剣閃のふるさと
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こういう田舎の駅にやってくると、それだけで空気がおいしく感じられるね。店の並びは変わっても、ずっと向こうに見える山の稜線は、今も昔もおんなじだ。
時間が経っても変わらないことって、不思議と安心感を覚えたりしない? いつもそこにいてくれる安定感、というかさ。
帰る場所があると安心する、と聞くけれど、やはり人の心のふるさとって、自然の中に存在するのかもねえ。いくら華やかな社会になったとしても、それによってできるすき間に、じんわりとにじみ出てくるノスタルジーって奴? 伝統技術なんかもきっと、心の「実家」を守るためにあるんだろうな。
そうそう、伝統といえばまた最近、新しい話を仕入れたんだよ。見た感じ、バスが来るまで時間があるし、その間で聞いてみないかい?
戦国時代が終わって間もない、江戸時代初め。ある地方で、同時期にいくつかの剣術道場が開かれた。
そこの師範たちはいずれも顔見知り同士で、ほぼ同じ時期に剣を握るようになった仲間だったという。やがてそれぞれ道を分かち、全員、20から30に及ぶ決闘に勝利したという話だった。
その中には真剣を使った果し合いもあったが、彼らと相対した使い手たちは、いずれも奇妙な刀傷を受けていたという。
いずれも致命の一撃となったのは、腹や胸を深々と切り裂く、一文字の横なぎ。しかしその傷跡は、流麗な直線ではなく、波を打つように上下にうねっているものだったという。
決闘の見届け人によれば、その横なぎはまさに一瞬の一太刀。二度以上、太刀を返すひまなどないままに、敗者はその場に倒れ伏した。傷と生死を確かめに駆け寄った時には、すでにこの形状の傷が刻まれていたという。
勝負の後の刀も改められたが、傷口をいたずらに広げるような、悪質な細工は見受けられなかったそうだ。
門下生たちの中にはその噂を聞きつけ、師範にことの真偽を確かめに迫ることがしばしばあった。当の師範は、彼らに稽古をつけてやりつつも、「正月まで待て」と告げる。稽古初めの日に、改めて見せるから、と。
そして実際に正月を迎える。一通りの予定が済んだ後、師範による真剣の試し切りが行われることになった。
抜身の太刀を持ち、道場の真ん中に立つ師範。目の前には、床几に前後を乗せられた米俵があった。横向きに置かれたそれは、長い胴体を師範に向けたまま、介錯の時を待っている。
師範は間合いに入ると、両手を刀に添えて脇構えの姿勢を取った。
電光石火とは、まさにこのこと。気がついた時には、師範が刀を振り抜いていた。
ひと呼吸遅れて、上下に両断された米俵から、中身の米が漏れ出してくる。
更に驚くべきことに、米俵へ残された傷跡。切り口を合わせたならば、まるでうねっているかのように、上下動が激しいことが見て取れた。
恐るべきは、それが一筆書きの軌跡で行われていること。つまり師範は、ほとんどの皆が視認できない速さで抜き打ちをかけたばかりでなく、複雑な切り上げと切り下げを繰り返しつつ、一刀で俵を切り払ったことになる。門下生たちからは、感嘆の声が上がった。
いずれはこの技を継がせたいという旨を皆に告げる師範。日々の稽古の中でも取り入れていたのだけど、そもそもの横なぎでさえも、師範に及ぶ者はそういなかった。一番、技に優れている者でも、上下に太刀を動かした時点で、著しく速度が鈍ってしまう。
「手首をもっとしなやかに扱え」とは師範の助言だったけど、数年間、修行を続けても、師範が求める領域に、たどり着ける者は現れなかったとか。
そしてある日。皆の中で指折りの実力者だけを呼び寄せ、特別指導に当たっていた師範のもとへ、別道場からの使いがやってきた。手紙を携えており、受け取るやその場で開き、目を走らせていく師範。
やがて「この件については、相分かった、と伝えてくれ」と使いを返した彼は、懐へ手紙をねじ込むと、いったん道場を出て行ってしまう。
何があったのだろう、と首を傾げる門下生たちの前へ師範が戻ってきた時、彼はその手に愛用の刀と、打ち粉をまぶすために使う綿を持ってきていた。
引き続き、稽古をするように指示を出しつつ、自分は道場の隅へ座り込み、刀へ打ち粉をまぶしていく師範。けれど、いくらもしないうちに、その異状さを見て、思わず門下生たちは目を見開いてしまう。
師範が刀身にまぶしている粉が、真っ赤だったんだ。ぽんぽんと綿でなでられるたびに、血のような化粧を施されていく刀。ほどなく刀身全体が裏も表も、赤く染まりきってしまった。
一度、刀を掲げてみて、切っ先から鍔元までを確かめた師範は、一度、大きくうなずくと、皆へ告げる。
「済まんが、先の手紙によって用事ができた。本日の稽古はここまでとする。だが、ここにいる皆にだけは、知っておいて欲しいことがある。
明日の晩の四つ(およそ午後10時)、再び、この道場へ参れ。木刀でも真剣でも構わぬが、護身に扱う得物を用意してくること。必要にならぬとは思うが、万に一つを考えてな」
師範はこともなげな口調だったが、聞く方としては穏やかではない。
帰る途中で門下生たちも様々な想像をめぐらせ、きっとあの手紙は果たし状かそれに近いもので、自分たちはその立会人になるのだろう、という考えが有力になった。
そうなると、もし師範が敗れてしまった時には、その場で仇を討ってほしいと、頼まれることになってしまうのだろうか……。
彼らの頭の中で、渦巻く想像。しかし、どう過ごそうとも約束の刻限はやってきてしまった。
逃げたとなれば、後で何を言われるか分からない。結局彼らは、ひとりも欠けることなく、煌々と明かりが漏れている、道場へ集まったんだ。
一礼して中に入り、師範の姿を認めて、門下生たちは胸をなでおろした。
道場の中には師範一人しかいなかったからだ。どうやら果し合いではないらしい。しかし、それならどうして、自分たちに武器が必要なのだろうか。
道場の四隅に立てられた、大きめのかがり火。その光を受けて浮かび上がる師範と、手に持つ抜き身の刀。昨日、見た時と同じように、赤いものがまんべんなく塗り付けられている。
「旅に出る者がおってな。その道案内をしてやらねばいかんのよ」
旅。道案内。これらの言葉が刀を握った者の手から出ると、少し鳥肌が立つ意味に聞こえる。
――まさか、自分たちの飲み込みが悪いから、この場で成敗して、死出の旅への引導を渡してやる、とかか?
