エゴサーチ ~あなたを探して~
「『あなた』を教えてください」
エゴサーチを試して、検索結果の最初に出てきたリンクをクリックして、最初に出てきた文字がそれだった。
エゴサーチ。
自分の名前やハンドルネーム。ブログの名前などを検索エンジンに入れて、自分自身を調べる行為のこと。自分が発表したものの反響を確かめたり、自分を名指しで批判している輩を見つけたり……要は強まった自意識の現れ。
でも、彼にとってはもっと軽いもののはずだった。
此花原都。それが彼の名前。「この世に自分一人しか存在しないだろう」という意図で、名付けられた名前。
原都自身も、そのことをよく分かっている。学校のクラスメートには「キラキラネームだろ」と鼻で笑ったり、からかわれることもあったりしたけど、原都自身にとっては逆に笑い返してやりたいくらいだった。
――そんな凡百な名前。お前は結局、「その他大勢です」って白状しているもんさ。原都は原都。俺だけだ。
そんな折、生徒たちの間ではやり始めたのが、エゴサーチだった。
原都たち小学生くらいだと、さすがに全員が全員パソコン持ちとはいえないが、ケータイ電話を扱っていない数の方が少ない。
その中の検索エンジンに自分の名前を打ち込んで、何がヒットするのか。
この点に関しては「凡百」がかえってメリットになる。有名なスポーツ選手から、マイナーな研究者。大学の卒論提出者の名前だって、どこかしらで同姓同名にぶち当たった。そのリンク先に飛んで、内容を見ながら騒ぐことが休み時間の楽しみになっている子が、増えてきたんだ。
原都自身、いまいましい空気を感じるとともに、ほんのわずかだけ気になっていることがあった。
――もし自分の名前を入れたとき、誰もヒットしなかったとしたら。
それは少なくとも、ネットワーク上で知れる範囲で、自分が本当に一人だけということを指す。
もちろん「此花」や「原都」だけならヒットがあるかもしれない。でも、人のフルネームとしてヒットしなければ……。
そう考えた原都は、家に帰ってから即行でパソコンを立ち上げた。
原都もケータイは持っているものの、みんなの前でいじってのぞき込まれるのはごめんだった。
まずは自分一人だけで、事実を確かめてやると、そう思ったんだ。
他のみんなの話を聞く限り、まず検索でヒットするのが、たいてい同姓同名の人物がやっているSNS。次に名前診断ときて、あとはまちまちだという。
そして原都の場合、一番上にやってきたのが「此花原都」とだけ書かれたリンク。SNSにつきものの紹介文すらなく、何気なくクリックしてみた結果が、あの「『あなた』を教えてください」だったわけだ。
大きめの黒フォントかつ、真っ白いバックのページに飛ばされ、原都は一瞬固まってしまう。
文字を入力するウインドウなどは表示されていないが、件の文の下で文字と同じ大きさのカーソルがしきりに点滅している。入力待ちである合図だ。
――あなたって……俺のこと、だよな?
画面は何も答えてくれない。
原都は少し考えてから、画面を戻る操作。幸い、操作を受け付けないなどということなく、戻ることができて、ほっとする。
下手な入力ははばかられた。個人情報を抜こうとするに、あまりにあからさまな手だけど、何かもっと違う目的があるんじゃないだろうか?
