#98 答え合わせ
「まあ、直樹の奇行については一旦置いておくとして。裕太は裕太でどうしたのよ」
茉莉は、ジッとこちらを見つめながらにそう尋ねてくる。
俺が今抱えている事柄は、ふたつ。とはいえ、話すべきなのか。……話すにしても、さて、どちらから話したものか。
「まあ、その、なんだ。ちょうどさっき、お土産のことで絢香さんに話しかけたんだがよ」
その言葉に。少しの間、茉莉の顔がしかめられたかのように見えて。しかし、すぐさま元に戻る。
「絢香ちゃんにお土産の相談? ……ああ、美琴さんや涼香ちゃんの分をどうするかってことね。たしかに、それは私も聞いておかなきゃだったわね」
茉莉の反応的にも、おそらくは俺の気にしすぎだったのだろう。さしずめ、発言の内容を一瞬怪訝に思ったところ、すぐさま理解して普段どおりに戻った、というところだろう。
直樹たちには伝えられないが、茉莉としても同居人……メイド仲間? という共通の立場があり、仲がいいふたりにはお土産を買っておくつもりのようだった。
「だが、そう思って絢香さんに話しかけに行ったんだが。なんか用事があるっぽくって話す前にすぐにどっか行っちまって。結局どうするか決められてないんだよね」
できるものなら3人で話し合っておきたいのだが、どうにもそれが難しそうな現状。果たしてどうしたものだろうか、と。
茉莉はそんな話を聞いて、ふうんと小さく応えて。
「わかった。それについては絢香ちゃんに私が聞いてきておいてあげるから安心して?」
「えっ? おい、でも絢香さんは今なにか用事があるらしいって――」
「大丈夫大丈夫、私に任せておいて。こういうのは、女子同士、同性だからできる話ってのもあるかもしれないし」
話題からは若干逸れているような気もしなくはないが。しかし、茉莉が自信満々にそう言うので、とりあえず任せておくことにしよう。
「それで? まだなにか解決してないことがあるんでしょう? この際だから全部言っちゃいなさい」
「……わかるのか」
「何年幼馴染やってると思ってるのよ。それくらいのことなら、顔を見ればある程度わかるのよ」
「さすがだな」
そう言うと、彼女はちょっと得意げに。それでいて少し恥ずかしそうに、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
しかし、本当に大したものだ。俺なんて、その幼馴染の気持ちにすら気づくことができていなかったというのに。
けれども、やっと気づくことができた。……そういう意味では、少しは彼女のことを理解することができたのだろうか。
「あのさ。もし、間違ってたら死ぬほど恥ずかしいことなんだけどさ」
……いや、本当に。これでただの勘違いでした、になると最高に自意識過剰の阿呆である。
でも、聞かなければいけない。これは、ハッキリとさせておかないといけない。
俺のためにも。絢香さんたちのためにも。
そして、茉莉のためにも。
現在地は、お土産屋の中。クラスメイトの距離も近い。内容が内容なだけに、他の人に聞かれるのは良くない。
……とはいえ、未精算の品物を持っているため、店内から離れることはできない。
できるだけ人の少ない方に来てから、小さな声で。周りの人に聞こえないように。
「それで、こんなところに連れてきてどういうことなのよ」
少し機嫌を悪くした茉莉に向けて。俺は小さな声で尋ねる。
「なあ、茉莉。もしかして、お前の好きな人って、俺か……?」
「…………はい? 今、なんて?」
「聞こえなかったか? だが、これ以上大きな声を出すとなると」
「ごめん、声は聞こえてるの。ただ、聞き間違えたんじゃないかなって内容で」
茉莉は顔を真っ赤にしながら、そう言い返してくる。
で、あるならばもう一度。しっかりと。はっきりと。
小さな声だけれども、彼女が聞き間違えないように。
「茉莉の好きな人って。俺、なのか?」
ここまで言っておいて、間違っていたら嫌だなあ、と。
茉莉に好かれていないのが嫌、というわけではなく。幼馴染に向かって、こんな体言を吐き散らしておきながら間違ってました、なんて格好がつかない、という意味で。
俺の言葉に、茉莉はしばらく固まってしまって。
そうして、やっと「あっ」とひとこと声を漏らしたかとそう思ったら。
ツーッ、と。彼女の瞳から頬に向かって。一筋の雫が伝っていった。
瞬間、完全にやらかしたと悟った俺は。どうしたものかとオロオロと慌てて。
しかし、彼女の口から零れ落ちた言葉は。思いもよらぬものだった。
「やっと。……やっと、なのね」
「…………えっ?」
俺は、彼女の言葉の意味を咀嚼することができず。ただ、浮いたままの歯で、そんな間の抜けた声を出した。
「ほんっと、あなたって人は。いったいどれだけ待たせれば気が済むのかしら。……でも、気づいてくれて、嬉しかった」
「えっと、茉莉?」
「ええ、そうよ。裕太の言うとおり。私が好きなのは、あなたよ」
しっかりと、はっきりと告げられたその言葉は。真っ直ぐに俺の元へとたどり着く。
解釈の余地のない、明瞭で、シンプルな答え。
俺のただの勘違いとか、自意識過剰ではなかったということが判明して安心した一方で、代わりに、ほんの少しの困惑と。大きな納得とが押し寄せてくる。
「本当は、この修学旅行が終わって。帰ったら、さすがに伝えようかと思ってたんだけど」
「ギリギリだったんだな。……いや、なにがギリギリなのかは微妙だが」
「にしても、まさか裕太が自力で気づくなんてね」
「まあ、完全に自力かというと微妙だがな。直樹の助けもありはしたし」
