第55話 彼らの決意!平和とは、次の戦争までの準備期間!
地下にはもうひとつ世界がある。これは別に、地球空洞説だとか、政府の秘密のシェルターとかそういったオカルトめいたものではない。日本でも、主要都市の地下が蟻の巣のようになっているのは最早誰もが知る事実だろう。
地球人類は宇宙からもたらされた科学技術を取り込み、さらに文明を発展させる。
ならば宇宙側も、人間から得られるものは多い筈だ。
進歩の差ではなく、そもそも全く別の文明だったのだから。
――
「隠れ潜もうと思う」
言い出したのは、見た目20代の黒人の男性。サングラスを掛けている。ジャケットにジーンズという変哲の無い格好だが、その雰囲気は上に立つ者の確かなオーラが感じ取れた。
「……詳しく」
説明を求めたのはハルカだ。黒人の彼が来るまで、統率を取っていたのは彼女だった。
「なに、固くなるな。別に新入りがいきなり生意気言うとか、姫を差し置いて指図するとか、そんなんじゃない。ただ最も客観的立場に居る俺が、お前達の報告を受けて、現実的に目的に沿って考えて、『提案』させてもらってるだけだ」
「……おい、あれ誰だ?」
ハルカと男性が会話をしている脇で、フィリップが呟く。それを拾ったのは隣に立っているコロナだった。
「……"日蝕"」
「……は? 死んだんじゃねーの」
「死んだのはハーフアビス。彼はクリアアビスのエクリプス。10年前から今までずっと、地球にアビス粒子を送っていた張本人」
フィリップは精神支配から逃れられる例外である。精神干渉ができないため、アビスの情報は口頭で聞くしかない。
「それってつまり……俺らの親ってことか」
彼らアビスは、新たな仲間を迎えていた。役目を終えた王が死に、新しく戦力が補充される。これは地球でのアビスの在り方に正しく則っていると、彩は嘆いた。
「姫」
「はい」
エクリプスは座っている彩へ言葉を掛けた。
「王亡き今、決定権は常に姫です。沢山情報を収集して、状況を正しく把握し、我々の目的を理解して、ご判断ください」
「……う、うん」
やや口調が強めなエクリプスに、戸惑う彩。
「ちょっと! 失礼よあんた」
当然ハルカが食って掛かる。彼らはクリアアビスとして対等な立場だ。言わば真の幹部と言えるだろう。
「俺の無礼で種族が繁栄するならいくらでも罪を背負おう。だがこれは、これだけは。今は瀬戸際なんだ。俺の心情も察してくれ。『俺が最後』なんだ」
「!」
彼の言う通り。もうこれ以上増援は見込めない。これからは今居るメンバーで、アビス絶滅を防ぎ、繁栄しなくてはならない。
「分かってるよ。大丈夫。大丈夫だから、もう一度聞かせて? 貴方の『提案』を」
彩は理解した。もうアビスは。地球に居るので全部だと。深淵の惑星は滅び、新星爆発から逃れたアビス達もラウムとの内戦により自滅したのだと。
「ええ。別に難しくもなんともない。『身重な姫を危険に晒して戦うより、今は一旦退いて、態勢を整えよう』という話。これに反対する者は居るまい?」
そう説明して、ハルカを見る。彼女は不満そうだったが、エクリプスの意見自体はまともである。
「そうね。破滅的に戦っては駄目」
「その通りだ。サテライト。お前は戦場ではこの上なく頼りになるが、どこまでいこうが戦士。武官だ。種族の運営は文官に任せてくれ」
「……そういう所が昔から気に食わないのよ。だけど良いわ。せっかく先輩が助けてくれたのだから、大切にしないと」
「侵略どころか、ラウムの恒久的繁栄すら許してしまった。王はその責を負ったんだ。自らではなくお前を生かした理由。それを考えることを止めるなよ」
「……あんたに言われるとムカつくけどね」
「……ランスさん」
