#120 プレゼント
時間が経つのは早いもので、昼食を食べてからボードゲームなどをして遊んでいると、時刻は早々に夕方を迎えようとしていた。
「ふっふっふっ、今までの私であればこれくらいの時間になったらそろそろ帰らなきゃなって話になるところだったけど、今日の私は一味違うよ……!」
「大袈裟に言ってますけど、つまりはただのお泊まりってだけですよね?」
「そうとも言う!」
胸を張り、自信満々な様子で美琴さんはそう言う。
単純な話、今日は彼女もこの家に泊まっていくので帰宅の時間を気にしなくていい、ということだ。
まあ、帰宅はともかくとして夕飯を食べて帰る場合はもう少し遅くまでいたりするので、実はこの時間帯に彼女が珍しいというわけではないのだけれども。楽しそうにしている美琴さんに水を指すのも憚られるのでやめておく。
「それじゃあ、そんな一味違う美琴さんには夕飯の準備を手伝ってもらいましょうかね?」
「はーい!」
半分冗談のつもりで俺がそう言うと、すんなりと受け入れて納得してくれた。
元々お昼の準備も手伝うつもりだったのだろう、彼女は持参していたエプロンを身につけると、夕飯の準備のために現在キッチンにいる絢香さんに合流して、楽しそうに話しながら調理を始めていた。
「ちょっと珍しい組み合わせだなあ。って、思った?」
突然に隣から小さな声がしたかと思うと、考えていたことをズバリと言い当てられて。思わず心臓が跳ね上がりそうになる。
顔を向けると、いつものごとくニィッと悪い笑みを浮かべている涼香ちゃんがそこにはいた。
「……うん、思ったよ」
「まあ、そう思うのも仕方ない。実際、他の皆と比べてそこまで絡みが強くない」
絢香さんと茉莉は仲がいいし、美琴さんと涼香ちゃんは同じ部活。茉莉と涼香ちゃんはなんだかんだで衝突することもあるものの、結局楽しそうにしている。
茉莉と美琴さんについては、美琴さんがやらかしたときに茉莉が叱っていたりするので、実は結構関わりがあるのだけれども。絢香さんと美琴さんは、そこまで強く関わりがある印象がない。
もちろん、全く絡みがないわけではないのだけれども。その一方で、ふたりだけでなにかをしているというような場面をあまり見かけたりはしなかった。
「まあ、実際そんなに絡みが多かったわけじゃないし、珍しい組み合わせなのも事実。裕太さんがそう思うのも、当然」
だけれども、と。涼香ちゃんはそう言いながら、ニコッと笑って。
「あのふたりが、仲が仲がいいのも、事実。それこそ、きっと裕太さんが思ってるよりも、ずっと」
「……そうか」
俺のその言葉に、涼香ちゃんがコクリと頷く。
たしかに、とても仲が良さそうに、楽しく料理をしているようだった。
「だから、たぶん皆、失恋くらいじゃどうってことはない。もちろん、それなりに凹んだりはすると思うけどね」
「それ、同じことをさっき茉莉にも言われたな」
なんだかんだで、皆俺のことを色々考えてくれているんだな、と。そう実感することができて、少し心が暖かく感じる。
涼香ちゃんはというと、茉莉に先を越されたということが気に入らないのか、むうと頬を膨らませて少し気に食わなさそうにしていた。
「まあ、そういうことだから。夕飯のあと、楽しみにしてるね?」
「……気づいてたのか?」
俺がそう言うと、彼女はうーんと、そうつぶやいてから。
「たぶん、みんな気づいてる? というか、なんとなくそんな気がしてる?」
茉莉には以前交わした会話の最中で話していたが、他の皆には今日のプレゼントがそういう意味合いを孕んでいるということを直接は伝えていない。
けれども、どうやら涼香ちゃんの言葉を受け取る限りでは、全員そういう認識でいるらしかった。
「まあ、別に隠しているつもりではなかったから、構わないといえば構わないんだが」
とはいえ、相手側からもそういうものだという意識があるということを知ってしまったら、どうにも変に考えてしまいがちになる。
ただでさえ自分の気持ちの整理が完全に付ききっていないのに、これはよくない。落ち着けないと。
「…………どうかしたの?」
