#121 幼馴染よりはなむけを
「……最悪だ」
夜の風が、冷たく頬の熱を奪う。
なにが最悪かというと、俺自身だ。
絢香さんに告白をする。彼女から告げられた気持ちに、答える。その場面において。
俺は彼女の気持ちに答えることなく。むしろ、それを愚弄するような形で、その場から逃げ出してしまった。
今まで、二股だとか三股だとか噂されてクズだのなんだの言われてきたが。今の俺は、そんなものが生優しく見えるほどのクズだった。
「どうしたものだろうか」
ただただぽつりと、そんなことをつぶやく。
なにも考えないままにここまで走ってきて、それから、どうするつもりだというのだろうか。
やらなければいけないことはハッキリしている。絢香さんたちの元に戻って、謝らなければいけない。
そしてその上で、キチンと気持ちを伝えなければいけないだろう。
もう、こうなってしまった以上、最早絢香さんが受け入れてくれるかは定かではないが。
「…………」
だが、どうしてか。足が動こうとしない。
いや、それもそうか。そもそも俺は、気持ちを伝えるというそれを恐れて、ここまで逃げてきたのだから。
おそらくこれは、恐怖なのだろう。
絢香さんにとてつもない重荷を課してしまいかねないということと。
それ故に彼女に受け入れてもらいないかもしれないということへの。
「俺は、どうするべきだったんだろうな」
そんな質問を吐いてはみるが、当然答えは返ってこない。
こんな状況になって初めて。いや、こんな状況になったからだろうか。
やっと、正常な思考が戻ってくる。
「……誰かに頼る、か」
夕方頃に考えていたそれを、もっと早くに行っておくべきだった。
いや、あの時点からでも。その後のことが少し遅れたかもしれないが、誰かに相談をするべきだった。
自分ひとりで解決できそうにないということはわかりきっていたというのに、それを延々と先延ばしにし続けて、そうして解決しないままに、問題と向き合わないままに絢香さんと向き合おうとした結果がこれだ。
彼女を、悲しませるだけだった。
本当に、最悪のクズだ。
だけど。もし、まだ間に合うのなら。
なにもかも、遅かったってのはのはわかりきってる。でも、もし。
……今からでも、間に合うのなら。
バタン、と。乱雑に閉じられた扉。
私はただ、それを見つめるしかできなかった。
いったいなにが起こったのか。それを理解するには十分なはずなのに、脳が理解を拒んでいる。
「裕太、さん?」
やっと現実に引き戻されてきた私が、やっとの思いで口にしたのは、すでにいなくなってしまった彼の名前だった。
……そう、この場からいなくなってしまった。
その事実に。あまりにも受け入れ難い、現実に。私は膝を折って崩れ落ちる。
誰一人として、宣言はしていなかった。だが、あの場にいた全員が。……裕太さんも含めた全員が、あのプレゼントを、告白の返答。つまりは、裕太さんからの気持ちと答えであると認識していた。
美琴さん、涼香。そして茉莉ちゃんにプレゼントが渡されて。そして、次は私の番だと、そう思って待っていた。
けれど、私にはなにも渡されないままで――、
「――ッ!」
事実が、締め付けるように心臓を縛り付ける。
裕太さんの行動には、言葉が伴っていなかった。それ故に、あの行動の意味は推測でしかない。
可能性の話だけをするのなら、プレッシャーに耐えきれずに、というような可能性を追うことだってできる。というか、そうだと信じたい。
けれど、それと同時に。私は選ばれなかったのだと、そういう可能性だって考えられるのだ。
そして嫌なことに、こういった悪い考えは、一度思いついてしまうとまとわりつくようにして離れない。
違う、違うと首を振っても、振り払えない。
「私じゃ、ダメだった……?」
裕太さんに、選ばれなかった。思いが伝わりきらなかった。受け入れてもらえなかった。
そんな考えがガンと頭を殴りつけてくる。
ポロポロと涙が流れているのが感ぜられる。けれど、なにも、できない。
顔を上げてみると、慌てた様子の美琴さんがいる一方で、涼香と茉莉ちゃんは静かに俯いていた。
「……やっぱり、こうなったか」
そうつぶやいたのは、茉莉ちゃん。確証があったわけではないのだろうけれど、彼女にはなんとなく、そうなるのではないかという可能性は見えていたのだろう。
そして、それはどうやら涼香も同じらしかった。
「ねっ、ねえ! 今からでも私たちで裕太くんのことを追いかけるべきなんじゃない!?」
「美琴さん、意味無いですよ。……少なくとも、今動ける3人じゃ、裕太のことを説得できない」
茉莉ちゃんはそう言うと、少しやりにくそうにしながら廊下へと出ていく。
どこに行くのだろうかと誰もが考えていると、そう時間も経たないうちになにやら袋を持って戻ってくる。
そうして、その袋を私めがけて投げつけてくる。
「これ、は?」
「本来、絢香ちゃんに渡されるはずだったプレゼントよ」
袋の中身を取り出してみると、包装紙で覆われた大きな包みがそこにはあった。
さっきまで3人に渡されていたものとは、明らかに違う、プレゼント。
これが、本来私宛だった、もの?
