34話 淑女特訓、社交界ライン合格(ニウ視点)
「なんで!」
「どうした」
「どうして!」
「何がだ」
「いつも通りすぎない?!」
「?」
開口一番そう言われる身にもなってほしい。
ヴィールの機嫌が良くない挙句、何かに憤慨している。喧嘩腰や文句を言われるのは割とあるが、中身が不明瞭なのは久しぶりだ。
しかし良く分からないものは分からない。首を傾げていると、もうっと顔を赤くして背けた。
言及したい所ではあったが、フリフツン侯爵夫人が来る時間なので後回しにする。
「ほら、夫人がいらっしゃる」
「んんん」
「なんだ、その返事は」
* * *
すぐに義理母や元婚約者へのアプローチはしていない。
かわりに夫人のレッスンを強化した。予想通りというのか、必然というべきか、今後は社交界に出るようになる。ここで侍女レベルから引き上げる必要があった。今度は期限がないから時間もかけられる。
「では、ピュールウィッツ伯爵令嬢。昨日の続きからですね」
「はい」
元婚約者と義理の母親が関わっていると知ったヴィールはその理由を知りたいと主張した。こちらが把握してる限り不明確な要素もあるとはいえ、ヴィールの父親であるピュールウィッツ伯爵の死も関わってくるのは確定している。
ヴィールがまた悲しむのではと思うと知らないままにしてやりたい気持ちもあった。けど彼女の意志を蔑ろにするのはもっと嫌だった。
ヴィールの為に出来る事は全部やる。それは以前から変わらない。
「最近割といるね」
「いてはいけないのか?」
夫人のレッスンの合間の休憩にヴィールがこちらにやってくる。
今ではこんなに近くにいて、自分をその瞳に捉えてくれる。それは叶わないと思っていから、その現実がやってくれば満足すると思っていた。実際はどんどん足りなくなる。もっと欲しくなるとは割と自分は欲深いのだとここで知る事になった。
「ニウ仕事は?」
「心配されるまでもなく、こなしている」
「心配してない」
時間が過ぎれば過ぎるだけ吸収したヴィールはすっかり淑女の所作を学びきっている。
言葉遣い、お茶淹れを筆頭にした食事に関するマナー、姿勢と歩き方、知識教養、すべてまともになったし、化粧も自力で出来るようになり、淑女服も自分で着られる程にまで成長した。
侍女は顔を知っている者であれば、簡単な事なら身を任せるようになったから、成長しているのだろう。
指南役の夫人が嬉しそうにしているから問題ない事もわかる。
「訛りはまだ完全でないな」
ヴィールを褒める事が出来ないのは仕方ないと諦めている。自分の口は思っていた以上に頑固だ。ヴィールに触る事こそ簡単に出来るとはいえ、言葉は未だ他人行儀。
「へルック、普段は問題ないわ」
「ふふーん、どや」
俺の天邪鬼に夫人が返し、ヴィールがしたり顔で怪しげな言葉を使ってくる。ラートステが教えた言葉は中々消せないらしい。
それにヴィールが訛りなく喋れるようになったかは当に知っている。
たまに俺と話してる時だけ、ちらりと出るだけだ。
「ニウの前だと気ゆるんじゃうしね」
「え?」
「落ち着きすぎちゃって」
「それ、は」
「ピュールウィッツ伯爵令嬢」
「はい」
ヴィールはこういう事を平気で言う。何の気もなしに言っているのは分かっている。分かっていても、彼女の特別であるのではと思えるような気になって諦めきれない。
淑女として美しくなればなる程、そしてこれから人目に晒せば周囲は黙っていないだろう。そうなると自分と彼女だけの狭い世界が広がって、ヴィールはその広がった世界へ行ってしまう。俺の手を離れて。
「主人」
「……なんだ」
ふふふとほくそ笑みながら、こちらを見下ろすホイスの差し出した書類を見た。最近はここで仕事する事も割と当たり前に許してくれている。
それは有り難い事だが、だからといって自分の侍従にこんな風に笑われるのは気に入らない。
「重症ですね」
「五月蝿い」
「遊びじゃないんですか?」
「遊びと言った覚えがない」
わざとなのだろうが、中々失礼な事を言う。ホイスは幼少期からの自分付きの侍従だ。ナチュータンでヴィールと関わっていた事を知る数少ない人物で、こちらの心内を知る者でもあるのに。
「知ってますよ」
「からかうなよ」
「本気なんですもんね」
「だから、からかうなと」
「ふふふ」
ホイスは仕方ないとしても、関わりの浅い商人ラートステにすら、ヴィールへの気持ちはすぐばれた。何故本人には伝わらないのか。はっきり言葉でも伝えたのに。
「で? 進んでいるか?」
「はい。まあまだ足りませんが」
「なるたけ急げ。社交界に出てから長引かせたくない」
「ヴィールさんを人目に晒したくないからですか?」
「……ヴィールの伯爵位は」
「戻せますよ。それにはやはりもうひと押し必要ですが」
「そうか」
誤魔化しちゃって、と言うのを無視した。
ふと、ヴィールがこちらを見て目が合う。そして目を細める姿に心乱される。
目だけで笑いかけてくれるなんて。
ちょっとした瞬間に笑う姿に脳が焼き切れそうになる自分は自他共に認める仕様のなさだ。
それでもやはり、諦められない。
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