if短編 京都旅行
本編の話の流れとは直接のリンクをもたないif短編です
本編で修学旅行の候補に挙がっていた没の行き先に直樹と雨森が卒業旅行で訪れたらという前提で書かれたものです
筆者がバラバラに訪れた記憶などを組み合わせて書いているので記憶違いや齟齬などがあるかもしれません
要するに「読まなくても大丈夫なやつ」です
「いやあ、久々に来たな、京都!」
ぐぐぐっと、伸びをしながらに俺はそういう。
隣からは雨森がぴょこっと頭をこちらに突き出しながら、だいたい1年ぶりくらいかな? と。
「修学旅行のときは、まさかまた来ることになるとは思ってなかったよ。それも、直樹くんと一緒に、なんて」
「それは俺も思ってた。でも、雨森と一緒に来れて良かったよ」
3月。受験も、卒業式も無事に終えて。そうして、俺たちは改めて京都に訪れていた。
今回は、以前とは違って正真正銘のふたりきりの旅行。
最初は卒業旅行なんだから、ということで裕太たちも誘ったのだが断られてしまった。気を使ってくれたのか、あるいはあちらはあちらで計画があるのか。
「それじゃ、ひとまずは荷物を置いてから。植物園に行くとしようか」
「うん!」
雨森の元気のいい返事を聞いて。俺たちはホテルに向かって歩き始めた。
どこに行こうか、という話になったとき。せっかくなら、修学旅行のときに候補に上がったけれど行けなかったところにしよう、と。そういう話になった。
話し合いのとき、候補に挙がった京都府立植物園。雨森が当時言ったところだ。
現在はそこに向かうために地下鉄に乗っている。
「そういえば、雨森ってそんなに植物好きだったのか?」
イメージとして、たしかに似合っているとは思うが。その一方で、ここまで彼女といろいろ過ごしてきて。例えば植物を愛でているとか、そういう素振りはあまり見たことがない。
俺が尋ねたことにより、雨森は「ひゃあっ」と一瞬飛び跳ねかけながら。ロボットのようにぎこちない動きになりながらこちらを振り返り。
「う、うん。植物が好きってのは、嘘じゃないよ」
「嘘じゃない、って言い方をするってことは。多分別の理由があったんだよな?」
俺がそうして気をすると、雨森は少しずつ俯き。そして申し訳なさそうに声を小さくして。
「人が、少なそうかなって。……ほら、京都って有名な観光地から、他の場所だと人がいっぱいかなって思って、だから」
雨森が言うように、たしかに修学旅行で訪れた観光地は、めちゃくちゃと言っていいほどに人でごった返していたし。彼女からしてみれば、たしかに苦手な場所だろう。
「でも、結局なんだかんだで人は多かったけど、楽しかった」
おそらく、彼女は修学旅行のときのことを思い出しているのだろう。
その横顔をしばらく眺めていると、流れた車内放送に雨森がハッとした表情をする。
「あ、そろそろ最寄りにつくみたいだよ」
「マジか。ありがとな、雨森」
「……いちおう、直樹くんもどこで降りるかは気にしておいてね?」
雨森からジトッとした視線を向けられながら、そう指摘される。
あはは、と適当にごまかしながら。とりあえず、遅れないように電車から降りる。
そのまま、改札から出て。地上に出ようとしてみる。
「調べた感じだと、地下道から出てすぐにあるっぽいけど」
「あっ、あそこじゃない?」
雨森が指差した先には、券売所。そして、その隣には植物園へのゲートがあった。
ふたり分の入場料と、それから温室観覧料を支払って。中に入る。
「なんというか、めちゃくちゃにデカい自然公園って感じだな」
「それは、たしかにそうかもしれませんね。でも、植物園というだけあって、いろんな植物があるんですよ! たとえば、今の季節だと――」
そう言いながら、雨森は片手で地図を持ち、もう片方で俺の手を取り園内を案内してくれる。
3月ということもあり、椿や梅のような花がキレイに咲いていて。逆に、おそらくはバラ園であろう場所なんかは茂みだけがそこにあったり。
「でも、そう思うとこういう場所って。季節ごとにいろいろなものが見れるから面白いのかもな」
「でしょう! ……あっ」
テンションの上がった様子でそう語る雨森さんが、パッと顔を赤らめながら、今の自分の様子を自覚したらしかった。
まあ、この程度で恥ずかしがるのであれば、俺の普段の行動だとどれだけ恥ずかしくなるんだ、と思わないでもないのだが。
……うん? もしかして、結構やばいのか? 俺。
「直樹くんたちはあんまり行ったことなさそうですけど、実は近くにもあるんですよ? 植物園」
「マジか、知らなかった」
「はい。電車を使う距離なので、近所かと言われるとアレなんですけど」
しかし、そう言われると多少納得がいく。俺がひとりだと、まず植物園みたいなところには行かないだろうし、じゃあ誰かと一緒に、となると裕太が筆頭だが。基本アイツと出かけても俺が行き先を指定するので、当然候補にはあがらない。
そりゃあたしかに知らないわけだ。
「でも、まあ。こうして雨森と一緒に来てみて思ったが。こういう場所も案外悪くないのかもなって」
俺自身の性分に合うかと言われると、それは間違いなく合ってはいないのだが。しかし、雨森と一緒に来るというのであれば話が変わる。
