39話・神滅拳
あの野郎……謀ったな。
「■■■■■■ッ!」
「あっ……」
「ク、クゥン……」
遠吠えするケルベロス。
ドールはそれだけで膝から崩れ落ちた。
フェンリルも怯えて丸くなっている。
奴は、楽しんでいたんだ。
あえて手を抜き、俺達が仮初めの勝利に浸っている姿を見て……
ドールの言葉を思い出す。
ケルベロスは好戦的で、残虐。
全てが奴のシナリオ通りに運んでいたワケか。
……甘かった。
光山に勝って、奢っていたのかもしれない。
だからケルベロスの演技に気付けなかった。
「■■■……! ■■ッ!」
追い詰められるドールとフェンリル。
使うしかなかった。
危険なのは分かっている……が、これは俺の奢りが招いた事態とも言える。
その責任は負うべきだ。
例え命を削る行為だとしても。
俺は光山戦を思い出しながら『神纏』を使う。
暴走する魔力に身を任せケルベロスへと向かった。
「おおおおおおおおおっ!」
ドクン、ドクン––––
死へのカウントダウンが始まった。
肉体は滅びと再生を繰り返す。
無意味な自傷行為の果てが、この力。
自分の体が変質するのが分かる。
気持ちの良いものじゃない。
自分が自分で無くなるような感覚。
だから意識を保つべく、脳裏に刻む。
俺が倒すべき相手、守るべき相手。
目的を決めたら、あとは行動に移すだけ。
まずはドール達とケルベロスを引き離す。
雷の如きスピードでケルベロスに迫った俺は、尻尾を掴んで後方へ投げ飛ばした。
「■■■ッ!?」
殺したと思っていた対象からの反撃。
しかも自らを超越した力で。
突然の事に混乱するケルベロス。
「ユ、ユウト! その力は!」
「分かってる! 可能な限り素早く倒す!」
それだけ言って再びケルベロスの元へ。
短時間の使用なら、悪影響も少ないと信じたい。
だが実際、ケルベロスの強さは本物だ。
速攻で片付けるとは言ったが、果たしてそんな事が本当に可能なのか……自分でも疑っている。
流石にあの時の光山には劣るだろうが、奴の戦闘技術は拙いものだったのを思い出す。
野生の本能で戦うケルベロスは、少なくとも光山以上の戦闘経験と技術を持ち合わせているだろう。
総合的なスペックは上かもしれない。
まあここでいくら考えても机上の空論だ。
逃げる選択肢は無いので、戦って確かめればいい。
ああでも……あんなに使わないと誓ったのに、結局また禁断の力に頼って命を削っている。
俺は弱い、呆れる程に。
こんな頻度で使っていたら、本当に命を落とす。
そうなったら取り返しがつかないのに。
でも今は、この状況を打破するのが先決だ。
「■■■■■ッ!」
ケルベロスが吠える。
今の俺には子犬の威嚇に見えた。
圧倒的な速度で撹乱しながら、ケルベロスの体のあちこちに打撃を叩き込む。
傷は再生するが、再生途中の傷めがけて二発、三発と新たに打ち込むと修復が止まった。
攻撃力が治癒力を上回っている。
しかしそこは流石の幻獣か、もう既に俺の攻撃を見切り始め、巨体でありながら躱し始めた。
加えて速さでは勝てないと悟ったのか、左右の首の口から炎と雷を吐き出している。
ケルベロスの周りがその炎と雷で守られた。
あれはケルベロスの魔法だろうか。
迂闊に手を出せばこの状態と言えどダメージを負い、蓄積された傷は確実に俺の命を減らす。
生き残る為に死んだら意味が無い。
一旦距離を取り、こちらも魔法を放つ。
普通なら絶対に届く事の無い低級魔法。
しかし神纏で強化された低級魔法の威力が、伝説の帝級魔法に勝るとも劣らないのは実証済み。
俺は水属性と土属性の低級魔法を唱えた。
「『ウォーター』『ペブル』!」
渦巻く水流と無数の岩石が空中に浮かぶ。
派手な攻撃は周囲を巻き込む。
だから出来る限り、被害は最小限に。
「■■■■■■■ッ!」
「おおおおおおおっ!」
火と水、雷と岩が激突した。
全てを燃やし尽くそうとする火炎を渦巻く水流は飲み込み諌め、あらゆるモノを貫こうとした雷は無数の岩石を破壊出来ずに終わる。
魔法の相殺。
これにより、場は再び静寂に戻った。
俺とケルベロスは睨み合う。
動いたのは、ケルベロス。
中央の首が俺を食い千切ろうとするが、すくい上げるように殴って強制的に顎を閉じさせる。
続けて左右の首の噛みつき、更には前足も加えた連続攻撃を受けるが、全て正面から弾き飛ばす。
そのまま懐に潜り込んで正拳突きを放った。
大きく仰け反るケルベロス。
俺は追撃を仕掛けようとしたが……突然力が抜けて視界が歪み、フラリと倒れそうになる。
ドクン、ドクン、ドクン。
「ぐ、あっ……?」
歪む視界は元に戻る。
力も入るようになった。
だが、今のは明らかな––––
「■■■■■ッ!」
「づぁ……!」
隙を見せれば、当然相手はそこを突く。
ケルベロスの前足で吹き飛ばされた俺は転がりながらもウィンドを唱え、風の力で体勢を立て直す。
狙う的が大きければやりやすいと思っていたが、大型の獣相手に徒手空拳で戦うのは些か不利だった。
かと言って魔法を使えば一瞬で終わるだろうが、それはドール達を巻き込む事になる。
ロマノフ団長が言っていた。
戦いは両者のスペックだけでは決まらないと。
地形、環境、装備の質、時の運……その他諸々の要素で勝敗は決定される。
一つの分野で優れているからと言って連戦連勝はできない……俺は身を以て体験していた。
俺に残された時間もあと僅か……どう攻略する?