彼に質問する以前には、ある程度考えがまとまっていて。どちらかというと、その自分の考えの整理のための受け答えではあったものの。
しかし、その間にあった彼の言葉の助力もあったのは間違いないだろう。
茉莉は、そこは自力と言うことにしておけばいいのに、と。バカ正直ねとため息をつきながら。
「でも、直樹のことだから絶対に明言は避けてるでしょうし。そういう意味でも、自力で気づいたってことでいいと思うわよ」
「そういうものなのか?」
「そういうものなの」
彼女はそう言うと、満足そうに、嬉しそうに。ニッと、笑顔をこちらに向けてくれる。
その顔こそが、なによりも答えなのだろう。
「あの、茉莉。悪いんだけどさ」
「……ええ、わかってるわ」
さすがは幼馴染、といったところだろうか。あるいは、ここまでの流れをしっかりと見ていたから、だろうか。
言われずとも理解している様子だったが。しかし、これはしっかりと言葉で伝えておくべきだろう。その上でないと、ケジメがつかない。
「俺の方から聞いておいて、その上でかよ。というのは重々承知の上で言うんだけどさ」
「うん」
「返答については、待っていて欲しい。……今年中には、決断をするから」
「わかってる。こちとら数年間ずっと抱えてきたのよ。あと1、2ヶ月くらいどうってことはないわ」
絢香さん、美琴さん、涼香ちゃん。そして、目の前にいる茉莉。
4人の顔を思い浮かべながら、俺は少し考える。
本当に、すごいことになったものだ。
大変だけれども、ありがたいことだ。
そんな彼女たちの思いを無碍にしないためにも。真摯に向き合わなければいけない。
そのために必要なものは。みんなの気持ちは、知ることができた。
あとは俺が考えて、判断しなければならない。誰を選び、誰を選ばないのか、
秋ももうすぐ終わり、冬が訪れる。
年の瀬は。……タイムリミットは、もうすぐそこまで迫ってきていた。
お土産も買い終わり、京都での最後の昼食を摂って。
結局、美琴さんと涼香ちゃんへとお土産を買うには時間が足りなかったが、昼食の間に茉莉が絢香さんに聞いておいてくれたらしく。駅での最終ギリギリの買い物タイムでなんとかお土産を購入することができた。
「いやあ、ついに帰っちまうのか。……もっと長くいたかったなあ」
「まあ、旅行ってのはそういうもんだろ」
名残惜しそうに周辺を眺めている直樹に、俺はそう告げる。
そういえば、最初に京都に降り立ったときもこのあたりで彼と喋っていただろうか。
京都らしからぬビル街と、真っ白い京都タワー。そうだというのに、直樹の言うとおりたしかに少し寂しく思ってしまうのだから不思議なものだ。
「来たくなったら、また旅行しに来ればいい。行ってないところもたくさんあるしな。……気軽に来れるような距離ではないけど」
「それもそうだな」
「まあ、いつものように案内が必要なら、そのときは呼んでくれればついて行ってやるから」
俺がそう言うと、彼はこちらを向いて笑顔を見せる。
いつものとおりに見えたそれは。しかし、どうしてか少し寂しそうに見えて。
「ありがとな! ただ、もしかしたらその頃にはその必要もなくなってるかもしれないけど」
直樹のその言葉に、俺は少し考えてから。
「お前の、方向音痴が治るってことか?」
「あっはっはっはっ! そうなりゃいいが、俺の方向音痴はそうそう治らねえだろうな! たしかに、真っ直ぐな道が多い京都なら、もしかするかもしれねえけど」
直樹はそう言うと、先程まで大笑いしていたのが嘘かのようにスッと落ち着いて。遠くを見つめながらに言葉を続ける。
「まあ、なんだ。その頃にはお互い、それぞれなにかしらの変化があるかもだろ? それこそ、別に一緒に来る相手ができるとか」
「……ああ、なるほどね」
たしかに、それは邪魔するわけには行かないだろう。雨森さんと一緒なら、迷うこともないだろうし、問題もないだろう。
「しかし、仮に次があるとしても1年以上も先かぁ。ちょっと長く感じちまうよな」
「修学旅行から帰ったら、本格的に受験が始まってくるからな」
「それな。なーんで修学旅行が終わったらなんだろうなあ。1ヶ月ちょっとくらいオマケして、クリスマスが終わったらにしてくれたらいいのに」
「そうすると、今度は正月まで。節分まで、バレンタインまでってそのままあとに引きずるだろ、お前」
俺がそう指摘すると、直樹はへへっバレたか、と。舌を少しばかり出す。
「まあ、その、なんだ。お互いにいろいろと頑張ろうな。勉強もそうだし、それ以外のことについても」
「……そうだな」
直樹の言ったこと。彼が敢えて具体的に言及を避けたことについては、なんとなく察せられた。
直樹も直樹で幼馴染として、なんとなく気づいていることがあるのだろう。まあ、彼の想像とは打って変わって、現実というものはもっと奇妙なものなのだが。
そんなことを思っていると、小野ちゃんの号令がかかる。京都から帰らなければいけない時刻が、さすがに限界を迎えてきているところだった。
「よし裕太、小野ちゃんを困らせないためにもさっさと行こうぜ!」
「わかった」
タッタッタッと軽い足取りで駆けていく直樹について行く。
その、途中で。
「……なんだ?」
ふと、一瞬足を止めて、振り返ってしまう。
誰かに呼び止められたわけでもない。なにか気になるものがあったわけでもない。
けれども、どうしてか。振り返らずにはいられなかった。
「どうしたんだ、裕太?」
「いや、なんでもない」
直樹に呼びかけられて、俺は視線を元に戻して、再び歩き始める。
なにも、ないはずなのに。
どうしてだろうか。まるで、なにかとんでもない忘れ物をしたかのような。そんな微妙な不安感が、そこに残っているような、そんな気がして。