季節ごとにいろいろなものが見れて、ゆっくりと回れる、というのであれば。たしかに、何度も訪れて変化を楽しむのもいいのかもしれない。
気づいた差異について、お互いに共有し合うのも楽しそうだ。
「今度また、そこに連れて行ってもらってもいいか?」
「えっ? ……ええ、はい!」
雨森がいい笑顔で、そう答えてくれる。
植物園の中央付近にある、ちょっとしたカフェで軽食を摂って。
「なんていうか、すごいアイス……ジェラートだったな」
「味はたしかにラズベリーなんだけど。香りが、ものすごくバラだったね」
他にも食べたのだが、そのジェラートの風味が印象的すぎて全ての感想が持っていかれてしまった。
まあ、たしかに美味しかったんだけれども。
「さて、それじゃあ温室? ってところに行こうか」
「はい、直樹くん!」
ちょうどカフェが中央あたりなこともあって、どこにアクセスするにしてもそこまで距離がない。そのまま、俺たちは温室へと向けて歩いていく。
建物に入ると、入り口にはバカでかい花が飾られていて。それこそ、俺はともかく雨森の体型だと大きさでいい勝負ができそうなほどに大きかった。
「これがラフレシアか。なんか、ゲームとかではたまに見たりするけど」
「世界最大の花、ですね。実際に見るのは私も初めてですけど」
世界最大という称号を冠して、それを実感させるだけの大きさがあるのだからすごいものだ。
そして、そのまま左にある順路に沿って進んでいくと。
「一気になんというか、気温と湿度が上がった気がするな」
「温室では、日本の気候とは違った植物を育てる都合、元々の環境に寄せた部屋になりますからね」
つまりは、ここにある植物が高温多湿な環境の植物、ということだろう。
たしかに、日本ではほとんど見ず。どちらかというと映画なんかやドキュメンタリーで見るような、ジャングルとかに生えていそうなイメージのある植物が並んでいた。
「こういう、珍しい植物が見れるっていうのも、楽しくていいところですよね」
「たしかに、日本じゃまず見れないだろうしな」
順路に沿って歩きながら、そのまま次のエリアに行くと。なにやら、今度は見覚えのあるような実の成った木があった。
「あれ? もしかしてこれ、カカオか?」
「そうですね。ここは、他にも食用の植物が展示されてるみたいですね」
それを言われると、ちょっと興味が湧く。
先程よりも明らかに意識的に周りを見ている俺に、雨森が小さく笑いをこぼす。
「あっ、いやすまん。植物園だってのに、食べれるとか食べられないとか、そういうところでなんか興味の差が起きちまってて」
「いえ、いいと思いますよ」
そう言いながら、雨森はなにやらスマホで1枚の写真を見せてくれる。
「これ、以前に別の植物園を訪れたときのものなんですけど。この植物、なんだと思いますか?」
「すごい細い葉っぱだけど。なんだこれ」
「これ、ニンジンの葉っぱなんですよ」
「ニンジン!? なんか、思ってたやつと全然違うんだけど」
絵とかでたまに書かれてたりする葉っぱからは想像もできない形と、なにより細さをしていた。
「ですよね。私も初めて見たときはビックリしました。でも、たしかに料理で出てくるときはもちろん、スーパーとかで売られているときも、葉っぱは切り落とされてますしね」
言われると、納得するものがある。
「そういう意味でも、こういう場所は馴染みのあるものの、普段見ない姿が見れるってのもいいところだと思うので。食べられるものってのも、ひとつのいい視点かもしれないですね」
雨森は、ニコッと笑ってそう言ってくれる。
おそらくは、彼女なりにある種の気遣いをしてのものではあったのだろうが。けれども、それが少し落ち着く。
ふたりして笑い合いながら順路を進んでいくと、おそらくは、そちらも順路ではあるのだろうが、封鎖されている場所があった。
「……あれ? こっちは、なにか問題でもあったのかな?」
「いえ、そっちはゲッカビジンの展示場所ですね。ただ、開花時期から大きく外れているので、この季節は立入禁止になってるみたいですね」
「へぇ、ゲッカビジン。なんか、名前だけは聞いたことがあるな」
本当に、名前だけである。どんな植物かとか、そういうことは全く知らない。
「ゲッカビジンはサボテンの仲間で、夜にだけ花を咲かせるんです」
「サボテンって花を咲かせるんだ。マジか。……うん? 夜にだけ?」
たしか、ここの植物園は昼間しか空いていないはずである。
そうなると、夜にだけしか咲かないゲッカビジンは見れないことになりそうだが。
「はい、そのためにここでは昼夜逆転室という専用の部屋で、擬似的に昼と夜をひっくり返して育てているみたいですね」
「そこまでするのか。すげえな」
「はい、そういうところも、こういう場所だから見ることができる、という感じはしますよね」
そう言って。雨森はクルッとこちらを振り向いた。
「さて、名残惜しいですがそろそろ温室も……植物園もゴールが見えてきそうですね」
京都府立植物園から出て。まだ日も高い時間なために、どこか行こうか、という話になった。