どうやら、俺の感情が表情に出てしまっていたようで、涼香ちゃんが心配そうな表情でこちらを覗き込んでいた。
本当に、よくない。俺はコクリと唾を飲み込んで、笑顔を作ってから。
「いや、なんでもない、大丈夫だよ。……強いて言うなら、緊張をしてるかな」
「……そっか」
俺の言葉を聞いた涼香ちゃんは少し考え込んでから。
「さっきも言ったとおり、裕太さんがそんなに気負わなくてもたぶん大丈夫。それに、みんな気づいてる上でここにいる、そっちもきっと、大丈夫」
俺のことを気遣って、そう言ってくれたのだろう。
ありがとう、とそう言いながら彼女の柔らかな髪を撫でる。
「ちなみに、それもほぼ同じことを茉莉にも言われた」
「……むう」
やはり茉莉のことを引き合いに出すと、ちょっと不服そうにする涼香ちゃん。……これを仮に茉莉の方にやっても、たぶん同じようにする。このふたりはなぜかお互いに対抗心を燃やしている。まあ、仲がいいようなのでそれはそれでいいのだろうが。
「とりあえず、ちょっと気持ちの整理をつけるためにも外で風にあたってくる。夕飯ができるまでには戻るから」
「わかった」
涼香ちゃんに見送られながら、俺は廊下の方へと向かう。
「……茉莉に同じことを言われても、それでもなお不安に思うことがあった」
俺の後方で、彼女はなにかをつぶやいていた。
あまりに小さい声は、そこ内容までを耳に伝えてはくれなかった。
「裕太さんが、茉莉のことを信頼していないわけじゃない」
それはありえない可能性だ、と。
「それとはまた別のところに。……なにかが」
――蝕む、なにかが。
それらの言葉は決して俺に伝わることはなく。
そのまま、扉はパタンと閉じられた。
そんな簡単な問題なら、もっとずっと、早くに解決しているよな。
自嘲気味にそんなことをつぶやきながら、外で風に当たる。
冬本番を迎えようとする12月の末。その夕方ともなれば、風はとても冷たく。頭を冷やしてくれるのにはちょうどいい。
「……ほんと、どうしたものか」
決めたはずの気持ちなのに、それを果たして伝えていいものなのか、ひどく迷う。
茉莉や涼香ちゃんは大丈夫だと言ってくれているけれども。自分の本当の気持ちを知ってしまった今、それを本当に受け入れてもらえるのかという疑問がどうしても拭えない。
そして、もしも受け入れてもらえなかったとき。果たして俺は立ち直れるのだろうか。
そんな弱気な気持ちが、どれだけ考えても。……いや、むしろ。考えても考えても、こびりついた焦げのようにしつこく残ってくる。
ひとりで考えていても、どうにも答えが得られそうにない。
それは、昨晩からずっと悩み続けてきた、俺の出した答えだった。
「誰かに頼る、か」
ふと、そんな言葉を思い出した。
たしかに、ひとりで考え込んでしまって、考えが行き詰まってしまっている現状。これは妥当な候補だろう。
ただ、内容が内容であるだけに、絢香さんたち4人を頼るわけには行かない。
そうなると、俺が頼れる相手とするなら。
「直樹……も、ダメか」
ふと、親友であり悪友の顔を思い浮かべたものの、その候補もすぐに棄却される。
スマホを起動してみると、彼からはメッセージが届いていて。
とても楽しい、と。そういう旨の内容がそこには記されていた。
どうやら、彼は彼なりに頑張っていて、よろしくやっているらしい。雨森さんも念願の状況であることだろう。
そんなふたりの時間に水を指すのは、控えるべきだろう。
それじゃあ他に頼れそうな人は。……そう考えようとして、そうして初めて自身の交友関係の浅さに気づく。
今年度は絢香さん絡みのいろいろがあった都合でともかくとしても、去年までは普通にクラスメイトたちと交流していた。……つもりだった。
だがしかし、改めて見つめ直して。踏み込んだ事柄にまで話すことができる人がいないということを痛く知った。
そういえば、夏頃に直樹に交友関係でツッコまれていたな、なんて。そんなことも併せて思い出す。
どうにか誰か、相談できそうな人はいないものか。そんなアテもない希望に縋るようにして連絡先をスクロールしながら確認していく。
