#119 特別な日
翌朝。目が冷めた頃には随分と気持ちも落ち着いていた。
正確に言うなれば、落ち着いたというよりかは考えるだけの思考の余裕が生まれたという方が正しいのだけれども。
窓の外を確認してみると、まだ暗い。
時刻としても早朝も早朝といったところだろうか。眠気云々は抜きにして、まだ二度寝ができそうな時間帯。
一瞬、このままもう一度寝てもいいかな、と。そう思いかけたところで。
「……シャワー、浴びてくるか」
そういえば、昨日はあのまま眠ってしまったことを思い出す。……嫌な汗を随分とかいてしまったこともあって、若干の不快感がある。
それに、仮にそうでなくとも今日はクリスマスパーティだというのに、不潔なのはよろしくないだろう。
立ち上がると、少しふらつく。……そういえば、晩御飯も食べていなかったな。
まあ、食べられる精神状態じゃなかったし、要らないと言ったのも俺なのでこの現状は俺が原因なのだけれども。
「まあ、これくらいなら問題ないか」
ぐっと身体を一度伸ばして、まだ少し眠っていた身体を叩き起こす。
うん、意識もはっきりとしているし、この程度であれば朝食は後に回しても大丈夫だろう。ひとまずはシャワーを浴びに、風呂場へと向かうことにした。
「あっ、おはようございます」
「おはよう、絢香さん」
シャワーを浴び終わり、着替えを済ませてからトーストを食べていると、ちょうど絢香さんが起きてきた。
まさか俺が起きているとは思っていなかったのだろう、驚いた様子の彼女は慌てて姿勢を正してペコリと挨拶をしていた。
……服装は、メイド服。うん、こうして見るとその服装も相まって、本当にそういうように見える。
「すみません、起きるのが遅くなってしまって」
「いやいや、俺がたまたま勝手に早くに起きちゃっただけだから」
でも、とそう言ってくる絢香さんだったが、こればっかりは俺が悪いということは絶対に通させてもらう。
朝の準備等を行わないといけない都合、ただでさえ絢香さんは早い時間に起床している。実際今日は休みの日だというのに、彼女はやっと空の白みだしたようなこの時間帯に起きてきているのだから、彼女の普段の生活は明らかだろう。
「そういえば、大丈夫なんですか? その、体調の方とかは」
「ああ、心配をかけてごめんね? 本当にちょっと疲れてただけだから」
「なら、いいんですけれど」
どこか歯切れの悪い反応をする絢香さん。おそらくは、疲れから来た体調不良だけではない可能性を疑っているのだろう。……大当たりだ。
まあ、変な心配をかけるわけにもいかないのでそれを正直に答えることはないのだけれども。
変に勘ぐられないように、俺は話題をそらしていく。
「それにしても、昨日は準備を任せっきりにしちゃってごめんな」
リビングの中をぐるりと見回してみると、所々にクリスマスらしい飾り付けが施されており。そしてなにより一番目を引くのはクリスマスツリーだろう。
俺の背丈より少し高いくらいあるそれは、正直ここ数年に関しては面倒くさくて出していなかったため、随分と久しぶりに見た。
本当は俺もいろいろと手伝うべきだったのだろうけれど。
俺がそうつぶやいていると、絢香さんはこういうのも私の仕事なので、と。そう言ってくれる。
「ところでなんだけどさ、絢香さんはその服で参加するの?」
「……えっと、なにか問題がありますか?」
絢香さんは、くるりと回りながら自身の服装を確認していく。
初めてこの家に来たときから、絢香さんが家事などを行ってくれるときに着用してくれているメイド服。その服装自体はいつものとおりで、なんら問題はない。
のだけれども。
「いや、その。なんていうかさ。絢香さんはパーティにメイドとして参加するのか、それとも俺の友人として参加するのか、どっちなのかなって」
「……あっ」
どうやら俺の言葉の意図を察してくれたらしい絢香さんは、着替えてきますねと言うと。慌ててパタパタと自室へと戻っていく。
ひとり残された部屋に、俺はひとつ、安堵の息をもらす。
「ったく、なにを動揺してるんだよ」
