53話 時間をさかのぼるカンザシ
「王太子殿下にあんな挨拶でいいの?」
「問題ない。奴等を捕らえる為にいてもらなわなければならなかった。それだけだ」
「元婚約者と義理母を捕まえるためだけ?」
「ああ」
ニウのことだから、あらかじめ元婚約者を捕まえるために、公の許可は得てきているはず。当日なにかしらの不足があった時、その場で許可をもらえばできることが増えるから、王太子殿下にいてもらったということだろうか。
以前、裏側に入った時に大規模捜索するって、その場で王太子殿下の許可もらってどうこう元婚約者たちが話していたから、たぶんその手と同じかな。
だからって、全部お願いして自分だけ帰るのっていいの?
「……回って帰るぞ」
「うん」
表側では元婚約者が捕らえられたという衝撃的なニュースで、大いに盛り上がっているらしい。貴族たちの視線に晒され、平民の情報屋が新聞記事にするためにこぞって来ているのが、ちらりと見えた。
馬車を出せるほどの余裕がないようなので、庭を通って裏側から帰るらしい。
「そうだ、ニウ」
父からの手紙を渡した。
不思議そうにそれを見つめる。
「金庫、二重底になってて」
「いいのか?」
ニウ自身が私宛の父の手紙を読んでいいのかきいてくる。
元々そのつもりだった。了承すれば、ニウは真剣なまなざしで手紙を読む。
「こうなる事を知って?」
「たぶん」
「ヴィールが独りになると分かって、伯爵は、」
「ニウ」
「ヴィールは……」
少し待ってくれと言って、静かに息を吐いている。両親は未来を多少なりとも分かった上で死を受け入れたことになる。
私が一人になるのも、ニウが助けてくれるのも分かってて。ニウの助け頼みにしていることは、ニウに失礼な話だから怒りがわいても仕方がないと思う。
ニウの手に力が入った。同時、ずっと握られていた手に痛みが走る。
「っ」
「ヴィール?」
僅かな痛みに身体をふるわせると、ニウがすぐに気づいて手の力を緩めてくれる。
今になってやっと痛みがきたよう。
「怪我をしていたのか」
ニウが眉間に皺を寄せる。
見れば肌が出ている部分は切り傷が多かった。指先から肘にかけて。血が滲んで一部は肌の表面を流れている。まだ乾ききってないのもあるな。
緊張と色々な感情のせめぎ合いで痛みなんて感じてなかった。ニウが握る指先に私の血がついて汚れる。
「ニウ、離して」
「……」
「血がつくでしょ」
心底不服といった顔をして。
何を思ったのか、私の手首を掴み直して引き寄せた。
そのまま傷口に唇を寄せる。
「?!」
あろうことか舐めてきた。
舌を這わせて血を舐めとる。傷口を直接舐められるとピリっと痛みが走った。
「ニ、ニウっ」
「痛みは我慢しろ」
「そうじゃない!」
なんてことをしているの。
確かにこの程度の傷なら舐めときゃ治るレベルかもしれないけど、そんな会話してないし。
僅かに痛みを感じる以前に恥ずかしさに倒れそう。
肘から競り上がり手首、手の甲、手の平を通って指先に到達したニウは、そのまま私の指ごとぱくりと口に含んだ。
「ひっ」
悲鳴が漏れた。
なにしてるの。
指先で傷の痛みを感じやすいからか、ヒリヒリした痛みが指先から全身に走る。
「ニウ、やめて!」
「……」
じっとこちらを見下ろしながら指を口に含んでいたニウが、ゆっくり口を開けて離れていく。
無駄に色気振り撒いて……なんなの。こんなことをする必要ないのに。
「……もう」
「怪我をするような事をするな」
不機嫌そう。さっきの嫌がらせのつもり?
というか、怪盗している以上、小さい傷は多少覚悟の上だけど、それすらもダメなの?
「……せっかく簪戻ってきたのに」
掌に簪を乗せて改めて見る。義理母はこれに傷一つつけずにいてくれたらしい。奪われる前の綺麗な状態だった。
「魔石があるな」
「え?」
ニウが神妙な顔をして簪の一部分を指さした。
埋め込まれた小さな石。
「これ?」
「ヴィールの母君は東の国出身だろう」
あの金庫のことがあるなら、魔石を保有していておかしくないと。
ニウが魔石に触れると、確かに魔力があると言う。魔法が使える人間には分かるのか。
「だから時間を戻せるの」
「逆行するのに条件があるだろう」
あの箱と同じように。
「そういえば」
「どういった条件だ」
「えっと、」
母の手紙に書いてあったことを思い出す。
「逆行する人間の体液」
「体液?」
「血とか」
ニウに舐められた指先から、また血が滲んでいた。
ふき取るの忘れてた。でもちょうどいいか。
「こうして血を石にあてて」
「……」
「--ってまじない言葉を言うだけ、で、」
「?!」
ぶわりと何もないところで風が舞った。
私を包むように。
ニウが勢いと強さに驚いて、少し離れた。
「ヴィール?!」
「あ、れ、もしかして」
やらかした?
まさか発動しちゃった?
「う、うそ」
あの時と同じ。
逆行の瞬間はとてもきれいだったことだけはよく覚えていた。
最初に光の雪がたくさん降ってくる。私の足元から降り積もっていく。
そうだ、これが降り積もった後に空に還って、それと一緒に逆行できる。
「まさか」
ニウが察したのか驚愕といった顔をして私を見ている。
手放していた手を再度伸ばしてくる。光の粒が邪魔してニウの手が届かなかった。
「ど、どうしよう」
「この馬鹿!」
もう一度、ニウがこちらに手を伸ばす。
焦ったニウの視線と、すごく仕様のない困った私の視線が絡んだものの、何度も光の洪水が私たちを阻む。
降りてきた光の雪が天へ登り始めた。
だめ、戻ってしまう。
「やだ、ニウ」
光の雪に触れるか触れないか。
そこでニウの顔が完全に見えなくなった。
いや、戻りたくない。
「ヴィール!」
白く埋め尽くされた視界で瞬き三回。
目の前に現れた場所は金庫の前。
私の部屋だった。
たくさんの小説の中からお読み頂きありがとうございます。
この部分があったのでオープンにできなかったのですが、最終話告知です。
最終話はおまけ話こみ63話まで、来週日曜もしくは祝日に終了予定です。