エクリプスとハルカの言い合いの横で、彩はお腹を撫でた。彼と居た時間はとても短かったが、その証は確かにここに宿っている。
「いい? 皆」
「!」
彩の一声で、全ての会話、雑談がぴたりと止まる。そして全員が彼女へ向き、姫の次の言葉を待つ。
「ラウムは完全に人間に取り込まれた。空も大地も、私たちの世界じゃない。完全敗北だよ。しかも向こうは『勝った』とすら思ってない。今や私たちは、そのへんの人間のテロリストと変わらない」
彩が状況を改めて説明する。
「だけど闇雲に突っ込んでも負ける。だから、力を蓄える。それは正しいと思う」
ちらりとエクリプスを見る。彼は得意気にサングラスを触る。
「この子が産まれて、戦えるようになるまで。それまで堪え忍ぼう。良いかな」
彩はお腹を撫でながら訊ねる。アビスメンバーは皆、一斉に頷いた。
「私は彩ちゃんの騎士だから。全ての決定に従うわ」
ハルカは彩の前へ一歩踏み出し、片膝を突いた。
「同じく。ボスが動けば全てが動くこの獣社会が、侵略種族たるアビスの美学」
エクリプスも倣う。姫の前に、クリアアビスがふたり。
「……そもそも俺らに拒否権はねえし、妊婦を危ない目に遇わせないようにするのは大賛成だ」
「私は精神支配されてるからなにがなんでも従うしかないけど、彩は優しいから好き。私の分まで元気な赤ちゃん産んで貰わないと」
フィリップとコロナも続く。自分の前に皆が平伏すその見慣れた光景を、しかし彩はいつまでも忘れないだろう。
「最後は勝つよ。『みんな』の仇、取らなきゃね」
「「おおっ!」」
――
所変わって、日本アークシャイン基地。久々に戻ってきたひかりは、執務室で一息ついていた。
「……ふぅ。取り合えずは一段落ね」
ラウムとの戦争が終わり、アウローラへの協力も終わった。これからは本来の目的である、対アビスへ集中できる。
「シャインジャーは訓練兵も含めると今や700人。怪人の出現は1日に2~3件。世界に設置したワープ装置も復活。そして対アビスに於いては元イギリスラウム兵約1000人を丸ごと吸収したアウローラと同盟を組んでいる。順調じゃないか?」
執務室には客人がひとり、ソファに座っていた。白い杖を立て掛け、書類に目を通している。
「……そうなんだけどね」
「……」
言い淀むひかり。楽観的な言葉を口にしながら、太陽には彼女の不安がなにか分かっていた。
「アビスは人間じゃない。普通に倫理を無視した攻勢に出るし、当たり前のように王自ら特攻すらする。『何をするか分からない』相手ほど怖いものは無い」
「……ええ。敵を殺すのに、本当に一切の躊躇いが無い。訓練された兵士でも無く、アビス全体としてそうなのよ。……あの彩ちゃんすら、『もうひとりの兄のように慕っていた貴方』に、簡単に刃を突き刺したもの」
「……ああ」
その時の記憶は太陽には無い。精神体となったことで傷も残っていない。
「あの子とも、一度話したいんだけどな」
「好きね。『対話』。友好を諦めてないの、貴方だけよ」
人間とアビスは相容れない。必ず戦争になる。それはアビスが、人間の高度な精神を食べなければ生きられないからだ。だがそこへ待ったをかけ、どうにか友好的にできないかと模索しているのは、アークシャインでは彼だけだった。
「いやー……。未来ちゃんもだ。あの子はもう答えをひとつ持ってるみたいだけど」
「なんにせよ、やることは依然山積みね。基地の防衛体制ももっと考えないと。貴方にも仕事回すから、忙しくなるわよ?」
「あはは。俺は兵士だから――」
「関係無いわ。今の時代、求められるのは多様なスキル。私はアークシャインを、『スペシャリストだらけ』の組織にはしたくない。そもそも私だって戦士だったんだから」
