43話・月下の語らい
寝室、食堂、厨房、書斎、居間、洗面所、浴室……一通り魔女と歩いて洋館内を紹介された。
一人で住むには少し広すぎると思ったが、全ての家事をゴーレムが請け負うなら管理も出来るのだろう。
迷わないよう、見取り図を頭に叩き込む。
「こんなところかしら……部屋は空き部屋が沢山あるから好きに使って、ゴーレムに頼めば家具も他の部屋から運んでくれるから」
「分かった」
「それじゃあ、また後で。私の部屋と地下の倉庫以外は、好きに出歩いていいから」
魔女はそう言って洋館内の何処かに消えた。
彼女は普段、何をして過ごしているのだろうか?
ずっと森で暮らしているようだし。
だからと言って散策するのも失礼だ。
プライベートな問題だろうし。
積極的にコミュニケーションを取るとは決めたが、まだ昨日の今日だしとりあえずは体を休めよう。
無理して体調を崩したら本末転倒だ。
ドールが本当に泣き出す気がする。
俺だってまだ死にたく無いし。
さて、急に暇な時間が出来た。
日本で高校生をやっていた頃は、日々自由が無いと嘆いていたが……いざ本当に自由な時間を与えられるとそれはそれで困る。
何よりここにはゲームも漫画もパソコンも無い。
今までは働くのに一生懸命で、休日も散歩と料理、鍛錬の時間以外は寝て過ごしていた。
改めて気づく。
俺、趣味が無いな。
この機会に何か探してみようか。
––––と、いうワケで。
「凄い蔵書量だ……個人の持ち物とは思えない」
早速紹介されたばかりの書斎に来ていた。
ここには沢山の本が所狭しと並んでいる。
暇を潰すにはうってつけだ。
おまけにまだ慣れない異世界の知識も得られる。
一石二鳥とはこの事だ。
手始めに近くにあった本棚から一冊抜き取る。
「……『公爵夫人の危険な休日』?」
タイトルにはそう書かれていた。
分厚いハードカバーの本。
パラパラめくって内容を読んでみる。
官能小説だった。
それもドキツイSMプレイの。
人間の性的嗜好って、世界が違えど同じなのか?
ていうかなんて本置いてあるんだ。
町の図書館なら即回収されるぞ。
他には無いかと同じ本棚から探したが、なんとそこに入っていた作品全てが官能小説だった。
ここはそういうコーナーなのかもしれない。
魔女も読んでいるのか……?
俺は黙って別の本棚へ向かった。
「ここは一般向け作品が多いな」
冒険活劇モノが多い印象。
あの『エデンの勇者』もあった。
面白そうな作品を二冊選んで手に取る。
その場で読もうとも考えたが、書斎の雰囲気は暗く快適な環境とは言えないので一旦退室した。
何処かの空き部屋か、外で読むか。
なんて考えながら洋館の中庭へ。
相変わらず花で埋め尽くされた空間だ。
あちこちでゴーレムが花の世話をしているので、管理もかなり大変なんだろう。
「……ん?」
その花壇の中で、浮いた存在を見つける。
花でもゴーレムでもない……人間だ。
紫色の髪をした男が居る。
あんな奴、洋館に居たか?
魔女の家族かもしれないが。
一応警戒しながら近づく。
すると向こうの方から反応があった。
「テメェは!」
「よろしく、えーと君は––––」
「おい、もう一度オレと戦え!」
「は?」
男……いや、少年は出会い頭に叫んだ。
紫色の髪に赤い瞳。
体は筋肉質で、身長は百七十センチ前後。
怪我でもしているのか、上半身は包帯塗れ。
首にチョーカーのような物を付けている。
少年は興奮しながら続けた。
「あの時は油断してたが、もう隙はねえ。次こそ絶対にオレが勝つ!」
「悪い、何を言ってるのか理解できないんだけど」
「問答無用!」
少年が飛びかかってくる。
これはマズイな……と、思った次の瞬間。
彼の付けていたチョーカーが激しく発光した。
「ぐあああああああああああっ!?」
少年の体に緑色の電流が流れる。
明らかに感電していた。
堪らず悶えながら倒れる。
数秒後、騒ぎに気づいたゴーレム達がやって来た。
「く、クソが……こんなもん無ければ……」
「お前誰? 危ない奴ってのは分かったけどさ」
「ああっ!? 忘れたとは言わせねーぞ! オレは……あっ、オイ! 離せえええええ!」
少年は絶叫しながら、ゴーレムに連れ去られた。
残ったゴーレム達から「気にするな」と言わんばかりに肩を叩かれたので、忘れることにする。
「ワオンッ!」
「ルプス?」
「クゥーン」
「おー、よしよし……」
少年が完全に視界から消えると、今度は隠れていたのか花壇の影からルプスが現れた。
尻尾を振ってすり寄ってくる。
俺はルプスを撫でながら本を読むべく、適当な場所がないかと探すのだった。
◆
深夜。
夜中にパチリと眼が覚める。
心臓がやけに高鳴って眠れない。
後遺症の文字が頭にチラつく。
そうしたら余計に眠れなくなってしまった。
仕方なく、気晴らしに中庭へ出る。
「……星が綺麗だ」
館を出て空を見上げると、満点の星空があった。
現代日本の都会では、まず見られない光景。
プラネタリウムとは比べ物にならない。
無数の星々が闇の中で輝いている。
しかも森だからか、王都以上に美しく見えた。
