03 君に出会うまで
すこしだけ流血表現があります
奇怪な足は、地面に触れる度に燃えるような痛みを帯びた。
苦痛に叫びを上げたくとも、口は酸素を肺におくるだけで、わたしは涙をながす他になかった。
壁をつたいながら、なんとか宿の外に出る。街を歩く人の波に気圧され、呼吸がうまくできない。
ほんとうにこの国にあの子がいるのだろうか? 海の魔法使いは生まれ変わったあの子がどんな姿をしているのか、どんな仕事をしているのかを教えてはくれなかった。
「お嬢さん、何かひとつの可能性を手に入れるにはね、何かひとつの可能性を捨てなくてはいけないんだよ。このまま帰れば、君はあの子に会えない代わりに、造られた足の苦痛を一生味わうことはない。それはとても幸せなことじゃないかな?」
海の魔法使いの言葉が頭をよぎる。確かに、わたしが願わなければ、わたしはあの大海で静かに暮らせたのかもしれない。でもそれはきっと、幸せではないだろう。あの子に会いたい気持ちが、足の痛みよりも強く、この身を焼くのだから。
足元に転がっていたガラス瓶につまずき、身体が地に落ちる。傷ついた偽物の足からは、赤い血の代わりに、青緑色の体液が堰を切ったように溢れ出した。
「――」
焼けるような激痛で視界が暗転しようとする。気絶することで、身体が痛みから逃げようとしていた。
意識を必死に繋ぎとめて、立ち上がろうと壁に手を這わせていると、突然、後から誰かに髪を引っ張られ、わたしは地面に引きずりまわされた。
「――!」
わたしの叫びは、誰にも聞こえない。周りには、太陽を囲うようにして黒いローブを纏った者達がわたしをじっと覗き込んでいた。
ローブに包まれていて服装はわからない。わかるのは、魔獣の骨を加工して造られた仮面の奥の瞳が醜く歪んでいることだけだった。
「魔獣と人間の混合だ」
「足はおぞましいが、顔は傷一つなく愛らしい。これは売り場によっては、一儲けできるかもしれないぞ」
「いいねぇ。夕飯の酒の質があがる」
革袋に無理矢理詰められ、わたしは痛みで悲鳴をあげたが、実際には声がでないまま咳き込んだだけだった。
足から漏れる液体が止まらない。袋が揺れる度、布が足をこするため、痛みが止むことはなかった。
わたしは、助けるを求めることができない。
街の喧騒を聞きながら、ただ涙を流した。
涙を流すことしか、できなかった。
アクルは奴隷商人の集団を追うため、竜の渓谷へ向かう草原走っていた。
ギンジは足が速い 。袋の中がサティかもしれないと話をすると、アクルに宿屋にサティがいるか確認するように言うと、あっという間に走って行ってしまった。
アクル駆け足で宿屋に戻った。杞憂で終わって欲しいと祈りながらドアノブを回したが、布団のめくれたベッドに、サティの姿はなかった。
「サティ...!」
人混みをかき分け、草原を走る。筋肉のない足が鉛のように重い。
想像以上に進まない足を内心叱りつけながら走っていると、少し先に奴隷商人と闘っているギンジが視界に映った。
「ギンジ!」
「アクルか!駄目だコイツら、平和的解決ができないタイプだ!」
奴隷商人の人数は5人、内3人はカトラスを握っていて、残り2人は銃を持っていた。
対するギンジは、武器をもたない。彼は体術のみで奴隷商人とやりあっている。
「アクル、袋頼む!」
手一杯なのだろう。ギンジは敵のカトラスを避けながら、もう一方の敵の銃を取り上げると、カトラスで切りかかろうとしていた別の敵の懐に潜り込み、銃の柄で腹を殴っていた。
アクルが例の革袋を探すためあたりを見渡すと、先程までギンジと闘っていた奴隷商人が、革袋をかつぎ逃げようとしていた。
アクルは疾走する。彼はギンジのように身体を鍛えているわけでもなく、武器といえば使い慣れた果物ナイフしかない。
だが、ためらうことなく奴隷商人に突進した。アクルの存在に気づかなかった奴隷商人は、そのままアクルと一緒に倒れ込んだ。
