38話 推し尊い
やばい一気に緊張が身体を支配した。
近すぎて鼓動おさまらない。ああでも格好いい。まさか生きてる内に推しと、こんな近くで再会するなんて。運命? 運命なの?
「私の名を知って?」
「騎士団長様を王都で知らぬ者はいないでしょう?」
よし、なんとか淑女留めてる。さすがに推しの供給過多で床をごろごろするわけにはいかないし。
「ムデフ伯爵は中庭の警備を?」
「ああ。君が話題の令嬢だと聞いて、どうしても話してみたくなってね」
警備の合間を縫って私の元へ来たらしい。ふわあああここに私の墓標を立てよう。本日命日なり。
「ありがとうございます。光栄ですわ」
「嘘じゃないかと思っていたが、あいつの態度を見て本当なのだと確信した。まさかあいつが女性を連れて来るとは思わなかったな」
にやにや笑って人混みの向こうを見ている。ニウは全く見えない。
「彼と仲が良いのですか?」
「ああ、同じ時期に王城勤めになった縁で、そこから割と」
腐れ縁的な? あれ、ニウってあまり推しのこと話してくれなかったな。最初に推しを恋愛的な意味で好きなのか問われただけで、それ以降は一言もなかった。仲いいなら話してくれればよかったのに。
推しは物腰柔らかく、笑顔も眩しい。これがラートステの言う握手会というやつ? 近くてお話までできて、私今の数刻で何回か召されてる。
「あ、あの」
「?」
言い淀む私に、小首を傾け話すまで待ってくれる。ふわああ大人の対応すぎて身がちぎれそう。
頑張れ私。握手会があったら話したかったことをと思ってた。今しかない。
「ムデフ伯爵は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私、助けて頂いたことがあって」
搔い摘んだエピソードと、夜道の警備ありがとうございます、というよく分からない言葉を伝えると、意外そうな顔をした推しは微笑んでくれた。やば、国宝級の笑顔。国指定の無形文化財になるわ、これ。
「そうか……残念ながら記憶にはないが、君のような美しい女性を守れたなら騎士として本望だ」
ふわあああ推し続ける!
素直に覚えてないことまで教えてくれる挙げ句、謙虚な言葉! ラートステのいう張りのある人生はこのことを言うに違いない。
この場で好きだと叫びたい。
「おい」
「なんだ、時間切れか」
我に返る。
ニウが戻ってきた。とても不機嫌な顔して。
「会場の警備はどうした。さぼりか」
私を無視して推しを睨みつけるニウ。ひどい、私の推しに対する態度がひどい。
それに対し、推しは余裕の構えで、ニウを見てぶふっと吹き出した。
「なんだ面白いな。お前の為に御令嬢を守ってたんだぞ?」
「え?」
なにそれ、ふるえる。私を守る? 騎士に守られる? 推しに守られる? どういうイベント? これも握手会の一つ?
ラートステに確認しなきゃ。
「チッ」
「舌打ちすんなよ。彼女がその辺の貴族を相手にするよりマシだろう」
「……」
ニウの渋々感ハンパない。この広い会場で誰とも話さないままいるのはなかなか難しい。
となると、私が推しと話し続けることで他の貴族は迂闊に近寄れず、時間を稼げる。これが他の貴族だと次から次へと挨拶にくる可能性が出るから、ある種推しは人選として最適だったわけで。
推しが有能すぎて身体はじけそう。好き。
「なんだ、その顔は」
「え?」
「こいつの前だからって緩め過ぎだ」
「そんなことは」
「自覚がないのか?」
「あります!」
推しの前だから強く出れない。ぐぐ、ここで言われのないダメ出しされたくないし。
けど推しは心広くにこにこして私たちを見ているだけ。ああその心の広さは広がる空のごとく、そして澄んでいるわ、さすが推し。
「こら、そんな見るな」
推しを見るのを妨げられる。頬に手を添えてニウの方を向かされる。相変わらず不機嫌で眉間に皺寄せて。
「本当に仲がいいんだな」
推しが嬉しそうに頷く。いいえ、仲が良いわけでは。喧嘩ばかりですが。けど、それを言うのも憚られる。淑女ではないと言っているようなものだし。
「よかったな、ニウ」
「……まあな」
ニウの肯定に満足げに頷いた。
「ま、必要になったらいつでも呼んでくれ」
「ああ」
力になる、と推し。
やば、私の推しが頼りがいありすぎて辛い。
「雑に使うのはやめてくれよ」
「善処する」
ニウってば私に限らず騎士団長まで雑に扱うの。ひどいな。
「あ、そうそう。正式に彼女を紹介してくれないのか?」
敢えて私の名をきかなかったのは、ニウが隣にいる場できくためのようだった。気遣いがすぎるぞ、推し。格好よすぎる。
「紹介する気はない」
「女気のないお前が急に連れ立てば周囲も気になるだろう。おまけに周囲にあんなに牽制して。名すら明かさないのはどうかと思うぞ?」
ですよね。せめて、偽名を用意した方がよさそう。
謎の人物のままじゃ、そのうち怪しまれる可能性がでてくる。
「彼女はお前のなんだ? 婚約者か?」
違う。誤解を解かねばと口を開きかけたけど、ニウの方が早かった。
「そうだ」
「はい?!」
あれ、この展開どこかで見たよ。
というか聞いてないよ! 美術品とかに興味ありありの貴族設定ってことしか知らないし。
「ふーん……お嬢さん」
「は、はい!」
推しからお嬢さん呼び……思っていた以上にいい。鼓膜に焼き付けないと。
「こいつ、面倒くさい奴だけど、いい奴なんだ。よろしく頼む」
「え、あ、はい」
「うん、本当に可愛いな」
「ふわ?!」
可愛い! 推しが私のことを可愛いと!
隣で盛大な舌打ちが聞こえたけど無視だ。推しをもっと網膜に焼き付けておこう。瞳閉じても推しが見えるぐらいに。
「その様子じゃ、お前普段から彼女のこと可愛いって褒めてないな?」
「……」
むしろ可愛くないと言われた過去しかない。
「素直に褒めて、愛を語らないと愛想尽かされるぞ」
「お前もう帰れ」
ひどい、気遣いで声をかけてくれた相手に失礼すぎる。
騎士団長は気にせず、笑いながら庭に戻っていった。
ああ、にしても。
「推し尊い」
舌打ちがさらにもう一度。
もうこの様子が公爵としてアウトなのでは。
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