15話・名前
ドールが宙を舞う。
比喩ではなく、現実として。
行きで見せた空中浮遊の魔法だ。
風に吹かれて、黒いローブが揺らめく。
頭上からジュエルクローラーを見下ろす彼女の瞳は冷たく、さながら死刑囚に引導を渡す処刑人。
だが、ジュエルクローラーはただ死を待つだけの無力な死刑囚では無かった。
豪腕で近くの岩を掴み、投擲。
狙いも何もない。
が、岩の大きさを考えれば小柄なドールを捉えるのに精密なコントロールが必要ではなかった。
「グモオオオオ!」
「氷よ、槍となりて貫け『アイスランス』」
岩の投擲をヒラリと避けたドールは、次の岩を投擲される前に魔法を完成させた。
細く鋭い氷の槍がジュエルクローラーへ迫る。
ジュエルクローラーはこれを移動して避けた。
だがドールは予見していたようで、既に次の魔法の詠唱を終えて先回りしていたが––––
「『ハンドレッドエア……」
突然、無数の石飛礫が彼女へ襲いかかる。
ジュエルクローラーが地面を砕き、両腕をデタラメに払って石飛礫をばら撒いたのだ。
「ドールッ!」
思わず叫ぶ。
彼女は咄嗟に離脱しようとしたが、間に合わない。
大量の石飛礫に打ち付けられた。
「が、あっ……!」
岩肌に打ち付けられるドール。
表情は明らかに苦悶で歪んでいた。
しかし魔力操作法のおかげか、肉体への大きなダメージは無く、殆どがかすり傷。
血は流れてないが、彼女が羽織っていたローブはズタズタに切り裂かれ眼鏡も外れていた。
もう纏っている意味が無いと判断したのか、布切れのようになったローブを捨てる。
その瞳は、まだ勝負を諦めていなかった。
「グモオオオオッ!」
好機と判断したジュエルクローラー。
再びドールへ突進する。
他の全てを忘れて。
……ここだ!
俺は素早く土と風の低級魔法を唱える。
勿論スペルブーストで強化しながら。
今の俺では大したダメージは与えられないが、奴の動きを『邪魔』する事くらいはできる。
俺達は最初、意識の外から攻撃を受けた。
だったら俺もやり返してやる。
意識の外……今まで目立つ行動をしなかった俺を、ジュエルクローラーは雑魚だと思って放置していた。
その隙を狙う。
土の低級魔法で生み出した小石を投擲する。
そこへ風の低級魔法で速度を上げた。
的はあれだけ大きい。
外す道理は少しも無かった。
小石は狙い通り、ジュエルクローラーの眼球へ。
「グッ、モ!?」
「ドール! こっちだ!」
「っ!」
意図を察したドールがこちらへやって来る。
二人で素早く身を隠した。
一旦仕切り直す。
「大丈夫か?」
小声で声をかけると、彼女はこくりと頷いた。
目立った外傷は無いが疲労の色は濃い。
直前までクリスタルタートルを相手に魔法を連発していたのだから、無理もない事だ。
「で、あいつは一体何なの?」
「……ジュエルクローラーは、宝石が好物の魔獣。だからクリスタルタートルの生息地に現れた。でも、それならもっと早く遭遇している筈」
確かに昨日から狩りをしていたが、ジュエルクローラーの気配はまるで無かった。
まさか俺達が帰ろうとした丁度その時、奴がこの近辺にやって来た……というのは偶然がすぎる。
ジュエルクローラーは明らかに俺達を待ち、ベストなタイミングで攻撃を仕掛けてきた、つまり––––
「ジュエルクローラーは、俺達がクリスタルタートルのコアを集めるのを待っていたのか? 一々タートルを襲うのが面倒だから」
「おそらく」
「マジかよ……」
罠に嵌められた気分だ。
「でも、おかしい」
「何が?」
「ジュエルクローラーに、そんな知性は無い。それに……通常の個体より、強い」
冷や汗を流すドール。
彼女曰く、ブロンズの冒険者が三人もいれば安全に討伐できる程度が本来の力量のようだ。
が、今回現れたジュエルクローラーはシルバーのドールの使う魔法でさえ全く怯まない。
「でもさ、コアが目的なら最悪、俺達が集めた分を食って帰っちまうんじゃないのか?」
「無理、奴は私達を敵と認識している。確実に私達を始末してからコアを手に入れるつもり」
「そりゃまた用心深いことで……」
チラッとジュエルクローラーを見る。
右目を庇いながら、俺らを探している様子だ。
見つかるのも時間の問題だろう。
「どうする、ドール?」
「あなたは逃げて」
彼女はいつもの調子で言う。
「これは私のミス。荷物持ちのあなたが、危険を犯す必要は無い。私が囮になるから、その間に逃げて」
「……そうか」
何となく、予想はしていた。
彼女は冒険者としての責任感を持っている。
まあ俺が彼女の立場でも、そう言う。
––––けどな。
言われた方は、はいそうですかと納得できねえ。
「その提案には乗れない」
「どうして?」
「二人でアイツ倒した方が、早く終われる。それに俺一人で王都まで帰れるとは思えねー」
「それは……」
前半は虚勢だったが、後半は事実だ。
だからドールも反論できない。
たたみかけるように、俺は続けた。
「責任果たすつもりなら、しっかり最後まで荷物持ちの護衛してくれよ、シルバーランクの冒険者さん」
「……」
彼女は暫し逡巡する。
