86話・格闘少女ベリィーゼ
本殿の正面で、俺とベリィーゼは向き合う。
彼女は余裕を崩さない笑みのまま、派手な配色のパーカーを脱ぎ捨て、身軽な格好になる。
パーカーの下は黒のタンクトップ一枚だった。
意外にも自己主張が激しい胸部に目を奪われる。
エストリアよりも大きかった。
「……視線がエロいんだけど」
「気の所為だ」
「あっそ」
反論したが、まるで信じてない様子だった。
ジトッとした視線が背中に突き刺さる。
振り向くまでもない、俺の婚約者達のものだ。
「それより、まさかそのまま戦うのか?」
見た感じベリィーゼは素手のままだ。
魔法主体でも、俺のような事情が無い限りはドールのように必ず杖を所持している筈。
武器は隠し持つような性格でも無いだろう。
「武器? コレに決まってるでしょ?」
言いながら、ベリィーゼは己の拳を見せつける。
徒手空拳メインの格闘家ってところか。
武器が無い分、圧倒的な速さが売りだろう。
「アンタの方こそ、手加減なんて必要無いから。ま、手を抜こうが開始早々降参しようが、私は勝てるなら何でもいいけど」
「やたらと勝利に拘るんだな」
すると、突然彼女は笑みを消す。
弛緩した空気が引き締まる。
真剣な顔つきで、ベリィーゼは言った。
「……当然よ。どれだけ努力しても、結果が出さなきゃ何の意味も無いもの」
「そうか」
今の言葉で、俺は友人の幻獣を思い出す。
アイツも強さには貪欲だった。
親を失った過去を持ち、そのトラウマを払拭する為、強く在ろうと長い道を走っている。
まあ喧嘩っ早くて残忍なのは玉に瑕だが……生粋のものだろうし、仕方ない。
理由はどうあれ、強くなろうと努力している奴を、俺は嫌いにはなれなかった。
何を隠そう、俺もその一人なのだから。
「この勝負、お爺ちゃんも見てる。いい加減、私は一人前だって認めさせるんだから」
最後にベリィーゼはそう言い残し、くるりと背を向けて勝負のスタート位置に着く。
俺も自分の立ち位置へ向かう。
互いの距離は、約五十メートル離れていた。
その中間に審判役が立つ。
ギャラリーは円を作るように立っていた。
「では、始めるぞ」
「……」
「……」
審判が片手を上げる。
俺は片手剣を抜き、ベリィーゼは上半身を前に倒した攻撃特化の前傾姿勢に。
一瞬の静寂。
俺とベリィーゼの視線は交差し、ギャラリー達は始まりの時を待って固唾を呑む。
そして……審判の片腕が、振り下ろされた。
「––––始めえええええっ!」
「いくわよ!」
試合開始の合図の直後。
ベリィーゼは大地を蹴り上げ、猛然としたスピードで突っ込んで来た。
速い––––想像以上に。
慌てながらもカウンターを決めようと構えた。
が、彼女は目前で突然消える。
何処だ––––頭で考えるより先に戦いの勘が働き、即座に振り向いて片手剣を振るう。
予想通り、ベリィーゼは背後に潜んでいた。
今まさに俺を殴り飛ばそうとしていた瞬間。
しかし読まれていたのか、彼女は直前で拳を止め、バク転しながらムーンサルトキックを繰り出す。
狙いは、俺の手元。
鋭い鞭のような蹴りは右手を弾き飛ばし、片手剣を失わさせるには十分な威力だった。
剣がクルクルと空中に舞い、数十メートル離れた位置にカランと落ちる。
開始早々、武器を失ってしまった。
いや、そんな事はどうでもいい。
問題なのは、彼女の速度。
消えたと錯覚する程のスピードには、必ず何かのカラクリがあるはずだ。
まずはそれを見抜かないと、勝負にならない。
「反応は良いね。素人なら今の一撃で終わってるし、けっこーやるじゃん」
「そりゃどうも」
「けど……これならどう?」
再びの急接近。
俺も徒手空拳の構えを取り、迎え撃つ。
魔力を眼球に回し視力を強化するが……追えない。
視力強化は無駄と判断した俺は、純粋な肉体強化に魔力を回して少しでも耐久力を上げる。
さあ、来るならこい……!
