36話・出発
冥府の森は意外に近いらしく、王都から半日も費やせば着いてしまう距離なんだとか。
それでも誰も寄り付かないのはやはり『魔女』が民衆にとって恐怖の象徴だからと言えた。
「それではユウトさん、頼みましたよ」
「はい」
出発当日。
俺とドールは王城でイルザ様と会っている。
と言うより、彼女の方から見送りに来てくれた。
「エルザも力になるのですよ」
「もちろん」
イルザの言葉にドールが力強く頷いた。
今回、彼女は俺の従者として同行する。
フェイルート人の立ち入りは禁止されているが、従者なら許してくれるかもしれない……という苦肉の策だが、一人は心細いので安心した。
交渉にあたり、幾つかの『材料』を貰っている。
何が魔女にとって有益か分からないからだ。
魔女の協力を得られるなら、ある程度の無茶な要求なら了承して良いとも言われている。
その辺りの判断はドールに任せていた。
「では、良い結果をお待ちしています」
「任せてください––––ドール、行こう」
「うん」
ドールが魔法を唱える。
冥府の森までは彼女の風魔法で行く予定だ。
馬より速いので助かる。
風圧から身を守る為の風の球体が完成し、その中に二人で入って宙に浮く。
何回かこの魔法の経験はあるけど、慣れないな。
下を向いたら怖くなる。
ガラス張りの気球に乗っているようだった。
高所恐怖症の人は気絶するだろう。
「飛ばす」
「ああ、頼む」
続けて移動速度を上げる為の追い風を発生させたドールは、冥府の森まで一直線に俺達を運ぶ。
風は少しの期待と不安も運んでいた。
◆
「見えた」
「あれが冥府の森……」
王都を出発して数時間後。
途中休憩を挟みながら飛行していたが、遂に目的地が目に入る位置にまでやって来た。
鬱蒼と生えている木々はどれも大きく、森の周辺にも人里は勿論、人間の気配が全く無い。
これまで本当に誰も近寄らなかったのだろう。
ただの植物の集まりなのに、異様は雰囲気だ。
森そのものが意思を持つ怪物のように見える。
入ったら最後、生きて出られない。
そんなありきたりな妄想が脳裏をよぎるが、ここで帰る選択肢は最初から無かった。
争いに来たのではなく、交渉に来ただけ。
交渉が決裂したら普通に帰ればいい。
ただそれだけの事。
難しいことは一つもない。
俺は自分の役目を果たすだけだ。
「そろそろ降りる」
ドールは言いながら徐々に高度を下げる。
繊細な魔法のテクニックは、彼女の得意分野だ。
なので着陸も安心できる。
「……よっと。ふぅ……助かったよドール」
「当然、今の私はあなたの騎士。何でも言って」
「それは頼もしいな」
「……だけど」
「ん?」
彼女は僅かに頭を下げた。
ああ、そういう事か。
言ってくれればいくらでもやるのに。
「ほら、これだろ」
「ぁ……」
頭を撫でる。
ドールは気持ち良さそうに目を細めた。
まるで猫だな、と思う。
「も、もういい」
「おう」
手を離し、改めて森を見る。
近くで観察するとより威圧感が伝わってきた。
これが、冥府の森。
「なんか不気味だな……」
「魔女が関係しているのかも」
「ま、行くしかないか」
「うん」
怯えてばかりでは何も始まらない。
俺達は緊張しながら森へ入る。
当たり前だが、道なんて無い。
足元に気をつけながら歩く。
想像以上に森らしい森だった。
もっと異世界の植物とかが沢山生えているかと思ったが、特におかしな点は無い草木ばかり。
いや、その方が助かるんだけどさ。
「ドールは手慣れてる感じだな」
「ギルドの依頼で、何度も経験してる」
彼女は軽やかに森林内を歩いていた。
尖っている枝や葉を綺麗に避けている。
「ユウト、そこ危ない」
「え? うわっ、ほんとだ」
指摘された所を見る。
葉に隠されていたが、よく見ると表面に小さな棘がビッシリと生えた木が近くにあった。
知らずに触れていたら怪我をしていただろう。
「注意深く歩いた方がいい」
「肝に命じておくよ」
––––それから更に時が経ち。