しかし、やはり直樹くらいしか同級生の心当たりは見つからず。彼の事情を考えるなら、今はやめておくべきで――、
そんなふうに俺が躊躇っていると、後ろの方で玄関の扉が開く音がした。
「裕太さん、夕食の準備ができましたよ!」
絢香さんがぴょこっと頭を出して、俺のことを呼んでくれる。
わかった、と。俺は短くそう答えて、家の中に戻る。
なにか、忘れているようなことがある気がするのだけれども。それを思い出すには、どうにも時間が足りそうになかった。
「それじゃ、お待ちかねのプレゼントタイムでーす!」
夕飯、そしてケーキを食べた後。絢香さんの入れてくれた紅茶でひと息をついていた頃合いに、美琴さんがそう高らかに宣言する。
彼女は持ってきていたカバンから、真っ白い袋を取り出して方から背中に背負う。……どうやら、サンタクロースの真似のつもりらしい。
そうして彼女は袋の中から小包を取り出すと、ひとりひとりにプレゼントしていく。
「はい、裕太くんも!」
「ありがとうございます」
美琴さんからプレゼントを受け取ると。今度は私が、と言わんばかりに茉莉が一度自室へと戻っていって。
そうして次は涼香ちゃん。そして、絢香さん、と。それぞれが配り終わったら、次の人が、と。
あらかじめそんなことを決めていたわけでもないのに、まるで順番が決まっていたかのように次々にプレゼントが行われていく。
……いや、全員がそれなりに察している、ということなのだから。少なくとも俺が最後になるべきだというのは、全員の共通認識としてあったのだろう。
そうして絢香さんからプレゼントを受け取って。ついに、俺の番になる。
全員の視線がこちらに注がれている。……どうにも、緊張をしてしまう。
「その、それじゃあ取ってくるな」
どうにも重たい足を動かしながら、自室へと向かう。
そうしてプレゼントを持って、リビングへと戻ってきて。
プレゼントを、渡す。
「美琴さん。去年からいろいろと無茶振りは言われましたけど。それでもずっと、楽しかったです」
「……こっちこそ、とっても楽しかったよ」
そう言って、プレゼントの小包を渡す。
少し、複雑そうな表情をしているのは、きっと渡されたものと、その意味するところを理解しているからだろう。
「涼香ちゃん。なんていうか、ずっとからかわれっぱなしだった気がする。でも、大切なときにはちゃんと動いてくれたり、助かったことも多かった」
「必要なら、これからもからかう」
それはできれば勘弁願いたい、なんて。でも、それも少し面白いかもしれない。
そんなことを思いながら、彼女にも小包を渡す。
「茉莉。お前にはずっと助けられてきたんだなってことを思い知ったよ。ありがとう、その言葉しか出てこない」
「そんなこと気にしなくっていいわよ。私はあんたの幼馴染なんだし、それくらいいつだって頼ってくれていいんだから。これまでも、これからも」
本当に、頼りになる幼馴染なことだ。……彼女の、その言葉が強がりだなんてことはわかりきっているのに。それでもなお、強く、立派に立っていることがわかる。
そんな彼女にも、小包を渡して。
そうして、最後に残った彼女に、向き合う。
絢香さんは、ピシリと背筋を伸ばして、俺のことを待ってくれていた。
「その、えっと。……絢香さん」
「はい、裕太さん」
凛とした声で、彼女は呼びかけに答えてくれる。
言うんだ。言わなくては。
彼女に、気持ちを伝えなくては。
ずっと支えてくれた、彼女に。思いを伝えてくれていた彼女に。
その、返事を。
「…………」
目の前までやってきて。しかし、そこから先に進めない。
「裕太、さん?」
固まってしまった俺を心配したのか、絢香さんが不安そうな顔でこちらを見つめている。
「…………ごめん、ちょっと頭を冷やしてくる」
「裕太さん!?」
そのときの、絢香さんの表情は酷く目に焼き付いた。驚きと。そしてなにより、とてつもなく悲しみに包まれた、表情。
幸福から絶望へと。真っ直ぐに叩き落されたのだ。当然だろう。
そうして。彼女にそんな表情をさせてしまったのが。
俺自身だという、その事実が。なによりも俺自身を許せなかった。
俺は、逃げ出してしまった。