48話・私を攫って
冥府の森に来て、三週間以上が経った頃。
「ユウト、傷の具合はどう?」
「もうかなり良くなったよ」
「そう……よかった」
就寝前。
俺はドールから傷の具合を聞かれていた。
体調は少し前から万全に戻っている。
彼女は俺の体に触れながら言った。
「弱くて、ごめん」
「どうしたんだよ、急に」
「だって、ユウトは優しいから。私や他の誰かが危なくなった時、躊躇なく『力』を使う」
「それは……」
否定出来なかった。
神纏は諸刃の剣。
使えば俺も傷付く。
それも恐らく、使えば使うほど。
二度目の使用は三週間ちょっとで回復したが、これ以降使えばもっと悪化するかもしれない。
いや、それすらも楽観的だ。
『次』なんて無い事も考えられる。
それに俺自身、神纏に頼っている自覚はあった。
ピンチに陥れば迷わず使うだろう。
ドールは、それが恐ろしいと言っている。
そして何も出来ない自分が不甲斐ないと。
だが、彼女はそれで終わらなかった。
「私、強くなる」
「……」
「もっと、もっと……それこそゴールドランクの冒険者になれるくらい、強くなる」
揺るぎない意志。
炎のように熱く、鉄のように硬い。
だから、と彼女は続けた。
「お願いだから、無茶しないで」
「……ああ、約束する」
「ん、約束」
彼女はぎゅっと、抱きしめてくれる。
俺もドールの頭を撫でた。
暫くそうしてから、二人一緒に眠る。
同じベッドで寝るのは最早習慣になっていた。
もちろんエロい事はしてない。
と言うか、させてくれなかった。
◆
翌日。
俺達は三人で最後の朝食を食べていた。
エストリアの館からも、今日で退去する。
何故か?
勿論、俺の傷が完治したからだ。
元々そういう約束で館に住んでいたのを、昨夜傷の回復を確認している最中に気づいた。
「なんか、あっという間だったな」
「そうね……でも物事なんて、終わってみれば大抵そういうものじゃないかしら」
エストリアが紅茶を飲むながら言う。
この光景も、今日で見納め。
そう思ったら、凄く寂しくなってきた。
「貴方達は、これからどうするの?」
「ま、普通に王都へ帰るよ」
「陛下に報告する。魔女の協力は得られなかった」
「……ごめんなさい」
ドールが言うと、エストリアは謝った。
複雑そうに顔色を変えながら。
彼女のそんな顔は、見たくなかった。
慌ててドールが訂正する。
「違う、そういうつもりじゃない」
「でも……」
案外情に弱い魔女さんだ。
本物の外交官ならそこを狙って容赦無く切り崩すのだろうが、生憎俺は元々ただの高校生。
そんなスキルは持ち合わせてない。
だからせめて、真摯に対応する。
精一杯の誠実さを込めて。
「俺達に魔女の掟の重要度は分からない、でもエストリアがそれを大事にしてるのは分かったよ。だから、もう深入りしない」
「私も、同じ」
エストリア個人については少しだけ分かった。
常に冷静沈着で、品格のある行動を課している。
けど本当は読書が好きで、知らない事に対しては貪欲になる好奇心旺盛な普通の女の子。
しかし、それはあくまで一つの側面でしかない。
魔女としてのエストリアは、何も知らなかった。
そもそもが魔女がどういう存在で、何故冥府の森の主人なのかすら、俺達は知らない。
聞けば答えてくれるかもしれないが、心を開きつつある彼女が率先して話さない時点で、それなりに深い事情があるのは察せられる。
––––だから。
「一度、王都に行こうぜ」
「……え?」
「自分の目で見て、初めて分かる事もあるしな」
俺は、俺のやり方で彼女を連れ出す。
冥府の森から、外の世界へ。
魔女のエストリアではなく、ただの少女として彼女が望んでいる事を……俺は、叶えてやりたい。
「ユウト、やっぱり体の調子が……」
「心配するなドール、俺は正気だし絶好調だ」
割と本気で心配される。
まあ、前後の流れをぶった切ってるからな。
