Day3 血まみれの天使に太陽の光を
初めて出会った時、フレディはとても綺麗だった。だから彼はきっとあれは天使なのだと思った。けれどその天使はいつだって傷だらけで、だから彼は医者になることに決めた。ボロボロの天使を守るために。
あれからもう50年ほど経つ。彼は天使が自分と同じ人間であることを知った。彼は人だったが、【人ではないモノ】と呼ばれる【人以上】の存在がいることも知った。
やがて【家族】となった人々は、何故だか妙に【人ではないモノ】やそれに近い者ばかりで。最初は戸惑ったけれど、結局彼はまた知ることになる。
人か、そうでないかの違いなどどこにもない。
そもそも、【人間】とはなんなのか?
「はあ……」
「何を悩んでいるんだ?マリアン」
アストロ家の屋敷の医務室の机に突っ伏していると、音も立てずに部屋に入ってきたフレディが声を掛けてきた。
ちなみに現在夜明け前である。子供達と話し、イブの悩みを聞いた後、マリアンは延々と考え事にふけり……気がついた時には既に日付が変わっていた。
「フレディ。ちょっと、ていうか大分考え事してたー」
大きな欠伸をして彼はフレディのために椅子を出す。
「珍しいな。マリアンはいつも俺に睡眠をしっかりとれって言ってるのに、今日はお前の方が酷い顔してる」
困ったやつだ、と彼は微笑んだ。普段表情に乏しいフレディだが、マリアンの前では良く笑ってくれる。
「……思い出してた。俺とお前が初めて会った日のこと。覚えてるー?」
フレディが一瞬息を止めたのが分かった。もうずっとあの頃の話はしていない。騒がしいけれども優しく幸せな日々の中に埋もれて、忘れてしまえればと願う記憶。
「……忘れるはずがない」
彼は苦しそうに呟く。どれだけ無かったことにしたくとも、過去は決してなくならないとフレディは分かっていた。
「俺ねー」
マリアンは遠くを見るように目を細める。フレディと違って、その顔は穏やかだった。
「初めてお前を見た時にさ、天使に会ったと思ったんだよねー」
神の祝福を受けたかのような、木漏れ日色の長い髪を風になびかせながら現れた天使の姿が今でもはっきり脳裏に浮かぶ。
「……まさか。あの時俺は血まみれだったはずだろう」
「あー、そうだったねー。フレディは血まみれで、手には血だらけの剣を握りしめてて、足元にはバラバラの死体が転がってて、それを見つめてぼろぼろ涙を零してた」
フレディは目を閉じた。彼が国一番の剣の使い手となった理由は誰にも言えない。血まみれの過去。
「……あれは俺が四人目に殺した男だった」
「まだ殺した人のこと全員覚えてるの?」
「もちろん。目を背けることは許されない。あれは俺の決して消えぬ罪だから」
マリアンは何か言いたかったが、結局何も言えなかった。自分は彼の罪について何かを言う権利はない。だから代わりに天使の話を続けた。
「そっか。……でねー、俺、天使が泣いてる姿を見てね。こんなに綺麗なものは生まれて初めて見たって思った。それから、人が死ぬっていうことは悲しいことなんだって知った」
その時までマリアンは知らなかった。人の死は涙を流すべき事象なのだということを。幼い彼の身の回りには、余りに多くの死が転がっていたから。
「その天使は他人の血にまみれていたけど、自分自身も傷だらけだった。その後天使が父親の物だって知って、あいつが天使がボロボロでも何もしてやらないことに気づいて、俺がその傷を治してあげたいって思った。それから必死に勉強して、強く強く【願い】続けて、そして今お前と一緒にここにいる」
赤い赤い過去を語るその顔には、もう何の表情も浮かんでいなかった。マリアンが夜明けの闇に溶けて消えてしまいそうな気がして、フレディは思わずその手を掴む。
「ねえ、俺ってちゃんと【人間】かなー?人の死の悲しみを知らなくて、実の父親を殺して幸せになった俺でも、【人間】だって言えるのかな?」
すぐには答えられなかった。彼も自分も、許されない罪を背負ってここにいる。生きることを許されていいのかと悩む夜は何度も過ごした。けれど。
「……大丈夫。ちゃんとマリアンは人間だよ。お前は罪を犯したけれど、それ以上に沢山の人の命を救ってる。それに」
マリアンの手を両手で包んで、フレディは優しく微笑む。
「もし俺たちが道を踏み外しそうになった時は、この家のみんなが手を引いてくれるさ」
誰にも言えぬ罪を背負い、居場所を求めて縋りつく者たちに、帰れる場所を与えてくれる人たちだから。いつでも彼らは光を灯してくれる。夜明けの道へ導いてくれる。だから。
「マリアンはちゃんと【人間】だよ」
マリアンはしばらく呆けたようにフレディを見つめていたが、やがて安心したかのように笑った。それは無邪気な子供のようで、フレディはこの幼馴染が愛おしくなった。そのまま二人でゆっくり思い出話に花を咲かせようとした、その時。
バタバタバタバタ、ズドン!
