Day4 子供部屋を出ていく日
深い深い闇の底で、ずっと孤独に生きて死んでいくのだと思っていた。それが自分のしたことの結果であり罰だったから。【黒夜人】である自分の、一万年近いはずの寿命は拷問に変わる。気が遠くなるようなほど長い時間、生まれてしまったことを世界に謝り自らの生命を呪いながら過ごしていたある日。
「初めまして。勝手に召喚してごめんなさいね。もし貴方が嫌でなければ……私と一緒に来てくれませんか?」
今まで誰にも、そんな笑顔をされたことなどないのに。何故この少女は自分に笑いかけているのだ?
何も分からなかったけれど、これだけは理解できた。
彼女こそずっと求めていた光だと。
「お休みをもらえたのは久し振りだね!小さい双子ちゃん達のお世話は楽しいけれど、ずっと目を離せないから大変。今日はゆっくり出来るね!」
薄紫色の長い髪を梳かしながら、トゥルースは目を輝かせた。出張の連続だったリラがようやく帰って来て、今日は赤ちゃん達の世話は自分でする、と言い出したので本日は晴れて休みの日となったのだ。
「休みをもらえたこと自体は非常に喜ばしいことだが……どうせまた何か騒ぎが起きておじゃんになるに決まってる」
銀色の長髪を一つに束ねた優雅な姿に相応しく、品のある手つきで紅茶を飲みながらリュシールがため息をつく。
そんな二人の親友の姿を見て、ラグナは楽しそうに笑った。今日もきっとのんびりは出来ないだろうな、と思いながら。
「まあいいじゃないか。何千年も眠っていたのだし、あと五百年くらいはのんびりしなくてもいいかなあ」
「えー、ラグナ本気?僕はそんなの無理だよ……」
トゥルースが青ざめた顔でラグナを見た。リュシールも若干引いた様子で頭を抱えている。
「ラグナ、そういうのを奴隷根性というんだ。労働力を搾取されてはいけない」
「うーん、リュシールは難しいことを言うね?」
「ラグナはもっと自分勝手になってもいいということだ」
「あー……」
ラグナはそれを聞いて、懐かしい記憶が脳裏に蘇った。かつて彼を光の向こうに導いてくれた彼女もよく言っていた。貴方はもっと自分のしたいことをして良いのに、と。
「そういうの苦手なんだ。でも」
トゥルースもリュシールもラグナに微笑む。その先の言葉が分かっているかのように、困ったやつだという顔で。
「この屋敷のみんなと、今みたいな日常をずっと過ごせたらいい。それが私の幸せだよ」
闇の底にいた自分に光を与えてくれた彼女が、そう願っていたように。
「ラグナ!トゥルース!リュシール!」
三人が部屋から出ると、途端に子供達が群がってきた。ずっと部屋に閉じこもっていた風留が出てきたことで、ここ最近のアストロ家はよりいっそう賑やかになっている。今日はリレアとウィル、そして二人の妹のクレアまで王城から訪れていたので更に騒々しかった。
「久し振りね!折角だから何か私たちにお話をしてくれないかしら?ラグナのお話、とても好きなの!」
咲希乃が子供達を代表して依頼してくる。周りの子供達も皆目をキラキラさせてラグナを見ていた。
「「こうなると思ったよ」」
トゥルースとリュシールは声を揃えて肩を竦める。子供達に囲まれたラグナは嬉しそうに頷いた。
「もちろんいいとも。どんな話が聞きたいのかな?」
子供達は輪になり顔を見合わせて相談する。数十秒間の会議の末、全員で声を合わせて答えた。
『黒夜人と白昼人の話をして!』
それはラグナがいつもする話だった。何度も何度も繰り返し、アストロ家の子供達に語るお話。
「分かったよ。じゃあみんな、ソファに座って?みんなは座れないね……クッションがあるからそれの上で我慢してくれるかい。さあ、自分の場所が決まったかな?……うん、大丈夫そうだ。では、お話を始めようか」
お話の始まりはいつだってこうして始まる。
「昔々、あるところに……」
昔々、あるところに二つの国がありました。どちらの国も豊かで幸せに暮らしていました。
