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#109 心の底から笑うために

 観覧車は思ったよりも混んでおらず、ほとんど待つことなく私たちの順番が訪れた。


 スタッフの人に案内されて、観覧車のゴンドラに乗り込む。

 さすがに乗り込むときには危なかったため、裕太さんは繋いでいてくれた手を離してくれたが。それより前に関してはずっと繋いでいたので、スタッフの人たちにはその様子を見られ、暖かい視線を送られていた。


 そうして、裕太さんと向かい合う形で観覧車の座席に座って。ゴンドラは、少しずつ上昇をしていく。


 対面している裕太さんはここまですっと笑顔を絶やさず携えていたのだが。ここに来て、真面目な面持ちになって。


「ちょっと、話をしてもいいかな?」


 と、真剣な声色で切り出してきた。

 その顔つきに、私はゴクリと固唾をのんで。はい、と小さく答える。


 裕太さんからの、改まっての話。心当たりについてはいくつかあって、そのどれもが、私にとって恐ろしい話ではあった。

 けれど、その全てが。私が受け入れなければいけないものでもあるだろう。


 覚悟を決めて、彼の話へと耳を傾けていると。

 思っていたものからは、少し離れたような。そんな話題について彼は話し始めた。


「基本的には、高いところは怖いものだ、と。俺は思ってるんだよ」


「……えっ?」


 切り出されたその話。私の想定からずっと離れたその内容に、思わず頓狂な声を出してしまう。

 高いところは怖いもの。それについては私も同じように思ってはいるけれども。なぜ、そんな話を今したのだろうか。

 と、いうよりか。


「それなら、なんで観覧車なんかに?」


 高いところに来ることが確定するようなアトラクションだ。怖いのなら、わざわざ乗る必要はないだろう。

 不思議に思いながらそう尋ねると、彼はひとつハッとしたような顔をして。


「ああ、言葉が少し足りなかったね。高いところが怖いっていうのは、俺の感情半分、一般論としての話が半分くらいで。高所恐怖症とか、そういうようなものじゃないから、それは安心してほしい」


「そうなんですね」


「でも、正直この観覧車の頂上から真下までの距離のことを考えると、普段なら恐怖を感じるような距離だと、そうも考える」


 裕太さんにそう言われ。先程、観覧車を外から眺めていたときのことを思い出した。

 天辺は首を見上げるほどに高く。真下からの錯覚もあれど、相当に高いことに違いはない。


「けれど、今からそこに登っていくっていうのに。俺はほとんど怖くない。……絢香さんは、どう?」


「私も、怖くはないです」


 改めて言葉に直して認識してみるとおかしなことではあるのだけれど、たしかに今から怖いほど高いところに登っていくというのに、たしかに怖さを感じない。

 私の答えに、だよね、と。満足そうにそう確認した裕太さんは、そのままに言葉を並べる。


「じゃあ、なんで怖くないのか。理由はいくつかあるだろうけど、その中のひとつとして間違いなく存在しているのは、俺たちが観覧車が安全なものだとして認識しているからだ」


「安全なものだと、認識している?」


 たしかにそれは間違いないことだろうけども。

 彼はそのまま頷いて、話を続けた。


「事前に知っているかどうかという差はとても大きい。先入観って言葉もあったりするように、物事にはあらかじめ俺たちが事前にどのように思っていたか、ということが関係する」