そう思ったときには、私の手は意識せずとも包装紙を縛っているリボンへと向けられていた。
そして、それを解こうとしたその瞬間。待ちなさい、と。茉莉ちゃんの声がして。
「それを受け取るつもりなら、別に止めはしない。……でも、それなりの覚悟を持って、受け取りなさい」
「覚、悟?」
「ええ、そうよ。……それは、裕太からの気持ちそのもの、だから」
茉莉ちゃんが、すう、はあ。と大きく息を整える。
涼香が「私たちは聞かないほうがいい話?」と、そう尋ねる。茉莉ちゃんは少し考えてから、首を横に振る。
勝手に話すべき内容ではないけれど、ここまで裕太が話してこなかったのなら、どうせこのままだと延々と話さない可能性がある。
ならば、今のうちに共有しておくべき話だ、と。
彼女はそう言ってから。そして、私の方を向く。
「絢香ちゃんには、修学旅行のときに裕太の過去について話したことあったわね」
「……はい」
「美琴さんと涼香ちゃんは知らないと思うんだけど。簡単に言ってしまえば、裕太はずっと、両親を頼ってこなかったの」
幼さに似つかわしくないほどに聡かった彼は、両親が頑張っていることを理解していた。理解してしまっていた。
だからこそ、そんな両親の邪魔をすることを嫌った。
そうした過程で、彼の今のスキルが身についたという、そんな皮肉な話も、聞いた。
「……もしかして、裕太くんの裁縫関連のスキルって」
「ええ。そのときのものよ」
美琴さんのその質問に、茉莉ちゃんは目を伏せて頷く。
茉莉ちゃんは、私に向けて包みを開けてみなさい、と。
私はどうしてだか重さが増したような錯覚に囚われながら、リボンを解く。
包装紙がカサリと音を立てながら開かれて。中からは、服が現れる。
「裕太が、誰かのための服を作ってこなかったって話は、覚えてる?」
「……はい。正確には、家族以外には作ってこなかった、と」
私や美琴さんがその発言に納得し、茉莉ちゃんがそうね、と。そう答える、その空間に。
ちょっと待って、と。涼香が制止する。
「おかしい」
「……えっ? 涼香ちゃん、なにか変なことあった?」
涼香のその発言に、美琴さんがそう反応する。
彼女は美琴さんの方を向いてコクリとうなづくと。そのまま全員の方に向き直してから。
「だって、さっきまでの話だと、裕太さんは両親の時間を作るために、家事を行ってたわけで」
「まあ、それはそうだね」
私も美琴さんの反応に同調する。
茉莉ちゃんは、なにも言わない。それはある意味で、涼香の考えが正しいということを補強しているようにも見える。
「料理や、洗濯。掃除なら、わかる。そして、この中でも明確に技術がわかりやすいのは、料理。裕太さんの料理が上手なのも、わかる」
それは、この場にいる全員が理解していることであろう。
しかし、涼香はでも、と続けて。
「裁縫は、別に必須スキルじゃない」
「――ッ!」
「ほつれを直したり、ボタンをつけ直したりするくらいならわかる。でも、それでも頻繁にやるものじゃないし、なにより、服を仕立てられるほどにまで、は確実に家事の範疇ではなく、趣味の範囲」
しかし、茉莉ちゃんはそれを、両親との関わり合いの一連の中で身についたスキルだと、そう説明した。
つまり、それの意味するところは――、
「……裕太は、途中から甘え方を忘れたのよ」
ずっとずっと、心配させまいと。両の足で必死に自立しようとして。
そうしてずっと生きているうちに、どうやって他人に甘えたらいいのか、ということを忘れてしまった。
しかし、そんな彼に。両親が褒め言葉をくれることがあった。
もちろん、普段の家事なんかでも両親は褒めてくれていたことだろう。だがしかし、それらとは一線を画す、一等上等の褒め言葉を。
「それが、裕太がふたりに、手作りのハンカチをプレゼントしたとき」
それからというもの、彼は裁縫にのめり込んだ。そのまま、服まで作れるほどに成長して。
「私や直樹も、そんな彼のことは気づいていた。頑張ってるな、って思う一方で、あまりにも痛ましい姿で」
なにせ、当時小学生の子供が、必死に裁縫の腕を磨いていて。
