85話・里長の孫
ほんの少しと緊張と勇気を抱きながら前へ立つと、水晶玉に俺の姿が反射して写った。
もう一人の自分へ重ねるように、右手で触れる。
瞬間、選定の水晶玉が輝いた。
キラキラとした粒子が舞っている。
その様子を見てどよめく里長達。
彼らの反応からして、勇者の証明は出来たようだ。
息を吐きながらホッとする。
しかし、一安心した直後。
水晶玉は輝きながらも……濁った黒色に変色する。
その色は俺が魔法適性を調べる水晶玉に触れた時に染まった色と、そっくりだった。
嫌な記憶が蘇る。
濁った黒色……それは一時は俺から全てを奪った、低級魔法使いという呪いにも似た烙印の色だ。
「……ふぅー」
落ち着け、矢野優斗。
俺はもうただの低級魔法使いでは無い。
あの伝説の帝級魔法使いを倒した男だ。
これだって、単に勇者の魔法適性を調べる、付随的に備わっている機能が働いただけだろう。
勇者である証明に、何の隙も与えない。
–––––そう、思っていたのだが。
「て、低級魔法使いの勇者……?」
「低級勇者なんて、歴史に存在してないぞ!」
「勇者ではあるけど……大丈夫、なのか……?」
どうやら、彼らは違ったらしい。
里長の護衛達は、水晶玉の結果に困惑している。
勇者である事は分かった。
しかし、その勇者が最弱の象徴である低級魔法使いだった……という事実が受け止め切れず、どう対処していいのか分からない、そんな感じ。
俺はこの空気を知っていた。
体感するのは、二度目。
勝手に期待されて、失望されて、そして––––
「大丈夫」
そっと、左右の手が握られる。
優しく包み込むように。
温もりは俺の薄暗い記憶を抹消した。
「ドール、エストリア……」
「私達は、知っている。貴方が勇者だって」
「ドールの言う通りかしら。だから安心して」
微笑む二人。
その笑顔に、僅かに残っていた低級魔法使いという負い目が、完全に払拭されたような気がした。
俺を元気付けた二人は、そのまま里長達に告げる。
「この通り、勇者の証明はしたわ」
「ユウトは勇者、その事実に偽りは無い」
堂々とした宣言。
臆する理由など存在しないと言わんばかりの態度。
実際に、嘘は何一つ無かった。
「そっ、そうですよ皆様! 何であれ、ここにおられるのはあの伝説の勇者様! 我々勇者の血族、その始祖たるお方です!」
神主が説得するように言う。
他にも何人かの巫女や住職は俺が勇者だと認めてくれたが、里長の護衛達は未だ渋い顔をしている。
その里長もずっと黙って瞑目していた。
「……低級魔法使いじゃ、終焉の赤龍どころかその配下にすら勝てないじゃないか」
ポツリと誰かが言った。
言葉は波紋となり、周囲に広がる。
例え勇者でも、弱い低級魔法使いなら何の意味も無い……嫌な雰囲気が出来上がりつつあった。
ここで俺が「俺は強い!」なんて言っても火に油を注ぐだけで、何の解決にもならない。
ドールもエストリアもそれを分かっているのか、悔しそうな表情をしながら口を閉じている。
「待て、結論を急ぐでない」
「しかし里長!」
「我らだけで答えを出していい問題ではあるまい。議会の出席者達にも相談して––––」
このままでは収拾がつかなくなると判断したのか、沈黙を保っていた里長も発言する。
と、その時。
「––––ったく、いい歳した大人が揃ってごちゃごちゃ言い合って……みっともない。よーするに、コイツが強いか弱いかを確かめればいいんでしょ?」
一陣の風が吹く。
瞬間、何者かが本殿内に現れた。
明るい声音と小柄な体躯。
銀色の髪に真っ赤な瞳。
派手なパーカーを羽織り、ショートパンツの先からは小豆色のタイツを纏った両足が伸びている。
彼女は不敵に笑いながら、自信満々に言う。
「ねえアンタ、勇者なんでしょ?」
「……ああ」
「なら、アタシと勝負しなさいよ。それで私に勝ったら強い勇者、負けたら弱い勇者。どお? 白黒ハッキリして、アンタも楽でしょ?」
少女は勝負の誘いを言ってきた。
正直、目的がよく分からない。
そもそも彼女は一体何者だ?
