第62話 かりんの見聞録 その②「精神術」
カツンと、革靴の乾いた音が響いた。ガラガラとスライド式のドアが開かれる。
「やあレイシー。元気かな」
禅が語り掛ける、その部屋には。
「……?」
誰も居なかった。
続いてかりんも入る。机と椅子とパソコン。壁に本棚とファイル。それだけの小さな部屋。
『こんにちは、ゼン。今日もダンディだね』
「!」
ふと声がした。機械の音声だと分かった。かりんは聞き慣れている。
それと、ひとつのファイルのラベルを読んだのが同時だった。
『試作自律思考AI-Lacey-実験①~③』
「……レイ、シー」
『こんにちは、カリン。今日もキュートだね』
「!」
かりんの呟きに反応し、パソコンのスピーカーから『彼女』の声が聞こえた。
「……紹介するよ。私の研究成果の『レイシー』だ。仲良くしてやって欲しい」
禅が手を向けたのは、無機質なパソコンの画面。
「…………初めまして」
そこには『赤く髪を染めたらいち』が映っていた。いや、らいちより少し年齢が高そうだ。だが似ている。
『こんにちは』
レイシーはそう言った。かりんはらいちと話しているような、しかし違うという不思議な気持ちになった。
「初めましてだよ、私達」
『いいえ? 私は知っているよカリン。歩けるようになって良かったね』
「!」
『さてゼン。今日は何の用だい』
「所でかりんちゃん。私からAIについて聞きに来たんだろうけど」
「……はい……?」
禅がレイシーを『無視して』人差し指を立てた。
「勿論見返りを求めるよ」
「!」
「恵と戦ってくれ」
「!?」
矢継ぎ早に告げられる。かりんは一瞬思考が止まった。
――
研究所前。ただの空き地のような場所に、ふたりは向かい合った。かりんは無言で棒立ちしているが、恵はシャドーの動きをしている。
「……意味が分かりません」
向かい合ったものの、かりんから疑問符は消えない。
「戦う理由はありませんし、意味もありません。怪我、しますよ?」
「まあまあ。ただの見返りだよ。理由も意味もあっても無くても良いんだ。あっそうそう。変身は無しでお願いするよ。死んじゃうからね」
「………」
言われなくても、変身などしない。パニピュアと人間では生物としての強度が桁違いだ。あらゆる打撃も絞め技も間接技も、人間の筋力ではかりんにダメージを与えることは不可能だ。
「大丈夫。すぐに終わるし、『分かります』」
恵は受け入れていた。そして更に、負けるつもりは無いといった表情をしていた。
「……わかりました」
禅の考えが見えてこないが、取り合えずこの女性を打ちのめせば状況は進む。研究所へ来てペースを乱され続けていたが、戦闘となればこちらの領分だ。
「……では、お互いの好きなタイミングで始めてくれ」
その言葉を合図に、かりんの瞳に闘気が宿る。変身せずとも、『ラウム』としての驚異的な身体能力が彼女にはある。
10メートルほどの距離を一瞬で詰めた。
――
『ヒトは常に「精神力」を周囲へ放っている』
戦いを見守るレイシーが呟いた。カメラとマイクが入り口に設置されているのだ。
『雰囲気。敵意。好意。興味。視線。態度。息遣い。それらは精神力として、周囲の生物に認知される。「気」というものはそのように精神的なものでもあり、また「大気」に代表されるように科学的なものでもある。相手の発する「気」に「合わせる」技術を「合気」と言う』
今にもかりんは、恵へ迫る。服でも引っ掛けるか、足を払って倒せば終了だろう。
『相手の「気」を読み取り、「操作する」技術。これの名前はまだ無い――』
「!?」
だがかりんは恵へ触れる寸前で止まった。ぴたりと動かない。寸止めをする勢いではなかった。かりんにしても、不意に『止められた』のだ。
「(動かない! なんで!? アウラを止めた未来ちゃんの術!?)」
四苦八苦するかりんは、やがて飛び上がり、距離を取った。