「たしか、クラスのやつが修学旅行のときにあぶり餅を食べてうまかったって言ってた記憶があるぞ」
「えっと、それはどこにあるんだっけ?」
「たしか、今宮神社ってところの隣にあるらしい……あっ、これだな」
スマホで地図アプリを開きながら、見つけたそれを彼女に見せる。
どうやら、ここからほぼ真っ直ぐ道なりに歩くだけでたどり着けるらしかった。道的には曲がる箇所が一箇所あるが、どうやら今宮神社の鳥居がある場所らしいので、迷うこともないだろう。
「よし、それじゃあ行こうか!」
「まっ、待って! 直樹くん、まだちょっと確認したいことが――」
「大丈夫大丈夫! さすがに俺でもこの道なら迷わないって!」
ニッと、そう笑いながら。俺はそう言った。
このとき、雨森の言っていたそういうことじゃないんだけど、という言葉を。しっかりと聞くべきであったと、あとから強く後悔した。
そして、その後悔のタイミングは比較的すぐに訪れた。
「……その、ごめんな。雨森」
「うん」
「そういえば裕太に、地図を見るときは道順だけじゃなくって、しっかり縮尺と距離を確認しろって言われてたのを、すっかり忘れててよ」
「うん」
「……えっと、足、大丈夫か?」
「大丈夫かどうかでいえば、大丈夫だけど。しばらく歩きたくはないかな」
距離にして、おおよそ3kmほど。俺個人だけでいうのであればさほど問題のある距離ではないのだが、普段からあまり運動をしていない雨森からしてみれば、そこそこに遠い距離だった。
「とりあえず、せっかく来たんだし。食べに行こうか、あぶり餅」
「お、おう」
若干申し訳ない気持ちを抱えながら。気丈に笑顔を振りまいてくれる雨森につき従いながら、今宮神社の横にある、あぶり餅の店へと向かう。
「話には聞いていたが、本当に向かい合わせで2軒あるんだな」
今宮神社の東門から、道を挟んで2軒の店が向かい合っていた。
そのどちらの店もあぶり餅の店である。
「えっと、ちなみに聞くと。どっちの店が先とかは」
「……どちらの店も、本家や元祖を自称している、らしい」
つまり、どちらが先かはわからない。
俺たちは顔を見合わせながら、どちらに入ろうか。と、そう思って。
「どっちも、食べるか!」
「うん。せっかくだし、それがいいね」
あぶり餅は、一人前で11串出てくるが。思ったよりもひとつの串が小さいため、それぞれの店で二人前ずつ頼んで、二人で分けて食べた。
途中で、雨森が少しお腹が膨れてきたとのことで、俺が少し多めに食べて。
味は、味噌の風味が強く出ていて。餅からは、ほんのりときなこの味がした。
焼いたところが若干焦げているのだが、これが香ばしくてなかなかに良い。
一緒に緑茶を出してもらえたので、温かいそれをすすりながら、昼下がりの休憩を。ゆっくりと、ふたりで過ごしていた。
「ちなみに、直樹くんはどっちのほうが好きだった?」
話題が絶妙にアレなので、小さな声で雨森がそう聞いてくる。
「……うーん、そうだな」
「あ、せっかくならせーので一緒に言わない?」
雨森はピッと指を立てて、そう提案してくる。
それは、たしかに面白そうだ。揃っても、揃わなくても。そのどちらでも。
「せーの!」
雨森の、その掛け声で。俺と彼女は同時に答えをいう。
直後、あはははっ! と、ふたりの笑い声が、揃って出て。
「なんというか、ある意味俺たちらしいというか、なんというか」
「……だね」
まだ少し笑っているお腹を抑えながら、俺は最後の一本を口に運んだ。
「……なあ、もう一度聞いておくけど。本当に良かったのか?」
ホテルに着いて。相部屋の相手に、俺はそう尋ねる。今ならまだ、ギリギリもうひと部屋とれなくもない、と。
お相手は、なにが問題なの? とでも言わんばかりに、ただひたすらに首を傾げていた。
「いや、その。別にいいというのであれば俺としても別にいいというか、なんというか難しいんだけどな」
俺が、なんとか必死に言葉を探している様子を。ゆっくりと待ってくれて。
そして、言葉を完成させた俺は、口を開く。
「男女で、その。同室で泊まるっていうのはどうなのかなって!」
「えっと、直樹くんは、私と一緒は嫌?」
「そんなことはない! むしろ、雨森と一緒なのなら、めちゃくちゃ嬉しい!」
やや焦り気味に、そして気持ちを前面に出して答えてしまったために、恥ずかしさが追って出てきて思わず顔を真っ赤にしてしまう。
そんな俺を見て、雨森はクスクスと小さく笑いながら。
「私も、直樹くんと一緒だと、とっても嬉しい。だから、大丈夫だよ?」
と、優しく語りかけてくれる。
「でもよ。いちおうは俺も男なわけで。なにか間違いがあったらいけないっていうか」
「……つまり、直樹くん的には、今考えてるそれが間違いってことなの?」
「――ッ!」
「私も、直樹くんも。18歳、成人してるんだよ。……お酒はダメだけどね」
ニコッと、そう笑ってみせる雨森。笑顔だけなら、いつものことだというのに。
ここまでの話の流れがあったからだろうか。それとも、ふたりきりの室内、ということがあるからだろうか。
なんてことはないはずの、その笑顔が。どうにも妖しく、そして甘く見えてしまう。