今まで、ずっと見てきた姿だろう、と。そう自分に言い聞かせながら。
料理などの、今日にやらないといけないことについても。昨日のうちに絢香さんたちがある程度の下準備を進めてくれていたようで、想定していたよりもサクサクと進み。美琴さんが合流するお昼頃には、ほとんどの準備が終わってしまっていた。
「ちなみに裕太くん、ちゃんと両親に許可取ってきたよ!」
自信満々に言う美琴さん。彼女の言う許可というのは、今日泊まっていくというものだ。
この手の話題、3回目にして。ついに事前に俺の方にも告知、及び許可取りが成された。ちょっと感動した。
早朝に一度取り乱しかけたものの、作業として手を動かしているうちにいくらか気が紛れたこともあって、今ではかなり落ち着いている。
それでもなお、どう答えを出すべきなのか、というところが全くわかっていないので、解決はしていないのだけれども。
「それじゃ、早速食べよっか」
腹ペコです、一刻も早く、今にでも食べたいです。顔にそう書いているかのような美琴さんがジュース入りのガラスコップを手にそう言う。
自分で音頭をとらないあたり、俺に言えと言ってきてるのだろう。
「……乾杯」
「かんぱーい!」
カツン、と。ガラスのぶつかる甲高い音がして、そのままにジュースを軽くあおる。
美琴さんは早速料理を皿に取っていく。その隣では、涼香ちゃんも真似をするように。
普段はそんなにたくさん食べるわけではないが、涼香ちゃんの好きな系統の料理が並んでいるということもあり、いつもより2割くらい増しで勢いよくとっていた。
絢香さんはそんなふたりを見ながら、料理ならまだまだありますから、と。少し困り顔で。しかしとても嬉しそうに笑っている。
楽しい。この空間が、この空気感が、とても楽しい。
とても、居心地がいい。
この時間らずっと続けばいいのに、なんて。そんなあり得ない夢想をしてしまうほどに。
ふと、斜向かいに座っていた茉莉と目が合う。
料理は皿にとっているものの、あんまり手が進んでいないように見える。
「なにか味の微妙なものでもあったか?」
「えっ? ああ、そんなことないわよ。ちゃんと美味しい」
茉莉は慌てた様子でパクパクと皿の上のものを食べる。別に急かそうとしたわけではないのだけれども。少し、申し訳なく思う。
そうして空になった皿を持った彼女は、立ち上がってスッとこちらに近づいてきたかと思うと、小さな声で話し始める。
「どっちかっていうと、気になってるのは裕太の方よ?」
「俺か? 俺なら今朝も言ったとおり、昨日は疲れちゃっただけだよ」
「……そうね。そう言ってたわね」
どうにもこの手の話をするときの俺は随分と信頼がないらしい。まあ、実際嘘が含まれているのでなんとも言えないのだけれども。
「まあ、とりあえずはそういうことにしておいてあげる。……そのうえで、裕太に言っておきたいことがあるの」
「うん? なんだ?」
「……私たちは、裕太が思ってるよりも、ずっと覚悟はできてるわよ」
茉莉はそう言いながら、こちらを向いて。
「どうせ裕太のことだから、この空気感が心地いいとか、このままずっと続けばいいのにとか。そんなこと考えてたでしょ」
「うっ」
「それで、もしかしたら誰も選ばなかったら、ずっとこんな関係を続けられるんじゃないかなんて、そんなことも思ったんじゃない?」
「……よく、わかったな」
俺がそう言うと、彼女は「何年幼馴染をやってきたと思ってるの?」と、自慢げにそう言ってくる。
どこか誇らしげな茉莉の表情に。そう思ってくれる存在が、とてもありがたく思えた。
「それに。私だってこの時間がずっと続けばいいのにって、そう思ったから」
そして。それはきっとここにいる全員が。
「でも、答えを出さないのはダメよ」
「ああ、わかってる」
答えを出さければ、ずっとこのまま。なんて、そんなことはありえない。
全員が全員、お互い気持ちを知ってしまっている以上、はっきりさせなければ苦しいのは彼女たちの方だ。
むしろ、今の今まで待ってもらっているこの状態ですら、本来は苦しいはずなのだ。