「(後方へは動けた。つまり『彼女に近付けない』)」
心臓の鼓動が速まる。かりんは未知の技を使う相手を前にして汗を垂らした。
「(……ただの人間じゃない…)」
かりんの中で恵への警戒度が上がった。
『――"精神術"。一応仮称。教授が産み出した副産物。「相手の精神を操る」一種のトリック。マジシャンの延長線上のようなもの』
レイシーの説明に、禅は満足げに顎を撫でた。
「『ここ』なんだよなぁ。私のAI研究の壁は。機械自体の雰囲気ならゴテゴテに装飾すれば出せるけど、『プログラム』に『気』を持たせるのが難関だ」
「では次は、私から」
「!」
恵が拳を握る。あまりにも強く握り締めたため、かりんの視線は釘付けになった。
「で、蹴るんだ。古典的だけど、だからこそ強い」
「っ!!」
瞬間、恵の上段蹴りがかりんの首へ突き刺さった。勿論かりんは反応できず、もろに食らう。
「………凄いですね」
だがかりんはびくともしていなかった。彼女の精神障壁が、その蹴りを防いでいた。
「……君ほどじゃありません、『ラウム』」
恵は少し驚いたが、体勢を建て直して今度は指先をかりんへ向けた。
「"精神拘束"」
「えっ」
直後、かりんは全身の力が抜け、膝から崩れる。
「………!」
立てない。否。
立てないのではない。立とうとする気力が沸かないのだ。
「(……また別の技。これも未来ちゃんと同じ……)」
「これで私の勝ちですね? 教授」
振り向く恵。禅はただ笑って首を振った。
「凄い。……人間でも、アビスに対抗できるんだ。本当に凄い」
「……?」
「"精神集中"」
かりんへの意識を切らした恵の落ち度では無い。かりんの元々の、『精神障壁の先駆者』である彼女の純粋な精神力。
それを技に乗せ、効率的に運用する。
『どんなに技術を極めても。何十年と道を究めても。結局は「より強大な力」には敵わない。昔は怪人1体に対して宇宙科学で武装した戦士5人で当たっていたのが何よりの証拠。……しかしまあ、変身していないパニピュアにすら初見殺しも出来ないレベルとは』
「そうだね。これじゃあまだ危なくて実戦はできないかな」
「ぎゃあっ!」
レイシーは溜め息を吐いた。その視線の向こうで、恵がかりんに組み伏せられていた。
「あっは。そこまで! かりんちゃんの勝ちだね」
――
「教授は『AI』の研究者ですよね。機械ですよね。パソコンですよね。なんで副産物で『あんなの』ができるんですか」
研究所へ戻った3人は、妙な内観の休憩所で机を囲んでいた。禅の後ろにはホワイトボードが用意されている。
かりんはやや不機嫌そうに質問を投げ掛けた。
「あっはは。人の持つ『気』を人工知能に搭載させようとしたんだけど、そこから『気』について詳しく調べてる内にね」
「……気を搭載、って」
「いやいや、重要だよ。例えば、『無人島に何かひとつ持っていける』って話、したことあるかい」
「……? まあ、ありますけど」
「答えは人によって様々だよね。食料とか水って言う人も居るし、家族、なんて答える人も居る。もっと言えば、ヘリコプターとか、衛生電話ですぐ帰ろうとする人。中には『国』なんて言っちゃう人も居る」
「……それが?」
「普通はさ。『極限状態で生き延びなければならない時、あなたの一番大事なものは何?』っていう主旨だと思うんだよね。質問の目的、意図は『あなたの一番大事なもの』だよね。でもそれは質問自体に含まれてないから、『無人島で生きる』という言葉に縛られて『ナイフ』とか答えちゃう。『国』なんて言う人は拡大解釈し過ぎてる。持っていける訳無いのにね。『何かひとつ持っていける』ってのは、『あなたの持ち物の中で、持ち運べるもの』の筈だろう。普通は」
「……??」
「――っていう、今みたいな『あれこれ』を考えて、言い合って楽しむ遊びだ。真面目に考えなくても良い。ルールも曖昧で、その場のノリでやるものだ。そうだろう? 普通は」
