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#122 私と一緒に

 いつからだったろうか。考えがまとまらないとき、ただ漠然とこの公園に来てしまうことがある。家から少し離れた場所にある、小高い丘の上の公園。

 転落防止用の柵越しからは、あたり一帯を見下ろすことができる。


 ここでは、いつもベンチに座り込んでから。……いや、昔はブランコに揺られながらだったろうか。

 そうして考えを進めると、なんだか安心するような、そんな気がして。


 ふと、ブランコに目を向けると。そこに、幼い頃の俺自身を幻視する。

 あるはずのないその光景を目にして。俺は、納得をする。


 ……ああ、そうか。なるほど。

 どおりで、安心していたわけだ。


 あの頃は。――いや、今までの俺はずっとそれを否定してこようとしていたのだ。だから、気づかなかった。

 けれど、自覚してしまった今。やっとその理由に気づいたのだ。


 幻視した、俺の後ろ。そこにいる両親のその存在に。


 いつだったろうか。相も変わらず忙しかった両親が、遠出はできないけれどと謝りながらに連れてきてくれたときの記憶。

 ひとりでも大丈夫だと、そうあろうとしていた俺は。それでもなお、無意識のうちに過去に縋ろうとしていたのだ。


 結局は、ずっと、ずっと弱いままで。

 そんなだからこそ、絢香さんを傷つけるだけ傷つけて、そしてこうして逃げてしまったのだ。


「ははっ。ほんと、滑稽だな」


 自嘲気味た笑いは、誰に届くこともなく消える。

 ……と、そう思っていた。


「裕太さんっ!」


「……えっ?」


 声が、聞こえた。叫び声だ。

 俺の名前を、呼ぶ声だ。


 声のした方向に目を向けてみると、そこにはひとつの人影。暗がりで顔や姿まではハッキリと見えないけれど。間違いない、絢香さんだ。


 走ってきたのだろう、暗い中であっても肩が大きく上下しているのがわかる。


 ――どうしてここが。声が聞こえたその時には、そう彼女に尋ねようとした。場所は告げずに飛び出してきたはずなのに、と。

 だがしかし、それよりも先に俺の口を突いて出てきたのは、


「その、格好は――」


「はい、裕太さんの思っている、そのとおりです」


 一歩前へと歩き、街灯に照らされた彼女の姿。

 声から絢香さんだと判別がついた先程とはうって変わって。彼女の顔が、容姿が。格好が、はっきりとわかる。


 見紛うはずもない。ここ最近の間、ずっと俺が向き合ってきたものだ。

 息をゴクリと飲み込んで。そして、彼女のその姿を見る。


 よかった、ちゃんと似合っているようで。

 都合、仕立ての際に彼女に試しにつけてもらうということができなかったために心配だったのだ――って、


「なんで、その格好で!?」


 彼女が身に着けていたのは、俺の仕立てた服。

 俺が、彼女に贈るつもりだった、メイド服だ。


 黒地に、白いエプロンを着けているかのようにもみえるピナフォアドレス。頭にはホワイトブリムがつけられていて。

 涼香ちゃんの作ったものにもどこか似ているところはあるが、フリルのあしらいなど、細かなところで結構な差異があるため、俺が作ったものだということを確信を持って言える。


