20.満月の夜
それから数日間の私はといえば、余暇は部屋に引きこもり、無心でレースを量産する作業に没頭していた。リーアム様になかなか会えない間、ずっと。
「シャルロッテ様……本当にお上手ですね。売ればかなりの値がつきますよ」
「では売りましょう。おやつ代くらいにはなるかしらね。私ね、今とてもレースを量産したい気分なのよ」
半ばヤケだった。素直に寂しいと言えない歯がゆさを糸と針にぶつけてやったのだ。哀れな毛玉たちは私の八つ当たりによってハンカチやらクロスやらなんやらに化けていった。
クリスタはそんな私を見て私のストレス発散が毛玉への八つ当たりだと学習してしまったようで、知らない間に大量に新たな被害者たちを仕入れていた。彼女は私の優秀な専属女官なのだ。
「クリスタ……私の愚痴を聞いてくれる? 返事はしなくてもいいから」
「もちろん。何でも仰ってください」
さすがの私も手が疲れてきたので、毛玉いじめの速度を少しゆっくりにして、口を動かすことにした。
「私ね、こんなに上達するくらいにはレース編みをしてきたけれど、別に趣味ってわけじゃないのよ。嫌なことを忘れたくて、無心で没頭できる作業が欲しかっただけなの」
貴族令嬢の教養の一環でもあるレース編みであれば邪魔者も入りにくいし、周りからの印象も悪くないし、私にとってもつまらないことではなかったから。いつもの現実逃避の手段のひとつとして用いていただけだ。
でも、最近はそんな無意味な活動もしなくてよくなっていたのだ。そうやって閉じこめてきた気持ちをリーアム様が引き出して、それでいいんだって笑ってくれたから。
最初は別に平気だと思った。今までと同じことをすればいいって、そう思った。けど、思っていた以上に私は弱くなっていたのだ。
「私、そんなに頼りないかなあ」
「……シャルロッテ様?」
「あの人に隠し事されてることくらい、私にもわかるの」
クリスタは何も答えない。その代わり心当たりがない素振りも見せない。これは暗に私の問いかけを肯定しているし、十中八九彼女は隠し事の内容を知っている。私にそれを言わない、いや言えないのは口止めをされているから。
王の命令に背かず、私に情報をくれている。クリスタは私に内容を知られても構わないと思っているということだ。つまり、クリスタは完全に私の味方である。
「クリスタ、貴女って優しいわよね」
「何のことでしょうか」
「ふふ、なんでもないわ。今夜、リーアム様の私室にお邪魔したら怒られるかしら」
「シャルロッテ様のお好きなようになさってください」
部屋に入れるなとは言われていないのね。聞き分けのいい私がそんな行動力を見せるとは思われていないのかしら。
「そう。では好きにするわね」
……と、威勢よく出てきたものの。いざ部屋の扉を目の前にすると私は固まっていた。リーアム様に限ってそんなことはないと思うけれど、もし、例えばその……浮気現場、とかに遭遇してしまったら。私はどうなってしまうのだろうかと。
ぶんぶんとかぶりをふり、嫌な想像をかき消す。例えそうだったとしても、冷静でいなければ。
意を決して扉を叩く。返事はなかった。
けれどその瞬間、声が聞こえた。うめき声、だろうか。とても苦しそうな声だった。
「っ失礼いたします!」
ただただ心配で、無礼を承知の上で扉を開けた。
そこにあったのは、いつもと違う夫の姿だった。
「シャルロッテ……なぜ、ここに」
白銀の髪の間から生える三角の耳。いつもより尖っているように見える歯。野生を感じさせる、ぎらついた瞳。
――狼男は、満月の夜に本当の姿を現す。
その伝説に違わぬ姿だった。だけど、怖いとは少しも思わなかった。月明かりに照らされてきらきらと輝く白銀の髪が、宝石みたいでとても綺麗だと思ったのだ。
「……クリスタか」
「っ、クリスタは悪くありません。私が我儘を言ったのです。その、貴方に隠し事をされているのが悲しくて」
リーアム様は虚をつかれたような顔をして、はーっ、と大きなため息をついて、頭を抱えた。
「まさか、見抜かれていたとは」
「……申し訳ありません」
「いや、貴女は何も悪くない。元々嘘は苦手だ。隠して誤魔化そうとした私が悪い」
彼が突っ伏していた机から気だるげに体を起こし、立ち上がろうとするのでそれを制し、駆け寄る。体調が悪いのに無理なんてさせられない。
「それより、どこか悪いのですか?」
「ああ……見ての通り、私は満月の夜に発作で獣化が起きるので薬で抑えている。一部は獣化してしまううえに副作用で全身が怠いが、それ以外に特に問題はないよ」
彼の言っていることに嘘はないんだと思う。けれど、気を遣われている。私に心配をかけまいとする意図を感じる。
「……どうして、教えてくださらなかったのですか」
「貴女に醜い姿を見せたくなかった」
醜いなんて、そんなこと思うわけないのに。信用されていないみたいで、悲しい。悔しい。
それが表情に出てしまっていたようで、困った顔でどうした、と聞かれた。察されてしまってはもう隠しても仕方ないので、観念して伝えてみることにする。
「……リーアムさま、私には弱みを見せてって仰るのにご自分は隠すのは、ずるい、です」
「!」
「気分が優れないなら看病します。眠れないなら朝までお付き合いします。私だって、あなたが苦しいときには力になりたい」
最初は威勢よく発した言葉も、何も言わずに真剣に私を見つめる視線にだんだんと自信がなくなってきて、思わず逸らして、俯いてしまう。だって、結局これは私の我儘で。もし受け入れて貰えなかったらどうしようと、そんな考えはどうしても抜けない。だから、予防線を張ってしまうのだ。
「その……ご迷惑でしたら、大人しく戻りますから」
「迷惑なんてあるものか」
「!」
上から降ってきた優しい声に顔を上げれば、穏やかに笑んだ彼と目が合った。そのままふわりと優しく抱きしめられる。
……やっぱり、伝えてよかった。
私の悩みも、憂いも、この腕が全部受け止めてくれる。いつもより体温の高い彼からじんわりと伝わる熱が心地よくて、こちらからもそっと手を回す。
「何を恐れていたんだろうな、私は」
「あの……」
「このまま寝台に行っても構わないか?貴女がいてくれれば安眠できそうだ」
こくこくと頷けば、彼は私を持ち上げて運ぼうとするので、全力で拒否した。
「じ、自分で歩けます!ご無理なさらないでください!!」
「無理じゃない。貴女は軽い」
「そういう問題じゃなくて!!本当なら私があなたを運びたいくらいなんですからね!」
「それは無理だろう」
「無理ですけど……」
仮にも一国の王女だった私に、大柄な男性を運ぶ腕力など備わっているわけもなかった。仕方が無いので手を差し出せば、彼はエスコートしてくれるのか、と笑って私の手に大きな手を重ねて。そのまま寝台に二人で体を横たえる。すぐに包み込むように二つの腕が巻きついてきて、さっきまでの熱が戻ってくる。
「クリスタにも言われたんだ。貴女にちゃんと話すべきだと」
「クリスタが……?」
「ああ。シャルロッテ様はそんな肝の小さなお方ではありません、と言っていた。私よりもずっと貴女のことを理解している」
ああ、だから彼女はあんな風に手助けをしてくれたのだ。私と彼の関係が上手くいくことを、誰よりも望んでくれている。幸せだと思う。こんな風に気を許して、信頼できる人がいて。
そんな風に他愛もない話をしていたら、いつの間にか夜は更け、どちらからともなく眠りにつき、朝を迎えるのだった。