「そう、だな。間違い、ではないな」
「うん、そうだよね。……それじゃ、私は先にシャワー浴びてくるね!」
そう言って、彼女は着替えなど諸々を持ってシャワー室へと向かっていった。
「大丈夫、大丈夫。なにかが起こったとしても、それは別に間違いじゃないし。それに、そもそも――」
うんうんと頷きながら、雨森が出てくるまで自問自答を繰り返していた。
しばらくして、ほかほかとした湯気を浮かべながら、雨森が戻ってきて。代わりに、俺が入れ替わりで入る。
結構歩き回ったということもあってか、まだ春も始まったばかりという時期ではあったものの、そこそこに汗をかいていた。しっかりと、洗い流しておかないといけない。
ジャーッ、と。シャワーの水音を聞きながら、ゆっくりと心を落ち着かせる。
大丈夫だ、問題ない、と。自分の気持ちを整理させて。身体をひと通り洗ってから、十分に洗い流して、シャワー室から出る。
服を着替えて、タオルで髪を拭きながら。雨森の待っている部屋へと戻っていく。
ベッドの上に戻ると、なにやらソワソワした様子の雨森がチラチラとこちらを見ていた。
俺は首を傾げながら、軽く布団を身体にかける。
「え、えっと。それじゃあ、直樹くん。その――」
「よし、それじゃ明日もあるし。寝ようか!」
「うん! ……うん?」
照明を落として、そのまま布団をかぶる。
柔らかな感覚と、暖かな温度に包まれて。少しずつ意識が薄らいでいく。
「えっと。……えっ?」
なにやら雨森が困惑したような反応を見せて。
「あれ? もしかして雨森は常夜灯がついてるほうがいいか? ……ここの照明、常夜灯あったかな」
「いや、私も真っ暗だけど。……って、そうじゃなくって」
「うん? ほら、今日は俺のせいでたくさん歩かせちまったからな。疲れてるだろ?」
「…………」
なにやら、よくわからない圧力のようなものを感じた気がしたが。たぶん、気のせいだろう。
俺はそのまま目を閉じて、ゆっくりと意識を手放した。
「……ほんとに、寝ちゃってるの?」
ガサゴソと、雨森が布団から出て。
「えっ、ほんとに? なにもなしで? ……さっきまでの雰囲気があったのに、同衾もなく?」
寝ている俺の顔を覗き込みながら、そんなことを呟いて。
「嘘でしょ……?」
そんなことを言っていたのだが。無論、眠っていた俺は、そんなことを知る由もなかった。
翌朝。気持ちのいい目覚めに、グッと身体を伸ばしていると。
起きてきた雨森が。寝間着のままの彼女がやってきて。俺の寝ていたベッドに上がりこんできたかと思うと。
無言のままに、ポカポカと身体を叩いてきた。力は込められていないため、殴られたところは痛くはないのだが。なぜか、なぜだか身体ではない別のどこかが、めちゃくちゃに痛かった。
「本当に、なにも起こらなかった……」
雨森が、小さくなにかをつぶやいていたが。あまりにも小さすぎて、俺には聞き取ることができなかった。
今朝の若干の不機嫌は朝食の頃にまで続いていたのだが。しかし、そんな機嫌も、一瞬で直ってしまった。
「見てください、直樹くん! オオサンショウウオですよ! かわいいですね!」
「かわ、いい?」
入るや否や、興奮し始めた雨森に手を引かれつつ、俺は彼女についていく。
めちゃくちゃに大きな水槽の中には、やや平べったい、茶色の生物。
手と足が生えており、その身体の大きさは人の子供くらいはありそうで。
顔は、なんというか。なにを考えているのかがよくわからない、ポケッとした表情をしていた。
かわいい……のか?
「あっ、こっちには子供もいますよ! 2歳ですって! かわいいですね!」
雨森さんの暴走は止まるところを知らず、今度はちょうど後ろにあった小さな水槽に目が移っているようだった。
こちらは手のひらに乗りそうなくらいの大きさの、ミニサイズのオオサンショウウオ。こっちがかわいいのは、まだなんとなくわかる。
うへへー、と。雨森にしては珍しくハイテンションで見て回るその姿に。なんとなく、笑みが溢れる。
京都水族館。修学旅行のときは、茉莉が候補地としてあげていた場所で。曰く、こういう機会でも無ければあんまり来なさそうな場所だから、という理由だった。
まあ、理解できなくもない。ついでに、思ったよりもまともな理由だった。……結局却下にはなったのだが。
「こっちにはオオサンショウウオと背比べができるコーナーがありますよ! 行ってみましょう!」
こういう機会でも無ければ、たしかに来ないというのはそのとおりなのだが。しかし、こうやって、楽しそうな雨森が見れるのであれば。来ても良かったな、と。そう感じてしまう。
雨森の手に従いながら、俺たちは設置されているオオサンショウウオの人形の隣に行った。
看板曰く161cmらしいその人形に。雨森は負け、いちおう俺はちゃんと勝っていた。……まあ、170cm超えているしな。
雨森はというと、ちょっと悔しがっていたが。それと同時にオオサンショウウオの実寸大の人形にテンションが上がっていた。
「そういえば、入り口にあった看板にはそろそろイルカの遊びの時間って書いてあったな」
「たしかに、ちょうどいいくらいの時間ですね」
