#20 私だってお世話したい
「いやいやいやいや、どう考えたって大丈夫なわけないでしょうが!」
絢香ちゃんの部屋から離れて、リビング。半ば追い出される形だったこともあってついさっきまで冷静な判断ができていなかったが、やっぱりどう考えてもあの様子は大丈夫じゃない。
倒れこそしていなかったがその場に座り込み、顔色は真っ青で今にも泣き出しそうな表情。そんな様子で「大丈夫」などと言われてはいそうですかとはならない。
しかし、じゃああの場で私がなにをできたのかと言われると、なにもできなかったことだろう。
「友達なんだから、なんて。そんなことを堂々と宣言したくせになあ」
自嘲気味に、そんなことをつぶやいてみる。
絢香ちゃんにとっても、私にとってもお互いは友達だと思っていて。それに違いはないだろう。
けれど、その歴があまりにも浅すぎる。私は彼女のことを知らなさすぎる。
頭の中で絢香ちゃんについて検索をかけたところで、出てくるほとんどの情報は他の人を伝って聞いた、絢香ちゃんについての噂話。あるいは憧憬や称賛の声。次いで出てくるのは裕太から聞く、彼女についての話。
結局のところ私が知っている絢香ちゃんというものは、誰かから伝え聞いた存在でしかなく、実際にその心に近づき、触れ合って作り上げたものではなかった。
「情けない」
今の自分を評価するのに、その言葉は最も適していることだろう。
友達だと思っている相手ひとり、辛いときに寄り添ってあげることができない。
そもそも、私だってメイドになると宣言したくせに、たまに彼女の手伝いをする適度でほとんどの仕事を絢香ちゃんに任せてしまっているのが現状だった。
絢香ちゃんも涼香ちゃんも、あの様子に対して疲れから来ているものではないと言っていたが、しかし仮に今は疲れが原因でないとしても、いつかは無理が祟っていたかもしれない。
もしかしたら私がある程度仕事を代われていれば。あるいは、せめて手伝いくらい頻繁に行っていれば。いくらかは彼女の異変に気づくのも早かったかもしれないのに。
「ただいまー」
そんなことを考えていると、そんな声とともに玄関の開く音がした。
なにも知らない様子の彼は、そのままリビングへとやってくると、普段ならここにいたであろう絢香ちゃんと涼香ちゃんがいないことを不思議がる。
「ふたりなら今は自分の部屋で……」
そこまで言って、私は言葉に詰まる。
続く言葉を、なんとするべきだろうか。涼香ちゃんは、できればこのことは裕太に伏せておいてほしいと言った。絢香ちゃんの様子からも、それを望んでいるようには見えた。彼女らの希望を叶えるのであれば、適当な理由をでっち上げて誤魔化すべきだろう。
しかし、どれだけ奇妙な関係性だとはいえ彼と私たちの間には主従という関係があり、裕太の口からであれば、絢香ちゃんに頼りっきりの現状を打開することが可能ではある。
「その、採寸でもしてるんじゃないかな。涼香ちゃんに連れてかれてったよ」
「そっか。また騒ぎにならなきゃいいが」
結局、私が選んだ選択肢は逃げのそれだった。
手持ち無沙汰という様子で、彼はそのままソファに座り、なんとなくテレビの電源をつけていた。
「そんなところで突っ立ってるだけなら、一緒に見ないか?」
そう言って、彼は隣に座りなよと手招きする。
正直、絢香ちゃんのことが気がかりなこともあり乗り気ではないというのが本音だったが、とはいえここで断るのも不自然。とりあえずは、彼の誘いにそのまま従うことにする。
とはいえ、惰性でつけられたテレビ。お互いこれといって見たい番組があるわけでもなく、適当にチャンネルが回されていく。
「なあ、言いたくないなら構わないが、なにか悩みがあるなら聞くぞ?」
「えっ?」
リモコンを操作する手を止めず、彼はそう言う。そうして同じ声の調子で「特段これといってみたいやつやってねーな、なにかいいのあったか?」と。まるでさっきの言葉が聞き間違いかと疑いたくなることを言われるが、たしかに彼は、私に悩みがあるかどうかを聞いてきた。
「なんで、私が悩んでると思ったの?」