 でも、ここに来る前に。自室の中に入れてきたはずなのに。どうして――、


「えっと、その。勝手に着てしまったことなら、謝ります」


「……いや、元々絢香さんに渡すつもりだったし、それに関しては問題ない」


 というか、むしろキチンとプレゼントとして贈れていないのだから。こちらのほうが謝らないといけないくらいだろう。

 物としても絢香さんの体型に合わせて作っているので、そういう意味でも彼女に身に纏ってもらうのが一番、なのだけれども。


 複雑な想いが、腹の中に沈んでいく。


「絢香さん。やっぱり、その服は――」


「茉莉ちゃんから聞きました。……裕太さんの抱えているもの、その、感情を」


「――ッ!」


 茉莉から聞いた。その言葉に、どこか納得している自分がいた。

 彼女なら、たしかに気づいていてもおかしくないだろう。ずっと隣にいてくれた、そして今日にも心配してくれていた彼女なら。

 あの心配の言葉も、そういう意味にも、たしかに捉えられる。


 そうだとすると、本当に茉莉にはずっと迷惑をかけっぱなしになってしまった。怒っている彼女の顔が、想像に難くない。

 ……あとで、感謝や謝罪、諸々含めて彼女にもいろいろと伝えなければいけないだろう。


「裕太さん。私、今、怒ってます」


「……ああ、だろうな」


 あんな場面で飛び出していったのだ。最悪一生恨まれたって仕方がないだろう。

 そんなことを口にしていると、そうじゃありません、と。絢香さんがそう言った。


 彼女はそっと目を伏せて。もちろん、とそう言って。


「たしかに置いていかれたときはとっても悲しかったです。期待があった分だけ、それが打ち砕かれたときは辛かったし、苦しかったです。……でも、それに関してはちっとも怒ってません」


