47話・二人の少女(ドール視点)
「ハハッ! かかってこいやあ!」
「お前、互いに手加減するって約束、もう忘れてるだろ? なあ?」
ある日の昼下がり。
私の想い人は、地獄の番犬と戯れていた。
最も互いに怪我の直り具合を試す準備運動のようなものだから、すぐに中断できるよう何体ものゴーレムがエストリアの指示で待機している。
まさか、あの乱暴そうな少年がケルベロスだとは。
そういう伝説もあるにはあるが、目の前で見せつけられると流石に混乱する。
幻獣種にはまだまだ謎が多い。
そんな彼をユウトはあっさり受け入れ、一度は殺し合った仲なのに悪友のように接している。
私はまだあそこまで親しくできない。
そもそも私は基本的に自分の殻に閉じこもるタイプなので、ケルベロスに限らず、新たな知り合いを増やすのは精神的な労力をかなり要する。
「ぐあっ!? お前今本気で殴ったろ!」
「ったりめーだ!」
「ならこれでもくらえっ!」
「ぶほあっ!? 蹴りは禁止の筈だろうが!」
「うるせー! 先に破ったのはそっちだろ!」
ユウトとケルベロスの組手は、次第に子供の喧嘩レベルの取っ組み合いにまで低下した。
どうしよう、止めるべきだろうか。
「止める?」
私は対面に座る人物へ言う。
同性の私でも見惚れる美女のエストリアは、ため息を吐きながら「必要無い」とジェスチャーした。
「放っておきましょう、いっそ怪我でもして悪化した方が反省するわ」
「分かった」
彼女の意見には概ね賛成だ。
ユウトが傷付くのは嫌だが、彼が痛い目に合わないと反省しそうにない性格だというのは理解できる。
「もう……」
エストリアの視線は、彼に注がれていた。
思わず、二人の間を目で追ってしまう。
何も無いのは分かっている。
それでも、私の中の『女』が警報を鳴らす。
この女は危険だ。
今の内に対処するべきと。
……くだらない。
エストリアがユウトをどう思っていようが、私には関係無い……彼が愛しているのは自分だ。
それに––––独占欲は、破滅を招く。
私は身を以て味わっていた。
だからもし、エストリアがユウトに好意を寄せていて、彼が好意を受け入れたのなら。
その時は、その時だ。
私も側に置いてもらえるよう、努力する。
彼の性格上、そんな簡単に捨てられるとは思えないが、エストリアは魅力的な女性だ。
万が一を、考えてしまう。
ユウトが魔女に骨抜きにされてしまい、いいように扱われてしまう未来を。
「……」
そんな事、私がさせない。
彼は私の勇者さまだ。
絶対に守ってみせる。
なお、ここまで全て妄想なのは理解していた。
「ドール、どうかしたの?」
「何でもない」
「そう」
紅茶を飲むエストリア。
彼女は私と距離を縮めたいらしい。
が、対人関係全般の技能が壊滅的な私は、彼女とどんな風に接していいのか分からなかった。
結果、未だに打ち解けずにいる。
エストリアにも悪いと思っていた。
彼女は自分なりに心を開こうとしているのに、私はよく分からない理由で殻に閉じ籠っている。
これまでは、それで良かった。
しかし今はユウトが居る。
彼を困らせるようなことはしたくない。
とは言っても、長年に渡って錆び付いたコミュニケーション能力が易々と復活するワケも無く。
「……」
「……」
お互い無言のまま、微妙な空気が流れる。
ユウトとケルベロスの喧嘩だけが、騒音のように洋館中に鳴り響いていた。
「––––以前、ユウト君が言っていたわ」
「?」
控えめな声量で呟いたエストリア。
対面に座る私くらいにしか聞こえないだろう。
最も、あの二人は喧嘩に夢中でこちらに意識を割く余裕は無いし、他に居るのはゴーレムだけ。
内緒話で声を控えめにする理由は無い。
つまりは、精神的な理由。
話し難い事でも彼女は言い出すのだろうか。
私は黙って続きを待った。
「私と貴女は、似てるって」
「……そう」
「それって、本当なの?」
踏み込んだ一言だった。
私の過去を知りたい。
直接言葉にしてはいなかったが、そう聞こえた。
別に、隠す必要も無い。
私はこれまでの出来事を彼女に話した。
王たる父の歪んだ愛が原因で全てが崩壊し、たった一人で冒険者として生きた私の半生。
そして、その地獄から救い出してくれた少年の事。
エストリアは聞き上手で、私はいつのまにか気を良くしたのか流暢に語っていた。
全てを聞き終えた彼女の顔は特に変わってない。
自分の感情を胸に押し込んでいる。
成る程、こういうところは確かにソックリだ。
「フェイルート人なのは分かっていたけど、まさか王族だとは思っていなかったわ」
「今は殆ど平民。元の暮らしに戻るつもりも無い」
「……それって、ユウト君と一緒に居るため?」
「そう」
素直に答える。
私の全ては、あの人に捧げた。
心も、体も。
……体の方は、まだ、だけど。
正直、自分の体に自信は無い。
彼が喜んでくれるかどうか。
ガッカリされるのが、怖かった。
けどまあ、ユウトは少々歪な性癖を抱えているようなので、心配するほどでもないが。
「凄い……とっても素敵よ、貴女達」
「……なぜ?」
「だってまるで、エデンの勇者みたいじゃない」
エデンの勇者。
有名な児童向けの本だ。
彼女も読んだことがあるらしい。
「あの本、読んだことあるの?」
「ええ、もしかして貴女も?」
私は頷いた。
「そう––––あ、なら『賢者と精霊』は?」
「読んだ」
「『ジャックの時計塔』は?」
「読んだ」
「『男神と少女の逃避行』!」
「それも読んだ」
様々な本のタイトルを連呼するエストリア。
殆ど私が読んだことのある本で、好みだった。
彼女と、目が合う。
思っている事は、同じだった。
「私達、趣味が似ているのね」
「そうみたい」
「ふふ……こんなの、初めて」
エストリアが、笑った。
年相応の少女のように。
ただ純粋な笑顔が浮かぶ。
それを見て––––悟る。
彼女は、私と同じだ。
笑う事を忘れていた女の子。
でも、彼と出会って変わった。
あの人には、不思議な力がある。
よく自分の事を低級勇者だと卑下しているが、そんなモノより余程素晴らしいモノを彼は持っている。
他人の心を変え、動かす力。
それを意図せずにやってしまう。
私は、そんなユウトだから好きになった。
今更ながら、彼を好きになった理由を自覚する。
そのキッカケをくれたのは、皮肉にも勝手に恋敵だと思い込んでいたエストリアだ。
「エストリア」
「何かしら?」
「今度、あなたのオススメの本を……教えて。私のオススメも、教えるから」
「––––ええ、もちろんよ」
ガラガラと、彼女との間にあった壁が崩れる。
もう、何も気にしない。
エストリアは普通の女の子だ。
私も、普通に仲良くしたい。
そしてもし、彼女がユウトに好意を抱いた時は……堂々と受けて立とう。
「エストリアは、ユウトの事どう思っているの?」
「ユウト君? ちょっと変だけど、とっても良い人だと思うわ」
「うん。私も、そう思う」
迷いなく、肯定した。