第66話 対アビスのために!繋がれる時代のバトン!
「まずこちらの資料を」
ゆりが立ち上がり、報告を始める。円卓を囲む一同の手元にある資料には、アークシャインの報告が纏めてある。
「『神隠し』?」
らいちが呟いた。
「世界中で行方不明者が急増しています。日本も例に漏れず、ここ数年ではまた10万人を越え始めました。これだけではアビスとの関連性は低いですが、アークシャインには世界中から情報が集まるSNSがあります」
「『ASYA』ね。勿論私もやってるよ」
「そこに、気になる書き込みがありました。『子供が怪物に拉致されているのを見た』と」
その場がざわついた。
少しの沈黙があり、それを破ったのは心理だった。
『……なるほど。最低1200のアビス。その食糧はどこから来るんやいう話か。都市を襲ういつものアビスと別に、「人を拐う」新しいアビスがおると』
「まだ予想に過ぎませんが、現地に赴いて調査を進めています。現在のエクリプスがクリアアビスならば、そんなことも可能と思われます。これについては以上です。続きまして……」
――
報告会は滞りなく進んだ。アークシャインとアウローラの連係はとても密にある。磐石の布陣と言って良いだろう。
「……さて。こんなもんかな?」
らいちが切り出す。そして立ち上がり、手を叩いた。
「ご飯にしようっ」
――
「アウローラ名物……って、普通の中国料理じゃね?」
太陽が今日初めて発した台詞は、見た通りの疑問だった。
厳かな装飾で彩られた円卓。香辛料の強い匂い。あからさまな服装の従業員達。
「そうだよ! 基本は薬膳料理だけど、美味しいよ」
「へぇ。薬膳。道教とか気功とかってやつか」
『古代中国思想と「精神力技術」はとても親和性が高いのですよ、ミスター・タイヨー』
そこへにゅっと現れたのは金髪有翼の女性。三天使のひとりである。だが3人は3人とも全く同じ見た目をしているため、判断はそれ以外でしなければならない。例えば常にシロナを浮かせているのがサブリナで、今妊娠中なのがダクトリーナであり。
「うわっ。えーっと……サブ……いや、ダ……」
太陽は彼女を慌てて観察し、その白い服装にこべりついた油を見落とさなかった。
「イヴ!」
『…………ええ、イヴですが。まさかミスター、私達の見分けが付いていないのですか?』
「ギクッ!」
『髪型変えたり服装変えたり色々しているのですがね。まあ月に1度の会合では分からないでしょう。貴方がただ「そういう男性」である可能性もありますが』
「悪かったって。さ、食べようぜ」
『……ミセス・ヒカリも苦労しますね』
――
「アウラの解放?」
「うん」
らいちの言葉を、ひかりは聞き返した。アウラとは、ラウムと人間の戦争を引き起こした張本人であり、らいちがラウムの全責任を負わざるを得なかった状況へ追い込んだ空前の思想家。彼女に無理矢理感染させられたラウム兵はアウローラ国民の半数以上に上る。子供老人、全てを見境無く巻き込んだ中国大陸史最大のバイオテロリスト。そしてさらに驚くべきことに、被害者の家族の殆どが肉親の仇と憎む彼女を、アウローラ国民(被害者本人)の大半が『女神』と呼び崇拝していること。
そんな彼女は今、アウローラの奥深くで厳重に幽閉されている。日本が身を引き渡したのは、勿論こんな、物理的にも精神的にも外交的にも危険な人物を、軍隊も持てない我が国に留まらせておく訳にはいかないからだった。その後でらいちが、アウラの極刑を望む中国政府とどう話を着けたのかはアークシャインには知る由もないのだが。
それを知る、ひかり含めアークシャインの面々は、誰もがお互いに目を合わせる。
「もうラウムアビスとの戦争も終わったし、アウローラも無事に建った。そろそろ解放して良いんじゃないかって動きが少しずつ出ててね」
「…………」
『……?』
ゆりはサブリナを見た。そう言えば、ことの張本人はアウラだけではない。遡れば、そもそもラウムアビスこそが。
「そう。この3人が比較的自由にアウローラを往くのにも関わらず、同じ筈のアウラが何故解放されないんだっ、てね。寧ろ3人は過去敵であり、アウラこそこちら側の女神だろうって」
『……いや。それはどうでしょうか』
らいちがゆりの想像した『アウローラ国民の気持ち』を代弁すると、サブリナは否定した。
『クイーン・ライチとも少し話し合いましたが、愚姉を出さない理由は犯した罪より寧ろ、解放後のリスクの部分が大きい。私はまだまともですが、彼女の精神性はハッキリ言って異常です。解放直後に何をしてくるか分からない。武装蜂起とクーデターは「ラウムアビスの十八番」ですから』
そのサブリナの言葉に、一同は一斉に反応した。
……お前が『まとも』だと?
