最終話 平民のち怪盗、のち婚約
「終わった……」
戻ってきても、結局私は周囲の助けの元で物事を成し得た。
これでもう毒を使った恐ろしい計画が実行されることはない。それだけが救いだ。
「ヴィール」
懐かしい響きに見上げると、眉根を寄せたニウが見下ろしていた。
「ニウ」
返す声は掠れていた。
ずっと怖くて会えなかった人。
「ああ、やっと」
ニウが膝をついて、私の両手をその両手で掬う。
元婚約者の逮捕劇にざわついていた場内が、さらにうるさくなった。
「やっと、会えた」
苦しそうに破顔して、額を私の手の甲に当てる。
どうしよう。
津波のように押し寄せてくる感情に抗えない。
期待していいの?
きいてもいいの?
「ニウ……覚えてるの?」
「ああ、覚えている」
俺は君の知る俺だ。
そうニウははっきりと言った。
私を再度見上げる瞳の強さに嘘でない事が分かる。
見間違えるはずがない。私のよく知るニウだ。
「ニ、ウ」
「ヴィール?」
こらえようとしたけど、俯いているのがよくない。
だめ、このままだと。
このままだと。
「や、ど、か、別の、」
「ヴィール」
何も言葉になっていないのに、ニウはそのまま私の片手を掴んで会場を後にした。
連れていかれる最中、ラートステが笑顔で手を振っているのが見えた。
会場はさらにざわついているようだったけど、私は自分のことに精一杯でそれどころじゃない。
「ヴィール」
急ぎ足で馬車に詰め込まれて、中でニウがまた跪いて座る私の両手をとる。こんな狭い中でと思いつつも、今は我慢するだけでぎりぎりだった。
ニウは再び見上げて、今度は心配そうな顔をして眉根を寄せている。
「ヴィール」
「あ、」
何か言わないとと思っても、耐えることが最優先で気の利いた言葉の一つも出てこない。
あ、とか、う、とか本当それだけ。
そんな私の様子を見上げたまま、静かにニウが告げる。
「泣いていい」
そんな風に言われたら、もうだめだった。
途端、ぼたぼた涙が零れ落ちる。
我慢しても止まってくれない。
「うっ……」
泣く私にニウの腕がのびてくる。
私の目元を指の腹で拭っていった。
ずっと、されていた所作。
懐かしいと思っていた手だ。
「ニ、ウ!」
少し腰を浮かしたニウの首に腕を回して飛びついた。
ニウはそのまま抱き留めてくれて後、反対側にうまいこと座って、そのまま私の頭を撫でる。
「よくやった」
「うん……」
「辛かっただろう」
「ちが、」
「?」
肩口に顔を埋めたまま、違うと訴えた。
確かに今日を迎えるまでニウへの気持ちに気づいて辛かったし、悲しかったし、さっきの元婚約者とのくだりは普段慣れないことをしたから大変そのものだった。
でも、今この涙はそういうのじゃない。
「ちがう……これ、は、嬉しくて、泣いてる!」
「!」
縋りつく私を優しい力で解いて離れさせた。
至近距離で向かいあっている恥ずかしさとか今はどうでもいい。
あ、でも涙で顔がぐちゃぐちゃなのはちょっと頂けないかもしれない。
いくらラートステのプロデュースした優秀な化粧品だって、ここまで泣けば意味がないし。
そんな余計なこととは裏腹に、ニウは瞠目したまま私の目元を拭い続ける。
「嬉しいのか?」
「そう。ニウがニウで、嬉しい」
私の言葉に今度はニウの瞳が揺れた。
決して泣くわけではなかったけれど、それでもその中で感情が揺れ動くのだけは見て取れた。
「ああ、やっと……」
絞り出される囁きは震えていた。
「う、ニ、ウ……?」
「やっと、俺の前で泣いてくれた」
それはどういう意味ときこうとしたところに、ニウはもう一度、私の目元を拭った。
安心したように微笑んで。
「ヴィール」
目元が赤くなっていたのは気のせいじゃない。
その表情にきけなくなってしまって、そのまま。
でもきっときいてもニウは教えてくれない気がした。
「もう一度、きちんとやらせてほしい」
「なに、を」
隣に座り、お互い半身を向きあう。
私の片手をって、それを口元に引き寄せるニウに、すぐになにをしたいかが分かった。
「ヴィール」
「ニウ」
薬指の付け根に唇が落とされる。
ああ、あの時もやった。
お手本で、ごっこだとそう言い聞かせた、私がまだ自分の気持ちに気づいてない時のこと。
「私と結婚して頂きたいと存じます」
あの時と同じ瞳だった。
深くてただ甘い。それだけで分かっていたはずなのに。
「お受け頂けますか」
今度はちゃんと自分の気持ちを言える。
「……喜んで、お受けします」
言い切って、そしてお互いに笑った。
こちらで最終話です、ありがとうございます!
明日日中補填でおまけをUPして終了なので、ぜひ明日もご覧ください!




