3.始まり
それからの一月は、怒涛の勢いで過ぎていった。
隣国の王妃となるために、ルベニアの地理や風土、亜人に関する知識や、外交のいろはだの王妃の心得だの、そういったものを急ピッチで詰め込まれた。一月で済んだのは、元々政略結婚を見越して基本的なことは子供の頃から教えられていたからだ。つくづく私はこの国と父にとって本当に都合の良い存在だなと思う。
でも、勉強は楽しい。知識が増えるのは嬉しいし、勉強に打ち込んでいれば他の煩わしいことも忘れられるから。
そうして迎えた嫁入りの日は、抜けるような青空だった。
ルベニアから贈られた質の良い馬車に乗り込み、たくさんの国民と国王、王妃様と姉たちに見送られながらルインズを出たのが五日前のこと。宿に泊まったり、休憩を挟んだりしながらの道程だったとはいえ、長い時間座っていたので身体のあちこちが痛い。でも泣き言は言っていられない。
もうすぐ王都に入る。そうしたら王都に住む国民たちの注目の的となる。亜人は長い間人間に虐げられてきたから、人間を憎む者も多いと聞く。私は、そういう人達にもいずれは好意的に見て貰えるようにならなければならないのだ。だから絶対に気を抜けない。とりあえず見た目は徹底的に作りこんできた。第一印象は大事だ。
そんなことを考えながら顔の運動をしていたら馬車が停まった。目の前に聳えているのは王都へ続く関門だ。カーテンを開けると、硝子張りの窓から暖かな日光が差し込んできて、眩しさに暫し目を細める。随行人の一人が門番と一言、二言話した後、ギギ、という重い金属の擦れる音がして、関門が開いていく。そしてゆっくりと、馬車が再び走り始めた。
王城へと続く一本道を取り囲む人々の視線が、吸い寄せるようにこちらに集まる。
馬車の側面はほとんど硝子でできていて、その様子がはっきりと窺えた。向こうからも私の姿がよく見えていることだろう。
警戒、不安、嫌悪、戸惑い――彼らの視線から顕著に感じるそれらを払拭するように、精一杯笑いかける。
私は見られている。試されている。私が彼らの境遇を改善するための鍵となりうるかを。私を通して、私の母国が真に味方となりうるかを。
ルインズで過ごした16年分の感傷は、旦那様となる人から贈られたドレスに身を通したとき、前の服とともに脱ぎ捨ててきた。この国に骨を埋めるくらいの覚悟でいなければ、私はきっと王妃として認められないだろう。
私の完璧なよそ行きスマイルのお披露目を終え、メインストリートの終着点、王城にたどり着くと、再び馬車が停まる。随行人が丁寧に馬車の扉を開けると、乾いた心地良い風が流れこみ緩く巻いた金髪を揺らした。そしてその先にいるのは、白銀の髪と漆黒の瞳に鋭い光を宿した体格の良い男性。その人こそがルベニア国王であることは想像に難くなかった。
「ようこそ、ルベニア国へ。私はルベニア国第3代国王、リーアム。今日という日を無事に迎え、貴女を妃としてお迎えすることができることを心から光栄に思います」
固い表情とは裏腹に、低く落ち着きのある優しげな声だった。差し出された大きな手に自らの手を置き、ゆっくりと馬車を降りてから、挨拶を返す。
「素敵なお出迎えに感謝致します。ルインズ王国第三王女、シャルロッテでございます。二国の友好の架け橋として、そして貴国の王妃として精一杯尽力しますので、どうか末永くよろしくお願い致します」
巻き起こる拍手と歓声の中、国王陛下のエスコートを受け、王城内の聖堂へと足を進める。聖堂内には先程みた人々とは違い正装に身を包んだ人々が沢山いた。多分、私の国でいう貴族に値するような、国の中枢を担う人物たちだ。
見定めるような視線に囲まれながら、結婚証明書にサインをし、指輪交換をして、私は正式にこの国の王妃となったのであった。
―――――――――――――
「……疲れた……」