突然何かが落ちたような大きな音がして、二人とも一斉に扉を見る。医務室は玄関のすぐ近く、一階の階段の横にあるのだが、その階段で何かが起きたようだった。
「侵入者?」
「いや、そんなはずがない。ラグナ達に気付かれずに屋敷に侵入することなど不可能だ。家族の誰かが帰ってきたんじゃないのか?」
「そうかもしれないけど……とりあえず見に行こう」
二人は一斉に立ち上がり、音を立てずに素早く扉を開けた。侵入者だった場合を警戒して階段の陰に隠れて音の原因に近づく。そんな二人の目の前に飛び込んできた光景は。
「「…………」」
階段の前で女性が男性に押し倒されている、という何とも言葉にし難い状況だった。二人とも今しがた帰ってきたばかりといった様子で、春用の薄いコートを脱いでもいない。近くには何かが沢山詰められた新しい袋が転がっている。しばらく誰も動かなかったし、何も言わなかった。最初に行動を起こしたのは女性だった。
「はっ!?おいリオネ、重いからどけ!この状況は、その、色々誤解を招く!」
「えっ、あっ、その……はぁぁぁぁぁぁっ!」
押し倒していた男性は一瞬で真っ赤になる。目を白黒させながら、弾かれたように飛び上がった。
「ご、ご、ごめんリラ、そのあのその、こんなつもりでは……!」
彼はしばらくぶつぶつと言い訳していたが、どうやら頭に血が昇ったらしく、きゅうぅと可笑しな声を上げてその場にひっくり返ってしまう。それまで硬直していたマリアンがその様子を見て慌てて駆け寄った。
「ちょ、リオネ!落ち着いて!?とりあえず医務室……いや応接室でいいや、フレディ運ぶの手伝って!」
皆が寝静まる夜明け前に、ぎゃあぎゃあと騒がしい声が響き渡っていた。
「それで……さっきのあれはどういう状況だったんだ?」
フレディが真顔で問いかける。無表情というよりは表情筋が凍りついているといったほうが的確な表現と言えた。
「言っておくが、本当にあれは事故だからな!?私が騎士団の出張をやっと終えて久し振りに帰ってこれたと思ったら、階段からリオネが落ちてきたんだ!」
「本当ごめんよ……私も久し振りに学舎から家に帰って来れたと思って喜んでいたら、君が帰ってきたことに気づいたから、すぐにでも会いたくて階段を駆け下りたら足を踏み外したんだ」
リラはツインテールにした黒髪をぶんぶん振り回さん勢いで主張し、リオネは未だ真っ白な肌を真っ赤に染めて俯きながら弁明する。彼があまりにも下を向き過ぎているせいで、キラキラ輝く金髪しか見えない。
「というか、何故未だに私の顔を間近で見ると気絶するのだ!お前、私と結婚して何年経つと思っている!?」
「に、20年くらいかなぁ?でもだって、いつ見てもリラはとても綺麗で可愛くて、君を見るだけで心臓がどきどきしてしまうんだよ……!」
それを言った夫の方も、聞いた妻の方も苺のように真っ赤になった。それを見ていたフレディとマリアンは頭を抱える。見た目も中身も20歳の頃から全く変わっていないこの夫婦の結婚生活は、その熱々具合も全く変わっていない。彼らの七人の子供達も、両親の変わらぬ関係には微笑ましくも辟易していた。
「あー、お二人さん。二人のラブラブワールドを展開するのは二人っきりのときにしてくれると嬉しいなー?」
マリアンの言葉で二人ははっとする。ピシッと姿勢を正して座り直した。
「ところで、リラが持っていたその袋は何なんだ?」
フレディが指差したのは、リラの膝の上に置かれている先程の袋。
「これは……土産だ」
リラがニヤリと不敵な笑みを浮かべて答える。
「み……土産……それはどうも」
マリアンが全く嬉しくなさそうに言った。リラの買い物センスは、ちょっと言葉には出来ないくらい酷いのだ。
「はっはっは!そうだろう嬉しいだろう!遠慮することはない。喜んで受け取りたまえ!」
高笑いするリラと、それをキラキラした目で見つめるリオネ。フレディはもはや石像のようになっている。
「ちゃんと全員分買ってきた。特別に見せてやろう!まずはこれだ」
最初に袋から出てきたのは、小さな可愛らしい二つの靴下。これはまともだった……色が何とも派手な紫とオレンジのえげつない縞模様であること以外は。
