#16 誘っても誘われても角が立つって詰みじゃん
高校2年生になってから2週間が過ぎ、新しいクラスにもそろそろ慣れて……慣れ……、
慣れねえよ! と。机に突っ伏しながら、俺は心の中でそう叫んだ。
それこそ高校進学により環境がガラリと変わった去年でこそ、2週間もたった今頃であれば既にクラスに馴染めていたというのに、今年は未だにクラスメイトが腫れ物を触るかのように、関わろうとすらしてこない。正直ちょっと辛い。
とはいえ、原因は明確ではある。チラリと右側を確認してみると、やはりというべきかこちらを確認してきている視線。
隣の席のクラスメイト、もとい、なぜか俺のメイドである絢香さん。彼女だ。
ある程度のルールは設定したとはいえ、それで縛れる範囲というのはどうしても狭いものではあり、結果として大抵の場面において彼女は俺と行動を共にしていた。
もはや半分諦めてはいるが、ついてこなくていいと言ったところでついてくるし、逆についてこないでは使いすぎると命令不遵守に繋がりかねないので乱用はできない。……まあ、即座に破られた過去もあるのだから、どこまでこれが信用なるのかは微妙なのだが。
これが普通の女子との関係であれば仲のいいカップルだね、で終わっていただろうに。しかしそれが絢香さん……学校イチと言ってもいい有名人だから厄介極まりない。
最初の頃は少し経てばある程度は落ち着くだろうと思っていた。しかしどうしたことだろうか。未だに男女問わず、羨望であるとか嫉妬であるとか。多種多様な視線を向けられる。
こちらをチラチラ見ながらヒソヒソと話されることも珍しくない。これがただ単に過敏になっているだけなら俺の自意識過剰だったね! で済むのだが、どうやら直樹伝いに聞いた話では、俺の見えないところでは噂や陰口が飛び交っているらしい。
ちなみに最近まことしやかに囁かれている噂は「小川 裕太は新井さんだけでは飽き足らず、更にふたりも女子を侍らせている」というもの。なんとも事実無根な話だ。飽き足らないどころか過分すぎるくらいだし、ふたりじゃなくて3人だ。
……火のないところに煙は立たないとはよく言ったもので、火はちゃんとあるんだよなあ。それも煌々と燃え盛る炎が。
自分から意図して作り上げた環境ではないとはいえ、しかしそれを認め、受け入れてしまっている時点で俺にも責任はあるわけで。自身の意志の弱さに今更ながらの酷く遅い後悔を抱く。
とかく、女子を複数人はべらせてるやべーやつな上に、俺に話しかけていると隣から絢香さんからの強い視線が飛んでくる。そんな状況下で話しかけようとしてくる人はほとんどいないわけで。
そうして全く以てクラスの一員に慣れている感覚のしない今現在に至る。
うつ伏せの姿勢のまま、大きくため息をつく。どうしてこうなったと、どうすりゃいいんだのふたつの感情を一緒に吐き出す。
休み時間だというのに誰かと談笑するわけでもないので、いっそ寝てしまった方が生産性があるのではないだろうか。
正直同じ屋根の下に異性が3人もいるという環境のせいで十分に眠れているとはいえない状況なため、そこそこに眠い。これ幸いにと意識を手放そうかとしたところ。
ツン、と。首筋に鋭い痛み……いや、冷たさを感じる。
その感覚に思わず身体を起こしてしまう。入眠を邪魔されたことに対して反射的に顔をしかめてしまうが、すぐに俺の表情が柔らかくなる。
「よう、随分とお疲れの様子で」
そう言いながら、彼は缶コーラを差し出してくる。どうやらこれを首筋に押し付けられたらしい。
ニヤリと笑う彼からコーラを受け取ると、苦笑しながら肯定する。
「俺は随分とそういうことから縁遠い生活を送ってるからよくわからんが、リア充というのは随分と大変そうだな」
「前にも言ったが、別に俺は特定の誰かと付き合っているわけじゃないからな」
「ふむ、ということは複数人と付き合ってる、と?」
「そういう意味じゃねえ!」
はっはっはっ、と。豪快な笑いをする彼――直樹は、持っていたもう1本の缶コーラをカシュッと開け、片手で持ちながら身振りで催促をしてくる。