「サティ!」
革袋にかけより、持っていたナイフで袋を裂くと、そこには衰弱したサティの姿があった。
青緑色の液体は血だったのだろう。白い肌はさらに白くなり、貧血で鮮やかな唇の紅が濁っている。身体は陶器のように冷たく、危険な状態であることがわかった。
「だめだ、サティ。今死んではだめだ。駄目なんだ」
王子に会うこともなく、泡になってはいけない。
失ったなら、失った分だけ幸せを手に入れることができるはずだ。そうでなくては、あまりにも報われない。
「――」
うっすらと、サティが濁った瞳を開いた。震える指を、アクルの膝で動かす。
(わ、た、し、を、う、み、に)
それ以上は、わからなかった。倒れていた奴隷商人が、アクルを蹴り飛ばしたのだ。
銃口が、自分の胸に向けられている。この銃の形から考えるに、これは人を殺すために作られたものではないだろう。酒場に出入りする冒険者が、魔獣を倒すために背負っていた銃と同じものだ。
頭をつんざくような爆音と、想像を絶する痛みが、身体中を襲った。眼前の奴隷商人の仮面に、血が吹きかかる。
「手こずらせやがって」
奴隷商人はアクルに唾をかけると、銃を背負い、アクルに踵を返した。
身体の中からこみ上がる物を吐き出そうと咳き込むと、口から血液が漏れた。どうやら打たれてしまったらしい。人に唾をかけるなんて失礼な人だなとぼんやり思うと、立ち眩みで倒れないよう、ゆっくりと立ち上がった。
「――おい、嘘だろ.....お前、なんで...」
骨の仮面の奥で、奴隷商人は怯えているらしかった。アクルが近寄ると、奴隷商人は逃げ出した。まるで怪物でも見ている目だなと思いながら、冷たくなったサティを背負う。打たれた腹が痛いような、寒いような気がした。
ギンジの元へ行くと、ギンジの周りには奴隷商人が倒れていた。どうやらひとりで全て片付けたようだ。武器を持った人達と闘ったというのに、ギンジの身体には傷一つついていない。白い着物も綺麗なものだった。
「ギンジ」
「...アクル?」
「間に合わなかった。サティ、冷たい。息もしていない」
「アクル、お前...どうして生きてる?」
「え?」
「お前の腹、穴空いてるぞ。内蔵も出てる。...気づいてないのか?」
「そうなの? うん、でもお腹はめちゃくちゃ痛い」
「いやめちゃくちゃ痛いで済む傷じゃねーってそれ」
アクルはそこでようやく、奴隷商人が逃げ出した理由が自分の腹にあることに気づいたが、アクルにとっては、わりとどうでもよかった。
「それよりギンジ、サティを海に連れていこう。それがサティの最後の願いだから」
「お、おう。でもアクル、その腹はどうにかした方がいい。とりあえずサティ降ろせ」
「わかった」
サティを降ろすと、ギンジは奴隷商人の人の服を剥ぎ取ると、アクルに投げた。
「ローブは切って腹に巻いとけ。内蔵落ちるから。それ着たら海に行くぞ…なあ、お前本当に大丈夫なのか? 内蔵落ちるから気をつけろって言ったの、お前がはじめてだぞ?」
「大丈夫...だと思う。やっぱり医者に診てもらったほうがいいかな?」
ローブを腹に巻き付ける。相変わらず内蔵が見えて気持ち悪いが、痛みの強さは先程よりも落ち着いていた。
「対魔獣用のショットガンで撃たれたら、普通は死ぬか致命傷で一生苦しむはずなんだが、見る限りお前は例外らしい。お前が大丈夫なら問題ねえだろうよ」
「...ねえギンジ、この服どう着るの?」
渡された奴隷商人の服は、鳥羽色の着物だった。それを見て、ギンジは露骨に顔を歪める。
「ナズナの国の奴かよ...うえ、奴隷商人なんてやってんじゃねーっての」
ギンジに教えられながら、着物に袖を通す。裏地のくすんだ東雲色を見たとき、アクルは一瞬だけ動揺した。この東雲色を、どこか懐かしんでいる自分がいる。なぜ、この色を見た自分の鼓動がこんなにも早まっているのだろう?