「一番下の双子、アシュリーとリシュアにはこれだ。可愛いだろう!まだ一歳だからな、靴下が信じられないくらい小さくて愛らしい」
最近の彼女の悩みは、母親なのにあまり家にいられないせいで一歳の双子にちゃんと認識されていないということだ。二人の世話はこの家にずっと昔から住んでいる従者、ラグナ達三人に任せている。
「それから、四男の黎歌にはこれだ。対象年齢七歳以上!ばっちりだろう」
黎歌には子供向けのパズル。【完成すると爆発します】という意味不明な売り文句が付いている。フレディは黎歌の手に渡る前に処分しようと心に決めた。
「三男の君羽にはこれを。偉大な発明家を目指すあの子にこれ以上ない土産だ!」
袋から出てきたのは「じっけんせっと(対象年齢九歳以上)」。【これで君も立派な爆弾魔!】というキャッチコピーが付いている。どうやら爆弾が作れるセットのようだった。
「次男の風留には本をたくさん買ってきた。とうとう部屋から出てきたというのは聞いたが、しばらくは屋敷の中で過ごすのだろうから、退屈しないようにな」
これは特に問題なさそうだ……と思ったのも束の間、その本のタイトルが目に入ってマリアンは目を疑った。【ある爆弾魔の一生】【爆弾魔の美学】などなど、首を傾げる題名が揃っていた。
「一番上の双子の優綺乃と咲希乃にはこれを。あいつら、毎日ベリル親方のところで修行頑張ってるらしいからな、ぜひこれを役立ててほしいものだ」
そう言って彼女が取り出したのは、全くもって何の問題もないごく普通のノートが百冊ほど。他のに比べれば全く何の危険も無くてありがたいが、これを双子に与えるのはなんというか、当てつけのようで複雑な気持ちになる。本人にそういう意図は全くないらしいが。
「子供達にはこれで全部だ。安心しろ、大人達にもしっかり土産を用意している」
「うーん……ありがたいの……か?というか、リラ最近爆破したい相手でもいるの」
マリアンの言葉にリラは目を見開く。
「何故分かった!?」
土産を見てればすぐ分かる、とは言えない。
「リアーズがな!私に面倒な出張ばかり押しつけてくるのだ!兄貴を独り占めしてるんだからこのくらいやれとかなんとか、適当な理由をつけてな。リオネ、あいつをなんとかしてくれ!兄の言うことならあいつなんでも聞くからな」
リアーズはリオネの弟で、リラの仕事上の相棒で、彼女とは物凄く仲が悪い。
「お、怒らないで、リラ?リアーズには私から言っておくから、ね?」
「そうか、頼んだぞ。そろそろ本当にあいつを爆破してしまいそうだからな」
それはやめてくれ、とフレディは心から思った。リアーズを爆破しようとして、結果街中破壊し尽くす未来がはっきりと見える。
「まあ、あいつのことは置いておいて。父上とディルとイブにはこれを」
気を取り直して彼女が袋から取り出したのは、手乗りサイズの三つ子のテディベア。赤、青、黄色の三色のリボンをそれぞれつけた茶色のクマのぬいぐるみはとても愛らしい。
「えー、さすがにドール達にはまともなものあげるんだ?」
自分以外誰も突っ込んでくれないので、マリアンは疲れた顔をしながらコメントした。
「は?私は先ほどからまともなものしか持ってきてないぞ?まあ、父上にはあの人が気に入らなそうな物をあげようものならすぐぶん投げられそうだからな」
リラ以外の三人は同時に頷いた。それはその通りだ、とその場の全員が思った。
「それから、ラグナ達には子守セットをいっぱい用意した」
大量のおむつが出てくる。この辺りから、袋のサイズに対してあまりにも中身が多すぎるのではないかとマリアンは疑問に思い始めた。
「明夜とアンシアの双子には新しいお揃いの革鞄を買ってきた。あの子達はよく頑張っているからな」
フレディがぶんぶん首を振って頷く。優綺乃と咲希乃という酷い暴君達を相手に、あの子達は毎日頑張っていたから。
「そして、フレディ。お前にはこれをやろう!」
得意げな顔で彼女が取り出したものは、大きな箒だった。一見何の変哲もない。
「……これはなんなんだ?」
フレディがこわばった顔で尋ねる。いつも彼女の土産で一番酷い目に遭うのがフレディだった。