「おいおい、いったい何年お前の幼馴染やってると思ってんだよ。なんかよくわからんが機嫌悪いなとか、なんかよくわからんが嬉しそうだなってのは見てわかる」
言われてちょっと恥ずかしくなる。そんなにも私のことを見てくれていたのかと、ちょこっと嬉しくなる。
けれど、今は一旦それは置いておこう。
「それでいて、今日はなんかよくわからんが悩んでいそうだったからな。特に露骨なのだと、浮かない顔してる上に俺と目を合わそうとしない。それでいてなんかそわそわしてる」
「あっ……」
意図してそういうことをしていたわけじゃない。しかし、そういう態度をとっていたという自覚はある。
「とはいえ、言いたくないことなら別に構わんがな。あくまでお前の幼馴染として。そして同居人として言ってなにかが解決するならと思っただけだから」
真面目な話をしながら、それでいてチャンネルを回す手を止めない彼。よくよく見ると、なんの意図もなく番組の内容の確認もせずにとにかく回し続けているようだった。
そうしてまた、同じ調子で私にいい番組がなかったかと聞いてくる。
なるほど。裕太なりに堅苦しい空気にならないように努めてくれているのか。やり方が意味不明だし、あまりにも不器用なそれに。しかし、少し心が和らぐ。
ごめんね、絢香ちゃん、涼香ちゃん。やっぱり、なにも言わないってのは、無理そうだ。
でも、あなたたちの意思を、私なりに最大限汲みとろうとは思うから。それで許してほしい。
「ねえ、裕太」
私が口火を切ったことで、裕太がチャンネルを回す手を止め、そのままテレビの電源を切る。
そうして彼はこちらを向いて、どうしたと聞いてくれる。
「その、いちおうは私もメイドなわけでしょう?」
「ああ、そう……だな?」
「なんでアンタがそんな微妙な反応するのよ。いちおうは主人なんでしょう?」
私が半ば強引にメイドになったようなものだが、しかしそれでも形の上では受け入れてくれたのだ。そのあたりはしっかりしてほしい。
「でも、正直なところ現状の仕事ってほとんど絢香ちゃんがやってるでしょう?」
その言葉に、裕太はコクリと頷く。当然ながらこの現状を裕太は知っているし、知らないとは言わせない。
実際、裕太がなにか仕事を頼むときに、基本的には絢香ちゃんにしか頼んでいないのだから当然ではある。
しかし、じゃあそれが裕太のせいなのかというと、純粋にそうとは言いにくい。
「私が、裕太があのふたりに手を出さないように監視するためにメイドになるって言ったからなんでしょう? 私に対して仕事を振らないの」
「気づいてたのか?」
そう言われて、気づいていたと堂々と宣言してドヤってやりたいところだが、しかし私は首を振る。
気づいてはいなかった。そもそも美琴さんに言われるまで自分に仕事が回ってきていなかったことに微塵も疑問を抱いていなかったし、絢香ちゃんの仕事の手伝いをしているときに、それっぽいことをそれとなく絢香ちゃんがこぼして、それで初めて気づいたくらいだ。
「もちろん、監視するためってのは嘘じゃないし、それが目的の半分ではあった」
まあ、どちらかというと絢香さんたちが暴走して裕太を襲わないかの監視ではあるのだが。
なにせ突然にメイド服で押しかけてきて、そのまま家に泊まろうとしてきたような人たちなのだ。そのあたりの信用があるわけがない。
「けどね。私だって、裕太のことをお世話したいんだよ」
言って、顔がどんどん熱くなっていくのがわかる。追って自分の言っていることのイカれ具合を自覚していき、恥ずかしさが込み上げてくる。
しかし、それが本音ではあった。
身近なところにいて、ときおり彼のことを気にかけて。それで満足していた私にとって、突然に現れた絢香ちゃんという存在はあまりにも強大だった。
幼馴染という地位にあぐらをかいて、あらゆる行動を後手に回してなあなあで進めていた結果、彼女は突然に意味不明にもメイドという立場を手に入れた。彼をお世話するという権利を勝ち取った。
それを知った私が感じたのは、混乱と。そして強い焦りだった。
私だって、裕太に。そんなことを思ってしまって。
そうして気づいたときには、メイドになると。そう宣言していたのだ。
