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#115 裕太の作る服

 裕太さんが店主の人と談笑しながら、購入物を確認している間。せっかくなので私は店の中を見て回っていた。


 服飾関係の用品については、涼香が扱っているものをしばしば見かけたりする都合、それなりに馴染みのあるものではあったけれども。彼女が出不精なために通販サイトで済ませるということもあり、こうした実店舗で見るというのはほとんどなかった。


「こうしてみると、生地ひとつとっても色味とか、肌触りとか。そういうのが全然違うんだね」


 ふと、目の前についた黒色の布を比べながら、私はふとそんなことをつぶやいていた。

 当然といえば当然のことなのだけれども。そういったことを改めて認識することはあまりないな、とも。


 そのまま若干手持ち無沙汰気味になりながら店舗の中を歩いていると、店主の女性と目があう。

 どうやら裕太さんとの話が終わったらしい彼女は、とそのまま私に向けて手招きをしてくる。


「あの、どうかしましたか?」


「ごめんね、別になにかあったってわけじゃないんだけどさ。ちょっと話したいなーって」


 彼女はそう言いながら、ニコニコとした笑顔を向けてくれる。

 その表情は、やや意図のある笑顔であろうことはなんとなく察せられたが、しかし同時に悪意の類がないことも明らかだった。


「とりあえず、ええっと、名前は――」


「絢香といいます。初めまして」


「うんうん、絢香ちゃんね。了解」


 女性はそう言うと、チラと私の後ろ――店舗のスペースを見る。そうして小さく「まだ近いな」とそうとだけ言うと。パッと声色を明るく変えて。


「そういえば絢香ちゃんは、こういう店に来るのは初めてなの?」


「そう、ですね。ほとんど来たことはなかったです」


「そうなんだ。……どう? こうやって実際に見てみて、手芸とかそういうのに興味とか出た?」


 その質問に、一瞬言葉が詰まる。

 興味が湧いていない、というとさすがに嘘にはなるものの。じゃあやってみるかというところまで来たかというと微妙なラインだった。

 どちらかというと、手芸自体よりも布や糸などの差異といったもののほうが少し興味が湧いている。


「ええっと、その……」


「あははっ、絢香ちゃんはいい子だね。別に素直に言ってくれていいよ」


 私のそんな心情を察したのか、返答に困っていた私に対して彼女はそう声をかけてくれた。

 私は素直に感じたままを伝えると、彼女はうんうんと頷きながらその話を聞いてくれる。


「……いい子だねぇ、絢香ちゃんは。あいつもよくぞ捕まえたものだよ。裕太の彼女にしておくにはちょっともったいないくらいだね」


「あっ、えっと、その。……まだ、彼女ではないと言いますか」


「そうなの? でも、まだってことは、好きなんだね?」


 ニィッと笑った彼女はそう言って。まるで逃さないぞとでも言わんばかりの笑顔でこちらを見つめてくる。

 私はコクリと頷きながら、はい、とそう答える。


「うんうん、いいねぇ。じゃあ、あとは告白をするだけってことかな? あれ、でもそうすると裕太が服を仕立てようとしてることと辻褄が――」


「あっ、その。告白自体は数ヶ月前にしていて。それで、今は返事を待ってるところで」


「そうなんだ。……えっ、数ヶ月前?」


 なにそれ、信じられない。そう言いたげな表情で彼女はこちらに視線を向けてきて。私はなんと言うこともできず、アハハ、と。

 これに関しては事情が複雑というか。めちゃくちゃにややこしく絡んでいるし、私ひとりの感情ではないので容易になんとも言い返せない。


「まあ、込み入った事情があるみたいだし、深くは聞かないでおくよ。プライベートなことだろうしね」


「……そうしてもらえると、ありがたいです」


 彼女は会話の合間に、ときおり私の後ろをスッと覗き込んでおり。そのたびに「うーん」と微妙そうな反応をしていたが。ついに「おっ、そろそろいいかな」と、そんな肯定的な反応を見せた。