「な、んで」


「だって。なによりも誰よりも決断の苦しみを抱えているのは裕太さんだってわかっていたので」


 もちろん、だからといって赦される行為ではない。仕方ない、で済ませていいことではない。

 彼女はそう前置いた上で。怒ってはいない、と。そう伝えてくれる。


「それじゃあ、なんで怒って……」


「それは裕太さん、あなたがとっても優しくって、どこまでも、どこまでも優しくって。全部ひとりで抱え込んじゃったからです」


 スッと近づいてきた彼女に、考えよりも先に身体が遠ざかろうとする。

 そんな俺を見たからか。彼女は更に近づいてきて、俺の手を取る。


「すっごく怒ってます。だって、裕太さんが悩んで、辛い想いをしているっていうのに。それを、相談してくれなかったから」


 絢香さんは、怒りと悲しみとが綯交ぜになったような表情で、顔を歪ませる。


「苦しんでる、裕太さんがいたっていうのに。気づくことができなかった、私自身にも」


 まるで、懺悔するかのようなその言葉に。違う、そうじゃない。絢香さんは悪くない。そう、声をかけようとして。

 しかし、声が出ない。出せない。

 いつの間にか、泣いていた。呼吸が早まり、うまく声を出せない。


 そのうちに足から力が抜けて、崩れ落ちてしまう。

 そんな俺に、絢香さんは優しく、暖かに包み込んでくれる。


「私、怒ってるんです。話し合うことの大切さを見失っていた私に、それを説いてくれたあなたが。私たちに話をしてくれなかった、ってことが」


 耳元で告げられるその言葉。柔らかな抱擁に、ほんの少し、力が加わる。

 その差異こそ、彼女の本音だったのだろう。


 そうだ。そのとおりじゃないか。

 怖いのは、誰だって当然のことだ。受け入れてもらえるかなんて、わかったものでなない。

 それでも。どれだけ怖くても。話さなければ、始まらなかったというのに。

 それを、俺はしなかったのだ。


 ああ、やっと理解した。自分自身が、どれほど愚かなことをしていたのかということを。


「ごめん……本当に……」


 絞り出すようにして、俺はそう彼女に伝える。

 彼女の胸に抱き寄せられているため、表情は読み取れない。けれど、ぎゅっと力強く抱き締められて。彼女が受け入れてくれていることが、伝わってきた。

 彼女の体温と共に、絢香さんの気持ちが伝わってくるような気がして。少しずつ、少しずつ落ち着いてくる。


 気づいたときには堰を切ったように、彼女にこれまでのことを話していた。

 自分の抱えていた気持ち、彼女に、伝えたかった気持ち。

 彼女の身に纏っている、この服に込められた想い。


 彼女は、小さな声で俺の言葉に相槌を打ちながら、話を聞いてくれる。……受け入れてくれる。

 ひとしきり話しきって。俺が落ち着いた頃合いに。絢香さんはそっと抱擁を解いた。


 彼女の感覚が、共にいる時間がとても心地よくて。……離れてしまうのが、少し惜しくも思えた。


 彼女はたったったっ、と。軽やかな足取りで柵の方へと歩いていき、くるりとこちらへと振り向く。


 クリスマスということもあり、まだ眠っていない街はキラキラと光を輝かせており。そんな夜景を背後に、彼女はこちらへと顔を向けて。


「ねえ、裕太さん――」






「ごめん……本当に……」


 裕太さんが、私の胸の中で。そう、小さく告げた。

 あまりにも弱々しい彼の声に。ずっと苦しんできたのだろう、ずっと我慢してきたのだろう。そのことがよく伝わってくる。

 自分も、以前こうなってしまっていたのだろう、と。そう思うと、きゅっと締め付けられるような感覚がする。

 ……だからこそ、裕太さんのことを助けなければいけない。今度は、私が。


 しばらくしてから、裕太さんがゆっくりと話してくれる。


 服を作ってくれていたときのこと。そのときに、どんなことを考えていたのか。

 気持ちを自覚してから、感情を理解してから。それがどれだけ恐ろしく感じたかということ。

 それを、私に課してしまうことがこの上なく恐ろしくて。そして、申し訳なくて。しかし、それを望んでしまっている自身もいて。それが、嫌で、嫌で。


 葛藤と、欲求と。その板挟みにあったことが、わかる。


 そして、それをなんとか処理しても。その先にあるのは、もしかしたら私が裕太さんの想いを受け入れてくれないかもしれない、という恐怖。

 正直、そう思われていたということが不服といえばそのとおりなのだけれども。でも、彼がそう思う気持ちもとてつもなくわかる。


 私にとって、無視されるということがこの上なく恐ろしいように。裕太さんにとっては、拒絶こそがなによりも恐ろしいことなのだ。


 そんな彼なのだから、そこにあった不安は計り知れない。


 茉莉ちゃんの言っていたとおり、裕太さんの想いは生半可なものではなかった。

 けれど、それが彼の心からの想いなのだということも。しっかりと伝わってくる。

 ……まるで子供のように泣いている彼の姿が、そのなによりの表れだろう。


 話したいだけ話し切って、泣きたいだけ泣き切って。裕太さんの呼吸が、少しずつ落ち着いてくる。

 抱えていたものを吐き出し切れたのだろう。ずっと強張っていた彼の身体が、緩んだようにも思える。


 縋るように、彼は私の存在を確かめていた。

 その感覚が、私の中でだんだんと高揚に変わっていくのがわかる。


 ずっとこのままでいたい。このまま、ふたりで微睡んでしまいたい。

 そんな想いが、底の方から少しずつ湧き上がってきていた。


 ――けれど、この気持ちはダメだろう。

 茉莉ちゃんが示してくれた、あり得た結末。この先にあるのは、きっとそれだ。


 惜しまれる気持ちを抑え込みながら、私はそっと裕太さんから離れる。

 彼の表情も、どこか寂しそうで。……おそらくは、私と同じように感じているのだろう。


 そうあってしまえばいいじゃないか、と。お互いに望み望まれ、閉じこもってしまえばいいじゃないか、と。

 それで、ふたりとも幸せなのだから、と。

 私の中の、紛れもない私自身が。そう語りかけてくる。

 あまりにも魅力的なその言葉に思わず揺らいでしまいそうになりながらも。しかし、小さく首を横に振る。


 ダメなんだ。それじゃあ、ダメなんだ。


 私は、裕太さんと共に在りたい。

 けれど。それは停滞ではなく、前に進むために、共に在りたい。


 だから――、


 私は、裕太さんの視界の先にある柵の前まで行き。くるりと振り返る。

 背中から一陣の風が吹いてきて、私の髪を大きく揺らした。


 キョトンとした表情の彼の視線を受けながら、私はニコリと笑いかけて。


「ねえ、裕太さん」


 そうして、私は。

 ひとつ、彼に提案をする。


「今から、私と一緒に死にませんか?」

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