「聞いて驚け、これは命じただけで勝手に屋敷中を飛び回って片付けの手伝いをしてくれるという素晴らしい箒なのだ!例えば、机の食器を片付けてくれというと箒の柄にトレイを乗せて飛んでいき、食器を回収して帰ってくる」
どうやってトレイに食器を乗せるのか、という疑問には誰も触れない。
「う、うーん、今日、一度試してみようかな……?」
フレディは無理矢理笑顔を作って箒を受け取った。絶対使ったら酷い結果になりそうだ、と彼は思う。
「それからマリアン。お前にはちょっと何もいいのが無かったので適当にその辺の置物を買ってきた。医務室に置いといてくれ」
「え、そんな適当なら買ってこなくていいんだけど」
「いいんだいいんだ、遠慮することはない」
遠慮してるんじゃない、という心の叫びは彼女には聞こえない。袋から出てきたのはとても形容しがたいぐにゃぐにゃの形をしたアートなのかなんなのかという、奇怪なオブジェだった。おどろおどろしい赤と紫と青のマーブル模様をしている。これは子供が見たら泣く、とマリアンは思った。
「リオネには美味しそうな紅茶を買ってきたんだ!折角だから四人で飲もう。淹れてくる!」
厨房に走っていこうとしたリラは一つ忘れていたことを思い出す。
「忘れてた。リオネ、ジェンニールの土産に猫じゃらしを買ってきたから、あとで遊んでやってくれ」
「わあ!ジェンきっと喜ぶよ、ありがとう」
ジェンはリオネの部屋にいる緋色の毛並みの猫だ。彼ももちろん大切な家族。
「……それにしても、いらないものをよくもまあこんなに買ってきたもんだー」
嵐が過ぎ去ったかのような応接間で、マリアンは頭を掻いた。
「リラが変わらず元気で良かった」
リオネは幸せそうに微笑む。そんな彼を見てフレディも僅かに口角を上げた。
「ねえ、リオネ。一つ聞いてもいい?」
「いいよ?」
リラのいなくなった今が好機と思ったマリアンは、昨日の夜からずっと考えていた疑問をぶつけてみることにする。リオネにしか聞けない疑問だ。
「なんでリオネは【人間】になろうと思ったの?」
リオネは少し驚いたようだった。彼は少しの間夜空のような青い瞳を見開いてマリアンを見つめていたが、やがてふわりと優しく笑った。
「リラに出会ったから。彼女に出会うまで、私は【赤の城】で気が遠くなるほど長い間子供のままで過ごして、毎日何も変わらない生活を送ってた。それが当たり前だったから、何も不満なんて無かったけれど、リラがドールに連れられて城に訪れてから、私の世界は全く違うものに変わったんだ」
あの日のことはまるで昨日のように思い出せる。弟たちと毎日毎日同じ遊びをして、一言一句違わない会話を繰り返していた。そこに突然、太陽のような少女が現れたのだ。
「【人ではないモノ】は決して不死の存在では無いけれど、その体の時は止まっているんだよ。何か、あるいは誰かがきっかけでその時が動き出さない限り、【人ではないモノ】は決して変わることがない。リラに出会って私の時は動き出した。だから【人間】になったんだ。私を【人間】にしたのはリラなんだよ」
そう語るリオネの表情は本当に幸せそうで、マリアンは何かが分かったような気がした。
「そっか。……じゃあさー、もしかしてイブはもうそろそろ【人間】になれるかもしれないのかな?」
「そうだね。イブは分かってないけど、彼はもう随分【人間】に近い存在なんだよ。私にとってのリラは、イブにとってのドールなんだ。本当に、アストロ家の人たちはすごいなぁ」
止まっていた時を動かせる人間などそうはいない。アストロ家の人々が、かつてそれをやってのけた【英雄】の子孫だから出来たことなのだと最初は思っていた。けれど、今はそうではないとみんな知っている。
「アストロ家の人々はみんな太陽みたいだ。夜の闇の底で寂しく泣いてる人たちに光を与えてくれる。そういう風にアストロ家の子供達を育てた当主はとっても偉大だよ……。でも、最近あの人帰ってきてないみたいだね?」
フレディの表情がはっきりと曇った。リオネの言うとおり、ここ最近アストロ家の当主は全く屋敷に帰ってきていない。