しかし、ある時片方の国だけが干ばつにあい、滅亡寸前まで追いやられてしまったのです。その国の人々は仕方なく隣の国に恵みを分け与えて貰いに行きました。ところが、もう一つの国も滅亡寸前とまでいかないものの、その年の収穫は少なかったのです。他人に恵みを与える余裕はありませんでした。滅亡間近の国は仕方なくもう一方の国を襲い、戦争が始まりました。二つの国は恵みを奪い合うことになってしまったのです。
何年経っても戦争は終わりませんでした。最早恵みを奪う目的を双方の国が忘れていました。ただ、大切な人を奪われた憎しみを相手にぶつけるだけの、呪われた円環に捕らわれていたのです。
終わらぬ戦争を悲しんだ【世界】は二つの国を決定的に隔てることにしました。【世界】は二つの国を解体し再編することを決めたのです。【時間】という壁を使って。
戦争が始まって十数年が経ったとき、どちらの国の人々もあることに気づきました。今まで通りに10年ではっきり年を取る人間と、10年前と今、まったく年老いることの無い人間がいることに。
今まで寄り添ってきた夫婦が、親子が、同じように時を共有できなくなってしまったのです。20年、30年と年月が経つにつれて、それはより明らかに人々を隔てました。年をとらなくなった人々は、20年、30年経っても年をとりませんでした。
愛する人が老いていくのを見つめる人々も、愛する人が若いまま変わらず、やがて彼らを置いて逝かなければいけない人々も、最早一緒に生きていくのは苦痛だと思うようになりました。
やがて二つの国の人々は元あった二つの国を解体しました。そして新しく二つの国をつくりました。百年程しか生きられない人間たちの国と、一万年ほど生きる人間達の国が出来ました。
【世界】はどちらの種族も同じように存続できるように工夫を凝らしました。百年ほどしか生きられない人間達は数が多く、子供もたくさん生まれました。彼らの体は脆弱で、大けがをすれば簡単に死んでしまいました。一万年ほど生きる人間達は数が少なく、子供も滅多に生まれませんでした。彼らの体は頑丈で、大けがをしても滅多なことでは死にませんでした。
やがて時が経ち、百年しか生きられない人々は【白昼人】と呼ばれ、一万年生きる人々は【黒夜人】と呼ばれるようになりました。
新しい国が出来て、しばらくの間は世界は平和でした。けれども、時が経つにつれて二つに分かれた人間達は互いを理解できなくなっていきました。彼らは疑問に感じ始めていました。【黒夜人】と【白昼人】はあまりにも違う時間を生きているのに、本当に同じ人間だと言えるのでしょうか?
大部分の人々が出した答えは否でした。彼らは互いを別の生き物だと認識し、互いを理解しようとせず奪い合うようになりました。
再び世界は戦場になってしまいます。けれども戦いの中で、本当に少なかったのですが、何人かの【黒夜人】と【白昼人】が出会いました。彼らは互いが共存出来る未来を望んでいたのです。
彼らは自らを【暁人】と呼び、異なる時を生きる者同士で助け合い、戦いを終わらせるために駆け回りました。最初は味方は少なかったけれど、やがて一つの国が出来るほどの仲間が集まりました。
【暁人】はとうとう、一つの国を創りました。誰にでも等しく微笑む月に敬意を表し、その国は“月夜の国”と名付けられました。全く違う時間の流れを共に生きながら、毎日を大切に生き、やがて訪れる別れを安らかに受け入れる彼らの心は、とうとう【世界】さえも動かしました。
ある日【世界】は一つだった大地を海で三つに分けました。一つは【白昼人】に、一つは【黒夜人】に、もう一つは【暁人】に。長く続いた戦争は唐突に終わりを迎えました。
【世界】の意思はやがてはっきりと人々に伝わってきました。【暁人】に与えられた大地は豊かでしたが、他の二つの大地は貧しく生きていくのもやっとでした。
【世界】は【暁人】のように人々が再び融合し、同じ【人間】として平和に生きていけるようになることを望んでいたのでした。
しかし、その後も【白昼人】と【黒夜人】は仲良くなることはなく、豊かに繁栄し続ける【暁人】のことを目の敵にして憎みました。
