ言いたいだけだろう。それにその言い方は、全員が同じ方向向いてないとわかんねえんだよ」
「あっ、そうなの?」
「……そもそも2時がどっちの方向がわかってんのか?」
俺がそう尋ねると、直樹はあっはっはっはっと、豪快に笑って。……そして目をそらした。こいつ、笑って誤魔化しやがった。
「じゃ、あのでっかい木がある方!」
「……了解」
さすがにあの大荷物に加えて若干広げた状態のレジャーシートを持たせるほど俺も酷じゃない。簡単にだけレジャーシートを畳むと、俺がそれを引き受ける。
そして、下ろしていた自分のリュックサックを手に持つ。直樹も持てたようで、いつでもいけるぞと目配せをしてくる。
「痛かったら、ごめんね?」
茉莉が、ふたりに向かってそう伝える。状況の理解できていない絢香さんと雨森さんは、俺たちの突然の行動に首を傾げ、疑問符を浮かべる。
「よーい、ドンッ!」
直樹のその宣言に、直樹、俺、茉莉が一斉に駆け出す。もちろん、茉莉に手を引かれた絢香さんと雨森さんも、少し体勢を崩しながらも、なんとか立て直して走り始める。
周囲で隣に陣取ろうとしていた人たちからは「あっ」という声が聞こえてくる。正々堂々「隣に敷いてもいいか」と言ってくるならともかく、なにも言わずにしれっと近くに居座ろうとしていたような奴らに気を使ってやるほど俺たちは優しくない。悪いが逃げさせてもらう。
これでもなおついてくるようなら大した根性のある奴だが、さすがにそんなやつはいなかったようで、そのまま俺たちは逃げおおせる。
「よっし、ここまでくりゃ大丈夫だろ!」
言っていた大きな木の下までやってきて、直樹は安心したようにそう言った。
改めてレジャーシートを敷き始めた俺たちの横で、茉莉が急に引っ張ってしまったことに関して謝っていた。
「大丈夫? 痛くなかった?」
「あっ、はい! びっくりはしましたけど、私は大丈夫です。新井さんは大丈夫です?」
「ええ、雨森さんと同じで驚きはしましたが、特に痛いとかはありません」
「そっか。よかった」
ひと安心といった様子で、茉莉が大きく息をついた。
そんなやり取りを横に、ちょうどレジャーシートの用意も整った。
準備できたぞ! という直樹の声に、
茉莉はやっと? と、少し退屈そうに。
絢香さんはいつもどおり、丁寧な様子で。
雨森さんはやや控えめながらに、けれど楽しみといった感じに。
三者三様の反応をしながらレジャーシートにやってくる。
まあ、いちばん「待ってました!」と言わんばかりに興奮しているのは、間違いなく直樹なのだが。
とはいえ、少なくとも今回の最大の功労者たる直樹の、その希望には沿ってやるべきだろう。
俺はリュックサックの中から重箱を取り出し、レジャーシートの真ん中に段ごとに分けて並べる。
「おおっ!」
真っ先に歓声をあげたのは予想どおり直樹。続いて雨森さんも「わあっ」と言ってくれる。
俺や茉莉、絢香さんは作ったときに中身を見ているので特段これと言って感動は起こらないが、しかしこうして反応してもらえることには嬉しさを覚える。
急に走ったりなどがあったため、中身がグチャグチャになっていないか心配ではあったが、細かな料理が多少荒れている程度で安心する。
「なあ、食っていいか! 食っていいか!」
「待て。早まるな。まずは手を拭け。それから箸もなくどうやって食うつもりだよ」
早く早くと急かす直樹に苦笑しながらウェットティッシュを1枚渡し、そのまま他の人たちにも渡していく。
そして割り箸も各自に1膳ずつ渡して。
「じゃっ、いっただっきまーすっ!」
「あっ、おい!」
もう待てない、と。そんな勢いで、彼は料理に手を付ける。……まあ、構わないといえば構わないんだが。
「んー! やっぱりうまい!」
「しっかりと私に感謝しながら食べるのよ!」
「あん? 茉莉は裕太の手伝いしたくらいだろ? 感謝はするが、いちばんは裕太だぞ」
「ぐっ……否定はできない……」
「あはは……」
そんなやり取りを目にしながら、俺はそっと絢香さんの様子をうかがう。
特になにかがどうというわけでもなく、今から料理に手をつけようというところだった。
本当に、いつもどおり。自分も関与しているのにそれを言えない現状に不満があるようにも見えず、それ以外についてもやはり、これといって変な様子があるとも思えない。
それなのに、どうしてか。……いいや、なにも変なところがないからこそ、むしろ。
「絢香ちゃんのこと、ちょっと気にかけてあげてね?」
茉莉の言ったその言葉が、思考の奥底で不安を煽っていた。