その上今夜は満月で、月の光も良く煌めいている。
絶景と言うに相応しい。
ドールが帰って来たら、必ず二人で見よう。
きっといい雰囲気になる筈だ。
それから暫く、館の周りを散歩する。
心音も徐々に落ち着いてきた。
外の空気は新鮮で、心身共に癒される。
「……?」
歩いていたら、魔女を見つけた。
ただ、昼間と様子が違う。
切り株に腰掛けながら、なんだろう……青色のふわふわした球体を物憂げに見つめている。
球体に注ぐ視線は悲哀に満ちていたが、同時に聖母のような慈愛も含まれていた。
その姿は『魔女』のイメージとは対極に見える。
「––––安静にしてなさいと、言ったのに」
ポツリと、ギリギリ聞こえる声で彼女が呟く。
俺はゆっくりと彼女の側まで歩み、隣へ。
「ごめん。ちょっと、寝付けなくて」
「そう……」
「あの、何してるのか聞いていいかな?」
魔女は球体に顔を向けたまま言った。
「別に、大したことはしてないわ。ただ、そうね……この森が【冥府の森】って呼ばれているのは知っているでしょう?」
「ああ、勿論。だから来たんだ」
「––––冥府、つまりは死者の世界。ここにはね、時折こうして死者の魂が迷い込むのよ」
「え……それ、魂なの?」
「ええ」
彼女は控えめに頷いた。
逆に俺は驚く。
あの青白いふわふわしたの、魂なんだ……
「死者の世界、正確には魂の行き着く先はあると言われているのが定説よ。それに従うなら、この近くに本物の冥府の入り口でもあるのね、きっと」
「じゃあ、この魂は迷っているのか?」
「かもしれない。私は魂の声を聴いて、暫く一緒に居てあげることしか出来ないから……その後魂がどうなるかまでは、知らない」
世界には魂の存在が認められている。
魔力の発生源は魂なのだから。
しかし、死後の魂がどうなるのかは知られてない。
「魂の声を聴けるのは、魔女の家系の体質みたいなものなの。だからこうして偶然出会えた魂の声は、聴いてあげたい……楽しい声、幸せな声、悲しみの声、苦しみの声……沢山、聴いたわ」
「そっか……」
彼女の表情は複雑に歪んでいた。
声を聴けるのに、何もしてやらない。
そんな悔しさが滲み出ていた。
「貴方はもう、館に戻った方がいいわ。夜も冷えるし、体に触るわ」
「いや、俺も残るよ」
「え?」
きょとんとする魔女。
いや、そんな話を聞かされたら、誰だって一緒に居ようと言い出すと思うぞ?
「声は聴こえないけど、寄り添う事なら出来るよ」
「意味無いわ、そんなの……声を聴く事でさえ、私の自己満足なのよ」
「そうか? 話しを聞いて貰える……それだけで、スゲー楽になる事もあるぞ」
あれは俺がまだ小学生だった頃。
母さんが大切にしていた花瓶を割った俺は、怒られるのが嫌でずっと黙っていた。
けど罪悪感が募るばかりで、どうしていいのか分からなくなった時……父さんが話を聞いてくれた。
何も言わず、ただ俺の言葉を聞くだけ。
全部話し終えた俺は、父さんに叱られると思っていたが……父さんは優しい声で「優斗のやりたいようにすればいい、父さんは信じている」と言ってくれた。
それだけで、本当に楽になれたと覚えている。
翌日、俺は母さんに正直に打ち明けた。
父さんが話を聞いてくれなかったら、多分ずっと黙ったままでいつかバレて、余計叱られていたと思う。
「話すだけってさ、結構良い薬になるんだよ。口に出して、誰かに聞いてもらって……初めて見つかる事もある。少なくとも俺は、そう願っている」
「……分からないわ」
魔女は首を振った。
「私、子供の頃からずっと一人で暮らしていたから、人に悩みを打ち明ける機会なんて無かった……ねえ、それって本当に楽になれるの?」
なんだ、そんな事か。
答えは既に出ている。
「自分の胸に聞いてみたらどうだ? だって今まさに、アンタは俺に悩みを話しているじゃないか」
「あ––––」
ポカンと口を開けながら、呆ける魔女。
そして、目を瞑りながら自分の胸に手を当てた。
「どうだ?
「––––信じられないけど、そうね。確かに、ちょっとだけ楽になれたわ、ちょっとだけね」
「それは良かった」
「ええ、本当にちょっとだけ……救われた」
ニコリと、魔女が微笑んだ。
それは氷山の中で見つけた一輪の花に等しい。
黒い瞳から、目を離せない。
「ねえ……貴方のこと、名前で呼んでいいかしら? 本で読んだけど、その……友達って、お互いを気軽に呼び合うのでしょう?」
「あっ、ああ、好きに呼んでくれ」
どうやら魔女の友達第一号になったらしい。
本当に幼い頃から一人で暮らしていたようだ。
家族とかは、何処で何をしているのだろう。
「ヤノユウト……ユウト、は馴れ馴れしいし、そうね……あ、ユウトちゃんは?」
「ええ……」
「嫌? なら、ユウト君は?」
一気に親近感が湧いた感じ。
独特な響きだなと、勝手に思う。
彼女は顔を綻ばせながら言った。
「ユウト君で、決まりね。ふふ」
「じゃあ俺も、エストリアって呼んでいいか?」
「勿論、構わないわ」
それから暫くの間、二人で魂を見守った。
明け方になると、魂はいつのまにか消えていたが……行き先が安らかであると、願う。