それから長い年月が経った今でも、【人間】は一つにはなっていません。いつか【人間】が自分達の力で一つになれる日が来ることを、【世界】はいつまでも願っています。
「ラグナ達は【黒夜人】なんだよね?今三人はいくつなの?」
お話が終わった後、子供達はこの国では珍しい【黒夜人】である三人に質問攻めを始めた。
「いくつだったかなあ……?いくつだと思う?」
いたずらっぽく笑うトゥルースに向かって、みんなが指を指して年齢当てをする。
「見た目は二十七歳くらい!」「でも【黒夜人】って一万年生きるんだろう?」「三千歳!」「五千歳」「七千五百歳でどうだ!」
口々に思い思いの答えを叫ぶ子供達。その様子をみてリュシールがやれやれと首を振った。
「トゥルース。答えられない問題を出すんじゃない」
「あはは、ごめんごめん!僕らっていくつに見えるんだろうかって気になったんだもの」
舌をぺろりと出して無邪気に弁明するトゥルースを見ながら、ラグナは子供達に告げた。
「ごめんね?私達がいくつなのか、自分達にも分からないんだ。今までの人生のほとんど、閉じ込められてばかりだったから」
ラグナは自分がいつ生まれたのか知らなかった。【黒夜人】はあまり年齢を数えない種族だ。誕生日もあまり気にしない。彼らにとって年をとるということにはたいした意味が無かった。いつか死ぬ、そのことだけ分かっていればそれでいい。
「知ってる!アストロ家のご先祖様に【封印】されていたところを、ベルが助け出したんでしょ?」
得意げに答えるウィルにラグナは頷いた。
「ああ。でも、その前も私達は閉じ込められていたから。天と地と海、三つの場所に、三人ばらばらに繋がれていた。私達の犯した罪の償いに、二度と私達は逢えないはずだった。それを助けてくれたのは私達を【封印】した人よりもっと前の、君たちのご先祖様だったんだよ」
目を閉じれば今でも浮かぶ。地獄のような美しい牢獄で、ただ死を待つだけだった虚しい日々。金色の鳥籠、蒼い海底洞窟、真っ黒に染まった地下牢。そこから救い出してくれた彼女の子孫が今目の前にいる。こんなにたくさん。
「多分私達の寿命はあと二千年くらいなんじゃないかと、私達は思っている。けれどそれは誰も知らない。君たちもそうでしょう?【暁人】の寿命はとても個人差が大きい。千年近く生きた例もあるけれど、二百年生きられない例もある。子供の間は【白昼人】も【黒夜人】も【暁人】もみな同じように成長するけれど、これから先は分からない」
二十歳まではみんな同じ時の流れを生きていくことが出来る。けれどその先は誰にも分からない。
「君たちも毎日を大切に生きていくんだよ。今日まで同じ時の流れで生きていた人が、気がついたら自分よりずっと早く年老いてこの世界を去って逝ってしまうなんてことはよくあることだ。いつお別れが来ても、後悔しないように家族や友達と過ごしなさいね」
何度も何度も、【暁人】の暮らすこの国で、大切なアストロ家の子供達が自分達を置いて逝ってしまうのを見送ってきた自分達だから言えること。子供達に伝われば良い、と願って、ラグナは何度でもこの物語を語るのだ。
ーー私は貴方を置いて先に逝かなければならないけれどーー
死の間際、年老いた、けれど変わらず輝いた彼女の笑顔が今でもはっきり思い出せる。もう数千年前のことだとしても。
ーー私達の大切な子供達を、どうかずっと見守ってあげてねーー
「そんなところに隠れていないで、お前も子供達と一緒に話を聞けばいいんじゃないか」
その後も子供達に囲まれ続けるラグナとトゥルースを微笑ましく見つめていたリュシールは、ふと廊下へ続く扉の前に近づいて小さな声で呟いた。
「いい。子供達の邪魔をしては悪いからな」
部屋のすぐそばの廊下で立っていたのは、可愛らしい人形のような青年。
「俺たちからすれば、お前だってまだまだ子供だ。たかだか六十年ちょっと生きているくらいで大人ぶる必要はない」
リュシールの言葉は表面上厳しいが、その表情は手のかかる子供を見守る父親のように柔らかかった。