「なあ、こんな広い森の中で何処に居るのかも分からない魔女を探すなんて、不可能じゃないか?」
俺は薄々感じていた事実を口にする。
目印のようなものでもあればいいが、何もない。
さっきから同じ所を周回してるみたいだ。
「そうは言っても、方法が無い」
「や、そーなんだけどさあ」
「地道に探すしか––––っ!」
ドールが杖を構える。
俺も気づき、新調した片手剣を抜く。
魔鋼鉄には劣るが斬れ味抜群の剣だ。
「ユウト」
「分かってる」
魔獣の気配だ。
この近くの何処かに潜んでいる。
今まで一切気配はなかったのに。
同じ所をぐるぐる回っていた、という最悪の事態にはなっていなかった事は不幸中の幸いか。
と、ドールが何かの魔法を唱えていた。
「『エアサーチ』」
ヒュウウウ、と一陣の風が吹く。
「それ、何の魔法だ?」
「敵の位置を調べる魔法。でも大まかな位置しか分からないから、不便」
高性能レーダーのようにはいかないのか。
とは言え大まかな位置でも知れるのはアドバンテージであり、そこに気配や音、匂いといった要素を加えればより精度は高くなる。
「見つけた。多分、そこ」
大体の位置をドールが杖で指し示す。
「分かった、俺が先行するからサポートしてくれ」
「了解」
魔力を全身に流す。
俺は素早く飛び上がりながら、先制攻撃とばかりに気配のする方向へ斬りかかった。
「はあっ!」
「––––ワオンッ!?」
「わおん?」
やたら可愛い声が聴こえた。
気が抜けてしまい、剣は空を切る。
声の主は……縮こまってプルプル震えていた。
「……クゥーン」
「い、犬?」
銀色の毛並みをした子犬に見えた。
犬種は分からない。
本当に犬かどうかは不明だが。
「どうしたの」
「や、なんか子犬っぽい魔獣で……」
ドールも近くにやって来る。
「これは……」
「ワ、ワオン?」
「……かわいい」
彼女は子犬っぽい生物を両手で持ち上げる。
害は無さそうだが、大丈夫なのか?
こう、油断させてブスリとか。
「なあ、触れて平気なのか、そいつ?」
「図鑑に載ってた通りの子なら、多分平気」
博識な彼女はこいつが何なのか知っているらしい。
それなら危険は無さそうだ。
俺も頭を撫でてみる。
「ワオン……」
「おお、良い毛並みしてるな」
飼い犬のように綺麗な毛並みだ。
誰かに捨てられたのか?
いや、ここは冥府の森だ、あり得ない。
「ドール、こいつは一体何なんだ?」
「神獣フェンリル……の、幼体」
「し、しんじゅう?」
頭に疑問詞が浮かぶ。
神獣……神の獣?
それにフェンリルは北欧神話のキャラクターだ。
「特別な獣で、数頭しか確認されてない」
「世間に知られてはいるのか」
「そう。その昔、神と人間を繋ぐ儀式で重要な役割を担っていたと考察されている。その名残で今も『神獣』と呼ばれている魔獣に近い生物」
「へえ〜」
ドールの解説はいつも分かりやすい。
学校の先生とかに向いてそうだ。
厳しいところは厳しいし。
「冥府の森に生息していたなんて」
「うーん、なんか違うような……こいつ、明らかに人馴れしてるし、血色も良い。温室育ちの飼い犬って感じだぞ」
「それは……たしかに」
野生で生まれ育ったような感じはしない。
今も俺の指を甘噛みしてるし……
「もしかして、魔女のペットだったり」
「……可能性としては、ある」
「お前、魔女って奴知らないか?」
「クゥーン?」
当然だが何も答えない幼体フェンリル。
「しょうがない……こいつが魔女のペットかどうかは分からないけど、置いて行くのも寝覚めが悪いし、連れて行かないか?」
「ユウトがそう言うなら」
「だってさ、お前はどうしたい?」
「ワオンッ!」
尻尾を振って頷く幼体フェンリル。
人の言葉が分かるのか……?
まあ嫌そうにはしてないし、いいか。
「ほら、ここ入ってろ」
「ワオン」
背負っていた鞄の隙間に潜り込ませる。
意図を察した幼体フェンリルは暴れる事なくすっぽりとはまって、顔だけを外に出した。
「俺はユウトで、彼女はドール。よろしくな」
「ワオオオンッ!」
完全に成り行きだが、新たな仲間が加わった。