61話・スリーファンタジー(別視点)
「氷塊よ。砕け、散り、新たな姿となりて敵を穿て! 『トライデント・アイスランス』!」
ドールに訪れた、千載一遇のチャンス。
彼女は空から滑空しながら魔法を唱えた。
浜崎に迫る、三本の氷の槍。
彼は両手を巧みに操り、三本全ての槍を叩き落としたが––––槍と同時に空から飛来していたドール本人は捌き切れず、右足の膝打ちを額に受けてしまう。
くらりとノックバックする浜崎。
その隙にドールは彼の背後に回り込み、杖で首元を押さえつけながら後方に倒れる。
そのまま絡ませるように両足で浜崎の下半身を縛り、身動きを封じた。
彼女は魔法以外の戦闘技術も習得している。
接近戦も素人では無かった。
「ぐ、が……!」
杖で首を絞められる浜崎。
逃れようと暴れるが、乱れた呼吸では魔力操作法も上手く機能せず拘束を解けなかった。
「このまま、落とす……!」
「……ぐ、う……が、ああっ!」
ドールは残っている魔力の殆どを肉体強化に回す。
そうでなければ腕力で劣る彼女は、浜崎を絞め落とす事が出来ないからだ。
(くそっ! 何故俺が追い詰められている!? 俺は有利な立場に驕らず、慎重に戦いを進めていた筈! 自滅した海斗とは違う……なのに何故!?)
呼吸困難で薄れる意識の中、浜崎は自分がいつミスを犯したのか必死になって探していた。
この窮地から逃れる方法では無く、汚点を認めたくないが為に過去の過ちを掘り返す。
彼は中途半端にプライドが高い。
光山や才上には敵わないと認めながら、鮫島や新谷など、自分が勝てそうな相手は見下し、自分はこんな奴らとは違うと、一人悦に浸っていた。
だから物事はなるべく、慎重に進める。
しかし、慎重なだけでは勝利は生まれない。
慎重に物事を観察するからこそ、何かしらの利益に繋がるのであって……ただ傍観しているだけなら、それはただの臆病者でしかなかった。
だから浜崎は気づけない。
自分が嵌った罠に。
ドールが伏せていた策、それは––––時間差。
彼女はハンドレッド・エアカッターを発動した時、全ての刃を一斉に射出したワケではなかった。
一発分だけ、自分の背中に隠していたのだ。
仕組みとしては単純明解。
けれど魔法の応用を理解し切れてない浜崎は、エアカッターのように一度に複数の現象を生成する魔法の中で、一つだけを維持する技術を知らなかった。
知らないなら、対策をする事は出来ない。
経験と技術。
その差が勝敗を分けていた。
(あと、もう少し……!)
「ふ……あ、が……!」
浜崎の体が痙攣を始める。
あと数秒で完全に『落ちる』だろう。
彼の意識は、風前の灯だった。
(……嫌だ……俺は、あんな奴らとは違う……)
浜崎の心が、灰色に染まる。
受け入れ難い現実に、拒絶反応を示していた。
そして––––
「……ぁ、ああああああああっ!?」
「うそ……っ!」
バキイイイイイイッ!
ドールの杖が、砕け散る。
機能していなかった浜崎の魔力操作法が突如復活し、彼に強化された腕力を授けていた。
「どけえええっ!」
「あがっ!」
起き上がった浜崎は、ドールの体を蹴り飛ばす。
彼女は紙のように吹き飛んだ。
転がる瞬間、ドールは今まで服の袖で隠れて見えていなかった浜崎の右手首を見て驚く。
(あれは……腕輪? 何かの魔導具……?)
大きな宝石が埋め込まれたブレスレットだった。
その宝石が、これでもかと言わんばかりに光る。
輝きと呼応するかのように、浜崎の体から溢れる魔力も徐々に強まっていた。
「うおアアアアアアアアアアアアッ!」
ビキ、ビキ!