突然の乱入者に困惑していると、里長がプルプルと震え……まるで噴火直前の火山のようにエネルギーを溜めてから、叫んだ。
「ベリィーゼ! 何度言ったら分かる!? ここは神聖な場所じゃ! お主のような未熟者が軽々しく立ち入っていい所では無い! そもそも学校はどうした、何故ここにおる!」
ドガガガッ! と、マシンガンのように言葉の弾丸を飛ばす里長。
対して『ベリィーゼ』と呼ばれた少女はどこ吹く風で、辟易しながら答えた。
「あーもう、折角カッコつけたのに台無しよ……」
「ワシの話を聞けええええええい!」
「さ、里長。客人の前です、落ち着いて……」
護衛に宥められてハッとする里長。
咳払いをしてから、再び俺と向き合う。
先程までの威圧感は、何故か既に消えている。
まるで近所のお爺さんのような雰囲気だった。
「失礼、取り乱した」
「いえ。それより彼女は一体、何者ですか?」
チラリと少女の方へ目線を向ける。
彼女は品定めするかのように俺を見ていた。
今までにないタイプの女性に気後れしそうになる。
なんて考えていたら、里長が口を開いた。
「この愚かもんはワシの孫娘じゃ、名前は––––」
「久保安ベリィーゼ。アンタを倒す予定の戦士よ、まあよろしく」
パチンとウインクされる。
ああ……この子、苦手なタイプだ。
騒がしくてノリが軽い、俺とは縁遠い存在。
「ところでお爺ちゃん」
「里長と呼べ、馬鹿者」
「いいでしょ別に。それより……さっきの私の提案、悪くは無いでしょう?」
「むむむ……それは、そうだが……」
里長の孫娘、ベリィーゼとの勝負。
彼女との対決で、今度は強さを証明する。
突拍子だが、確かに悪くない。
口頭であーだこーだ言うよりも、彼らの目に焼き付けた方が手っ取り早いだろう。
「俺は構いませんよ、久保安さん」
「……よいのか? いえ、よいのですか? ワシとしては、貴方様は既に勇者と認めていますが」
「ご理解頂きありがたいですが……それでは、里の人達は納得しないでしょう」
護衛や住職達を見ながら言う。
「貴方のお孫さんを実力で倒せば、嫌でも現実を受け入れてくれると、私は考えています」
「へえ、アンタも中々好戦的じゃない」
好戦的な自覚はあるのか、ベリィーゼは瞳をギラギラと輝かせながら俺を睨む。
パッと見で分かるが……彼女は、強い。
乱入した時の速度も眼を見張るものがあるが、今こうして立っているだけでもオーラが漂っている。
特級勇者に勝るとも劣らない気配を感じた。
「分かりました。ですが……あの娘は、ワシ自ら鍛えた戦士です。強いですぞ?」
「相手にとって不足無し、ですね」
それまでベリィーゼを咎めていた里長だが、彼女を強いと断言した時だけは、自慢の孫娘だと言わんばかりの空気を発していた。
ベリィーゼ本人も応えるように、胸を張る。
基本的には孫の事を可愛がっているのかも。
まあそんなワケで、里長の孫娘と戦う事になった。
「ユウト君。あんな女、軽く蹴散らすといいわ––––と、言いたいところだけど……」
「あの子、強い」
「分かってる、けど心配しないでくれ。ドールから教わった新技もあるし」
ドールとエストリアも感じたようだ。
ベリィーゼが纏うオーラを。
ただの高飛車な少女では無いのは明らかだ。
しかし……勝負をあっさり引き受けてしまったけど、これ大丈夫か? 負けたら全部台無しだぞ?
「魔導馬車との簡易契約、切っておくわ。今から戦うようだけど、魔力量は平気かしら?」
「まだ八割以上も残ってるから大丈夫」
「そう、安心したわ」
プツリと、魔導馬車との線が切れた感覚。
体から流れる魔力を感じなくなった。
これで何の制約もなく戦える。
「場所はどうするんだ?」
ベリィーゼに問う。
「本殿の前でいいじゃない。広いし人も少ない、何より先代勇者様の前で闘いを披露できるわ」
そう言いながらスタスタと歩いて本殿出る。
周囲の者も本殿を出て行くが、里長だけは「神聖な場を私闘に使うなあああ!」と最後まで叫んでいた。