俺は苦笑しながら渡されたプルタブを開く。そうして差し出された彼の缶に軽くぶつけ、乾杯と告げる。
彼は俺に話しかけてくれる例外のひとり。……いや、関係者以外の人物は基本話しかけようとすらしてこないので、そういう意味では唯一の例外とも言える。
去年には親交のあった人物はもっといたはずだが、彼以外の人物については既にかなりの疎遠状態になってしまっている。とはいえ、状況が状況なだけにそれを責めるだなんてことはできないのだが。
そんな、とても貴重であり、ありがたい存在の直樹とコーラを飲み交わしながら、雑談をする。
詳しいところは伏せながらに問題のない範囲で近況報告をしたりしていると、彼はとてもいい笑顔で「つまりは楽しいってことだな!」と、そう言ってくる。
「いやまあ、たしかに楽しいことには違いはないが、それ以上に環境がなあ」
「そのうちなんとかなるだろ、きっと!」
「そう思って2週間経った今がこれなんだよ」
俺の叫びに、彼は軽く笑いこそしたものの、きちんと受け取りはしてくれたようで「ふむ」と、顎に指を当ててなにかを考えてくれる。
「なら俺が裕太はいいやつだぞ! って触れ込んで回ろうか?」
「いや、気持ちはありがたいがやめてくれ。却ってむしろ変な噂が出そうだ」
ピッと指を立てながら提案してくれるが、俺はそれを断った。
それに、正直悪い噂が付き纏っている俺を下手に持ち上げるような真似をして、直樹にまでおかしな噂が出てしまっては申し訳が立たない。
俺の言葉にそうか、と納得した彼は、そのままの調子で「そういえば」と次の話題を差し込んでくる。
「もうすぐ校外レクだが、今年はどこに行くんだろうな」
「……は?」
知らない。なんだそれは、と。俺は間の抜けた声で、疑問を呈した。
「ほら、去年も行ったろ? クラスメイト同士の親交を深めるっていうやつ」
「ああ、行ったが。……待て、今年もあるのかそれ」
「らしいぞ。俺は先輩から教えてもらったが、なんだ、お前はそういうの聞いてないのか?」
「ああ、聞いてない」
そもそも美琴さんはあんまり自分のクラスでのことを話さないので、そういった話題も同時に出てこなくなる。
しかし校外レクか。名目上はクラスメイトの仲を良くするためのもの。つまりは現在超絶孤立状態の俺にとって、環境が改善される一発逆転のチャンス――、
ジッ、と。期待のこもった瞳で、とても、とても。めちゃくちゃに楽しみな様子でこちらを見つめているひとがひとり。
さすがにここまで露骨だと直樹も気づいているようで、こちらを見ながら苦笑をしている。
うん。ワンチャンも無いなこれ。絶対ついてくるだろう。そうなると俺と一緒になりたがる人はいないだろうし、絢香さんと同じ班になりたい人はいるだろうけども。
結果としてどうなるかは明白で、俺がぼっちになる未来しか見えない。
「なあ、直樹」
「どうした?」
「俺たち、友達だよな?」
「おう、紛うことなき親友だぞ!」
「……校外レク、同じ班になってくれないか」
「安心してくれ、俺からもそう言おうと思ってたところだ」
親指をグッと突き出しながら、そう笑いかけてくれる彼に、俺は出そうになった涙をなんとか堪える。
「おまえ、ほんとにいいやつだな……」
「おうよ! ……っていっても、こんなことでそこまで言われても、若干複雑なんだが」
恥ずかしそうに笑う彼に、俺は幾度か繰り返してありがとうと感謝を告げる。「わかったから、わかったから!」と、直樹は困りつつも少し笑っていた。
なんてタイミングのいいことだろう。その日のロングホームルームにて、校外レクの話がされた。
曰く、少し離れた自然公園にハイキングに行くとのことだった。
「そういうわけだから、今から4から5人の班を作ってね! 班の決め方については特に指定はしないけど、できれば10分くらいでまとめてくれると嬉しいかな!」
小野ちゃん、もとい担任の小野先生がそう言い「それじゃあ、始めっ」とパンッと手を叩くと、それまで比較的静かだった教室が一気に騒がしくなる。