「そうは言っても、私は一応あの子達の祖父に当たるからな。少しの強がりは目を瞑ってくれ」
「そうか」
今日のドールは美しくウェーブのかかった黒髪を下ろし、頭にはミニシルクハットを乗せていた。ゴシックロリータは全体的に赤と黒でまとめられた魅力的で気品のあるデザインになっている。
「なあ、リュシール」
部屋には入って来ないままで、小柄な当主代理はリュシールに声をかける。
「父上は何故帰ってきてくださらないのだろうか」
いつもの自信に溢れた声とは違う、今にも泣きそうに震えた声。リュシールは何故彼が部屋に入りたがらなかったのかを知った。
「ラグナの言う通りだ。いつか来る別れの時に後悔しないように、家族と一緒に過ごす日常を大切にしていきたいと私は思っている。けれど……」
リュシールはスッと音を立てずに部屋を出る。思った通り、ドールは目に涙を浮かべていた。
「父上は私達のことなど愛してはいらっしゃらないのだろうか。私が本当の息子でないから、私に飽きていらなくなってしまったのだろうか」
「それは違う。ドール、お前だってわかっているだろう」
リュシールがドールの肩を掴んで言い聞かせる。けれどドールの表情は暗いままだ。
「私はもっと父上と一緒に過ごしたいのに。お仕事で出かけられている間は仕方がないが、そうではないここ数週間だって一度もお帰りになられないのは何故なのだ?」
父親が家に帰らずどこへ行っているのか、ドールは知っている。父は今日もあの人の【太陽】の所だ。
「……分かってやってくれ。ベルは今でも孤独から抜け出せないんだ。どれほど多くの人間に囲まれても、その温もりを受け入れられない寂しい奴なんだよ」
リュシール達はずっとドールの父親、ベルを見守ってきた。なにもかもを奪い取られてボロボロになっていく彼を、三人は【封印】による眠りの中で何も出来ず見つめていたのだ。彼は何度も救いを求めて神に祈り、叫んでいた。その願いは誰にも届かず、彼が救われることは決してなかったけれど。
「一度全てを奪い取られた経験があるから、あいつは今でも怖がっているんだ、失うことを。失いたくないなら最初から手にいれなければいい、あいつはそう思っている」
幼かったベルが信じられたのは、自分と同じように全てを失い、救いを求めて彼に縋ってきた【太陽】だけだった。そして愛することも愛されることも知らなかった彼は【太陽】の心を独占することでしか満たされなかったのだ。
「ソルのところに行ってしまうのは、ソルだけがあいつと同じ孤独を知っているからだ。お前を愛していないからじゃない。むしろあいつは……」
全てを取り戻した後、ソルの周囲の人間からベルは散々非難された。ソルはすっかり人が変わってしまった、かつては皆に優しい人だったのに、お前のせいで狂ってしまった、と。
それは決して言いがかりなどではなかった。戻ってきたソルは、ベルのためなら人殺しすらも厭わない人間に変わっていた。リュシールは知っている。ベルはソルを手に入れられて満足すると同時に、【太陽】を天から墜としてしまったことに罪の意識を覚えていること。
ベルが息子達と時を共にしないのは、決して愛していないからではない。自分の歪んだ愛情が、愛する彼らを歪めてしまうのが怖いのだ。
けれど、それをリュシールがドールに伝えても何の意味もない。自分の気持ちを伝えるのがあまりにも下手なベル自身が、いつかちゃんと伝えなければならない気持ち。
「……あの子を信じてやってくれ。あの子の孤独が、いつか和らぐ日が来るから」
優しくドールを抱きしめる。小さな体を震わせて、幼い子供のように彼は涙を流していた。縋りついてくるドールの背中を撫でながら、リュシールは廊下の向こうに目を向ける。そこにはドールに気付かれないようにひっそりと彼を見守るイブとディルの姿があった。
「お前はちゃんと、良い友達を見つけたね」
ドールの耳に届くかどうかというような小さな声でリュシールは呟く。ドールの涙が枯れるまで、三人はずっと彼を優しく見守っていた。
「そろそろ屋敷に帰らなくて良いのかい、ベル」