全員の意思が一致した。
『いやいや。あの時の私の立場を考えてください。真面目に、かつ深刻に、そして現実的に、「中国ラウムを早急に滅ぼさねばならなかった」。貴方達があの時私なら、大体は同じ判断をしたでしょう?』
「…………」
全員考えた。まあ、言わんとしていることは分からないでもない。あの時のサブリナにとって、自分の目的を達成するためにはどうしても中国ラウムが目下最大の障害になっていた。やり方はともかくとして、イヴと提携し核を手にしているのならやはり最終的には戦っていたかもしれない。
「やり方はともかくとしてね」
ひかりの言葉に一同は頷いた。しかしサブリナは怯ます微笑んだ。
『それで良いのです。貴方達は私と同じ考えを少なからず「し得る」。それが共感。そして誰もアウラとは共感できない。私達とは違う価値観の生物。だって、「本気で神になりたい」と、強く思ったことなど無いでしょう。その為の策を練り、実行しようとしたことも』
「……」
サブリナに同類的に見られたことに何か納得できないが、一応は理解できた。
アウラはそれほどまでに危険な者なのだ。
「どうするの?」
「結論としては、解放はしないよ。情状酌量の余地は無いし、責任能力も無い。罪の意識すら。あれはいつ爆発するか分からない猛毒の爆弾だからね。皆が望むからって解放してられない」
『では国民には?』
「対話して、分かってもらうしかないね。決して私(上)の個人的エゴじゃなくて、実際に結果を想定して、国の為にならないってことを」
『それは……また、困難な道ですね』
「あはは……。まあ、それだけじゃ可哀想だから、できることはやってるけどね」
『?』
らいちとサブリナは、別に常に共に居る訳では無い。お互いを真に理解しているということもない。ただのビジネスパートナーのひとりだ。
だからサブリナは、女王が姉と密談していることなど知りもしなかった。
「対話は大事だよ。いつか、解放させてあげられれば良いんだけどね」
『……!』
その時一瞬だけ、シロナを浮かす手が硬直した。
「……つまりそれが、『あとひとつの議題』ってことね」
それを見たひかりが話を戻す。アークシャインとアウローラは軍事・国防・対アビスに於いて全面協力をしているが、国内の事情についてはさほど詳しくない。
「まあ……ね。アウラが協力的になれば国防は随分強化される。なんたって女神だから」
『なるほど』
軍事的に、兵器的に、科学的にアウローラを支える技術者である『三天使』。そして、彼ら国民の誇りである『女王』。さらには外部から『純血ラウム』と『超心理学者』。彼女らを以てすれば一国の国防などすぐに世界へ誇れるレベルになる。しかしそれではまだ、完全とは言えない。『対アビス』となると不可欠な要素がある。
『「精神的高揚」……。パニピュア同様、ラウムが最も力を発揮できるのは支配されない「自由意思」による闘志。そして元中国ラウムであるアウローラ兵が最も精神を高揚させるのは』
「自分達を生み出した女神の存在」
らいちは宙に浮かぶシロナを捕まえ、優しく抱き寄せた。
「諸刃なんだよなぁ……」
『時間を掛けるしかありませんね』
そう言ったサブリナに、ゆりが異論を唱えた。
「時間的猶予はあまり無いのでは?」
『……そうとも言えません』
サブリナはらいちからシロナを再度奪い、今度は同じように自らの腕で抱き込んだ。
勿論シロナは無表情のまま、されるがままである。
『私達の考えでは恐らくは少なくとも10年、アビスは動かないでしょう』
「何故?」
『王とプリンセス・アヤの邂逅は約1年前のこと。そう。私達は彼らの接触を許してしまった。あの時までにアヤを捕捉できなかった。とても大きな痛手です』
「……」
『アビスのコミュニティはとてもシンプルです。プリンセスは恐らく、既にクイーンと成っている』
「……まさか」
そうだ。考えなかった訳では無い。アビスが身を潜めた理由。そしてその種族性質。『姫』さえ居れば滅びることは無いその性質。それを守り抜いたという点では、この『姫を巡る追いかけっこ』はアビスの勝利と言える。
『「次なる王」は既に生まれ落ちている筈。……ハイ、シロナ』
サブリナはその美貌を崩さず、シロナへ語り掛ける。まだ言葉も分からぬシロナも、サブリナの眼をじっと見詰めた。
その傍らで、サブリナの次の言葉を察したひかりはとても不安そうな表情を浮かべた。
「……!」
『これからは次世代の戦いですよ』
その台詞は呪いのように、ひかりの脳内で反芻された。




