現状のWeb小説文化は後世に残るのか?
前章では「後世に残る条件」について考えてみました。
では、現状のWeb小説文化はこの条件を満たしているのかを考えてみたいと思いますが、結論を言ってしまうと個人的に考えた結果はNoです。
私が最もネックになっていると考えるのは作品のバリエーションです。
現状、Web小説から魅力的な作品が多く生まれているのは既知の事実であるかと思いますが、個人的に作品のバリエーションに偏りが生じているのではと感じることがよくあります。
もちろん流行りというのは必ず発生するものではありますが、実際に作者さんにインタビューをしてみると、「流行っているジャンルの作品を書かないと読者がつかないので、自分の好きなジャンルではないけど流行っているジャンルの作品を書く」というような声をいただきますし、たまにTwitterなどでも同じような内容で議論になっているかと思います。
つまりは、前章の多様性に関わる「本当に自分が好きと思える作品を書き続ける」という多様性に関する条件が満たせていないのです。
これは創作者が悪いと言うわけではないことに注意してください。
作品を書く以上、誰かに作品を読んで欲しいと望むことはとても自然なことですし、私もその欲求を強く持っています。たとえ自分の好きなジャンルとは別だったとしても、少しでも読んでもらえる可能性が高くなるように多くの人に向けた作品を書くことが合理的な行動なのです。
これは出版社からの書籍にも同じことが言えます。もちろん出版社としても利益を求めなければ企業を存続できませんので、より多くの人に求められる作品を世に送り出すことは合理的な行動ですし当然のことだと思います。
つまり、問題はこの合理的な行動自体ではなく、この行動が合理的であると思わせる文化の構造自体が問題なのです。
では、なぜこのような行動が合理的に思えてしまうのかというと、現状のWeb小説文化の構造が主に大衆向けの作品の流通経路でできているためで、その構造の上に文化が成り立っているからだと私は考えます。
この構造から、作品を世に送り出す創作者達は最初からマス向けにコンテンツを作る前提でなければ作品を文化に流通させることすらできないのです。これでは、「本当に自分が好きと思える作品を書き続ける」という条件を満たせません。
ただし、注意していただきたい事としてマス向けの流通経路が全て悪なのではありません。なぜなら、作品がマス向けに流通して爆発的に人気を集めることもあるからです。そうすれば文化にお金や人が集まるきっかけになるなどのメリットもあるからです。
あくまで、マス向けの流通経路の比率が高すぎるのです。
よって、この章のタイトルにある「現状のWeb小説文化は後世に残るのか?」に対する答えは、多様性に関する条件を満たせていないためNoとさせていただきました。