 たとえば、と。彼は午前中に乗ったジェットコースターのことを取りあげる。


「正直、ジェットコースターに乗っていたときの感想としては、俺はかなり怖かった。それは、ジェットコースターの体感の速度が、あれほどに速いとは思っていなかったから」


 もちろん、事前の認識として怖いものだというようなイメージもあったことだろう。それらが相互に関係し合った結果、乗っている間、結構な怖さがあったと裕太さんは語った。

 それについては、同じく頷けるところが多い。


「けれど、それじゃあ今から乗ろう、ってなったら。俺はたぶん、楽しんで乗ることができる。もちろん、ちょっとは怖いと思うかもだけれど」


 その理由は、明白。最初に乗ったときは、想像よりも速かったことにびっくりしていたが、今ではその速度をキチンと認識できている。

 同時、ジェットコースターにある爽快さについても今では知っている。それらを含めて考えるなら、たぶん次は楽しめるだろう、と。


 その言葉は、ストンと落ちるようにして納得できた。

 ジェットコースターに乗った直後、不思議と感じていた「次は楽しめるかもしれない」というその感覚に、言葉を伴って実感を得られた。


「事前の認識、心構えっていうものは重要だ。なにをするにしても、その物事の捉え方が大きく変わってくる可能性がある」


 彼は、強くそう言った上で。優しく諭すようにして、言葉を添える。


「それはもちろん、人付き合いにしても」


「――ッ!」


 心臓を雷で撃たれたような、そんな衝撃を感じる。


「絢香さんのせいで、俺が不幸になる、か。うん、絢香さんの今考えているその不安については、たしかに起こりうる可能性は十分にあるとは思う」


 彼は今、私が様々思い悩んでいるということを察して。そして、理解した上で。


「でもね、そうならない可能性だって、あるし。なにより、そうなる可能性を知っているのならば、そうならないように対策していくことだってできる」


 私のそれを、なんとかしようとしてくれているのだ、と。


「そもそも、不幸かどうかだなんて。そんなことは難しい話だしね。少なくとも、困った、であるとか迷惑云々という話でいえば、今までもたくさん感じたことはあるけど」


 裕太さんがサラリとそう言い流した言葉に、私はあまりの心当たりに思わずむせ返りそうになる。

 ちらと彼の顔を覗いてみると、いたずらっぽく笑っており。理解した上で、私をからかって言っているのだとわかる。


「クラスメイトからは下手に触れるべきじゃないって距離を置かれるし、ついて来ないでって言ってもついて来ることもあるし、勝手に風呂やトイレに乱入してこようとするし。正直、数え始めたら両の手じゃ足りないと思う」


 それに。そもそもの話をし始めるなら、メイドにしてくれと言ったそのことも。そのために押しかけたというその事実さえ、迷惑と言って差し支えないほどのものだろう。


「けれど、俺はそういったことを迷惑と感じたことはあったとしても、不幸だなんて感じたことはない。むしろ、そういったことも全部込みな上で楽しいとは思ってるし、幸福だと思ったことならある」


 矛盾していそうで、共存しなさそうで。けれど、迷惑や大変と、幸福や嬉しいは、共存しうるのだ、と。裕太さんはそう言ってくれる。

 その言葉は、私にとっても身近なものだった。たとえば、料理を作るということは紛うことなき大変な仕事だ。けれど、それと同時に楽しいことでもある。


「結局は、捉え方ひとつにもなってくるんだと思う。こうやって観覧車から見える景色ひとつとったとしても、広範囲を眺めることができてキレイだという見方もできれば、米粒みたいに小さくなるほどに高いところまで来たことが感ぜられて怖い、とも考えられる」


