あの頃のバカな私へ。今の愚かな私より。
慣れない喪服に不快感を感じながら煙草に火をつける。
ふーっと長めに煙を吐いてやれば、いささか気分が晴れるような気がした。
昔はあいつが煙草を吸うと、すぐに咳き込みながら怒ってたな。
そんな私が、今や立派なヘビースモーカー。
あの時のあいつが知ったら、いったいなんて言うだろうか。
「……ははっ。
笑えない」
渇いた笑いが葬儀場の外の晴れた空にこぼれる。
「……にしても、あいつも偉くなったもんだねー」
改めて入口に殺到している人の波を見やる。
夥しい数の人が所狭しと入口に群がる。
皆が一様に神妙な顔をして、あいつに最後の別れを告げようとしている。
中には泣き崩れ、連れに支えられている人もいる。
「……あの頃とは大違いだ」
そう呟くと、あいつと一緒に過ごした5年が頭の中に甦ってくる。
絶対に売れてやるんだ!と、あいつはギター片手に意気揚々と宣っていた。
四畳半のすすけたボロアパート。
窓に腰掛けて、かっこつけながら歌うあいつ。
その片隅で目を閉じて浸る私。
「……はっ。
どこのB級ドラマだか」
当時のバカな自分に頬が熱くなる気分だ。
あの頃はあの部屋がすべてだった。
自分たちさえいれば他に何もいらない。
そんなどっかの歌詞で聞いたようなことを、私たちは大真面目にやってた。
私が働いて彼を養って、彼はいろんな所で路上ライブをやっては、いつか芽が出ることを信じてた。
売れたら結婚しよう、なんて、なんの保証もない言葉にほだされて。
それで5年。
正直、よく頑張ったと思うよ。
先に音を上げたのは私の方だった。
いっこうに売れる気配のないあいつに、私が愛想を尽かした。
あの選択を間違ったとは思わない。
きっと、私じゃなかったんだ。
そう、思っただけ。
そして、それはすぐにその通りだったと証明された。
人混みの向こうに、喪服に身を包みながらハンカチで目元を拭う綺麗な女性が目に入る。
その横には小さな男の子が懸命に泣くのを我慢していた。
あいつの葬式の喪主と、その息子だ。
あいつが売れたのは私と別れて、あの人と付き合い始めてから。
世界に対する文句ばかり叫んでたかつての歌ではなく、愛しい人への愛をしっとりと歌うスタイルに変えたあいつの歌は多くの人の心を揺さぶった。
そして、映画の主題歌となった作品の大ヒットを受けて、あいつは一躍時の人となった。
それで、すぐに結婚。
出産。
次々と話題を投じてくるあいつにメディアは食いついた。
ちゃらついてるくせに奥さん一筋で、テレビ番組でも惚気を披露していたのが余計に人々の支持を得たらしい。
特にあいつの遺作となった『最愛』という曲はあいつの最大のヒット曲となった。
愛する妻と子供に向けた恥ずかしくなるほどの愛の歌。
それに、人々は魅了された。
だが、かつての不摂生が祟っての急逝。
皮肉なことに、それによってあいつの歌はさらに売れた。
『……彼は私と息子にたくさんの愛をくれました。
出来ることなら、もっとともに時間を過ごしたかったですが、彼からもらった愛を胸に、息子と2人で生きていきたいと思います』
そう涙ながらに語った妻の気丈な姿に人々が心を打たれたことも拍車をかけたのだろう。
私はそれらの話をテレビで見ていた。
最初の訃報こそ驚いたけど、そのあとは特に何も感じなかった。
あの時の私のせいで、とか。
ざまあ、とか。
私にしとけば、とか。
あのポジションは私のはずだったのに、とか。
そんなよくある感情はわかなかった。
ただ単純に、ふーん、そうなんだ。ぐらいにしか思わなかった。
こんな私は薄情なのだろうか。
それとも、それほどまでにあいつは遠くの存在になってしまったのだろうか。
いまだにぐずぐずと日陰に生きる私に、キラキラと眩しい彼らはまばゆすぎたのだろうか。
未練がなかったと言えば嘘になる。
でも、よりを戻したいかと聞かれれば否と答えるだろう。
そんな感じ。
きっと、誰にも伝わらないんだろうな。
「……ふっ」
私は1人で微かに笑みを漏らしながら、再び口から煙を吐き出した。
「おー、こんな所にいたのか」
「……マネージャーさん」
「元、だけどな」
