44話・変化
昼を軽く過ぎた辺りで、ドールが帰って来た。
俺とエストリアは二人で彼女を出迎える。
「おかえり」
「ただいま」
大鳥から飛び降りたドールは、そのままの勢いでピョンっと俺に抱きついた。
こちらも手を回して抱き返す。
その間、エストリアは使い魔の鳥を労っていた。
「ありがとう、ゆっくり休むのよ」
「グエ〜」
「ここまで運んでくれて、ありがとう」
ドールも俺と抱擁した後にお礼を言う。
のしのしと、鳥は森の奥深くへと消えた。
「それじゃ、魔法使い……いえ、ドールさんも帰って来た事だし、お昼にしましょうか」
「え?」
ピクンとドールがエストリアに反応する。
自らの名前で呼ばれたからだろう。
当の本人は恥ずかしいのか、そっぽを向いていた。
「エストリアはお前とも、友達になりたいんだ。その第一歩って事で」
「……」
一瞬戸惑うも、ドールはいつもの調子へ戻る。
そして平坦な声音で言った。
「呼び捨てでいい、私もそうする。エストリア」
「っ! じ、じゃあ、改めてよろしく、ドール」
「こちらこそ」
二人は顔を合わせながら言う。
エストリアは顔が綻ぶのを我慢しながら、一足先に館へと戻って行った。
その様子を見ながらドールが聞いてくる。
「何かあったの?」
「本音を聞いただけだよ」
「そう」
「ほら、俺達も行こうぜ」
ジトッとした目で見られたが、やましい事は少しもしていないので大丈夫だろう。
ドールとエストリア、何となく似ている二人だが、仲良くしてほしいと心の底から願った。
それから三人で昼を食べる。
今日は俺が作ると言ったが、ドールからまだ病み上がりなのだから無茶するなと言われてしまった。
なので今回も調理師ゴーレムの料理が振舞われる。
赤いスープと焼いた鶏肉、サラダにパン。
スープは唐辛子でも使っているのかと思ったが、見た目は辛そうなのに味は寧ろ甘かった。
森で取れる木の実を使っているらしい。
今度ゴーレムの調理を見学させてもらおう。
彼らの腕は下手な人間よりも遥か上だ。
「そういえば……」
「どうしたの?」
食事の最中、ふと気付いた。
エストリアが聞いてくる。
ドールも耳を傾けていた。
「いや、昨日の午前中に紫髪の少年と中庭で遭遇してな。いきなり襲いかかってきたと思ったら、チョーカーから電流が流れてゴーレムに連れて行かれた」
「なにそれ」
ポカンとするドール。
一方、エストリアはこめかみを抑えている。
心当たりがあるようだ。
「ごめんなさい、愚かな使い魔で」
「エストリアの使い魔だったのか?」
「ええ、ケルベロスよ」
「へぇ……って、ケルベロス!?」
思わず持っていたフォークを落としそうになる。
何故、アイツの名前が?
彼女の言い方だと、まるで昨日の少年がケルベロスのように聞こえるが……まさか。
「ケルベロスは幻獣種の中でも別格……『スリーファンタジー』と呼ばれる最強の幻獣の一角なの。だから人間の姿になれて、会話もできるわ」
「そりゃまた大層な存在だな」
「けど、高度な知性と品格は別のようね、はぁ」
エストリアは力無くため息を吐く。
息子の非行を嘆く母親のようだった。
「常に自らの品を考えて行動しなさいと教えてるのだけど、無理そうね。所詮は野良犬かしら」
「厳しいコメントだな」
「ごめんなさい、ユウト君。あの馬鹿犬はもう一度躾直すから……」
「いや、別にいいよ。もう興味無いし」
どうやらあのチョーカーは首輪のようで、エストリアが設定したルールを破ると電流が流れて行動を抑制する効果があるようだ。
それなら安心なので、特に言うことは無い。
それよりも……目下の問題は別にあった。
「ユウト君……」
今発言したのはエストリアでは無い、ドールだ。
彼女は俺とエストリアを交互に見ている。
そして独り言のように「ユウト君」と呟いていた。
俺とエストリアの仲が気になるらしい。
あらぬ誤解を与えてそうだ。
しかし必死になって説明するのも、それはそれで怪しいし……なんて考えている内に昼食は終わる。
悶々とした気持ちを抱きながらも時計の針は進み、気づけば一日が終わろうとしていた。
◆
「ふぁ……」
大きなあくびをする。
昨日はあまり眠れなかったからな。
今日はよく眠れそうだ。
そう思いながらベッドに入ろうとした時。
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
こんな時間に誰だ? 野良ゴーレム?
「開いてるぞー」
「……こんばんわ」
「ドール?」
寝間着姿のドールが現れた。
片手には枕を携えている。
一体何をしに来たのか。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「……」
彼女は無言で、ベッドに腰掛ける。
ぎし、と一人分の重さが加わった。
夜、枕を持った恋人が部屋にやって来る。
淫らかな妄想が脳内で展開された。
……ごくり。
いやでもここ友達の家だし。
変な期待はよしておこう。
常識的に考えてあり得ない。
俺は性欲を持て余す中学生じゃないんだ。
ドッシリと構えてればいい。
「ユウト」
「うわっ!?」
どん、と突然胸を押される。
仰向けに倒れる俺。
その上から、ドールが覆いかぶさった。
「ど、ドール?」
「教えて」
「な、何を?」
ズイッと、顔を近づける。
表情も目も笑ってなかった。
こ、怖い……
「きのう、なにが、あったの」
「は、はい!」
俺は包み隠さず全てを話した。
つい最近、似たような事があったなー。
それも同じ人物と。
「……と、いうワケなんだ。名前で呼び合うくらい、友達なら普通だろ?」
「それは、そうだけど」
「ドールが想像しているような事は、誓ってない」
「……分かった、信じる」
伝わったみたいで安心する。
しかし彼女はまだ釈然としてないようだ。
「寝る」
「お、おう」
枕を置き、俺の隣に寝転がるドール。
このまま一緒に眠るのをご所望のようだ。
それだけなら別に問題無い。
「ん……」
「近いな……」
ピタッと、彼女は張り付くように寄り添う。
吐息や温もりが直に感じられる。
すぐ近くにあるという男の征服欲が満たされ、何だか危ない雰囲気に。
「ドール……」
気づいたら右手を伸ばしていた。
が、ペシッとはたき落とされる。
彼女の顔を見ると、純粋な目をしていた。
「今日はダメ」
「え、あ、その」
「……この前は変な勢いだった、反省してる。未婚の男女が交わるなんて、言語道断。創造神ヴィナスの誓いを破ってしまう」
そうだった、エデンはそういう世界だった。
神が実在して、誰もがその戒律に従う。
ていうか初夜も決められているのかよ。
創造神ヴィナスって女神らしいけど、本当はおっさんの神さまなんじゃないか?
「はい……」
「でも」
ドールの顔が迫った。
甘い息が鼻腔をくすぐる。
青い瞳は見ているだけで吸い込まれそうだった。
「キスは、別」
言いながら、彼女の方からキスをしてきた。
とは言え一瞬触れる程度の軽いキス。
終わったら、彼女は本当に眠り始めた。
……俺も寝るか。
今は、これで充分だ。
「おやすみ、また明日な」
「ユウトも、おやすみ」