#102 違和感
「なあ、直樹。昼休みの時間に悪いが、ちょっといいか?」
「お? 裕太の方から相談とは珍しいな。別に構わないぜ!」
直樹が、聞かれるのがマズい話なら場所を変えようか、と。そう提案してくれる。直樹の席は俺の席から。もとい、絢香さんの席からそこそこ離れているため、聞こえることはないだろうが。
しかし、念の為、ということもあるので移動することになった。
なお、今年度に入ってから席替えこそありはしたものの、結局絢香さんと俺の席はずっと同じままだったし、直樹や茉莉の席が近くに来ることはなかった。
まあ、後者については単純なくじ運に依るものだろうが。しかし、前者については明らかに恣意的ななにかが働いているようにしか思えなかった。
ちなみに、年度始めに俺に声をかけてしまったがゆえにいろいろとトラウマを背負ってしまった彼女は、席替えで遠くの席に行くことができていた。直樹なんかから聞いた話によると、やつれ気味だった表情が今ではかなり回復しているとのことだった。
「それで、どうしたんだ?」
「いや、ちょっとした確認なんだが」
ちょっとした言いにくさを抱えながら、俺は少し言葉につまりながら尋ねる。
「絢香さんの様子、なんというか、変じゃないか?」
「変、というと?」
ピンときていない様子で首を傾げる直樹に。正直、俺自身もそんなにハッキリとこう違う、というようなところを確信できているわけじゃないのだが。
しかし、彼にも伝わりやすいように、直樹にも関連するような事項がないかと思い返してみる。
「例えばほら、いつもならこうして俺が直樹のところへ話しに来たり。あるいは直樹が俺のところに来て話してたりすると、絢香さんは俺とお前のことをジッと見るだろ?」
「ああ、たしかに。……まあ、あれはどちらかというと見ているというよりかは俺が変なことをしないか監視しているという方が近いような気もするが」
「それは、うん。なんというか、すまん」
って、今はそういう話ではなくて。
コホン、と、咳払いをひとつして。話を元に引き戻す。
「ともかく、俺とお前が話してるときは大抵の場合において絢香さんがこっちを見てたりするだろ? でも、今日はどうだった?」
「……たしかに、それを言われてみれば。今日は特段いつもみたいな視線がなかった気がする」
「だろ?」
直樹はうんうんと納得してくれたものの。しかし、「だけどよ」と。あまり芳しくない反応を示す。
「今、裕太に言われてやっと俺も気づいたってくらいだからな。じゃあ、なにか気づくことがあるか、と言われてもなにもないのが現状なんだよな」
「それも、そうか」
「正直、このクラスで1番新井さんとの関わりが深いのは裕太だろ? そんな裕太がわからないのに他の誰かがわかるかって言われると、微妙じゃないか?」
次いで投げかけられた正論に、ううむとやはり考え込んでしまう。
たしかに、間違いなくクラスの中で1番関わりが深いのは俺だろう。それこそ、文字どおり屋根を同じくしているのだから、関わりの深さで言えば段違いだ。
もし仮に他に気づいている可能性がある人とするならば、例えば、絢香さんのことを尊敬している取り巻きの人たち。あの人たちは絢香さんの様子を常日頃観察しているので、なんらかの勘付きがあっても不思議ではない。
しかし、少し考えてその可能性は却下される。仮に彼女らがなんらかの気づきがあったとするならば、おそらく今頃俺に対して突撃が起こっている。なんだかんだで絢香さん自身から釘を刺されている取り巻きの人たちだが、それはそれとして俺は目の敵にされているみたいだから、なにかがあったとき真っ先に疑われるのは俺だろう。
それに、突撃の云々がなかったとしても、少なくとももう少し周りがざわつくはずである。絢香さんの取り巻きの人たちは、人数が少なくない。噂話がそれなりに蔓延るだろうし、そうなると噂話の好きな直樹の耳元に入ってくることだろう。