結婚式を終えたあとは、パーティだのなんだので結局夜まで働きっぱなしだった。ただでさえ長旅で疲れているのに。お風呂に入らせてもらったときに足をマッサージしてみたけれど気休め程度にしかなっていない気がする。寝台に突っ伏していたら本当に寝てしまいそうだ。陛下が来るまで待ってなきゃいけないというのに。
そんなこんなしていたら、寝室の扉が開いたので慌てて乱れた髪と体勢を整える。
陛下は、相変わらず仏頂面だった。対面を果たしたときから、この人の笑顔というものをまだ見ていない。緊張しているのかとも思ったけれど、周りの反応的に元々表情筋の動きが豊かでないお人のようだった。私の頭が彼の肩くらいにしかないことからおそらく180cmを超えるだろう身長と、よく鍛えられた身体も相俟って25歳とは思えない威厳を放っている。断じて老けていると言っているわけではない。
日中は忙しすぎてそんなことを考える余裕もなかったけれど、陛下は思っていたよりもずっと格好いい人だった。お姉様が『どうせ毛むくじゃらの醜男に決まってるわ』なんて言っていたけれど全然違うじゃないか。
そんなことを考えている間に、陛下は寝台へとどんどん近づいてきて、ついに、私の隣に座る。心臓が跳ね上がったのが自分でもわかった。
……今から、何が起こるかという知識くらいはある。あるけれど。
鋭い漆黒の瞳が私を射竦める。狼の亜人だという陛下。その存在感は確かに食物連鎖の頂点たる肉食獣を思わせた。ゆっくりと陛下の手がこちらへと伸ばされて、私はぎゅっと目を瞑る。心臓が煩い。緊張で人が死ぬことがあったとしたら、私の命日はきっと今日だっただろう。
「そう緊張せずとも良い」
「……え」
「まずはゆっくり話をしようか、シャルロッテ王女」
驚いて瞼を上げれば、相変わらずの仏頂面が目に入った。ぽんと頭に置かれた手が離れて戻っていく。
「私は貴女とも、貴女の国とも、対等で良好な関係を築いていきたいと思っている」
「……陛下」
「リーアムで良い」
「リーアム、様」
戸惑いながら彼の名を呼べば、仏頂面が心做しか優しくなったような気がした。
「……この国の成り立ちは知っていることかと思う」
「はい、存じています」
「此度の同盟は私が少々強引に進めてしまったため、まだ反発もある。貴女にも厳しい目が向けられるかもしれない」
リーアム様の表情筋はやはり動かないので心情を察することは難しいのだけれど、多分、親切心から言ってくれているのだということはなんとなくわかった。
「……ルベニアがさらに発展するためには、やはりより多くの国から国として認められ対等な関係を築いていくことが必要かと思います。しかし他国は全て亜人を虐げてきた人間が中心に作っているものです。理屈ではわかっていても感情とはどうにもならないものでしょう。そして民の感情を大きく左右するのが私という存在です」
面食らったように目をぱちくりとさせているリーアム様にお構いなく、私は自分の話を進める。
「厳しい目を向けられるだけで挫けていてはこの重役は務まりませんわ。どうか、私の働きを貴方様も王として厳しく見ていてください」
そう言い切って、ぺこり、と頭を下げる。私にとっては、言われるまでもない事だった。
「……貴女は、本当に16歳か」
「あら、失礼なお方ね」
「褒めているのだが……」
困ったように言うリーアム様。なんとなくコツが掴めてきた。この人は表情より声色に感情が出るタイプだ。
「ルインズ国王が貴女をぜひ王妃にと言った理由がわかった」
「光栄です」
「長旅で疲れているだろう。今日はもう寝るといい」
おやすみ、と言ってリーアム様が灯りを消す。
背中を向けた彼と私の間にある人一人分ほどの距離に優しさと気遣いを感じる。政略結婚だったけれど相手がこの人で良かったと、そう思いながら、おやすみなさい、と最後まで言い切る前に、私は眠りに落ちていった。
ようやくヒーロー登場