すぐに俺の席の近く。正しく言うなら、隣の絢香さんの席の周りにたくさんの人が集まってくる。さすがと言いたいところだが、地味に俺の席まで圧迫しつつある人混みには、面倒くささを感じざるを得ない。
「な、言ったとおりだろ?」
そう自信満々の様子で近づいてきたのは直樹。彼は前の席に座ると、くるりとこちらに身体を向け直し、背もたれに身体を預けながら言葉を続ける。
「それで、誘わなくていいのか?」
彼はそう言いながら、親指で隣を指差す。
その意味するところは明白で、現在進行形で人に囲まれまくっている絢香さんのことだった。
「誘うって言っても、この人混みだぞ?」
「それはそうだが、昼のアレはつまりそういことだろ?」
「だとは思うが……」
チラと再び隣に視線を向けてみるが、もはや絢香さんの姿すら見えないほどに人だかりはできていて、誘うは愚か、声をかけることすら難しそうに見える。
「まあ、もし一緒の班になりたかったら向こうから声をかけてくるだろう」
「そうか? そういうのは男の方から誘うもんだと思うんだが」
「絢香さん絡みの話の場合はそうはいかねえよ。下手に俺から声をかけたりすると、変に話がこじれかねない」
そう言うと、やはり直樹は大きな声で笑いながらなるほどなと納得してくれる。
ただでさえ現状噂や陰口が蔓延っているのだ。そこを俺から誘って絢香さんが受けたとなれば、余計に様々な声が出てきかねない。
いやまあ、じゃあ逆の立場だったら出ないのかというと、そんなこともないとは思うが。
つまるところ、誘うもダメ。誘われるもよくはない。しかし絢香さんは同じ班になりたがるだろうし、果たしてどうしたものか。
「まあ、とりあえずもうひとりが新井さんだとしておいて、あとひとりかふたり必要なわけだけど、誰かアテはあるか?」
「ああ、4人か5人って小野ちゃん言ってたもんなあ」
しかしそうは言われても、現状の俺と関わりのある人物が絢香さんと直樹以外だと茉莉しかいないわけで。
茉莉もメイドなわけだから、下手に声をかけるわけには。……いや、待てよ。そもそも茉莉はメイドである前に幼馴染なんだから、別に誘ったところで不自然ではない。
そんなことを考えていると、コツンと、誰かが俺の頭を軽くチョップしてくる。
「痛っ」
「どうせ、誰を誘うかで困ってそうだから、来てあげたわよ」
「……茉莉か。ちょうどよかった」
身体はそのままにグッと思い切り見上げる形で後ろを見ると、逆さまに映った茉莉の顔。
「よし、これで4人揃ったな!」
「4人? まだ3人じゃないの?」
「俺と裕太、茉莉に、それから新井さんでほら! 4人だろ?」
首を傾げる彼女に、直樹が自信満々でそう言う。
茉莉はジトッとした視線で俺を見つめ、口には出さないものの「メイドのことを言ったのか?」と訴えかけてくる。俺は首を振り、いつも一緒にいるから誘えばいいじゃないか的な話になったと伝える。
「まあ、たしかに裕太が誘えば新井さんなら来てくれそうな気はするけど」
「やっぱり茉莉もそう思うだろ!」
「話は最後まで聞きなさい。誘えば来るとは思うけど、この人混みで誘うのは難しいとは思うわよ?」
「うーむ、茉莉までそう言ってくるかぁ」
再び同じ理由を言われ、直樹はどうしたものかと頭を抱える。
素直にどうにか誰か誘いに行くべきだろうか、と。そんなことを考えていると、隣からよくとおる声がした。
「みなさん、たくさん誘っていただいてありがたいんですが、すみません。私、もう既に先約がありまして」
絢香さんがそう言うと、周りからは落胆の声とどよめきと。それから俺への視線がいくらか。
うん、まあそうなるよな。後の噂話はいくらか覚悟で諦めていると、後ろから茉莉がちょいちょいと突いてきて、前では直樹がやっぱりな! と、顔を輝かせていた。
そして、絢香さんが言った。
「私、既に宮野さんと一緒に班を組む約束をしておりまして、それから残りのメンバーについても、宮野さんに一任しているのです」
その言葉に、一斉に視線が移り変わる。
俺ではなく、俺の後ろ。茉莉……宮野 茉莉へと。
「……えっ、私!?」