ガラス張りの【子供部屋】。毎夜同じ光景の広がるその部屋で、ソルは少し悲しそうに問いかけた。
「お前が気にするべきことは何もない。サイダーを注いでくれないか」
ベルはガラスの椅子に腰掛けて、興味もなさそうに応じる。ソルはワインボトルのような青いガラス瓶に入った空色のサイダーをワイングラスに注いだ。
「けどな、俺、ドールに嫌われるのは嫌だぞ?あの子は俺の義理の息子でもあるんだから」
自分の分もサイダーを注いで、ソルはベルの向かい側のガラスの椅子に腰掛ける。
「アストロ家と違ってうちは人が少なくて静かだからベルが来てくれたら嬉しいけれども、あんなに愛している家族なのだから大切にしなければ後悔するぞ」
困ったような表情を浮かべるソルの瞳を、ベルは見ない。ただサイダーを手に星屑の夜空を見つめるだけ。
「お前には愛する妻がいるだろう。うちの婿養子のうるさい弟達も」
ソルは話題を逸らされたことに少し眉をひそめたが、ベルの言葉に頷いた。
「それはそうだけれども。キティは相変わらず可愛いし、リュウとリアーズは今日も仲良く喧嘩していた」
その様子を思い浮かべたのか、ソルは楽しそうに微笑む。リラ・アストロの夫、リオネには二人の弟がいて、色々な事情の元現在はソルが当主を務める大貴族、ルス家の屋敷に居候していた。
「何であの双子は仲が悪いのに同じ屋敷に住みたがるんだ。あいつらが一緒にいるとやかましくて敵わない」
リュウとリアーズは顔を合わせるといつでも喧嘩をする非常に仲の悪い双子だが、何故か片割れと違う場所に住もうとはしない。ベルに言わせれば可笑しな双子だったが、ソルにとっては可愛い子犬のじゃれ合いを見ているような気分だった。
「屋敷が賑やかになって助かってる。キティももう一回お母さんになったみたいだって喜んでるしな」
娘が亡くなってからどこか寂しそうだった妻がその悲しみを乗り越えられたのは、紛れもなく双子のおかげだった。
「だからな、ベルはもう俺のこと構い倒す必要無いんだ。あの頃は縋れる相手がお前しかいなくて、キティも俺もお前に守ってもらってた。でも今は違う。俺にも大事なものを守る力はある。だからベルの大事なものを奪ってまで、ベルを独占しようとは思わないよ」
ソルは立ち上がってベルの前に立った。無理やりその顔を自分に向ける。あの頃より、ベルも自分も大人になった。いつまでも【子供部屋】に閉じこもってはいられないのだ。
「もういい加減、大人にならなくては」
ベルは目を見開いて呆けたようにソルを見つめた。そのまましばらく、どちらも何も言わなかった。
気がつけば、晴れていたはずの夜空は雲に覆われていた。輝く月が、雲にかき消されて見えなくなる。真っ暗になった夜空の下で、絞り出すような声を上げたのはベルの方だった。
「……わかっている。そんなこと、ずっとずっと昔から」
彼は【太陽】から目を逸らす。今のベルにとって、その輝きは眩しすぎて目に痛かった。
「今日は帰らない。この話は終わりだ。もう寝る」
逃げるようにベルは立ち上がって、おやすみも言わずに出て行った。ソルの屋敷には彼のための客室が用意されている。ここ数週間彼はそこで寝泊まりしていた。
「俺のせいだな。俺が変わったのは、お前のせいなんかじゃないのに」
【太陽】は月に誑かされて闇に堕ちたわけではない。その闇の向こうにあるものが何なのか、そうすることで何が起きるのか、全部分かっていても堕ちることを自ら選んだのだ。だから、それは月のせいじゃない。
「ベルモンド・アストロ。呪われた悪魔の子。近づくものを惑わし闇へ導くが、前女王に忠誠を誓ってからは国のために命を捧げる剣になった……」
ソルは呟く。この国で彼は恐れられている。幼い頃彼にこの国が押し付けた闇を、まるで彼が悪であるかのように語るのだ。けれど、前女王は決してベルを利用するために手を差し伸べたわけじゃない。
「君の闇も孤独も、全部光でかき消してあげられたらいいのに」
独りぼっちのガラスの部屋で、【太陽】は静かに涙を零す。彼の心に呼応するかのように、雨が降り出していた。