「……ぐぬ」
「良夜君は割りとその辺りの素質ありそうだったけどね。単身でロシアラウムと接触できた辺りとか」
「そう言えば個人の平均戦闘時間が減ってから、修平と浩太郎もなんかスーツ着て会議とかすること多くなったな」
「あのふたりには基本的に戦闘技術の指導を任せようと思ってるんだけどね。辰彦のこともあって、色々考えてくれてるみたい」
「……」
「……なによ」
太陽はじっとひかりを見た。ひかりは口を尖らせながらも、少し照れ臭そうにする。
「やー。もう立派に『代表』だな」
「……!」
その時の彼の口調と表情がとても優しかった。ひかりは思わず視線を逸らしてしまった。
「誰のせいだと……ああ、いや。もう……はぁ」
一瞬で様々な思いがひかりを過る。そもそもはリーダー・幹部不在という異常事態から消去法的に抜擢された代表だ。立派に見えるのは、以前の責任者『ボス』の空いた穴に収まっただけで、基本的な運営基盤は彼のお陰で既にあっただけだ。自分はそれに倣っただけ。そして今より戦士も少なく、常に許容量を超えて必死にやってきただけだ。初めから太陽が居れば、どれだけ楽だったか。事務能力は無くとも、集団の上に立つリーダーとして、ひかりは太陽の素質を高く買っている。だがそれを言っても仕方ない。太陽は好きで眠っていた訳ではないのだから。歯痒い思いは既にしてきているだろう。アーシャを守れなかった後悔は彼が人一倍強い筈だ。
……そんな思いがひかりの中で一瞬交錯した。
「そうよ。貴方が『寝坊』したから私が代表させられたんだから、少しは手伝って頂戴」
「……ああ。分かってるよ。ありがとう」
「!」
開き直って意地を悪くするも、ひらりと躱される。
「しかし大出世だな。去年までただの中小企業の受付嬢だったのに」
「まさか怪人のお陰とか言わないわよね。たらればの話は嫌いよ」
「ごめんごめん。……で、これからだけど」
太陽は読んでいた書類を整頓し、ファイルに戻した。読み終わったのだ。影士の遺体から判明した怪人アビスについての報告を。
「『どう』するつもりだ。落とし所は?」
ひかりはその質問の意味を理解していた。つまりはこの侵略戦争をどう終わらせるか、ということである。
「何かを判断するには、その背景や状況を正確に把握しないといけない。まずは『知る』こと。アビスとは何か。どこから来たか。本当に人間の精神でないと生き延びられないのか。今まで私達はひとつの結論と曖昧な気分によって、ただ相手が憎くて戦っていただけ。本当に必要な戦争なのか、それも分かっていないのに」
「駆逐か、管理か、じゃないのか」
「そんな過激じゃないわよ。正義のヒーローよ?」
「じゃ、対話だな?」
「……貴方の言い方だとそうなるわね。あちらの王はそれを拒否したのだけど……アビスはラウムみたいに一枚岩じゃないみたいだし」
「『知る』までは、まだ判断は保留だな。分かった。じゃ俺は戻るよ。新兵の訓練見なきゃ」
立ち上がる太陽。彼は杖を取り、出口へ向かう。
「あ。待ってたいちゃん」
「ん」
「……」
世界のことも、組織のことも、とても重要で優先すべきことだ。大勢の命が懸かっている。
だがそれとは別に、ひかりにとって『これ』も、最優先事項で重要なのだった。
「……これから、会える時間増やせる?」
ひかりは日本に戻ってきた。かりんに言われたからではないが、このまま何もしなければ、太陽もどこか遠くへ行ってしまうような気がしたのだ。
だが太陽は。彼らのリーダーは。
「……ああ。そうだな。そろそろ結婚しようか」
「!! はぁ!?」
ひかりを代表に『常人』の枠から、考えも存在もなにもかも逸脱していた。