雨森は、左手首の腕時計を確認しながらそう返してくれる。
イルカのスタジアムは、今いる場所からは少し離れているのだが。時間指定のあるものだし、一旦順路から離れて見に行こうということになった。
途中、ペンギンなどがいて立ち止まりそうになった雨森に。後でまた戻ってくるから、とそう言いながらにさっさと足を勧めて行って。なんとか、始まる前にスタジアムに到着する。
「前がスプラッシュエリア、つまり濡れる可能性がある場所で、後ろが普通の席か。どっちにす――」
「もちろん前で!」
雨森の、若干食い気味の答えに。俺は少し苦笑しながらわかった、と答える。
なんというか、水族館に来てからというもの、普段ではなかなか見られない雨森の積極的な姿が見られているから、新鮮だ。
売店でチュロスとドリンクとを購入してきて、雨森と共有する。
彼女はなにやらオオサンショウウオに関連しているらしいチュロスを選んでいたが、注意書きに辛いことに対する注意書きが書かれていた。
「大丈夫か? 一味唐辛子がかかってるみたいだが」
「だ、大丈夫です! ……きっと」
少し冷や汗を流しながら、赤い粉のかかったチュロスを凝視していた。
雨森は、しばらくそれとにらめっこをしたのちに。えいやっと思い切ってひとくち齧りつく。
「どうだ? 雨森」
しばらく硬直していた雨森だったが。
だんだんとその顔が赤くなってきて。そして、目尻が少し潤んでくる。
「……か、から、かりゃっ」
そして、案の定とでも言うべきか。彼女は想定どおりの言葉を叫んだ。
「辛いっ!」
「だろうな!」
慌てて雨森はドリンクを飲み込んで、口の中の大火事をなんとか収める。
それでもなお、ふう、ふう、と息が荒い様子を見る限り。相当に辛かったのだろう。
雨森が続行して食べるのは不可能だと判断して。……正直そうなるだろうということは予測できていたので食べずに置いておいた俺のチュロスと交換して、食べた。
俺にとっては耐えられないほどではなかったが。たしかに、かなり辛かった。
お昼時。水族館内にあるカフェに訪れて、それぞれ、料理を注文した。
雨森は、チキンバーガー。なにやらオオサンショウウオのペーパーで包まれているのに一目惚れしたらしかった。併せて、ドリンクも頼んでいたが。こちらもオオサンショウウオのマドラーがついていることをいたく気に入っていた。
俺はというと、カルボナーラうどんなるものがあったので、ちょっと気になってそれを選んだ。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
向かい合って座り、昼食を摂り始める。
カルボナーラうどんがどんなものかという興味本位で選んだものだったが、存外に美味しい。味としては本当に名前のとおり、カルボナーラのソースのかかったうどんなのだが、意外とこれが合う。
今度また裕太に強請りに行こうか、と。そんなことを一瞬考えて。首を小さく横に振る。
作ってもらうじゃなくって、自分で作るのもいいかもしれない。ただまあ、俺ひとりじゃ作り方とかわからないから、どうやったらいいのかとかは聞くかもしれないが。
俺は食ってないからわからないんだが、と。そう言う裕太の姿が目に浮かぶ。そう言いながら、なんだかんだで考えてくれる姿も。
「そういえば、ひと通り回りましたけど。直樹くんはどれが印象的でした?」
「俺か? 俺は、安直だけどやっぱりイルカは凄かったなって思うなあ」
チュロスでひと悶着あったあと、ちょうどいい時間になって始まったイルカの遊び時間。
ショーではなく、遊び。どうやら、いろいろなものの練習をしたり、同時にイルカたちの体調などを看たり、ということをするためのものとのことだった。
そういう都合もあってか、イルカが飼育員の人の言うことを聞かないこともあったり。……そういう姿を見ると、わかってはいたつもりでも、やっぱり生きている生き物なんだな、と。そう感じてしまった。
「なるほどなるほど、直樹くんはイルカさんでしたか。ちなみに私は、オオサンショウウオです!」
「うん、知ってた」
「なんでそんな反応なんです!?」
いやあ、それは。言われなくてもわかるというか。
あれだけはしゃいでいてオオサンショウウオじゃなかったら逆になんなんだ、という話である。
現在進行形でオオサンショウウオセットみたいなお昼ごはんを食べながら。彼女は少し不満げにぷくっと頬を膨らませていた。
「あとは、クラゲがいたところは。周りの雰囲気も併せて、すごく幻想的だったと思ったかな」
「あっ、それはたしかに! ……でも、その意見が直樹くんから出てくるのはちょっとびっくりです」
「それ、どういう意味だ?」
俺がそう言うと、雨森はあははと苦笑いをして、ドリンクに口をつけて誤魔化していた。
「あとは、私はペンギンさんも可愛かったと思いますね。巣穴に、2匹が重なって入ってたりして、仲がいいんだなーって」
「たしかに。でも、あれでいろいろ関係が複雑っぽかったよな。なんか、相関図みたいなのがあったけど」
番が成立して、破局して、というのがたくさん起こっているのが、見て取れるほどに複雑な相関図がペンギンのコーナーの手前にあって。少し面白かった。
