6話 何も起きないお泊り
年頃の付き合ってもいない男女がお泊りするって貴族では普通なの? いや私、適齢期すぎてるけど、それでもないでしょ。ありえないでしょ、さすがにそれは私でも分かる。
「嫌」
「なに」
「家に帰る」
立ち上がるとニウが結構背が高いことがわかる。確かにこの顔面でこれだけすらっとしてれば、社交界でも注目されるのかもしれない。
「駄目だ」
「なんで」
「汚れているだろう」
さっきから私の身なりに厳しすぎやしないか。取引成立したんだからいいじゃない。
それに埃まみれで寝るのは私も嫌だから、怪盗する日はきちんと湯浴みしてるし。
「家で湯浴みすればいいし」
「その姿で帰る気か」
「着替えは常に持ってきてるし」
普段着と逃走用の道具は常にラートステが持たせてくれてる。
私が危険なことをしていることに責任を感じているらしく、初めて情報をもらった時にそう言われた。その割には、かなり乗り気で衣装持ってくるけど。
「そこは黙って頷け」
「はあ?」
「はいはい、ピュールウィッツ伯爵令嬢。主人は女性に夜道を歩かせたくないんですよ。見送りもこちらの都合で今日はできなくて、かといって公爵家の馬車使うのも嫌でしょう?」
「一人で歩いて帰れる」
「公爵家から歩いて帰る女性がいたと知られると、見送りをしていない主人の評判に関わります」
それが例え侍女であってもだ。通常、貴族は夜間に人を送り出さない。実際はさておき、それがこの貴族街の礼儀。そこから逸脱すれば、その家の信用問題になってしまう。恐らく本人が抱えている事業も、社交の場での立場にも関わるのだろう。
目の前の男だって、屋敷の侍従たちを抱えているし家族もいる。そこに迷惑をかけるのは気が引けた。
「そっか……」
「ここは我々を助けると思って、お願いできませんか?」
「……侍女つけないで、一人にさせてくれるなら」
「はい! ありがとうございます」
「は? 侍女をつけない?」
信じられないといった顔をしたニウをホイスはどーどー言いながら丸くおさめ、そのまま私を案内してくれた。ニウが不服そうに唸りながら部屋に残るのを横目に部屋を出れて、私の心は少しばかり落ち着く。
「すみません、主人素直じゃないんです」
「素直とかの問題?」
「主人は伯爵の事を尊敬してました。だから伯爵が亡くなられから、貴方の事を案じられていたんですよ」
「パパの研究のことを心配するなら分かるけど、私関係ない気が」
「んー、あんまり余計な事言うと怒られちゃうんですよねえ」
困ったなあと言いつつも全然困ってなさそうな笑顔で私を一つの部屋に通した。
やっぱりここも豪華な造り。伯爵位だった頃の屋敷のどの部屋よりも広いし。
「左手の扉の向こうで湯浴みして下さい。準備は出来ています」
「え? 準備してある?」
なんで? 泊まるのが確定してから一瞬じゃない? なんか仕掛けでもあるの? それとも魔法でこういうことは簡単にできるものなの?
「んー、そこは企業秘密ですね。明日伺います。よい夜を」
「え、えと」
一方的に言うだけ言って扉が閉じられた。
ベッドの上にはご丁寧に女性用の寝間着まで用意されていた。
何故ある。
使うのがためらわれるぐらい上等なものだと分かった。けど、ここで使わないとまた名誉がどうこうという話になりかねなかったので、仕方なくそれを湯浴みの部屋に持って行くことにした。
今私が平民として使っている部屋と同じぐらいの広さの部屋で湯浴みすることになって微妙な気持ちを味わったわけなんだけど、それはもういっそどうでもいい。
「見知らぬ女が泊まる方が問題なのでは?」
味わったことのない上等なベッドで横になってふと思った。
ニウの見た目は私と同じぐらいの年齢で、左手に指輪はしてなかったけど、あの見た目に高爵位なのだから婚約者ぐらいはいるだろう。そうなると、その婚約者から見れば、浮気相手でも連れ込んだぐらいに勘違いされてもおかしくない。
「なんでだろ」
逃げられたら困るのは取引が成立しなかった時だ。今回は成立、私に圧倒的に旨みがあるから、ここまで歓待する必要もない。
それともあれか、余程協力しそうに見えなかったとか? 快く協力してもらう為に、貴族のいい生活を体験させたとか? いらないけど。
「……あ、いいや、考えるのやめ」
面倒になった。そもそもあの失礼な男の為に心を砕く必要はない。
もう寝てしまおう。そう思って瞳を閉じた。
「パパ……」
少し話をしすぎた。思い出されて胸が苦しくなる。亡くなって三年、まだ思い出しては泣きたくなるのを我慢した。
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