 私も気になってふと振り返ってみると、裕太さんが奥の方のスペースに移動していて。どうやら彼がレジ側から離れるのを待っていたらしいということがわかった。

 たぶん、裕太さんにあまり聞かれたくない話をしたかったのだろう。


 時間もそんなにないだろうし、手短に話そうか。と、彼女はそう言って。


「絢香ちゃん。もし、裕太から手作りの服をプレゼントしてもらえるとしたら、嬉しい?」


「えっ? それは、もちろん嬉しいです」


「……ちなみに、その理由は?」


 彼女が投げかけてくる質問の意図があまり掴めないでいたが、とりあえず私は正直に自分の気持ちを伝える。

 彼女には先程裕太さんが好きだということを伝えているので、このあたりのことについては変に嘘をつく理由もない。

 強いて言うなら、衣服争奪戦のことについては伏せておいたくらいで。


「そっかそっか。そういう理由なら、裕太の作った服を受け取っても大丈夫かもね」


「あの、それはどういう意味なんですか?」


「うん? ああ、ほら。あいつの両親のこと、知ってる?」


 私はそう言われて、ハッと気づく。

 裕太さんの両親は、有名な服飾デザイナーだ。そのことを鑑みると、そういった理由で彼の作った衣服を喜ぶ人もいるかもしれない、ということだ。


「でも、絢香ちゃんはそういうわけじゃなくって。裕太のことが好きで、彼の服を純粋に欲しいと思っている。……なら、たぶん大丈夫だと思うよ」


 彼女のその言葉に、少しの違和感を覚える。

 うまく言葉に言い表すことはできないのだけれども、まるで中途半端な気持ちだと傷つくのは裕太さんではなく私であるかのような、そんな言い方に聞こえる。


 最初は、望まれて一緒懸命に作ったものが、求められていた理由とズレていたと知ってしまった裕太さんが傷ついてしまうことを懸念して彼女は先程の質問をしていたと思っていたのだけれども。どうにも、そうではないような気がしてしまう。


「まあ、なんていうか。これは、あいつの作る服を知っている人物からのアドバイス……みたいなものなんだけどね」


 彼女はそう言うと、スッと目を伏せて。これまでの接客用の明るい声とは一転。落ち着いて、なおかつ少し圧のあるような声で。


「裕太の作った服を受け取るつもりなら、キチンと覚悟をしておいたほうがいい。あいつの服は、重たいからね」


「重たい……? えっと、多少動きにくいくらいなら、たぶん大丈夫だとは思いますけど」


 私がそう返すと、彼女は目をまんまるに丸めてから、ぱちぱちと瞬きをして。

 かと思うと。先程一瞬流れていた空気はどこへやら。あっはっはっはっ、と。大きな笑い声が決壊してやってきて。


「ふたりして同じボケをするだなんて。仲がいいのやら、あるいは一緒のところで抜けてるのか」


「ええっと、もしかしてなにか間違ってましたか?」


「ううん、大丈夫大丈夫。間違ってはいるけど、それでいい。むしろその方がいいから」


 なぜか彼女ひとりでそう納得しきってしまって。それ以上を聞いても教えてくれそうになかった。

 少し引っかかるものはあるものの、丁度裕太さんが店の奥から折り返してきて。このあたりで時間切れということになってしまった。


 裕太さんが預けていた紙袋を受け取って。私が荷物持ちをしましょうかと、そう具申すると「これくらい裕太ひとりで持てるから大丈夫大丈夫」と、そう言われてしまった。

 そうではないのだけれど、と。そう言いそうになったところで。裕太さんから、あとが面倒だからここは俺に持たせてくれと。


「ちゃんと絢香ちゃんのことを家まで送り届けてあげるのよ?」


「言われなくてもわかってるっての」


 彼女のその言葉に、裕太さんはぶっきらぼうにそう言う。

 ……まあ、家に送り届けるというよりかは、同じところに帰るのだけれども。そんなことを知っているはずもなく、言えるわけもなく。やりにくそうな表情をしている裕太さんを見て、私は小さく苦笑する。


