36話 お姫様抱っこ
だめ、これはだめ。だって直近考えてよ。あまり会いたくなかったところに、なんで逆に距離縮むようなことが起こるの。
離れようとしてもだめ。あろうことか、ニウったら身体を丸くしてさらにひっついてきた。
ニウの頭が私の肩口に埋まる。
「やめてって」
「……大人しく帰るか」
ぐっ、それを交渉材料に持ってくるのは卑怯すぎる。けど、この状況は早くどうにかしないと。
「……分かった。帰るから離して」
しぶしぶ了承する。なのに、なぜか離さない。ちょっとどういうことなの。
緊張やら恥ずかしさやらに心臓破裂するから。
「……」
ん?
なんだか妙に心臓の音がうるさい。
「あれ?」
違う、私じゃなくて、これってニウの音?
え、ちょっと待って、なんでこんなに速いの?
「ニ、ニウ」
訊いてみようかと思って、腕を回してニウの背に触れた時、重厚な扉が低い音を立てて開いた。慌てて息を殺してニウから手を離す。
「今日は買われないので?」
数名の若い貴族の女性が出てくる。
取引に男女差も年齢差もないのか。お金持ちなら、なんでもありなのかな。
「今回は心ときめく物がなかったではありませんか」
「その割には南の絵画をお気に召されてようでしたが」
「確かに中々良いものでした。ですが、私が今求めているものは絵画ではなく彫刻なのです」
ゆっくり回廊を進みつつ、品評会が始まった。女性はいつの時代もお話が好きね。
「貴方こそ! 売り物でもないのに、熱心に見てらしたわ」
「ああ、あの遥か東の国にある髪留めですか?」
私も同じものが欲しかったので、つい見てしまいました、と一人の女性が言う。
東の国の髪留め……まさか。
「東の国はそれ以上に価値があるのでしょう? 今後公爵閣下の手腕によって宝飾品が潤うと聞きました」
「まあそれは素敵ですわ」
きゃっきゃ喜ぶ女性陣を尻目に私は簪の可能性に息を飲んだ。
売り物ではないけど、誰かが持っている可能性がある。私の簪は奪われたのだから、その後、誰かの手に渡り使われていてもおかしくはない。
その人物がいるの? あの奥に?
「ヴィール」
近いところでニウが私を呼ぶ。聞こえないよう囁いて、抱く手に力が入って引き寄せられた。
「今日は駄目だ」
「どうして」
「こちらで調べている。直に分かる」
だから今日は引けと言う。
確かに今日はあくまで下見。あまり長居するつもりはなかった。
慎重にやらないとだめだとラートステにも言われている。仕方ないと身体の力を抜くと、ニウも息を吐いて身体の力を抜いたのが分かった。
そして盛り上がる貴族の女性陣が行きましょうと言って表側に出て行く。
「皆さん、戻りましょう」
「ああ、本日はブライハイドゥ公爵がいらしているのよ」
お、ニウの名前が出た。美女たちが黄色い声を上げている。まだ出入り口あたりでかたまっているな。声が聞こえたままだし。
「まあ素敵!」
「最近は中々お越しにならなかったから」
「私、ダンスのお相手をして頂きたいわ」
ニウすごいモテてる。見た目いいし、公爵だしな。少し顔を上げたニウの様子を窺うけど、何も読めない無表情。嬉しくないの。隙間から見えた女性陣、かなりの美人なのに。
「けれど、最近噂を耳にしましたわ」
「噂?」
「ブライハイドゥ公爵が最近女性を連れているようで」
「!」
おっと見られてた?
いや見られてない方がおかしいか。
「ああ、平民街を歩いていたという?」
「あら、私は公爵が管理されてる北東の辺境地に忍ばれていたと聞きましたが」
「まさか平民の女性と? 公爵程高貴な方が?」
「それもよく存じませんの。ただ女性と共にという事しか」
「私は高貴な生まれの婚約者がいると伺いましたけど」
どっちも私だ、なんてこと。平民街に至っては、ばれないようにニウ変装してたのに。やっぱり溢れる貴族オーラは隠せない。
そして私は高貴な生まれではない。平民だ。
「ニウ」
小さく呼ぶと、腰を抱く手に力が入った。
噂好きの女性陣は引き続きニウのことを話しながら、声が聞こえなくなっていく。もう境目にもいなさそう。
「私のこと、ばれてる」
「そうだな」
分かっていたかのような口ぶり。あれだけ何度も出かけていれば、誰かの目に触れてしまうのも当然か。
「これに着替えるんだ」
どこに持っていたと言わんばかりの服の入った袋が出てきた。ラートステからもらったのね。しかも中身が私の持ってきた予備より上等な服。よく圧縮できたな、これ。
ニウが背を向けている間に着替えて、表の社交場の壁からするっと出る。
「帰るぞ」
「ん?」
それなら私、怪盗として去ればよかったんじゃないの? と言おうとしたら、ニウの手が私の膝裏と背中に回された。
ふわっと浮いて、その浮遊感に驚く。
「ニウ?!」
「顔を胸に」
「え?!」
「ここで知られたくないだろう」
言いたいことは分かるけど。
見下ろすニウがいたく真面目に言うから、仕方なくその胸に顔を埋めた。こうなると周囲から私の顔は見えない。あれ、これでよかった? なんだか間違っている気がする。
「フッ」
ニウが軽く笑ってそのまま足早に進む。横抱きにされてるこの体勢はひどく不安定だったけど、ニウの触れる両腕はとてもしっかり私を抱いていた。
喧騒が大きくなり、人の多いところに出たことが分かると次は気づいただろう女性陣の軽い悲鳴と戸惑いの声が聞こえた。
やはり噂は本当だと騒いでいる。やば、やっぱりこれは目立つか。
「ニウ、噂に」
「ああ」
「いいの? 目立って」
「……ならばそろそろ社交界デビューをするか」
「まじか」
その言葉は使うなと、何度目かの言葉をもらった。社交界デビューか。
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