「サティの嬢ちゃんは俺が背負うから、怪我人は大人しく俺についてこい。いいな?」
ギンジは冷たくなったサティを背負い、アクルを先導するようにゆっくりと歩きはじめた。
壊れかけの肺で深呼吸をひとつつくと、倒れている奴隷商人達をよけながら、ギンジの背を追う。気づけば、太陽は真昼の白金から、夕刻の茜色に、その姿を変えていた。
空で輝く煌めきが、オレンジと青のコントラストを残しながら、眠りに落ちようとしている。
静かに満ち引きを繰り返す波の音を聞きながら、ギンジは柔らかな砂浜にサティの亡骸を降ろした。
「...ねえ、ギンジ。僕ら、どうしたらよかったんだろうね」
「―――さあな。目を離さなければよかったのかもしれないが、俺達がどう動こうと、サティの嬢ちゃんは自力で探そうとしたさ。放っておけば1人で歩いていっちまう奴だ。助けを乞うような、誰かを頼るような器用さがなかったんだろうよ」
ギンジは金色の瞳を閉じると、横笛の音を遠くへ飛ばした。それはさながら、空を渡る鳥が鳴いているようだった。
「今俺達にできるのは、サティの魂を弔うことだけだ。想い人に会えなかった孤独な魂が、無事に冥界につくように」
「だったら、あの曲がいいよ...本当は、出会いの曲にしたかったんだけど」
「―――そうだな。俺も、生きてる間に聞かせたかったよ」
瞳を閉じ、手を合わせると、すぐ側でギンジの笛の音が聞こえてきた。
横笛の音色は糸を紡ぎ布を織りなすように、あるはずのない世界を映しはじめる。
素朴で切なげな曲調は、穢れることなく生き抜いた少女の魂を歌う。
暗闇の中、少女は涙を流していた。自分に、その涙はもう拭えない。彼女はもう、手の届かない場所に行ってしまったのだから。
それでも、アクルは彼女の涙を拭えないか、手を伸ばそうとした。だが、彼の伸ばした手は、突如として吹き抜けた風により払われてしまった。
「――――!」
我に返ったアクルは、目を開けた。目の前には、鷲の羽根を生やした少年が、サティの亡骸を抱き上げていた。
「サティの為に、祈ってくれてありがとう」
あの時、岩場にいた少年が、柔らかく微笑んでいる。
「君は、あの時の...」
「そう。私はあの時、君に見られた天使だ。私は冥界の神の使いをしている。冥界の者は生者に見られてはいけないという規則があってね。私はサティを見守ることしかできなかった」
大人びた口調の少年は、愛しむようにサティの頭を撫でた。彼が撫でると、サティの白い頬に血色が戻り、鱗の生えた足は元の人魚の足に戻っていった。
「アクル君。私が君に会えるということは、君の身体は生身の人の身体ではない。君の身体は、君自身を知りたいという願いの結晶のようなものだ。だから、願いが叶えば君は消滅してしまうかもしれない。それでも、君は記憶を取り戻したい?」
少年の口調は穏やかなものだった。アクルは、ほんのすこしだけ、口元をゆるめる。
「僕は、それでもいい。僕自身の願いでこの身体ができているのなら、僕は願いを叶えるために生きている。それはきっと、生身の人と変わらない」
「―――人は、死ぬために生き、生き続けるために、次の誰かに自分の残照を残す。願いを託す...ああ、君はきっと、朝明けの空なんだね」
「?」
少年に言葉の意味を聞き返そうと口を開くと、再び強い風が吹き荒れ、アクルは自分の顔を覆った。
「ありがとう、アクル。私はサティを連れて行くよ」
風が止み、先程よりも低い声が聞こえ、アクルは驚いた。そこにいたのは、4枚の鷲の羽をもつ、金髪の青年だったのだ。
「――――やっと、君に出会えた」
天使は人魚を連れ、眠りにつく太陽の中へ溶けていく。アクルは彼らが消えていく姿を、その蒼海の瞳に映していた。
太陽の国を去る時が来た。前日賭場で負けてやけ酒をしたギンジが二日酔いで苦しんでいる様を見る限り、出発は午後になりそうだなと思いながら、朝の海を歩いていると、風が耳をかすめた。
「あのちっぽけな魚だった頃とは、別人ね」
「違わないさ。泳いでいる場所が変わっただけ。君こそ、私の真似事かい?」
「―――うん。でも、私には合わなかったの」
「それは苦労しただろう」
「とっても。水の中は息苦しくて、でも地面は焼けるように痛いの」
「じゃあ空にいよう。ここなら私達を阻む者はいないんだ」
「ふふ。それは素敵ね」
聞き覚えのある声がして、アクルは辺りを見渡したが、海にはアクル1人しかいない。そのうち、太陽の国から朝を告げるラッパの音が聞こえた。
ギンジが作曲したあの曲を口ずさみながら、太陽の国へ帰る。そのアクルの背中を、明け空の海が、そっと背中を押すように、優しくきらめいていた。