 裕太さんが出口へと歩いていくので、それについていこうとしたとき。私の肩がポンポンと軽く叩かれて。

 振り返ると、彼女は裕太さんに聞こえないように小さな声で囁いてくる。


「まあ、なんていうか。しっかりと受け止めてあげてね?」


 彼女の放ったその言葉は、おそらく先程の会話の、その続きのものだろう。

 どこか疑問の残るところで、未だ彼女の言葉の真意を掴めないままではあったものの。


 しかし、


「はい、もちろん」


 私の答えは、ただそのひとつだった。






 カランカランとドアベルが鳴って。ふたりの退店を告げる。


 ふう、とひとつ息をついてから。身体の力を抜いて、ぐでっとイスにもたれかかる。


「あの裕太が、ねえ」


 そんなことを、しみじみと感じてしまう。


 彼とは、数年来の付き合いになる。

 手芸店という店舗の性質上、小学生の客というものは珍しくはあるものの、いないわけではない。

 もちろん、男子は更に珍しくはなるが、やはりいないわけではない。


「けど。服を作りたいからってやってくるのは、先にも後にもあいつだけだろうな」


 最初は、冗談で言っているのだと思っていた。

 だがしかし、事情を聞けば聞くほどにそれが冗談なんかではないということがわかってきて。

 たしかに突飛な話ではあったものの、それを冗談で片付けようとしてしまった自分の判断が申し訳なく思えてきて。なんだかんだと少し世話を焼いてやるようになっていた。


 そうして、私は簡単な手芸から教え初めて。しばらくする頃には、その力量は当初の宣言どおり、衣服を作り上げることができるくらいには。

 それこそ、最初の頃は下手くそそのものだった彼の技術も、今ではいつの間にやら教えていた私のほうが彼の腕を見上げなければいけなくなるほどには。


 ただ、そうして彼の上達に付き合っているうちに。彼の抱えている感情も理解してきて。

 そして、彼の作る服に乗せられている感情も、痛いほどに理解した。


「最初は、絢香ちゃんの方から欲しいって願ったのかもしれない」


 そうでもなければ、裕太が誰かのために自発的に服を作ろうだなんて思わないだろうから。

 彼自身、自分が服を仕立てるということの意味を、おそらく理解はしていないだろう。

 だがしかし、無意識のうちに。家族以外の誰かに贈るために作るということは、避けていた。


 だからこそ、発端は絢香ちゃんか。……もしかしたら他の人かもしれないけれども、とにもかくにも裕太ではないことは確実だ。

 彼のことだから、最初は適当に答えておいて。のらりくらりとかわしつつ、そのまま有耶無耶にしていこうとでも思っていたことだろう。


 だがしかし。現状の彼が、家族以外の誰かのために服を作ろうとしているということも事実なわけで。

 つまりは、絢香ちゃんが彼にとっての、そういう存在になっている、ということだろう。


「全く、難儀な性格をしてるね」


 底抜けに優しくって。しかしそれ故に、歪さを抱えてしまった。


「……お節介だったかな。でも」


 なんだかんだで気にかけていたやつが、大切な場面を迎えようとしているのだから。それが気になってしまうというのもサガというものだろう。


 優しい人は報われるべきだ、なんて。それがただの綺麗事だということは十分理解している。

 だがしかし、それでも。彼は報われるべきだろう、と。私はそう思う。


「しっかりと、受け取ってあげてね」


 裕太も、おそらくは無意識のうちに乗せてしまっているであろう。彼が誰かのために服を作るということの、その意味合いを。

 絢香ちゃんが、しっかりと受け止めてくれると。そう願って。

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