情報が足りていない。ここから、今度は例のメッセージを検索ボックスに打ち込んで調べるべきだろうけど、ちょっと気味が悪かった。このままパソコンで作業を続けるのは、危ないかもしれない。
トップ画面に戻り、ホームとしているページに写っているニュースの記事へ軽く目を通す原都。あわよくば、似たような現象が起きていることが載っているかも……と思ったが、そう都合よくいくわけもなく。
代わりにここ数日、たびたび目にした各地の停電に関することが、ピックアップされていた。ふとした拍子に一地域が同時に停電となり、音信不通になってしまう事故。最初に報告された地域も、まだ回復したという情報は入ってきていない。
原都はインターネットを終えると、パソコンのウイルスチェックを起動。異常がないことを確認し、電源を落とす。
デジタルは危ない香りがする。ここはアナログだ。
明日にでも学校でみんなから、じかに情報を募ってみるつもりだった。
驚いたことに、原都が思っていたよりも同じような現象に出くわしている人は、多かった。
原都が特に仲良く話している、保坂友也とアルベイン木戸も同じだった。
「僕も原都と一緒だよ。ぜったいやばい奴だと思って、即ブラウザバックさ。下手に何か入力したら、何を盗み取られるか、分かったものじゃないし」
「ハハハ、二人とも、おくびょうネ!」
友也の同意を聞いて、アルベインが笑う。
外国人とのハーフとうそぶいているものの、鼻は低いし、髪は黒いし、典型的な日本人体型。けれども、ハーフっぽさを維持したいのか、妙なアクセントでしゃべってくる。
「ボクはバリバリ、うけこたえしたヨ! ただし、べつじんとしてネ!」
「はあ? ウソの情報を入れたってこと?」
「イエス、イエス、イエス! アルベインの『ア』のじもはいっていない。ぱっとでてきた、ダレかさんのなまえだヨ!」
「それ、名前を借りた誰かさんに迷惑かかるんじゃないのか……まあ、いい。それで入力したらどうなった?」
「またアタラしい、しつもんがでてくるヨ! うまれたヒとか、すんでいるバショとか、かぞくコウセイとか……モチロン、ぜーんぶアタマにうかんだデマカセだけどネ!」
――それ、本格的にやばい奴と違うのか?
原都と友也は顔を見合わせて、いぶかしんだ。
内容だけ聞けば国勢調査にも思えるものの、時期が完全にずれている。まさか、その手のニュースが臨時で流れていやしないかと、原都はケータイを取り出した。
ところが、ネットの検索エンジンに文字を打とうとタップしたとたん、勝手にカーソルがグルグルうずを巻き出したんだ。
動作を実行中の合図。しばしの間を置いて、画面に現れたのは昨日パソコンで検索したのと同じ、「此花原都」の検索結果。
あり得ない。
このケータイでは文字すら打っていないはず。ましてや履歴に残っているなんてことは……。
「戻る」タップをして、またも渦巻き。けれども、ホームのページに戻ったわけじゃなく、その逆。突き進んでしまった。
検索のトップ。「此花原都」。真っ白い背景と黒いフォント。
「「『あなた』を教えてください」。
その日、原都はもうケータイにも、パソコンにも触れなかった。
親は仕事の関係で、朝早くから夜遅くまで家を空けている。ちょうど原都が寝ている間に、帰宅してはご飯の準備を済ませ、出勤していってしまう。直接、顔を合わせることはもう何日していないだろうか。
でも、相談だけでもしてみようと、ダメもとで電話をかけるもつながらず。
テレビももうつけられない。原都の家のテレビはリモコンで文字入力ができるようになっているのだけど、画面がつくやその文字入力のモードになってしまっている。
そしてすでに文字が打たれているんだ。
「「『あなた』を教えてください」と。
――まずい、まずい、まずい……。
原都はもう、文字が表示される機器へ近寄れなくなっていた。
きっとあのとき、リンクに飛んだ時点である程度の情報を抜き取られてしまっていたんだ。そして、その主はデータにない原都自身の情報を、どうにか引き出そうとしている。
――どうして? どうして俺が、探されなきゃいけないんだ?
エゴサーチはいわば、自分が自分を探す行為のはず。それがこうもあべこべに、誰かに自分を探られるハメになるなんて。
――アルベイン。アルベインはどうなったんだ。
今日の帰りに、アルベインは出まかせの人物の掘り下げをするとかのたまっていたはずだ。聞くに、質問は即答可能なものから、少し時間を要するものまで、昨日だけでざっと200問はこなしたらしい。それでいて質問は終わらず、いったん切り上げたのだとか。
かなり細かい経歴を尋ねてくることもあり、キャラを練り直さなくてはいけない、とも。
――あの質問。あの質問に答えていった先に、何が待っているんだ。
アルベインは、もうキャラを練ったのか。質問に答えきったのか。