その理由が、本人には自覚はなくとも、両親に認めてもらいたいから、褒めてもらいたいから。そして、甘えたいから、という。そんな理由だということに気づけば。
友達として、なんとかしてあげたいって、そう思った、と。
「まあ、それで私と直樹は裕太のことをなんとかしてあげようとしたんだけど。……それで自分たちがむしろ裕太に助けられてるんじゃ、世話ないわよね」
茉莉ちゃんは遠くを見つめながら、そう嘲る。
「さて、ここまで聞けば、なんとなく察してくるものはあったと思うけど。……つまりは、そういうことなの」
その服は、裕太の気持ちそのものだ、と。茉莉ちゃんは言った。
裕太さんは、今まで家族以外の誰かのために服を作るのを避けてきた。
それは、彼が無意識ながらに服に乗せていた思いがそこにあったからで。
それ故に、そんな気持ちを他人に負わせるべきではないと、そう思っていたから。
そして、この様子と現状を見るに。……きっと裕太さんは、その気持ちを、ついに自覚したのだろう。
「友達として、助言してあげる。その、鉄よりも重たい想いを引き摺っている服を、受け取るだけの根性があるのなら、今すぐ追いかけてきなさい。……その覚悟がないのなら、諦めなさい」
「わ、私は……」
特別重たいな素材なんて無いはずなのに、とてつもなく重たいそれを。しかしながら、私は抱きしめる。
まるで彼の想いが伝わってくるような、そんな感じがして。……私が、決して振られたわけではないということを、再認識する。
ただ、決断の重圧に耐えきれなかったのだ、と。
裕太さんはすごい人だ。なんだって自分でこなしてしまって、私たちが困っているところを、さも当然かのごとく助けてくれる。
まるでヒーローのような人だ。……と、そう思っていた。
けれど、本当は。普通で、むしろ弱い人間で。
「……っ! 着替えてきます!」
たぶん、さっきまでの私だと、覚悟が足りてなかったのだろう。
ひとつ、決心をして。ふと、動いていなかった足が、腕が。鎖が外れたかのように動き出す。
とてつもなく重たかった服が、持てるようになる。
鉄砲玉のように廊下へと飛び出して、少しよろけながらも止まることなく自室へと走っていく。
ドアなんて締めている余裕もなく、ただひたすらに走っていく、その後ろで。
「……頑張って、任せたわよ」
という、茉莉ちゃんの声が聞こえた気がした。
「茉莉は、これでよかったの?」
着替えを済ませた絢香ちゃんが、裕太を追いかけていってから。
隣にいた涼香ちゃんがそう尋ねてきた。
「よかったって、なにが?」
「……茉莉が行かなくてよかったのかなって。最初っから、裕太さんのいる場所、わかってたんでしょ?」
いざ絢香ちゃんが裕太を追いかけることになったとき、私は彼女にひとつの場所を伝えた。たぶん、裕太はそこにいる、と。
私は質問を投げかけてきた彼女に、ええ、と答えると。
「伊達に幼馴染してないわよ。……アイツは悩むと、だいたいあそこに行くから」
「なら、どうして自分で行かなかったの」
「……わかってて言ってるでしょ。あの服が、私に向けて作られたものじゃないってわかってたからよ」
なんとなく、ずっとそうなんじゃないかなとは思ってた。
一度、彼の部屋に入ったとき。服本体は隠されていたものの、布の切れ端などはそのままにされていたため、それらから推測がついた、とでも言おうか。
たしかに、あの服は裕太から見た彼女のイメージにピタリと合うものだろう。
「でも、とっても似合ってたね、絢香ちゃん」
笑顔で、美琴さんがそう言う。
私も涼香ちゃんも、それに頷いて。
「……今の裕太を説得できるとしたら、アイツに選ばれた絢香ちゃん、ただひとりよ。死ぬほど悔しいけどね」
「そっか」
涼香ちゃんは、そう短く答える。
きっと、私の心情をある程度察してくれたのだろう。それ以上、深くは追及してこない。
「だからこそ、帰ってきたら笑顔で迎えてあげなきゃね。それから、しっかりと怒らないと」
――私たちのことを、もっと頼りなさい。と。
なにせ、私たちは裕太のメイドなのだから。