そうなると、他に可能性があるとするならば茉莉だろうか。直樹を始めとする他の人たちは知る由もないだろうが、俺と同等なレベルで、茉莉も絢香さんと関わっている。
彼女であれば、俺が気づいていないだけのなにかに気づいているかもしれないが。
そんな茉莉すらも、正直、俺の目からは普段どおりに見えていて。いつもの彼女であれば、なにかしら動くなり、俺に話しに来るなりしそうなものなのだが、それすらない。
いつか、絢香さんと涼香ちゃんの姉妹間の不和があったときには。同居人として、と、解決に向かおうとしていた茉莉のことだから。気づいているならば、なにかしそうなものなのだが。
「まあ、裕太でもわからないってなってくると。俺らのクラスの人物だと、新井さん本人に聞くしかないんじゃないかな?」
「まあ、他に手段がなくなったらそれも考えるが。できれば最後にしたい」
どうしようもなくなったときにはそれも選択肢だと思ってる。
けれども、本当に切り札的な手段であり。最初から取っていい方法だとは思っていない。
なにより、これはあまり効率的な方法ではない。
絢香さんの性格上、なにかを抱えていてもそれを素直に吐き出すことはほとんどない。そのあたりの気持ちは、痛いほどにわかるので、おそらくその予測は間違っていない。
そのため、この手段を取るならば、やや無理矢理気味に絢香さんから聞き取りを行う必要があるだろうし。そうなれば、絢香さんも、俺も。両者ともに疲弊することだろう。
当然ながら、そうなることは望ましくないわけで。
ふむ、と。顎に手を当てながら考えていると。直樹が、あるいは、と切り出しながら。
「それこそ、可能性があるとするなら。裕太以上に新井さんに関して身近な人になるんじゃないのか?」
「……えっ?」
一瞬、思考が固まった。
先程、クラスの中には俺以上に絢香さんに関してよく知っている人は絢香さん本人くらいしかいないだろう、という結論が出たばかりである。
それなのに、他の候補なんて――、と。そう思いかけた、が。
直樹が喋り始めるとほぼ同時に「あっ」と。俺も、ひとりの候補を思い出していた。
「ほら、ええっとたしか、涼香ちゃんだっけ? 妹ちゃんなら、クラスでの新井さんの様子はわからないだろうけど、家での様子とかは彼女のほうが詳しいだろうし」
「そっ、そうだな」
実際には、学外での様子に関しては、うん、関わりがあるので知ってはいるのだが。
だがしかし、ちょっとズレた箇所ではあるものの、直樹の指摘が的を得ているのも事実で。
「裕太、たしか涼香ちゃんと部活同じだっただろ? そのときにでも聞いてみたらいいんじゃないか?」
「……ああ、そうだな。そうしてみるよ」
ありがとう、と。彼に対してそうお礼を言うと。直樹はいいってことよ、と豪快に笑いながらブンブンと手を振っていた。
今回に関しては、本当に助かったのは事実なので。後でお礼としてあいつの好きなヨーグルトドリンクを買っておいてやろう。いらないとか、言われそうではあるけど。まあ、ひとつの筋として。
放課後。相変わらず、絢香さんの様子は、ほんの少しだけどこか普段と違ったような、そんな気がして。
煮えきらないような違和感を抱えつつも、ひとまずは直樹のアドバイスに従おうと。
「絢香さん。俺は部活に行ってから帰るね。だから――」
今日はついてこなくて大丈夫だから、と。そう付け加えようとするより先に。絢香さんが口を開く。
「では、私は先に帰って、いろいろと用意しておきます」
周りには聞こえないほどの小さな声で、彼女はそう答えを返してくれる。……が、ちょっと想定外の答えだった。
てっきり、着いてこようとする彼女を先に帰らせようとしなければならなくなると思っていたのだが。以外にも、今日はすんなりと引き下がった、というか。俺が言うよりも先に下がっていった。
こういうこと自体が珍しいわけではない。例えば、夕飯が揚げ物などで仕込みや調理に時間がかかるような場合などに関しては、彼女は早くに帰宅して準備に取り掛かる。そういう日であれば、こうして俺が部活に向かっても着いてこないということは普通にあり得る。
