80話・異層空間
レックスがゴールドランク冒険者と発覚した翌日。
俺は彼との出会いに驚きつつ、まあそんなこともあるだろうとすっかり受け入れていた。
今日は三人で米を探す。
観光地として名高いユナオンなら、名産品として米があってもおかしくない……と言うのはただの願望だが、探して損は無い。
仮に米が見つからなくても、美味しいものを三人で食べられたらいいなと思っていた。
因みに、今日は俺も浴衣姿で街を歩く。
「さーて、何処から探したものか」
「やっぱりお土産屋さんかしら」
「紹介人に聞くのも一つの手」
二人ともそれぞれ意見を出してくれる。
どっちも有用な手立てだった。
ユナオンは広く、闇雲に探しても時間を浪費するだけなので彼女達の方法を試すことにする。
「まずは土産屋を中心に探して、無かったら紹介人に紹介料を払って頼ろう。それでいいか?」
「ええ、合理的かしら」
「私はユウトについて行くだけ」
「おし、なら行くか!」
そんな感じで、意気揚々と宿を出た。
「……」
「どうした、エストリア?」
突然、エストリアの動きがピタッと止まる。
彼女の顔の近くには数匹のエナジーモスキートがフワフワとホバリングしていた。
「……いえ、何でも無いわ」
「お、おう」
彼女は硬い表情を浮かべていたが、柔らかく微笑みながら何でもないと言い、歩き出す。
違和感のある態度だが心当たりは無い。
仕方なく今はスルーした。
で、数時間後。
結論から言えば、米は見つからなかった。
土産屋を何店舗も周り、最後には紹介人も頼ったが、ユナオンでは流通してないと言われる。
米は商業都市ラックまでお預けになった。
今は三人で公園のベンチに座って休んでいる。
中央にある噴水の水がお湯で驚いた。
「薄々分かってたけど、いざ現実を突きつけられると悲しいもんだな」
「そんなに好きなの?」
青色の浴衣を着たドールが言った。
彼女の目には、俺がここまで米に執着しているのが不可思議に映っているのだろう。
「好きっていうか、俺の国の主食だったんだ。だから毎日食べていたよ」
「パンみたいなもの?」
「まあ、そうだな」
フェイルート王国の主食はパンだ。
とは言っても日本で食べていたような高品質なものではなく、基本的に硬くてパサパサしている。
王族や高位の貴族になると比較的柔らかいパンを食べられるが、豊かな国で育った現代っ子の俺からしたら正直違いが分からず、いつもは多くの平民が食べているパンと同じものを食していた。
「私も食材はいつもフェイルートから仕入れていたから、食べているものはフェイルート人と変わりないわ。森で栽培しているのは魔法薬の材料になる植物ばかりだし」
薄紫色の浴衣を着たエストリアが言う。
今まで深く考えていなかったけど、エストリアやドールとの結婚って国際結婚なんだよな。
俺の方がもうこっちの世界に染まりつつあるから、今更文化の違いですれ違う事は無いだろうけど。
父さんや母さんが知ったら、なんて思うかな。
真面目な母さんはまだ十七歳の俺に結婚は早い! とか言って怒りそうだけど、最後には納得して応援してくれる……そんな気がした。
父さんは色々と雑でいい加減だから「お前の好きなように生きろ」とだけ言うだろう。
いや、高校入学した時にもう言われたっけ。
これからは何でも、自分で考えて決めろって。
あの時はいい加減な人だなあって思ってたけど、今考えたら子供の自由を許してくれる、良い父親だったんだと理解できる。
「……会いたいな」
ポツリと。
口にするつもりは無かったのに、不意に高まったホームシックは気づいたら声になっていた。
「あ、ごめん、何でもない」
「……家族のことよね?」
「……」
エストリアに聞かれるも、答えられない。
俺はこの世界で生きると決めた。
だから帰還の方法もロクに調べてない。
しかし沈黙は雄弁に、肯定の意思を語っていた。
「ごめんなさい……」
「……なんでドールが謝るんだよ」
「だって、私達の都合で貴方を呼んでしまった」
ドールはまるで自分が召喚したかのように言う。
「違う、俺らを召喚したのはあの狂った王だ」
「でも……」
「事実だ。そして奴は報いを受け、死んだ。ドールが責任を感じる事なんて––––「待って、ユウト君」
突如エストリアが声を荒げる。
彼女は立ち上がり、辺りの様子を伺っていた。
次第に顔色が悪くなっていく。
「ど、どうしたんだよ」
「おかしいわ、さっきまで沢山の人が公園に居たはずなのに……今は私達しか居ない」
「そんなワケな––––は?」
反射的に発しようとした言葉を、自ら遮る。
目前に広がる光景。
本来なら歩き疲れた観光客達があちこちで休憩をしている筈が……彼女の言う通り、影も形も無かった。
まるで世界中の時が止まったかのような感覚。
不気味な程静かな空間は、居るだけで不安になる。
何故こんな現象が……?