もし出まかせでも、あの質問に答えなかったら、ずっと付きまとわれるんじゃ……。
不意に、家の電話がなった。
家には原都しかいない。とっさに出ると、電話口の向こうから、アルベインが息せき切った声で告げてくる。
「バルト! もう質問には答えたか?」
いつものうさんくさい発音がほとんど消えている。それだけ真剣、ということか。
「いや、まだだけど……」
「今すぐ答えるんだ! バルト! 分かったんだ、あの質問の意味。でも『バルト』のことじゃダメだ。『あなた』のことじゃないと」
「ど、どういうことだ? 俺じゃなくて、『あなた』のこと?」
「友也にはもう話した! バルト、僕じゃ君のことをほんの少ししか分からない。だから、『あなた』はバルト、君が思い浮かべて答えるんだ。最初に浮かんだものでいい。きっとそれが……」
電話が唐突に、ブチリと切れる。
同時につけていた家じゅうの明かりが一斉に消え、暗闇が降り立つ。
停電だ。ついにここにも、停電が襲ってきたんだ。バルトは慌てず、手探りで部屋の隅にある懐中電灯を手に取り、スイッチをつけてみる。
つかなかった。電池を一度取り出し、入れなおしてみても、こそりとも反応を示してくれない。
舌打ちして、目が自然に慣れてくるのを待つ原都。
ところが、普段とは違って一向に慣れてくる気配が見えず、それどころか、体そのものがだるくなってきた。
内から出てくる感じではなく、外からぎゅっと押さえつけられるような。自分を取り巻く大気の圧が一気に強まったように、360度をさいなめてくる。
――ただの停電じゃない。もしかして、アルベインの言葉に関係が……。
質問に答えようにも、ケータイを怖がり、自分から遠ざけてしまっている。テレビにもパソコンにも、もう指が伸ばせない。圧がどんどん強まって、すでに原都をその場に組み伏せてしまうほどになっていたからだ。
うつぶせに押さえつけられ、なおも強まる力の中で原都は必死に考える。
アルベインは、真っ先に思い浮かべた「あなた」を答えろということだった。バルトは「バルト」じゃない「あなた」を形作る。
ギリギリとこめかみあたりがきしみをあげはじめた。けれどそれは、肉の痛みを伴うものじゃない。ちょうど身に着けたイヤホン、ヘッドホン越しに、それが壊される音を聞かされているかのような、不思議な感触。
――見つけた。
バルトの脳裏に浮かんできた、ある一人の男の子だ。自分にうり二つの、けれども名前の違う男の子。
そう名前は、みう……。
バン、と大きな音がして、ゴーグル型のヘッドホンが外れて、床を転がった。
少年ははっとした表情で、あたりを見回す。自分はリクライニングチェアに腰かけ、目の前にはいくつものモニターが並んでいる。
見覚えのある景色が、その中にあった。それは先ほどまでいた家の中であり、通学路であり、彼らと語らった教室の風景であり……。
ただ違うのが、いずれのモニターにもいくつかの数値とグラフのようなものが浮かび、微妙に変化し続けていること。そして画面の真ん中に「緊急停止」という赤い文字が点滅しながら浮かんでいることだ。
「誠一、大丈夫か!?」
モニターを回りこむ形で、二人の男子生徒が自分に駆け寄ってきた。
「……友也? それにアルベインも?」
「は? 大丈夫? 僕は友也じゃない。江藤だよ。江藤光成」
「そんなこといったって、保坂友也そのものじゃないか。ほら、アルベインだって」
少年が「アルベイン」を指していうも、当のアルベインは顔に手をやって頭を振っている。そのしぐさに、無念さをふんだんにたたえて。
「しっかりしろよ。あいつは皆川克。そしてお前は三浦誠一だろ……」
そこまでいって、「友也」ははっと息を呑んだ。
「もしかして……きみ、『原都』か」
「ああ、どっからどう見たって、そうだろ? 俺は俺、『此花原都』さ」
その言葉に「友也」もまた「アルベイン」のように、頭を抱えてしまった。
それがVRゲーム「リバースライフ」の、最初で最後の試遊日に起きた事件だった。
わずか一時間で、プレイヤーは数年間の生活を体感で楽しむことができる、濃密さを持つ。しかし、その情報量の多さと濃さゆえか、作ったキャラクターと本当の自分との、自我の境界があいまいになり、混じり合ってしまうことがあった。
ゆえに、定期的に本来の「自分」を見直せるよう、システムが定期的にリアルの自分についての質問をしてくる。
ただし、その間隔とゲームへの没入感を損なわないよう、できる限り「メタ」な表現抜きで促すという判断を、開発側は決定的に誤ってしまっていた。
初めての質問の際、エラーを吐いた「リバースライフ」はひとりでに次々と緊急停止していってしまう。
結果、リアルの自分の質問に答えていない、答え切れていないプレイヤーは、自分に戻りきることができなかったのだ。
此花原都改め三浦誠一は、同じ時期に被害にあった者たちと同じ、特別な病院に入れられ、いまだ完全な復調ができずにいる。