あと、飼育員の人は見分けがついているのか、とも。併せて、すごいものだと感心する。
「ペンギンといえば、たしかさっき、クジみたいなのがありましたよね」
「ああ、たしかペンギンかイルカのぬいぐるみのやつな。せっかくだし、面白そうだから1回やってみるか」
「どっちをやるんです?」
「そうだなあ。一番印象に残ってたのがイルカだし、イルカにしようかなあ」
小さいやつが当たれば、棚か、あるいは机の上にちょこんと飾って置けるだろうと、そんなことを思いながら。
「見てください、直樹くん! 大きいオオサンショウウオのぬいぐるみですよ!」
「どうしてこうなった」
「こっちの子もかわいいですね! 直樹くんはどっちの子がいいと思いますか?」
「どうして、こうなった」
「直樹くん? ちゃんと聞いてますか?」
「おあっ!? ああ、すまん。聞いてなかった。なんの話だ?」
「もう、ちゃんと聞いてくださいね! ……それで、どっちのオオサンショウウオのほうがいいと思います?」
雨森が見せてきているのは、50cmくらいはありそうなオオサンショウウオのぬいぐるみ。どちらも同じく量産されているものなので、見た目は同じに見えるんだが。
たしか、裕太に以前聞いた話だと。こういうときは同じじゃないか? とか言ってはいけないらしい。難しい話だ。
「ええっと、その右の子かな?」
「やっぱり直樹くんもそう思いますか!」
俺がそう答えると、雨森はオオサンショウウオのぬいぐるみをひとつ抱えて、そのままレジに持っていっていた。
どうやら、選択肢は正解だったらしい。よく、わからないが。
「えへへ。直樹くんがぬいぐるみを持っているのを見て、私も欲しくなったんですよね!」
「そりゃあよかったな。うん……」
満足そうにオオサンショウウオのぬいぐるみを抱っこしている雨森の様子に、俺はそう、小さく笑った。
……そう。俺の小脇には現在、まあまあ大きなイルカのぬいぐるみが抱え込まれている。
昼食のあと、話していたくじを引きに行き、くじを開いて。
書かれていた2等という文字が理解できないままに、店員さんにベルを盛大に鳴らされてしまって。
いつの間にやら、俺の脇にはイルカのぬいぐるみが挟まっていた。……よりによって、持ってきていたリュックサックに入らないほどの大きさのぬいぐるみが。
「あっ、もしかして。これ、雨森にプレゼントすれば割と解決だったのでは?」
「どうかしました?」
「……いや、なんでもない」
既に、雨森の腕の中にはオオサンショウウオが抱え込まれていた。2体目は、さすがにキツそうだ。
手遅れになってしまったことを確信して、ちょっとだけ、後悔をしていた。
一旦京都駅に戻って、荷物をコインロッカーに預けに行こうか、というような話が出たのだが。京都水族館から京都鉄道博物館までは歩いて数分というような近距離……というか、むしろ梅小路公園の隣が京都鉄道博物館という立地なため、めちゃくちゃ近い。
そういう事情もあってか。
「なあ、雨森。マジでこのまま入るのか? やっぱり一旦どこかに預けて」
「大丈夫です。直樹くん。ムウくんも大丈夫だと言ってます」
いつの間にか命名されていたオオサンショウウオのぬいぐるみを抱えつつ、雨森がそう言った。
俺の小脇には、先程なぜかくじであたってしまったイルカ……のぬいぐるみ。
雨森がこの調子なので、俺だけどこかに預ける、というのも気が引ける。
仕方なく、腹を括って。俺はイルカのぬいぐるみを抱えたままで、入り口へと入っていった。
「すごい! 蒸気機関車に、電車。それに新幹線まで!」
博物館に入ってすぐ。外からも少し見えていたエリアではあるものの、間近で見るそれらは。雨森が思わず声をあげてしまうのも納得するほどに圧巻のものだった。
「電車や新幹線はともかくとして、蒸気機関車は今ではほとんど稼働してないからな。他の機関車ならともかくとして」
「他の機関車? 機関車って、蒸気機関車以外にもあるんです?」
「ああ。ディーゼル機関車や電気機関車。あとは、ガソリン機関車なんかもあったりする」
ちょうど奥の方を指差してみると、そのあたりにオレンジ色のボディのディーゼル機関車があった。
「これも機関車なんだね。写真とかで見たことはあるけど」
「あくまで動くための機関を積んだ車両って意味だからな」
機関車とだけ言うと、蒸気機関車を思い浮かべがちだが、案外別の機関車もあったりするものだ。
「電車なんかは普段でも結構使ったりするけど、こうして改めてどんなものがあるのかと言われると、案外知らないものだね」
「そうだな。ちょうど、俺が植物に疎かったように」
俺が軽く笑いかけながらそう言うと、雨森からも表情で返事が帰ってくる。いい笑顔だった。
「そういえば、直樹くんはこういうのに結構詳しいんですね」
「まあ、詳しいというよりかは、単純に好きなんだろうな。鉄道に限ったことではないけど、乗り物ってものが」
「それはまた、どうして?」
「うーん、うまく言葉にするのは難しいんだけどさ。なんというか、デカい金属の塊が動いてるって、こう、カッコよくない?」