そして……
「分かった。もう、どうなっても知らない」
「おう」
「でも……あなたは出来る限り、守ってみせる」
頼もしい言葉だった。
変わらぬ表情の中で、瞳だけが決意に満ちている。
彼女も覚悟を決めたようだった。
瞬間、隠れていた岩が破壊される。
咄嗟にその場から離れ、奴と相対した。
イラついているのか、腕を大きく振り回している。
「グモオオオオッ!」
「あなたは、私の援護を」
「任された」
ドールが、駆ける。
俺も彼女も同じタイミングで詠唱を始めた。
魔法のランクの関係上、俺の方が早い。
「『ペブル』! 『ウィンド』!」
再び小石を突風で飛ばす。
だがジュエルクローラーは同じ手は効かないとばかりに目を庇って防御する。
それでいい。
目を庇う……その動作が既に隙だ。
本命は、ドールの魔法。
「『ハンドレッドエアカッター』」
風の刃が猛然とジュエルクローラーを襲う。
狙いは、足元。
大した傷は与えられないが僅かに動きが止まり、その隙に俺は奴の背後へ回り込む。
お互い事前に打ち合わせをしたワケでも無いのに、次にどう動けばいいのか、最善手が頭に浮かぶ。
勝って生き残る。
ただその一点に集中し、戦う。
だからこその連携が生まれていた。
「はあああああかっ!」
魔力操作法で強化された腕力で、ジュエルクローラーの背中に片手剣を突き立てる。
ズブリとした感触は良いものではない。
生まれて初めて、能動的に生物を殺そうとしている事実に自分でも驚いているが……今は命を奪う忌避感よりも、生存への欲求の方が強い。
魔法は効きにくいようだが、物理ならどうだ。
「グ、オオオオ……ッ!」
「っ!」
ブオン、とジュエルクローラーは体を大きく仰け反らせ、背中に乗っていた俺を振り払う。
片手剣は突き刺さったままだった。
だが、奴は明らかに苦痛を感じている。
「ドール! 物質的な攻撃なら効くぞ!」
「––––氷塊よ」
彼女もその瞬間を見ていたのか、直ぐに新たな魔法を唱え始めたが––––それに気づいたジュエルクローラーが詠唱を妨害しようと、突撃した。
「っ! 砕け、散り、再び形を作れ……」
「ググモオオオオオオオオオオッ!」
間に合わない。
僅かだが、ジュエルクローラーの方が速かった。
ドールが魔法を完成させるよりも前に、ジュエルクローラーが彼女を八つ裂きにする。
「『ウィンド』!」
咄嗟に魔法を唱える。
が、所詮は低級魔法。
かすり傷一つ負わせられない。
あと数秒で、ドールは死ぬ。
嫌だと、思った。
出会ったばかりで深い関係でもない。
だけど––––彼女を、死なせたくなかった。
そう思った時……俺はリスクも考えず、ジュエルクローラーの意識を少しでも逸らす為、弱く情けない低級魔法を無我夢中で乱発する。
ドールがトドメを刺してくれると信じて。
「『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』『ウィンド』––––ウィンドオオオオオッ!」
限界を超えた魔法の行使。
低級とて、代償は払う。
瞬間的に大量放出された魔力は、低級魔法に本来無い次元の力を与えたが……暴走した魔力は膨れ上がり、より強力な魔力へ変換され俺へと逆流する。
「がっ……!?」
火事の現場へ突っ込んだ感覚。
全身が燃えているように熱く、激痛が止まらない。
僅かな時間でも意識が残ったのは、魔力操作法で身体を強化していたからか。
とにかく俺の低級魔法はジュエルクローラーへ想像以上のダメージを与え、隙を作ることに成功。
詠唱を終えたドールが、魔法を放った。
「『トライデント・アイスランス』!」
「ググゲッ……モ……!?」
三つの巨大な氷の槍。
ジュエルクローラーはフォークで串刺しにされたように刺され、絶命した。
その光景を見て、俺の意識も途切れる。
深い闇の中に落ちる間際……無口で無表情だった少女が、必死で自分の名を呼んでいる……そんな幻を見たような気がした。
◆
「––––て、起きて」
「っ……あ、れ? 俺また、気絶して」
「よかった」
抑揚のない声。
見上げると、ドールの顔がそこにあった。
後頭部が柔らかい……そしてこの角度。
そうか、膝枕か。
「ありがとうございます」
その事実に至った時、俺は反射的に感謝した。
美少女に膝枕される。
数ある夢の中の一つが叶ってしまった。
「? よく分からないけど、お礼を言うべきは、私……ありがとう」
「ど、どういたしまして」
彼女はぎこちないながらも、笑った。
もう、それだけで救われた気分になる。
頑張って良かったと、心底思えた。
「でも、どうしてあんな無茶を」
「あの時は、ああするのが最善だった」
「あなた、一歩間違えたら死んでた」
それはそうだろう。
あんな無茶苦茶な魔法行使、どうかしてる。
今生きているのも奇跡だ。
「誰かさんが、自分はどうなってもいいとか言ってたからな。そんなの、俺は望んでない」
「……ありがとう」
そう言うと、彼女はまた口を開く。
優しく暖かい声音で、囁くように––––
「ありがとう、ユウト」
初めて、名前を呼ばれた。