肉と骨が変質する音が響く。
浜崎の魔力操作法は、肉体の限界を超えていた。
溢れ出る魔力に体が耐えられていない。
「すごい、スゴイぞこのチカラは! 才上も良いモノをくれるじゃああああああああああひゃはあはあはああははあああああははねえかああはあはっ!」
暴走する魔力に身を任せる浜崎。
呂律が回ってないのか、デタラメな言葉を繰り返しては自らの力に酔いしれている。
ここに、制御不能の怪物が生まれた。
「おおおおおおまままっ、えええ、を、ををををっ、を! ここカコカコココろ、スアウア!」
浜崎は顎を開きだらし無く舌を出すと、意味不明に発狂しながらドールへ襲いかかる。
右腕が異常に発達し、黒く変色していた。
迎え撃つドールは、最も殺傷能力が高いと名高い火属性の魔法を詠唱する。
目前の怪物に、手加減などする余裕は無かった。
「渦巻く火炎は灼熱地獄『フレアトルネイド』!」
「あっひゃあアアアアアアアアアアッ!」
紅蓮の竜巻に浜崎は呑み込まれる。
フレアトルネイドは炎の竜巻を発生させる魔法。
直撃すればまず、火傷では済まない。
……にも、関わらず。
「いひひひひっ、き、きききか、な、いー!」
「そんな……」
ノーダメージ。
否、傷を与える事は出来ていた。
しかし即座に回復している。
治癒能力が際限無く発揮されていた。
「ししししししねねねねねねねね!」
暴れ狂う、特級勇者『だった』男。
力に支配されたその末路は見るに堪えない。
だが、ドールは彼に恐怖を抱いていた。
理解できない恐怖。
未知への怖ろしさ。
異常に対する嫌悪。
恐れを根幹とする感情にドールの体は……硬直する事無く、見事恐怖を乗り越えた。
(こんな危険な奴を、野放しにできない……!)
生まれついての責任感からか。
あるいは、もっと単純に……愛する婚約者の元に、この怪物を行かせたくないからか。
とにかくドールは、刺し違える覚悟で立ち向かう。
「––––ありがとう、ドール」
そんな少女の奮闘に。
ようやく、魔女は応えた。
神話に伝わる、本物の怪物を従えながら。
「あとは、私に任せて」
「エストリア……」
フワリと、魔女は優雅に戦場へ立つ。
枯れた大地に咲く一輪の花。
しかして、その背後に潜むのは––––
「やりなさい、クラーケン」
「––––■■■■■■■■!」
神が、降り立った。
無数の手足と青色の巨躯。
ギョロリとした剥き出しの眼球。
潜在的な恐怖を植え付ける、海の大王。
タコによく似たその怪物の名は……クラーケン。
ケルベロスと並ぶ最強の幻獣種『スリーファンタジー』の一角にして、魔女の使い魔。
負傷していたケルベロスと違い、今のクラーケンは幻獣姿な上に健康そのもの。
完全に100パーセントの力を発揮できる状態。
いくら特級勇者と言え……否、ただの怪物に堕ちた浜崎にどうこうできる相手では無かった。
無機質な眼が、獣と化した勇者を射抜く。
「あ、ああアア? た、たこ、たこたこたこたこたこたこたこ! うひゃあああはははは!」
知性を失った浜崎は、力量差を計る事もできない。
無謀にも、真正面から挑んだ。
強化された脚力で、高く跳躍する。
「うおらあああああああああ!」
変形した右腕を振るう。
クラーケンの体に当たりはしたが……ぐにょんと弾み、押し返されて逆に吹き飛ぶ。
そして空中に浮いている最中、シュルリと伸びたクラーケンの触手に捕まり、円を描くように振り回された挙句に地面へ叩きつけられた。
水風船を床に叩きつけ、中身の水が勢い良く流れ出すように……浜崎の体は破裂し、真っ黒に変色した血液が地面を汚す。
それが彼の、呆気ない最期だった。
◆
決着がついて、数分後。
クラーケンはハマザキの死体を貪ってから、煙のように冥府の森から退去した。
「クラーケン……すごかった」
ドールは半ば放心状態だった。
爆発的に力を手にした浜崎を、文字通り虫けらのようにあしらった光景が衝撃的だったのだろう。
「ケルベロスより強いからね、クラーケンは。でも、とても面倒くさがりで呼んでも中々来てくれないのが扱い難いのだけど……」
「でも、来てくれた」
「そうね、一応は契約しているから」
ドールは微かな恐れを抱いた。
あんなバケモノを従えているエストリアに。
彼女がその気になれば、フェイルート王国など一夜にして手中に収める事だって出来るかもしれない。
無論、彼女がそんな事をするとは思えないが。
「さ、早くユウト君を追いかけましょう」
「! そうだった、急ごう」
エストリアが新たなワイバーンを召喚する。
二人はその竜に跨り、ユウトを追う。
移動中、少女達は同じ願いを秘めていた。
どうか、無茶はしないでくれ、と。
同時に––––それが叶わぬ願いだという事も、認めたくないが理解していた。