……唯一、楽になりうるのは俺ただひとり。なにもかも中途半端でいいのなら、それほど楽なこともない。
抱えている、この感情すらも有耶無耶にできるから。
「裕太が誰を選ぼうと、私たちは覚悟ができてる。……なんだかんだで長い間一緒にいるんだから、その程度で崩れるだなんて、ナメないでよね?」
「ああ。そう、だな」
「それに、その気持ちの方だって。……いいえ、こっちに関しては裕太と、そして受け取った子で解決すべきことね」
茉莉が下を向きながら、小さく、なにかつぶやいていた。
内容は聞こえはしなかったが、彼女は首を横に振っていたので、おそらく必要のないことなのだろう。
そのまま茉莉は顔を上げて、とにかく、と。
「心配しなくたって、みんな、ちゃんと裕太の気持ちを受け取ってくれるわよ」
「そうだと、嬉しいな」
茉莉は果たして、俺が腹の中に抱えているものを知った上でそれを言っているのか、それとも、知らずに言っているのか。
それを確かめる術はない。だけれども、根拠はなくともその言葉は、どこか安心するところがある。
「なんてったって、もどきとはいえ、まがりなりにも裕太のメイドを数ヶ月やってきたのよ?」
「そう、だったな」
最初はなにごとかと思った関係性だったが。……いや、今でもなにごとかとは思うけれども。
しかし、彼女たちと過ごしてきた時間が、間違いなくそこにあって。
「……ありがとう。ちょっと、気持ちが楽になった」
「それならよかった。裕太がなんとなく複雑そうにしてるような気がしたから、気になってたのよ」
茉莉にそう言われ、俺は慌てる。まさか、他の3人にも気づかれていた、とか?
その慌てように気づいた彼女は小さく笑って、たぶん大丈夫、と。
「そんな露骨なものではなかったから、安心していいわよ。私だって、確証があったわけじゃないくらいだから」
茉莉の言葉に俺がホッとひと息ついていると、彼女はフフッと楽しげに笑った。
「まあ、もうどうにもならないってときには、ちょっとくらい逃げたっていいと思うわよ。裕太の背負うものの重さは、ちょっとはわかってるつもりだし。そのときは、私だって少しなら手を貸してあげるから」
そう言いながら、彼女は小さくウィンクをする。
ほんと、いい幼馴染を持ったものだ。
「茉莉、この鶏肉、美味しい」
「茉莉ちゃん! こっちのローストビーフも絶品だよ!」
先程からほぼエンドレスでお肉を食べている涼香ちゃんと美琴さんが茉莉を誘いにやってくる。
彼女はパッと様子を切り替えて、明るい表情でふたりに応対すると、そのまま連れられていってしまった。
ちょうどそのタイミングで、絢香さんがキッチンの方面からやってくる。どうやら、料理の追加を持ってきてくれていたようだった。
「ごめんね絢香さん、持ってきてもらっちゃって」
「いえ、なんというかこうして動いてるほうが落ち着くというか……」
あはは、と苦笑いしながら絢香さんはそう言う。
なんとなく、わからないでもない。
「裕太さん、楽しんでますか?」
「うん、楽しんでるよ。そんな絢香さんは?」
「私も、とっても楽しいです。こう、特別な日だって感じがして」
特別な日、か。
なんとなく、すっと納得できるものがあった。
こんな時間がずっと続けばいいのに、と。先程はそう思いかけたけれど。きっとそれは、いつもと違うから、でもあり。これがずっと続くのは、また違うのだろう。
そう思ってから、理解するまではすぐだった。
やはり、さっきのあの考えは。俺の気からくる迷いでもあったのだろう。
ならば、やるべきことは決まってる。
今日という特別な日を、しっかりと楽しんで。
そして、しっかりと。ハッキリと、決める。
そのためにも、今は――、
「とりあえず、俺たちも食べようか」
「はい!」
いつの間にやら、先程絢香さんが持ってきたばかりの大皿の中身が半分ほどなくなっている。
そんなに勢いよく食べて後で苦しくならないか? なんて思ったりもするけれど。
ひとまずはそんなことを心配するよりも、自分の食べたいものを取らないとそのうちになくなってしまいそうだった。