会場の隅にいた私を見つけて声を掛けてきたのは、あいつの当時のマネージャー。
この葬儀に呼んでくれたのもこの人だ。
当時、売れないあいつを精一杯売り込んで、いろいろと差し入れなんかもしてくれた人だ。
当時はそれがものすごく助かっていた。
事務所が変わってからもいろいろとあいつの相談にのっていたらしい。
「……あいつに、線香あげなくていいのか?」
「……あんな人混みに入りたくないですよ。
それに、あいつは今さら私の焼香なんていらないでしょう」
半分嘘で、半分ホントだ。
いらないとは思うけど、欲しがってほしいなんて思うのは私のワガママなのだろうか。
べつに今さら未練があるわけじゃないけど、それぐらい思ってもバチは当たらないだろう。
「……そんなことはないと思うぞ」
そう言って、マネージャーは私に1枚のCDジャケットを渡してきた。
「……なにこれ?」
見た瞬間に分かったが、わざとらしく尋ねてみる。
「……あいつの遺作だよ」
しんみりと微笑みながら呟くマネージャー。
知ってる。
毎日のようにテレビから流れてくるから。
「……『最愛』」
あいつが最期に残した作品。
愛する妻と子供に向けた生粋のラブソング。
「……これ、ちゃんと聞いたか?」
「……嫌でも耳に入ってくるよ。
毎日、そこら中から」
嫌味っぽくそう言うと、マネージャーはしみじみと呟いた。
「……そうか。
ちゃんと全部を聞いてはいないのか」
「……なんなの?」
少しだけ不機嫌になってみる。
焦らされるのは好きじゃない。
言いたいことがあるならはっきり言えばいい。
あいつとはそこで気が合った。
「……いいから聞いてみろ。
最後まで、ちゃんとな」
「……」
私はスマホを取り出して、『最愛』をダウンロードする。
オススメの一番トップに出てくるからすぐに見つけられた。
再生すると、耳につけたワイヤレスイヤホンから懐かしい声が流れてくる。
「……」
あいつが最愛の妻と子供に愛してるだなんだと囁いている。
出会いから苦難を乗り越えての結婚。
そして2人の愛の形である子供。
そんな2人の馴れ初めをゆるやかに語るような歌。
そして、歌は大サビへと入っていく。
『俺は月が綺麗だとか、そんなうまいことを言う頭は持ち合わせてない。
だから代わりに、何度でも君に愛してると言おう。
この想いが届くまで、届いたとしても、いつまでもいつまでも、君に、君たちに愛してるを言い続けよう』
「……」
私は何を聞かされてるんだろう。
元カレの、奥さんへの愛の呟きを耳元で囁かれる気分がどんなものか。
マネージャーはいったいなんで私にこれを聞かせるのか。
大サビが終わって、最後にポツリと呟くようにワンフレーズ。
『……かつてのおまえに言えなかった言葉。
俺はあいつに届けよう。
最大限のありがとうを』
「……!」
そういえば、あいつは私のことを『あいつ』とか『おまえ』とか呼んでいた。
まあ、私も同じだったから別に気にしてなかったけど。
「……あいつは、奥さんのことは『君』とか、『あの人は』とかって言ってたんだ。
あいつとかおまえだなんて言ったことは一度もない」
「……」
「……だから、この言葉は、この最後のこの文だけはきっと……」
「……ふっ」
「?」
私はふーっと空に向かって煙を吐いた。
「べつにどっちでもいいよ。
今さらそんな言葉。
もらった所でどうしろって言うんだか」
煙を吐いたまま、上を見上げ続ける。
いま下を向いたら、煙で染みた目から何かが溢れてしまいそうだから。
「……」
「……まあ、でも、あいつらしいっちゃらしいかな」
無理やり引っ込ませたそれを笑顔に変えて、私は顔をおろして、くるりとマネージャーに背を向けた。
「……マネージャーさん。
ありがとね」
私はそれだけ言うと、つかつかとその場をあとにした。
「……ああ」
マネージャーのその言葉を聞きながら、パンプスが奏でる変わらないリズムに身を任せる。
「……ホントに、バカなヤツだよ」
こんな不摂生な私だ。
きっと、あの奥さんよりも先にそっちに行くだろう。
そうしたら、奥さんが来るまでの間だけでいいから、私の話し相手になってくれるかな?
そしたら、煙草の一本ぐらいなら一緒に吸えるでしょ?