10.フラッシュバック
少しざわついていた会場内は、陛下と私が姿を現すと途端にしんと静かになった。
見られている。
リーアム様が祝辞を述べている間にも、私とリーアム様の、その一挙一動を。
「……では、ルベニア国の更なる発展を願って、祈りを」
一分間の黙祷の後、楽団の演奏が始まった。厳かな雰囲気から一転し楽しげなパーティへと変化する。
本音を言うと私もご飯を食べたいところだけれど、次々と挨拶にくる臣下の応対をしなければならないので、じっと鉄壁の笑顔を貼り付けて耐えている。
「……王妃陛下は、もうこの国には慣れられましたかな? なかなか我々の前にお姿をお見せにならないので臣下共々心配しております」
「陛下のご厚意で、ゆっくり身体を休めるように言われておりましたの。お陰様でだいぶ新しい環境にも慣れてきましたわ。こうして皆さんの前にも出てこられました」
「王妃陛下はお身体が丈夫でないのですか? あまりご無理はなさらずに。それともうちの領の特産品を上納致しましょうか」
「ご心配ありがとう。ガロアの薬草茶にはいつもお世話になっているわ」
うーん、信用されてないなあ、私。
今話していたのは、王都の隣にあるガロア領の領主だ。商会と協力して薬草の大量栽培に成功し事業として確立し、ルベニアの民の健康水準を上げることに大きく貢献した立役者。彼は名乗りはしたけれどガロアの領主とは言わなかったので、領の名前と領主の名前、それから何を為したかの前提知識がなければさっきの会話は成立しない。
要は私をテストしているのだ。私が顔が良いだけの中身のない女でないかどうかを。
とりあえずは合格したようで、彼はうんうんと頷いてから、深く礼をして去っていった。
この人に限らず、話しかけてくる人々は皆そんな調子だ。うん、やっぱ宮廷暮らしはこうでなくちゃね!
でも、そうやって私を値踏みしてくるような人は、ルインズとの同盟関係の価値もわかっている、話のわかる人だ。そういう人たちをなるべく早く味方につけておくに越したことはない。
挨拶にくる客が途絶えたあたりで、音楽の曲調が変わる。ダンスの時間だ。陛下と私が踊り始めなければ皆動くことができないので、私たちがまず先陣を切って中央へと出る。
困ったことに陛下と私はかなり身長差があるので、優雅に見せるには結構な技量が必要だ。何回も練習したし、大丈夫だとは思うけど。
「シャルロッテ」
ふと、名を呼ばれた。思ったよりも近い位置で、視線がぶつかる。
「仕事熱心なのは良いことだが、今くらいは私だけをみていてほしいものだ」
「っ……!」
動揺する私を見て、リーアム様の口元が少しだけ、緩む。今、その顔は、ずるくないですかね。普段微笑まない人が微笑むと破壊力がすごいんですって。わかっててやってるんでしょうか。
腰に回された手は大きくて、ごつごつしていて。今までに踊った男性の誰よりも「支えられている」感じがして、どきどきしてしまう。私なんて片手でひょいと抱えられてしまいそう。
「やはり、貴女は華奢なのだな」
「……そう、でしょうか」
「ああ、力を入れたら折れてしまいそうだ」
その言葉のとおり、壊れ物を扱うように優しく、優しく触れてくるのがすごく、むず痒くて、気恥ずかしい。陛下は仕事一筋で生きてきた方だと聞いたけど、絶対嘘だと思った。これを素でやっているのだとしたら恐ろしい。
そんなことを考えている間にも、私の足はステップを踏み続けているので、慣れというものもまた恐ろしい。
2曲ほど踊ったところで、私たちはダンスの輪から抜け、元の位置へと戻ることになった。喉が乾いてしまったので、飲み物を貰いに行ってもいいかとリーアム様に聞いたら許可が降りたので、料理と飲み物を提供するテーブルの方へと移動する。
その間に聞こえてくる私の評判は概ね好意的なものであるので、とりあえずは及第点といったところかな。
アルコールの入っていないものを選んでグラスに口をつけていると、15歳くらいだろうか、背の低い給仕の服を着ている少女が隣のテーブルで皿を運ぼうとしているのが見えた。
「あ、これもお願いできるかしら」
「え、あの」
少女の持っている皿に、どこかのご令嬢だろうか、着飾った女性が自分の持っていた皿を重ねる。
あっ、と思って手を伸ばした時にはもう遅かった。給仕の少女はバランスを崩して、皿と銀のフォークが、床へと滑り落ちる。
金属とぶつかり合い、陶器が割れる耳障りな甲高い音が響いた。
――どうして、この程度のことができないの!
あのひとの、金切り声がする。
「あ……あ、王妃陛下、も、申し訳ございません」
――ごめんなさい、ごめんなさい、王妃様、許してください
もう次は失敗しないから――
「……ロッテ、シャルロッテ!」
はっと、陛下の私を呼ぶ声で、現実へと引き戻された。
「……どうした」
「いえ、すみません」
私が一瞬意識を飛ばしている間に、思っていたより注目が集まってしまっていた。
目の前には、震えて蹲る給仕の少女。クリスタの言葉を思い出す。人間に怯える、亜人。彼女がきっとそうだ。彼女の手に皿を重ねてしまったご令嬢も、どうしたらいいのかわからないのだろう、こちらを見ておろおろとしている。
私が、この場を収めなきゃ。
「……ぶつかってしまってごめんなさい、私が不注意だったわ。怪我はないかしら」
「え……」
安心させるように、屈んで視線を合わせ、なるべく優しげに微笑み、私は小声で話を合わせて、と伝える。
「は……はい、私は大丈夫です」
「よかった」
「ですが、王妃陛下のドレスが」
「私の不注意が原因でドレスが汚れたくらいであなたを罰したりしないわ。気にしないでお仕事にお戻りになって」
彼女は、ありがとうございます、と深く頭を下げてから、裏方の方へ去っていった。緊迫した空気で出るに出られなかったのであろう、別の給仕が割れた食器の破片を片付け始める。
私がお騒がせ致しました、と軽く頭を下げれば、張り詰めた空気は解け、またパーティの喧騒が戻った。件のご令嬢がじっとこちらを見ていたので、次は気をつけましょうね、の意味を込めて、笑って目配せしておいた。
主催の立場として招待客に恥をかかせるわけにはいかないし、給仕の少女の不手際にしてしまうのもおかしい。
であれば、私のせいにしてしまえば良い。
完全に信用を得られていないとはいえ、私はこの国の王妃だ。私がそう言えばそういうことになる。立場的に私を表立って咎められる人は、陛下しかいない。その陛下が何も言わないということは、そういうことだ。
そんなアクシデントもあったけれど、そのあとは特に滞りなくパーティは進み、おひらきとなったのであった。