ならば、これは確かに自衛だ。何人かはすでに、刀の鯉口を切りかけている。
しかし、師範は道場の入り口に溜まる彼らとは、反対方向。燭台に挟まれた、道場左手の壁の一面を、じっとにらんでいた。
隙だらけだが、あれだけの早業を体得している師範だ。自分たちとの間にある十歩以上の間も、一瞬で詰めてくるかもしれない。順番にかたずを飲みながら、彼らは師範のわずかな動きも見逃すまいと、心気を凝らす。
どれほど経っただろう。師範のにらむ壁の方角から、りいん、りいんと鈴の音が、かすかに響いてくる。
「来た」と師範はつぶやくと、ずかずかと壁へ近づいていき、両手で刀を握ると脇構えの格好を取る。正月に、抜身で俵を割った時も同じ姿勢を取っていた。
距離が離れたものの、その意図を測りかねて固まる門下生たちに「しかと見ておけ」と師範。鈴の音の間隔はどんどん短くなり、音の大きさも増してきて、もはや耳元で鳴らしているのでは、と感じた矢先のこと。
師範があの不可視の剣を、振り抜いていた。
するとどうだ。振り抜いた刀身には、すでに紅色はついていなかった。代わりに、それらは空中にとどめ置かれ、あの上下にくねった剣閃を、宙に浮かび上がらせている、
師範は残心を保ち、振り抜いた姿勢のままで動かない。空中の赤はひとりでに右手の壁へ向かっていくと共に、またもひとりでに上や下にぶれた。この動きは、はっきりと見える速さだったんだ。
だが、それで終わりではない。師範が刀を振り、空へ残した赤い軌跡に乗って、壁から青い粒たちが、列を成しながら入り込んできたんだ。すき間なく組まれたはずの壁から、どんどんと入り込んでいくそれらは、師範の残した色の道を、ゆっくりゆっくり進んでいく。
その足跡は、紅と青が合わさった、紫色の影となって漂い続けている。
「こやつらはな、旅をしているのだ。極小の身体でもって、この世に時折、姿を現す粒子の集合。ああ、触ってはいかんぞ。病を得るでな」
自分たちの近くまで伸びた赤い線に見とれていた門下生たちは、慌てて身を引く。
「我らが、それぞれの父から受け継いだ技がこれだ。一瞬のうちに施す、刀の上下動。それはすなわち、この粒たちにとっての山となり谷となり、そこを歩くように促すのだ。
この形は、ずっと昔から変わることはない。なんでも、彼らにとってはこの形、この幅と深さを持つ道程こそ『ふるさと』。しばしば帰りたくなる、安らぎの場所なのだとか。
わずかでも崩すわけにはいかん。過去、それを試してろくな目に遭った者がいないのでな。誰しも、自分のふるさとが姿を変えたとなれば、平静ではいられまい」
若い頃はその心が分からず、いたずらに技を使ってしまったがな、と師匠の声が寂しげに、道場内に響く。
やがて道場の右端まで伸びた「山と谷」がすっかり紫色に染まりきると、支えを失ったように、粒たちはいっぺんに真下へ落ちて、床に散らばった。
先の話から身を退きがちな門下生たちだったが、師範の指示で竹ぼうきを持ってくるように指示され、掃除にあたったそうだ。
今回も無事に送ることができ、師範は満足げだったらしい。門下生たちの得物を使わせる羽目にならなくて良かったとも。
その日以降も稽古は続けられたが、ついに彼の技を受け継げる者はおらず、やがて師範は道場を畳むことにしたそうだ。しかし更地となった後も、夜中に真っ赤な刀を帯びた武芸者がしばしば姿を見せ、刀を振るっている姿が見られたとか。