21.新たなお仕事
ルインズ王国との条約調印式をひと月後に控えたある日、私とリーアム様はガロア領への視察の予定の最終確認を行っていた。
条約は調印式を以て正式に発効となり、二国間での交流や貿易が始まる。その際、こちら側の商品として主に輸出するものが薬草茶である。
ルベニアの薬草茶の原料は、荒れ果てた土地かと思われていたルベニアの地に何種類も原生していたハーブの類だ。それらを調べ、様々な薬効があるとわかったので、保護して栽培を続けてきた結果、ルベニアは病に強い国として大きく発展を遂げた。
ガロア領はその代表的な産地だ。私が建国祭で領主にテストされたように、知らなければお話にならないと言われるくらい、この国において重要な役割を果たしている。
これはその現場を間近で見ておき、ガロア領との関係を良好に保つことを目的とした視察。つまり、とても大事なお仕事なのだ。目の前で話すリーアム様も、周りにいる側近たちもとても真剣な表情をしていて、私も身が引き締まる。
出発は明日。ガロアの町をいくつか巡ったあとは領主の別荘に二日ほど滞在させてもらい、薬草栽培の畑も実際に見せてもらう予定だ。お仕事ではあるけれど、知らない土地を訪れるのも、畑を間近で見るのも、とても楽しみだ。初めての経験というものは、どうしてもわくわくしてしまう。
「……と、ここまでで何か気になることはあるか?」
「いいえ、特にございません」
私の返答を聞いて、大きく頷いたリーアム様は手元の書類を徐に集め始める。その端をトントン、と綺麗に揃えてから、彼は私に尋ねた。
「ではシャルロッテ、この視察の目的は?」
「ガロア領との関係を友好に保つためです。ルインズとの貿易の最大の目玉である薬草の産地ですから、これから彼の地の重要度は格段に増しますもの」
「聞くまでもなかったな。それでは打ち合わせはここまでにしようか」
先程その手が綺麗に揃えた書類を片手に、リーアム様が席を立つ。私も同じように書類を集めて、立ち上がる。
窓から射す光は橙色に染まっていた。今日はもう、あとは食事と湯浴みを済ませて眠るだけだ。であれば、やるべきことはひとつである。傍に控えるクリスタを少し見上げ、私は口を開いた。
「ねえクリスタ、今から視察に向けて復習をしておきたいのだけど……」
「待て待て」
「えっ」
なぜだかリーアム様に全力で止められてしまった。戸惑う私にリーアム様は穏やかな微笑みを向ける。
「そう気負わずとも、貴女は普段通りで大丈夫だ。長旅になるから、ゆっくり体を休めておくといい」
「でも……」
それを受け入れることを躊躇う私に、彼は諭すように言葉を続ける。
「ここに来てからほとんど城から出ていないだろう? 少しは気晴らしになればと思ってな」
大事なお仕事なのに、そんなことでいいのだろうか。でも、リーアム様がそう仰るなら、程々にして休んでおこうか。王の命令は絶対である。
「わかりました」
「ああ」
満足気に頷いたリーアム様に一礼をし、部屋を後にした。
クリスタを伴い、自分の部屋への帰り道を歩く。その間にも調印式に向けて、城内は一段と忙しなく動き回っていた。その様子を見ていると、私は休んでいて本当にいいのだろうかという気持ちになってくる。
「クリスタ、やっぱり後でガロア領と薬草についての資料を用意してくれる?簡単なものでいいわ」
「……本日はお休みになるのでは?」
先程のリーアム様とのやり取りと真逆のことを私が頼むものだから、クリスタは困惑している。
「ちゃんと休むわ。だけど最低限復習くらいしておかないと私が落ち着かないの。不安で眠れなくなってしまったら本末転倒よね?」
そう、これはきちんと休息をとるためなのだ。心の中で言い訳をする。
知識は武装だ。私が堂々と立っていられるのは、今まで身につけてきたものにそれなりに自信を持っているから。それが揺らいでしまうことはあってはならない。
私の言い分も一理あると思ったのか、少し渋い顔をしながらクリスタは承知致しました、と答えた。
「それに、荷造りもしなければいけないわね」
「シャルロッテ様、恐れながら、念の為に申し上げますが、荷造りは私が既に済ませております」
……そうだった。もう荷造りなんてする必要は無い、というかしてはいけないのだった。
王女時代の公務で遠方へ赴くとき、自分で荷造りをしていたのがつい出てしまった。持ち物も少ないからすぐに終わるので、夕方頃から始めていたのを思い出す。
ちなみに、リーアム様に許可を得て、クリスタにも私の出自については話してある。だからこうやって私がたまに王女らしからぬ発言をしかけると先回りして諌めてくれるのだ。
「ありがとう、クリスタ」
ふたつの意味を込めて感謝を伝えれば、クリスタは恐縮です、と頭を下げた。こうして礼儀を尽くしつつも、言うべきことは恐れずしっかりと伝えてくれる。まだそんなに長い付き合いではないけれど、私はそんな彼女が大好きで、すっかり信用しているのだった。
***
「……陛下。少々王妃様に甘すぎるのでは?」
シャルロッテが退室して暫くして、側近の一人が王にそう苦言を呈した。確かにリーアムはシャルロッテに甘い。彼自身にもその自覚はあった。けれど問題はないとも考えていた。
「シャルロッテは放っておくといつまでも勉強しているからな、これくらいでちょうどいい」
「しかし……!」
賢王だったはずの者が女に溺れて愚王に堕ちるのはいつの時代もよく聞く話だ。
また、国の今後を考えて、ルインズ王国とは対等以上に渡り合わねばならない。王妃に執心するあまりに彼女の母国に対して対応が甘くなることも部下たちは危惧しているのだろう。
「確かに私はシャルロッテを甘やかしているが、言うべきことは伝えているつもりだ。お前たちから見て彼女に何か足りないところはあるか?」
「……いいえ」
リーアムの問いかけを否定しつつも、まだ腑に落ちない顔をしている部下に、リーアムは続けて話す。
「それに彼女はきっと今頃部屋で資料でも開いてガロア領の知識を頭に叩き込んでいるだろうな。休めと言ってもなかなか素直に聞かないんだ。見てくるか?」
シャルロッテはこの国でいろいろと頑張ってくれている。自分が彼女を甘やかしているせいでイメージが下がるのは避けたかった。先程彼女をテストするようなことを言ったのも、彼女がきちんと役目を理解していることを周りに知らしめたかったからだ。
「……いえ。陛下がそこまで仰るのであれば。出過ぎたことを申しました」
「いや、私からは見えないこともあるだろう。気になることがあれば遠慮せずこれからも言って欲しい」
承知致しました、ときちっとした礼をして仕事に戻っていく側近を見て、自分は本当にいい部下を持ったな、とリーアムは考えていた。
その後、様子を見に行ったシャルロッテの部屋で、案の定先程まで読まれていたであろう資料を見つけ、お小言を言うのはこれから数時間後の話である。