人ひとりの力では到底動かせないほどの重さだというのに。それを動かすための知恵と技術が詰まっていて。言い表すのには俺の言葉が足りないが、ロマンがある、というか。
そんなことを伝えてみるが、どうやら十二分には伝わっていなかったようで。彼女は首をコテンと傾けていた。
「なる、ほど?」
「うん、ごめんな。俺がもっとうまく言葉で表現できたらいいんだけど」
ポリポリとこめかみあたりを軽く掻きながら、俺はそう謝る。
しかし雨森はそんな俺に向けてふるふると首を横に振って。
「大丈夫。そのぶん、ここで直樹くんの思うすごいところを、私に教えて?」
と。そう言ってくれた。
「すごいね。さっきも言ったけど、普段使ってるような電車とかの、普段は見れないところが見れるって」
たとえば、車両の下側。通常、どうあがいても見れない場所だろう。そこを、車両の下に作られた通路から、見上げる形で見ることができる。
あるいは、切符が自動改札機でどんなふうに処理されているのか、とか。
身近ではあるはずなのに、全然見る機会のない、裏側を見ることができた。
「車輪も。外に向けて窄むような形になってるなんて今まで気にしたこともなかった」
「その形にも、ちゃんと理由があってのものだしな。……なににしても、それなりの理由があるんだなあ」
「あっ、直樹くん! あっちに模型がありますよ!」
「おお、ジオラマか。すごいな」
鉄道を始めとする、たくさんの模型を用いて作られた、ミニサイズの街。そこを、実際に鉄道模型が走っていて。これがなかなかに壮観だ。
「いいなあとは思うけど、こういうのにはなかなか手が出ないんだよな」
「そうなんですか?」
「まあな。この手のものはかなりお金がかかる他に、細々とした作業が必要だからさ」
俺がそう言うと、雨森がああ、と納得したような声を出す。
うん、おそらくは、後者に対してだろう。後者じゃなかったらいいな、と思ったりしないでもないけど。絶対に後者だろう。
しばらく、そのままふたりであたりを歩いていると、ちょうど館内のレストランの近くに来る。
「……なにか食べるか?」
「ふぇ!? さ、さすがにお腹がいっぱいです。なので、直樹くんが食べたいのでしたら」
「ははっ、さすがに冗談だよ。俺もまだお腹は空いてないから」
慌てた様子の雨森に、俺が軽く笑いながらそう返した。
彼女は、ちょこっとだけムッとしながら歩いていると。ちょうど、脇にある道に気づいた。
「こっち、外に続いているんですね」
「ああ、そうだな。そっちにも展示があるはずだよ」
「そうなんですね。せっかくこっちに来たんですし、行ってみましょう!」
雨森は、そう言いながら俺の手を取る。
別に展示物は逃げやしないから、と。そう思いながら彼女についていく。
……そういえば、展示物ではないものの、いちおう数量限定なものはあるけど。まあ、まだ時間的になんとかなるだろう。
外に出て、しばらく進んでいくと。左手に大きな建物か見えてくる。
高さがあるわけではないが、広さがある。扇形のように広がった、建物。
「蒸気機関車が、たくさんある……!」
「扇形機関庫だな。見た目だけなら、写真とか動画とかで見たことあるんじゃないか?」
俺がそう尋ねると、彼女はコクリと頷く。俺も同じだ。
しかし、実際にこの目で、この距離で。見て、感じるのは初めてだ。
「一部の蒸気機関車については運転台にも入れるみたいだな」
「そうなんですか?」
「ああ、せっかくだし、行ってみようぜ」
蒸気機関車と蒸気機関車の間にある階段を登り、そのまま運転台へと入ることができる。
中は、思っていたよりも狭くて。いちおう、それなりに身体を動かすことはできるものの、腕を広げて回る、ともなるとかなり厳しそうに見えるほどの大きさだった。……今は、ぬいぐるみを抱えていることもあって、更に狭く感じる。
前面には石炭を投げ込む場所、その両隣にはそうさのためにつかうのであろう、レバーなんかが並んでいた。
背面には、石炭がここに積まれていて、ここからすくってくるのてあろう場所。
「こうやってみると、すごく火に近いんですね」
「この狭さもあるし、めちゃくちゃに暑そうだなあ」
コクコクと頷きながらそう話し合っていると。ポーッと、少し遠いところから甲高い音がした。
なにも知らなかった雨森はぴょこんっと驚いて跳ね上がり、なにがあったのか、と。
「大丈夫大丈夫。この機関庫の正面に、線路があっただろ?」
「はい、たしかにありましたね」
「あそこを、ちょうど蒸気機関車がちょっとだけ走るところがあるんだよ」
「蒸気機関車が、走る。……走る!? ってことは、動いてるんです?」
雨森が、目を見開いてそう驚く。
俺はゆっくりと首を縦に振ると。
「まあ、ゆっくりとある程度の距離を往復するだけだけどな。……ちなみに、ちゃんと乗れるが。行ってみるか?」
その答えは、わざわざ聞くまでもなく。
ふたりで運転台から降りて、機関庫の外へと。
すると正面には、もくもくと白い煙を吐いている蒸気機関車が。
……あれ、そういえば。俺も雨森もぬいぐるみを抱えたままだけど。
これを持ったまま、乗るのか?