おかしくなったと思われても仕方ない。
「……ユウト君、気持ちは嬉しいけど、私は」
「森から出てはいけない、だろ?」
「そうよ」
「なら、俺が勝手に攫う」
「え……えぇ!?」
突然の誘拐宣言に、エストリアの目が点になる。
ドールもギョッとしていた。
俺は悪巧みの内容を話す。
「森を出るのは、エストリアの意思じゃない。俺に攫われて、仕方なく王都へ行くんだ」
「ちょっ、ちょっと待ってユウト君! そんなのただの屁理屈よ!」
「そうだよ、でも罰則とかは無いんだろ? なら何も問題は無い」
「で、でも!」
尚も食って掛かるエストリア。
彼女の誇りが、森を出るという選択を妨げる。
長年培った彼女のアイデンティティ。
そう簡単に捨てれはしないのだろう。
でも、それはあくまで魔女としてのエストリアだ。
俺が手を貸してあげたいのは、ただのエストリア。
「エストリア、知りたいんだろ?」
「……っ!」
「森の外が、どうなっているのか。自分の目で確かめて、触れて……感じたいんだろ」
「そ、れは」
ピタリと反論が止まる。
彼女は明らかに迷っていた。
二人のエストリアが争っているように見える。
魔女としての彼女、ただの少女としての彼女。
さながら天使と悪魔の誘惑だ。
この場合、俺はどちらに加担しているのだろう?
やがて、彼女は唇を動かした。
喉を震わせ、自分の意思を口にする。
「私だって、本当は森を出たい」
「……」
「使い魔で情報が得られても、断片的なものだけ。家具や服だって買いに行かせてる、でも……全部、幻みたいにあやふやなのよ」
エストリアの瞳から、一筋の涙が流れた。
彼女は泣きながら自嘲している。
痛々しい泣き笑いの表情。
俺とドールも、何も言わずに見届ける。
「当然よね、私は生まれてから一度も、この森の外には一歩も出ていないのだから……私にとっての現実は、館と森だけ。あとは全部、夢や幻––––あると分かっていても、決して手の届かない世界」
そのストレスは計り知れない。
俺なら直ぐに飛び出してしまう自信がある。
けど、彼女はそうしなかった。
魔女としての誇り。
先代から続くと思われる掟。
その二つの重圧に、彼女は耐えた。
「……だけど、使い魔を使って森の外を覗く度に、どうしても夢想してしまうの。もし、私が魔女の末裔としてでは無く、ただの人間として生まれていたら、どんな人生を送っていたのかしらって……」
ドールが、エストリアの手を握った。
震える両手を優しく包む。
彼女には、その想いが理解できるのだろう。
叶わぬ夢と現実を比べる、辛さを。
「––––十七年間、母の言いつけを守って、森の中だけで暮らしてきた。これから先もずっとそうなると思っていた、でも……私は知ってしまった、貴方達を。森の外で暮らす人達と、触れ合ってしまった」
涙目のまま、エストリアは俺を見る。
そこには覚悟が宿っていた。
自らの誇りを捨て、夢を追う覚悟が。
だったら、俺は全力で応える。
元より焚きつけたのは俺だ。
責任は、最後まで果たす。
「ユウト君」
「……何だ?」
冥府の森の主人、エストリア・ガーデンウッド。
今日は彼女の、記念すべき日になる。
生涯忘れないだろう、決定的な転換。
俺とドールは、その見届け人だった。
「私を、攫ってくれる?」
「お安い御用だ」
ドン、と胸を叩く。
それが彼女の、本当の願い。
ようやく本人の口から聞き出せた。
多分、余計なお節介なのだろう。
ただの自己満足かもしれない。
だけど、俺はやった。
自分のやりたいように。
正しいと思った事を、貫いた。
もし文句があるのなら、この厄介者を理不尽に呼び出した前王か創造神ヴィナスにでも言えばいい。
「……ありが、とう……っ、ユウト君……!」
再び涙を流すエストリア。
だけど、その表情は晴れやかに笑っている。
俺の選択は正しかったと、胸を張って言えた。