「……まずい」
「ドール?」
「異層空間に落とされた」
「い、異層空間?」
なにかを察したドール。
異層空間とやらについて聞こうとした瞬間。
僅かな殺気を、感じた。
「っ!」
咄嗟に魔力操作法で肉体を強化し、カウンターの要領で自らの背後に回し蹴りを打ち込む。
それはただの偶然、勘。
技術と呼ぶには拙く、経験と評するには浅すぎる。
だがエストリアの館にいた頃、毎日のようにケルベロスから突然の鍛錬を仕掛けられていた俺は、自分でも知らない間に『野生の勘』が鍛えられていた。
結果、それに救われる。
「おらあっ!」
「がっ……!?」
反撃されるとは思っていなかったのか。
俺の回し蹴りは襲撃者に直撃した。
メキャリと、右足が襲撃者の腹部へ吸い込まれるように当たり、吹き飛ばす。
「ドール! エストリア!」
二人の名を叫ぶ。
彼女達は瞬時に戦闘態勢へ移行した。
次の不意打ちを警戒し、三人で円を描くように陣形を組んで互いの背中を預ける。
「……さっきの続きだけど、異層空間って何?」
「簡単に言うと、魔法で作ったもう一つの世界」
「私達はそこに落とされたわ。いつのまにか、ね」
つまり俺達は既に敵の攻撃を受けていたが、直前になるまで気づかずにいた。
……俺が未だに元居た世界への未練を引きずっていたからだ、情けない。
「異層空間……確かにそれなら、今朝使い魔との連絡が一瞬取れなくなったのも理解できるわ」
「そんな事になってたのか?」
「ええ、本当に一瞬だったから気にしていなかったけど……恐らく索敵能力に秀でたエナジーモスキートに見つかりそうになった彼が、姿を隠す為に異層空間を構築したかしら」
言いながら、エストリアは襲撃者を指差す。
「う、ぐっ……」
「アイツ、まだ立てるのか!」
全力では無いが、骨を数本折る勢いで繰り出した。
そんな回し蹴りを受けた謎の襲撃者は、よろめきながらも立ち上がり、まだ戦う意思を見せている。
その姿は異様だった。
頭の先からつま先まで、黒装束で覆っている。
顔は髑髏の仮面で隠されていた。
年齢も性別も分からない。
意図的に正体を隠していた。
そして先程の襲撃。
これらを組み合わせた結論は、ただ一つ。
「暗殺者、なのか……?」
「可能性は高い」
「でも、誰がそんな事を? 私は人から恨みを買う程、まだ表を出歩いてないわ」
エストリアはそう言っているが、恨みなんてモノは自分が普通に生きているだけと思っていても、相手が勝手に抱く感情なのでどうしようもない。
いや、恨みに限らず……世の中の悪感情は、大抵が抱く側に依存しているものか。
ドールの父親の、嫉妬に狂った王のように。
「二人は暗殺者がまだ潜んでいないか警戒しつつ、余裕があったら援護してくれ」
「……来る!」
ドールがそう言った瞬間、暗殺者は懐から黒塗りのナイフを取り出し、投擲した。