ポーッ、と。汽笛の音が鳴る。
先程よりも圧倒的に近くで聞いたそれは、身体全体を使って響いているように思えて。より、力強く感じる。
次第に、シュッ、シュッ、と。前方の蒸気機関車からゆっくりと音がなり始め。同時、緩やかに動き始める。
最初は、蒸気機関車の正面に対して逆向きから。
隣から、動いたことに気づいた雨森の「わああっ」という歓声が聞こえる。
「ほんとに動きましたよ!」
雨森が、キラキラとした目線でこちらを向いてくる。
これほどにまで喜んでくれるのであれば、乗った意味もあったというものだ。
ただまあ、気になることといえば。相も変わらず俺たちの腕の中にいるぬいぐるみで。乗っている人たちに家族連れも多いということもあってか、ちょうど正面にいる子供からの視線が気になる。……俺が、ただ過剰に気にしすぎているだけな気もするが。
車両は、そのまま梅小路公園の隣を走っていき。途中、公園に咲いている梅の花なんかも見ることができた。
そして、しばらく走った後に、停車。折り返しで、今度は前進していく。
ポーッと、再び汽笛が鳴って。
「なあ、雨森」
「どうしたの? 直樹くん」
「こういうふうに敷地内を、ってわけじゃなく。実際の線路上を今も蒸気機関車が走っていたりするところがあったりするんだけどよ。雨森は、そういうところに行ってみたいと思ったりするか?」
明るい顔で動く蒸気機関車を見ていた彼女に、俺はそう尋ねた。
雨森は少し考えてから、ぬいぐるみをぎゅっと抱きかかえて。
「ひとりでは、別にそこまでかな」
「そうなのか?」
「うん。でも、直樹くんとなら行ってみたいかなって思う。……植物園のときと、同じだね?」
ペロッと、小さく舌を出しながら雨森はからかうようにそう言った。ちょうど、鉄道博物館に来て最初の頃に、俺が彼女にそうしたように。
「そう、だな」
俺が少し戸惑いながらにそう返していると、ちょうど蒸気機関車も元の鉄道博物館へと戻ってきた頃で。
緩やかに減速していき、そして止まった。
「それじゃ、降りよっか。直樹くん」
立ち上がった雨森は、俺に向けてそう手を差し出してくれた。
「楽しかった! 直樹くんはどうだった?」
「俺もすごく楽しかったよ」
鉄道博物館から出て、京都駅まで戻ってきて。
ロッカーから荷物を取り出してから、彼女はグッと背筋を伸ばしていた。
ぬいぐるみは、なんとかキャリーケースに入れ込むことができた。やっと、周りからの視線を気にしなくてもよくなった。
「しかし、こうして今から帰るってなると。修学旅行のときもそうだったけど、ちょっと、寂しいものがあるな」
「それは、たしかにそうだね」
俺の言葉に、雨森がそう反応をした。
ちょっと、感傷的な空気になってしまって。俺はふるふると首を振って。
「でも、また来たくなったら、そのときにまた来ればいいんだもんな」
と。親友であり幼馴染から投げかけられたその言葉を、思い出しながら、告げた。
そんな言葉に、雨森もそうだね、と。
「よし、それじゃあ気を取り直して。お土産とか買って、帰ろうか!」
「うん!」
そうして、駅に併設されているお土産屋さんに入ろうとした、その後ろで。雨森が、ふと立ち止まった。
「どうしたんだ?」
「ううん、その、特になんと言うわけじゃないんだけどね」
雨森が、指をくるくると回しながらそうつぶやく。
言葉ではそう言っているが、この手癖が出るということはどうでもいいことではないのだろう。
「私って、直樹くんのことを直樹くんって呼ぶでしょ?」
「そうだな」
「他のみんなもおんなじように呼んでるから、それはまあ、いいんだけどさ」
急になんの話だろうか、と。そう思っていると。雨森は、少し顔を赤らめながらに。
「でも、私のことは結構みんな、名字で呼ぶじゃない」
「そうだな。俺も雨森って呼んでるし」
「その、ね。それ自体に不満があるとか、そういうわけじゃないんだけど」
雨森の、指のくるくるが加速する。
……さすがに、ここまで言われたら、俺でもある程度察するものがある。
とはいえ、ちょっと躊躇ったりしないわけではないんだが。まあ、他の誰でもない、彼女からの頼みなのだから。
顔が熱くなっていくのを感じながら、俺は彼女に近づいて。
「――――」
雨森の、名前を呼んだ。
「ひ、ひゃい!」
緊張をしているのはお互い様なようで。上擦ったような声で、雨森はそう答えていた。
「まあ、その、なんだ。まだお互いにこれは慣れなさそうだから。その……ふたりのときに、ちょっとずつ、な?」
「う、うん……!」
そうか、そうだよな。これからのことを考えるなら、名字で呼ぶのは適当じゃないか。いつかのことを、考えるならば。
未だに熱い顔を抑えつつも。俺は悶々とした気持ちを抱えながら、お土産屋さんへと入っていった。
おかげさまで、裕太たちに買うお土産を選ぶときに十分に集中できなかったが。ちゃんと喜んでくれていたので、大丈夫だろう。
ちゃんとしっかりと考えて選んだお土産を渡すのは、また、ふたりでどこかに行ったときにリベンジをすることにしよう。
と。棚の上に鎮座しているイルカのぬいぐるみを眺めながら、そんなことをちょっと、考えてみたりしていた。
ちなみに、本当に2等のイルカのぬいぐるみは当てました
マジでちょっと困惑しました
その後、京都鉄道博物館にイルカのぬいぐるみを抱えたまま行ったのかということについては。ご想像におまかせします
また、ニンジンのくだりについては私が5月末頃に京都府立植物園を訪れていたときに奇跡的に別の植物園に訪れていた友人から写真が送られてきました(他にもゴボウなどの写真もありました)
ちなみにその日はたまたまゲッカビジンが開花していたので見ることができました