「もちろん、私は絢香ちゃんほどに家事が得意なわけじゃないから、純粋に彼女の代わりをこなせるだなんて思っちゃいないけど」
けれど、少しでも彼女の負担を減らすことができれば、と。だからこそ、私にも仕事を振ってほしいと。
なにせ、私も絢香ちゃんと同じくメイドであり、絢香ちゃんの友達なのだから。
「わかった。そこまで言うなら、茉莉にも頼むことにするよ」
彼は、幼馴染に家事を頼むなんて、ちょっと恥ずかしいところがあるが、なんて言っていたが。それはもはや同級生に頼んでいる時点でそう対して変わらないだろう。
「しかし、茉莉からそう言ってもらえるとは。意外ではあったが、少し嬉しい」
「意外ってどういう意味よ」
「まあまあまあまあ。……いや、な。久々に料理の腕の確認をするためという形ではあったが、今日は俺が夕飯作っただろう?」
私は頷いて肯定する。適当に作ったとのことだったが、腕については落ちているということなくおいしかった。けれど、本人にはなにか思うことがあったらしい。
「それで、久々に作って思ったんだ。やっぱり面倒は面倒だなって」
彼が最近は作っていなかったその理由。ひとり分をわざわざ作るのがバカらしくなるくらいの手間。
「5人分作ったから手間が5倍になるとか、そういう単純なわけではないんだけど。それでも絢香さんは毎日4人分作ってくれているわけで」
それも朝ごはん、全員分のお弁当、そして晩ごはん。それをひとりでこなし。
その上で洗濯など他の家事も行い、当然ながら学校で勉強をサボるわけでもなく。
改めて指折り数えてみれば、ゾッとするような仕事量である。
「だから、多少は俺が手伝おうかなと思ってたんだが、きっと絢香さんはそれを嫌がるだろうなと思ってたんだ」
「それは、まあ、そうだね」
せめて食器洗いだけでもと、裕太が食器をシンクに持っていったところで絢香ちゃんに強奪されてキッチンから追い出されているところを何度か目撃している。
いくら絢香ちゃんの負担を減らすためにと言ったところで、きっと彼女はその言葉は受け入れたがらないだろう。ただでさえ、先刻にアレほど強情になっていた彼女が。
「それでどうしたものかな、と思っていたところだったんだが。しかし、茉莉が手伝ってくれるというのであれば、話が早い」
もちろん俺も彼女から見えないところからなにかしらは手伝うつもりだが、と。
しかし裕太がなにかしているところが見つかれば、その仕事を絢香ちゃんが奪いに来るのは目に見えている。それならば、私がやるほうが都合がいい。
「だから、悪いが茉莉にも頼んでいいか?」
少しバツが悪そうな表情で。彼はそう言ってくれる。
「悪いが、なんて。そんなことないよ」
元より乗りかかった船だ。そもそも私の意識が低かっただけであって、私だってメイドなんだ。
そういうことをするのが仕事であり、なにより。
「さっきも言ったでしょう? 私だって、裕太のお世話をしたいんだって」
ひとしきり話し終わり、再びつけられたテレビをなんとなくふたりで見ていた。
相変わらず絢香ちゃんが気がかりなのには変わりないが、悩んでいたところを伝えられて、ある程度楽になったからだろうか。随分と考えがまとまり、落ち着くようになってきた。
それもあってか、先程は逃げるしかできなかった判断に、今なら私なりのちょうどいい回答を、見いだせたような気がする。
「あのさ……」
ぼんやりとした様子でテレビを眺めていた彼にそう声をかけると、彼は生返事で返してくる。
「絢香ちゃんのこと、ちょっと気にかけてあげてね?」
「えっ? それ、どういう意味――」
「私からはそれだけだから! それ以上は、言えないし、わからないから」
どう考えてもなにかありげな私の言葉に、裕太はその意味の所在を聞き出そうとしてくる。
けれどそれを、言えない、知らない、わからないと、子供の駄々のように躱して。そして番組の話題を強引に振ったところで、きっと言いたくないなにかなのだろうと察してくれたのか、追求をやめてくれた。
ごめんね、絢香ちゃん。約束を破る形にはなっちゃうけど、これくらいは口を出させてほしい。
だって私は、絢香ちゃんの友達なのだから。