「帰ってきてくださいと何度もお願いしてはいるのだが……分かっていると仰るだけで、ちっとも帰ってきてはくださらないのだ」
「まあ、どうせ【子供部屋】に閉じこもっているんでしょう?」
心配そうなフレディとは対照的に、マリアンは呆れたように肩を竦めた。
「あの人もいつか分かる日が来る。あの人は自分を闇そのもののように思っているけれど、あの人だってみんなの光になってるんだってこと」
祈るように、願うようにリオネは呟く。その日が来ればきっと、当主の孤独は埋まるはずなのだ。
「そうであればいいな」
「何がそうであればいいんだ?」
そこに、紅茶の入ったポットを手にしたリラが戻ってくる。この世界の闇など吹き飛ばしてしまいそうな笑顔で。
「ううん、なんでもないよ。それより、それがお土産の紅茶だね?淹れてくれてありがとう」
リオネもまた笑顔で彼女から紅茶を受け取った。
「どういたしまして。フレディ、マリアン、二人もどうぞ。きっと美味しいはずだから!」
「じゃあありがたくいただくよー」
「良い香りだ。ありがとう」
二人も何の疑問もなく受け取った。彼女の買い物センスが壊滅的であるという事実を、このときリラ以外の三人ともが忘れていた。リラは自分の分の紅茶も注いで、四人は一斉に自分の紅茶に口をつける。
「……なんか変わった味が……すー……」
リオネが言い切るより前にぱたりと机に倒れ込む。眠ってしまっただけのようだが、自然に眠りについたにしてはあまりにも唐突だった。
「……これは……眠り草で作った紅茶……くっ」
薬や毒などといった類いのものには耐性のあるフレディも、耐えきれず眠ってしまう。
「リラのばかー!まだ……ふわぁ、眠り草だったから良かったけども……これ絶対……武器屋で買った紅茶だろう!……ぐー」
マリアンがリラを罵倒しながら眠った。リラはそれを聞きながら、何も言えないまま夢の世界へと落ちていった。
その後四人は一日中目覚めず、朝ご飯も昼ご飯も夜ご飯も用意してくれる人のいなかったアストロ家は大混乱に陥った。子供達がいち早くリラのお土産を見つけて触ってしまったせいで、家中を箒が飛び回って荒らし回り、屋敷のそこかしこで爆発が起きた。めちゃくちゃになった家の惨状を見つめて、フレディが愕然とするのは明日のお話。
何もかもがガラスで出来た【子供部屋】で、今日も二人は世界を眺めている。
「それ、リラにもらったのかい?」
太陽を思わせる金髪の青年が、夜闇を思わせる黒髪の青年に問いかけた。黒髪の青年は夜空に万華鏡を向けて、くるくると回している。
「ああ、あの子が土産だと言ってくれた。とても綺麗なんだ。ソル、お前も見るといい」
【太陽】と呼ばれた青年はもう一人の青年から万華鏡を受け取った。覗いてみると、星空が鏡に映って何十にも輝いて見えた。
「本当だ。とても、綺麗だ」
ソルは屈託の無い笑顔を浮かべて夜闇の青年を振り返った。万華鏡などというものを手にしたのは生まれて初めてかもしれない、とソルは考える。
「とても良い贈り物だな。お前にふさわしい感じがする」
黒髪の青年は目を細めて小さく笑った。それはあまりないことだったから、ソルは少し嬉しくなる。
「リラを見ていると、思うことがあるんだ」
ソルのそんな言葉に、青年は首を傾げた。
「俺はもうみんなの【太陽】でいなくてもいいんだなって」
「……どういう意味だ?」
問いかける青年の表情から、笑顔はもう消えている。
「リラは紛れもなくみんなの【太陽】だから。【太陽】は一つでいい。それ以上は多すぎる。だから、ようやくお前だけの【太陽】になってやれると思うと、とても嬉しい」
——月のためならば、世界中の人たちなどみな焼き尽くしてしまっても構わない——
「ねえ、これからはずっとお前のためだけに生きられるよ。ベル」
欠け始めた月を背に微笑む【太陽】の瞳は狂気に満ちていて、だからベルは彼を心の底から愛おしいと思ったのだ。
——こうして月は——
「当然だ」
ベルもまた微笑む。誰にでも愛されるこの親友を、独り占めしていいのは自分だけだという優越感に満たされながら。今夜もまた、優しい家族の待つ屋敷には帰れない。
——太陽を永遠に手にいれたのでした——