「■■■■■■ーッ!」
「……耐えてくれよ、俺の体」
俺の配慮も知らずにケルベロスは辺り一面に炎を吐き、中央の首の口からを冷気を放射した。
俺は再び相殺するべく魔法を唱えたが、読まれていたのかケルベロスはブレス攻撃を中断して力任せに巨体でぶつかってくる。
質量で押し潰すつもりのようだ。
ぐぐ……と両腕と両足に力を込め、魔力を滾らせて自分より何倍も重い相手を持ち上げる。
「はああああああっ!」
肉体は軋むが、より大きな力を得る為魔力を際限無く張り巡らせて筋力の底上げをする。
崩壊しかけている体は壊れると同時に再生。
度重なる過負荷で強化された腕力は、遂に上から押し潰そうとしていたケルベロスを投げ飛ばす。
だがまだ終わらない。
跳躍、回転し左側の頭に遠心力で威力を高めた必殺の回し蹴りを浴びせる。
苦悶に顔色を歪ませるケルベロス。
痛覚は三つの頭で共有のようだ。
だが回し蹴りを放った直後、中央の首が俺の足に噛みついてそのまま地面へ叩きつけられる。
今度は俺が痛みに悶えた。
ケルベロスの攻撃ではなく、自分自身の力で。
じわじわと、毒のように肌の色が変質する。
元々毒々しかった肌は今では黒く薄汚れていた。
明らかに体が負担に耐えられていない。
もう時間がない、次で決める。
俺は跳び起き、矢のように駆けた。
狙うは心臓。
そこに最大の一撃を叩き込む。
「おおおおおっ……っ、が……!?」
ケルベロスの迎撃を掻い潜り、心臓へ最後の一撃を与えようとした時、再び目眩が。
意識が朦朧となり汗が滝のように流れる。
––––関係無え!
ドゴンッ!
俺は自らの胸部を殴った。
その衝撃により意識は覚醒する。
しかし一秒、遅かった。
迫る番犬の大顎。
拳を叩き込むより先に、あの顎で丸呑みにされる。
分かっていても避けられない。
なら、大顎ごと粉砕して……
「■■■ッ!?」
刹那、三本の氷の槍がケルベロスの顔に当たる。
正確には直前で霧散してしまったが、完全に意識の外からの攻撃だった故に僅かな隙が生まれた。
これで、遅れた一秒を取り戻せる。
「うおらあああああああああああっ!」
全魔力を、右手に。
溢れんばかりのエネルギーは渦巻き、ただの正拳突きは神殺しの一撃へと昇華する
俺は『神滅拳』と名付けた。
「ああああああああああああっ!」
「■■■■■■■■ッ––––!?」
紫色の閃光。
魔力はケルベロスの体内にも注ぎ込まれ、膨張と暴発を繰り返して体組織を破壊する。
ぐるんと、ケルベロスは白眼になった。
気絶しているが、体の崩壊は止まらない。
奴の体は数秒後に砕け散る。
だが。
「––––間に合った」
凛とした声。
直後にケルベロスの姿が煙のように消えた。
神滅拳で消滅した様子では無い。
「ケルベロスを倒すなんて、貴方バケモノね。一応私の飼い犬だから、助けさせてもらったけど」
声の正体は女だった。
黒髪黒目。
黒いセーターに黒いミニスカート。
脚は黒いタイツで覆われていて、ブーツや手袋までも黒一色で統一されていた。
そんな中で、肌だけが唯一雪のように白い。
現実離れした美しさだった。
こんな状況なのに見惚れてしまう。
可愛さという点ではドールに軍配が上がるが、美しさという点ならば彼女の圧勝だった。
根拠は無いが、確信する。
「それで––––私に、何の用かしら?」
きっと彼女が……この森に住まう、魔女だ。