だが、今日の夕飯の予定。そんなに仕込みに時間がかかるものだったか? と、少し疑問を浮かべてしまう。そんなこともなかった気はするのだが、まあ、気のせいか。
「うん、それじゃあ気をつけて。また明日」
「はい、裕太さん。また明日」
便宜上、校内で別れる際の形式上の挨拶をして。絢香さんが先に帰っていく。兎にも角にも、これで絢香さんに聞かれることなく、涼香ちゃんに質問をすることができそうではあった。
「とりあえず、俺も行こうか」
廊下を歩いていく。本校舎の端に近づくにつれ、だんだんと人が少なくなっていき。そして旧校舎につく頃には周りにほとんど人はいなくなる。
ときおり、こちらに部室がある生徒の、急いで駆けていく姿を見送る程度だった。
そうして手芸部の部室にたどり着くと。俺は、思わず首を傾げてしまう。
「なんだこれ?」
そこにあったのは、扉に貼り付けられた1枚のルーズリーフ。かわいらしい動物のマスキングテープで乱雑に四隅を貼り付けられたそれには、丸まった字体で『裕太くんと絢香ちゃんは立ち入り禁止!』と、ボールペンでそんなことが書かれていた。
よくよく見るとその下に小さく『茉莉ちゃんも!』とも書かれている。茉莉については、書かれなくてもそもそもこの部屋にほぼ寄り付かないだろうが。だからむしろ、追加であとから書かれたのか。
筆跡からも、文章の内容からも、書いた犯人は明らかだったのだが。しかし、そうなるとなぜこんなことが書かれているのか、ということが疑問になる。
絢香さんに関しては様子がおかしいことがあるのでともかくとして、書いた犯人である美琴さん。……それと、ここに名前が挙がっていないことから推測するに、涼香ちゃん。このふたりに対して、なにかやらかしたような記憶がないのだが。
「しかし困ったな。家で涼香ちゃんと話すわけにもいかないし」
家では、絢香さんがいない時間のほうが少ない。その上、少なくとも同じ家の中にいるため、不意のことを考えると、やはりできるならば避けたい。
しかし、立ち入り禁止にされてしまっては、どうしたものか。
顎に手を当てながら、そう悩みこんでいると。
正面の扉が、ガラッと開いて。
「あっ」
「あっ」
と。涼香ちゃんと鉢合わせる形で対面して。お互いに声をあげてしまう。
「裕太さん? こんなところで突っ立って、どうかした?」
「どうしたもなにも、まあ、その紙があったから」
「……ああ、なるほど」
俺が件のルーズリーフを指差すと、彼女は納得したように小さく息をついて。
涼香ちゃんは、ペリッとその紙を剥がすと。どうぞ、入って大丈夫ですよ、と。そう言ってくれる。
「えっと、いいの?」
「うん。……いやまあ、だめといえばだめだけど、たぶん、大丈夫」
「どっちなのさ」
「どちらかというと、急に入ってきてもらったら困るから、貼ってただけ。……別に、立ち入り禁止というよりかは、ノックしてくれればそれでよかった」
じゃあそう書いておいてくれればよかったのに、と。そう思ったのだが。書いた張本人が美琴さんなので、おそらくちょっとした茶目っ気が混じったのだろう。
そのまま廊下の、トイレの方へと駆けていった涼香ちゃんを見送りつつ、俺は入れ替わりで部室に入る。
「あれ、裕太くん。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、部活に来たんですけど」
「そりゃそうか。……って、入り口に紙が貼ってなかった?」
「貼ってましたけど、さっき、涼香ちゃんが剥がしてましたよ」
俺がそう言うと、美琴さんは「涼香ちゃんが剥がしたのなら、まあ、いいか」と。
そして彼女はイスの上でくるくると回りながら、それなら、と言い。
「ひとまず、裕太くんも入りなよ。その顔、ただ部活に来たというよりかは、なにか話したいことがあって、来たんだよね?」