「……はぁ」
かりんは今いちピンと来ない。
「それだよ。その『普通は』というものが、AIには理解させられないんだ。私らにとっては言葉にしなくても分かっている筈の暗黙の目的や意図が、機械には無いし伝わらない。それらを全てプログラムで入力するのは不可能なんだ。だから人工知能に『何かひとつ持っていけるものは』と訊いても、『そもそも無人島に行かない』とか『私には物を持つ手は無い』とか答えちゃう。そりゃそうなんだけど、『もしも』の話を『想像』できないんだ。統計から現実の予測はできるけど、『もしAIの自分が自由に動かせる身体を持ち、その上で無人島へ行くなら』という『夢のような膨大な予測の経過』を『質問ひとつ』ではすっ飛ばすことができない」
禅はホワイトボードを使い、AIに自我を持たせられない現状を説明していく。
「『普通は』という観念もそうだけど『雰囲気』とか。それらは『言わなくても分かってる前提』という価値観が土台にある。私らは同じ人間だから、無意識にそれを共有してる。『気が合う』って言うだろう。それはその『暗黙の前提』の価値観が近いからだね。あとは『空気を読む』。これは気体のことじゃなくて、コミュニケーションの中に生まれるものだ。『意気込み』とか『気合いを入れる』とか『人気』とか。『気(精神力)』というものはラウムやアビスじゃなくても、我々の生活の基盤なんだよ」
そこまで説明して、禅は恵を見た。
「そこで彼女だ」
「はい」
「彼女は『気を読める』。だからこそ"精神術"を使えるんだけど」
確かに、いきなり女子中学生を紹介されてさらに戦えと、意味不明な要求にも『空気を読んで』禅に合わせた。少し説明が無理矢理だが、コミュニケーション内の全体を俯瞰できているのだろうとかりんは思った。
「(だとしたら、未来ちゃんは意図的に空気を読んでない時あるなぁ)」
「別に超能力とかじゃありません。察しが良いだけだそうです。それを教授が漫画みたいに誇張してるだけだと」
「でもその力のお陰で戦える。だから私の所に通っているんだろう?」
「……まあ」
恵は湯飲みを置き、自身の拳を握って見た。中肉中背で凡そ筋肉質には見えないが、だからこそ『技術』を学んでいるのだろう。
「……何と戦う……んですか?」
かりんが訊ねた。
「アビスに決まっています」
「何故?」
「勿論人々を守るため」
「じゃあ、アークシャインに入るの?」
「いいえ。私は誰にも頼らず強くなる」
「え?」
「あっは!」
かりんが首を傾げるのと同時に、禅が笑い声を挙げた。
「アークシャインは頼らない。だけど私に頼って"精神術"習ってるよね」
「教授は良いのです」
「あっはっは。意味不明だね。アークシャインは駄目。私はOK。それじゃ『誰にも頼らず』とは矛盾してる。その境界線は『気分』だ。恵、君は『とても人間』だよ」
「はい。人間で良かったです」
「あっはっは! それで良い。君のお陰でレイシーが成長するんだから!」
――
それから、AIについて説明を受けたかりん。分かったことは『レイシーを含めたAIには高度な知能があるが、主体が無いため、意思が無い』ということ。
……プログラムについては説明されても理解できなかった。しかし『AIに自我を持たせる』のはそう遠くない未来に実現できるようだ。それを成功させるのは禅自身ではない可能性もあるらしい。未来の言っていたことは、正しかった。
そして、調べておきたいことはまだあった。
「義堂未来ちゃんか。まだ記憶に新しい名前だね。遥ちゃんの妹。ふたりとも『美紀に似て』凄く賢い子だったよ」
「……義堂、ハルカもご存知なんですか?」
「ああ勿論」
かりんは思わぬ好機を得た。そして知ることになる。
「あんなに精神力の強い子は見たこと無い」
ハルカという、ともすれば『彩以上に』人間とアビス、『両方にとっての重要人物』についての情報を。