「はあっ!」
正面からのハイキック。
しなやかな足先を受け止め、反撃しようとするが。
「遅い!」
「ぐあっ……!?」
彼女はまたも姿を消し、背中への一撃を浴びる。
ズキッと痛むが、重くは無かった。
超スピードの弊害か、打撃力はそこそこなので、速攻で倒される事は無いが……ジリ貧なのは事実。
やがてはじわじわとダメージが蓄積する。
動ける今の内に攻略しなければ、時間が経つごとにこちらが不利になるのは明白だ。
「だったら……『ウィンド』!」
武器と徒手空拳の次は、魔法攻撃
だが、これもあっさりと避けられた。
その後も何度か詠唱するも、被弾には至らない。
「今の、もしかして低級魔法? その割には殺傷力高めだけど……ま、当たんなきゃ上級も低級も変わらないよね」
軽やかに動き回るベリィーゼ。
ダンスでも踊ってるのかと錯覚する程だ。
魔法は魔力の消耗を激しくするだけだな……
「フゥゥゥ……」
集中して、彼女の動きを予測する。
目に見えるモノが全てでは無い。
音、匂い、気配……それらの痕跡を探る。
「……そこだ!」
「残念、ハズレ」
背後に正拳突きを放つ。
しかし、拳は空を突いただけ。
ベリィーゼの声だけが耳に残る。
「く……らあっ!」
今度は左斜め後方に蹴りを。
が、その攻撃も不発に終わる。
ダメだ、都合良く達人の真似事はできない。
仮に動きを察知する事が出来ても、速度が違いすぎて攻撃を当てる事も、避ける事も出来ないだろう。
本格的にマズイ状況に陥っていた。
「お父さんが言っていたわ。戦闘において重要なのは、スピード。速さを極めれば、攻撃も防御も思いのまま……こんな風に、ね!」
それまで動き回って撹乱していたベリィーゼが突然立ち止まり、大振りの右ストレートを放つ。
ただの打撃なら、容易に対処できる。
俺は僅かに体を傾け、右腕を使って彼女の右ストレートを受け流す。
そのまま反撃に出ようとしたが、彼女は不発に終わった右拳を左手で押し出し、流れるような動作で右肘打ちを完成させた。
技と技の隙間に生まれるタイムラグが殆ど無い。
格ゲー風に言うならコンボ技。
反撃に転じようとしていた俺は防御が間に合わず……ベリィーゼの右肘打ちをモロに受けてしまう。
「がっ……!?」
「ユウト!」
「ユウト君!」
ドールとエストリアの悲痛な叫び声。
そうだ、彼女達が見ている。
こんなところで、終われない……!
限界まで目を見開く。
決して逃さないと気迫を込めながら、倒れながらも左足で蹴りを放った。
とは言えこれも避けられる……そう思っていたが。
「あぐっ!」
良い意味で予想を裏切られた。
蹴りは吸い込まれるように彼女の脇腹へ当たる。
細い身体は魔力操作法で強化されているとは言え、体重も変化するワケでは無い。
軽い彼女は俺の蹴り一発で体勢を崩すに至る。
「く……!」
顔を歪めながら、ベリィーゼは一旦距離を取る。
俺も直ぐに立ち上がって体勢を立て直した。
頭にあるのは、先程の攻防。
何で今の蹴りは当たったんだ?
彼女の速力なら、余裕で避けれる筈。
それとも……避けられない理由があったから?
なにか引っかかる。
喉に刺さった、魚の骨のような違和感。
疑問はそのまま放置するな、考えろ。
「ふん、ちょっと油断したけど……あのくらいじゃあ、私は倒れない!」
意識を戦闘に切り替える。
そうだ、今は実戦の最中。
ゆっくり考える時間なんて無い。
「はああああっ!」
五連続の正拳突き。
その全てを避けられるが、構わない。
消える理由を探る為、攻撃を続ける。
「そんなの当たらないってば!」
「ぐ……おおおおおお!」
「っ、あーもう、しつこい!」
一発躱されるたびに、一発攻撃を受ける。
ギャラリーからは壮絶な殴り合いに見えるだろう。
実際はただのシャドーボクシングと変わらず、俺だけが一方的にダメージを受けているだけだが。
「はあっ、はあっ……!」
気づけば激しく息切れを起こしていた。
ほんと、俺っていっつもボロボロだな。
偶にはスマートに勝ちたい。
––––だが、その甲斐はあった。
目の前で突然消える技の正体。
その仕組みを、僅かながら掴んだ。
あとは悟られないよう、どう反撃に転じるか。
決着の時は、近い。