 外を眺めてみれば、遠くの峰まで見える景色が広がっていて。

 いつの間にやら観覧車も4割ほど回っていたようで、そろそろ頂上といったところだった。


「絢香さんの不安は、たしかに可能性としてあり得る。でも、不安を抱えられたということは、逆にそれに対しての対策をできると捉えることができる」


 裕太さんを不幸にしないためには、どうしていかなければいけないか、というふうに。

 知らなければ、いつの間にか手遅れになるようなことでも。知っていれば、あらかじめ動くことができる。


「もしもひとりで対処できなさそうなのなら、他の人を頼ったらいい。涼香ちゃんでも、茉莉でも、美琴さんでも。もちろん、俺でもいい」


 ポタ、と。水滴が手の甲へと落ちる。

 ゴンドラが雨漏りしている、だなんて。そんなわけがあるわけもなく。この水滴は、間違いなく私が落としているものだ。


「その上でもなお、絢香さんが俺への迷惑を怖れて離れたいっていうなら、別に引き止めはしない。けれど、そうじゃないのなら――」


 一緒のところにいても、いいんじゃないかな。お互いが、そうありたいと思うのならば、と。

 裕太さんのその言葉は、優しく身体の中に広がっていって。


「だって、ひとりは寒いんだろ? ……その気持ちは、俺も痛いほどにわかるからさ」


 そして、暖かさで満たされていく。


 感情が堰を切ったように、ポロポロとこぼれ落ちる。

 ずっと、内に秘めていた分。3割増で、たくさんこぼれる。


 裕太さんはそっと寄り添い、泣き崩れる私の背をさすってくれる。


 観覧車は、半分を過ぎて。下降を始めていた。

 残り時間も4分の1くらいだろうかというところまでやってきて。そこでようやく、私の気持ちもある程度落ち着きを取り戻してきた。

 それを彼も察知してくれたようで。ゆっくりと離れると、最初と同じく、対面の位置に腰を下ろす。


「裕太さん。ひとつ、あなたに伝えたいことがあります」


 彼は落ち着いた様子で、うん、とだけ。短くそう答える。


 ずっと。ずっとずっと伝えてきたことなのに。随分と遠回りをしてきてしまったような気がする。

 観覧車という場所だからか、あるいは、しばらくの間その気持ちから目を背けようてしてきたからか。妙の恥ずかしさがこみ上げてきて、顔が熱くなる。


 あんな手紙を送っておきながら、よくこんなことを言えたものだ、と。そう思わないでもないけれど。それでも、私はこの気持ちを彼に伝えたい。

 私がそう望み、彼もそう願ってくれたのだから。


「私は。裕太さん、あなたのことが、好きです」


 満面の笑みを彼に向けて。胸を張って、そう伝えることができた。






 観覧車から降りて。裕太さんはグッと背筋を伸ばしていた。

 ずっと座り姿勢だったということもあって。たしかに少し身体が凝っているような気もする。


「それじゃあ、気を取り直して。絢香さん、どこか行きたいところはある?」


 彼は、ここまでのデートの最中、きっと、ずっと考えていてくれたのだろう。

 だからこそ、今から、ここから改めて。デートを仕切り直して。


「あの、裕太さん。その前に、ひとつ」


 忘れないうちに、あのことについて撤回しておかないと。

 くるっと彼はこちらに振り向いて、どうしたの、と。


「あの、手紙のことなんですけど」


「……手紙?」


 いったいなんのこと? そう言わんばかりに裕太さんは首を傾げる。

 手紙といえば、私が彼に送ったものは1通しかない。そもそも同じところに住んでいるのだから特段用意する必要もないし、小さなことを伝えるメモ程度はあったとしても、それを手紙とは呼ばないだろう。

 だからこそ、私が送ったのはどうにも対面して伝えるのが苦しくて、涼香に頼んで渡してきてもらったもの――衣服争奪戦からの辞退を記したものだけ。なのだけれども。


 ふざけているとか、あるいは私に気を使ってごまかしているとか、そういう雰囲気はなく。本当に裕太さんは心当たりがないといった様子で、ただ疑問符を頭の上に浮かべていた。


「あの、渡されていませんか? その、涼香から」


「いや、なにかを貰った記憶は無いけど」


 裕太さんは顎に手を当てて、首を傾げる。

 ううむ、と。悩んでいる裕太さんの陰から。


 ニィッと。こちらに悪い笑みを向けている妹の姿を見たような気がして。


 どおりで、裕太さんの様子が変わらないわけだ。

 抱えていた最後の疑問が氷解した。同時。おかげさまで、私の懸念も、消えた。


「……いえ、なんでもないです。やっぱり、私の気のせいでした」


「えっ? それなら、いいんだけど」


 今回の遊園地のチケットといい。全部全部、彼女が仕組んだのだったのだろう。

 してやられた。といったところだろうか。しかし、そんな彼女の計画に助けられたのも事実で。

 ちょっとした悔しさと、そして感謝を胸に留めながら。……それは、家に帰ったあとの話だ、と。


 今は、今しかできない、これを。


 私は彼の手を取って、絶対に離すものかとそう決心して。


「それじゃ、たっくさん楽しみましょうね!」


 心の底から、そう笑った。

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