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番犬  作者: 新界徹志
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三年前の夏、私は香港でも第一級と言われるホテルの一室にいた。

数年前から世話になっているインベストメントマネジメントの会社が、香港を拠点にアジア各国で百店以上の店舗を展開しているアパレル量販店紹介してくれ、商談にやってきたのだ。先方のふぁん社長とは、事前に何度もメールでやり取りした。私よりも二十歳ほど若いがその才腕は見事なもので、僅か数年のうちに年商七百億円を叩き出すまでに業績を伸ばした新進気鋭の経営者である。私は失礼のないようにと丁重に言葉を選び文章を綴り送ったが、そんなことなど少しも意に介せぬように、送り返されてくるメールの内容は淡々としており如何にも事務的だった。おまけに煌社長が提示してくる取引条件は厳しい内容であり、そこから私は彼に対し非常に冷淡な印象を受けた。否、冷淡と言うよりも冷酷な経営者像が頭に思い浮かんだ。私は取引を進めることに躊躇したが、これくらいの事で尻込みするようでは経営者として未熟だと己を鼓舞した。冷静に判断すれば、この会社との取引は弊社が事業拡張する上で必定であるのだ。

経済発展著しい中国のビジネスは今や、資本主義諸国よりもシビアであると言う。私は覚悟を決めて彼の地に乗り込んだ。だが、意外にも商談は和やかな内に進み、契約まで予想していた以上に順調に運んだ。弊社の製品を先方が一手に引き受けアジア各地域で販売する一方、弊社は材料の一部を同社から仕入れることで契約は成立した。予定していた五日間の日程はあっさり二日間で済ますことができ、三日目は煌社長自らの案内で深圳にある同社傘下の工場を見学した。その隣は広大な空地があり、それも同社の敷地だと言う。

煌社長は合弁で公司こんすを設立し、ここに新たに工場を建設し、共同で事業展開を図っていこうと私に提案した。共同のブランドにより新製品を開発し、日本とアジア各地域でそれぞれ販売していこうと言うことだった。同社の販売力があれば、前途洋々である。同社任せにするつもりもないが、その圧倒的な販売力の基盤があれば、心強い。私にとって絶好のチャンスであると考え、二つ返事で応じた。

商談の後、煌社長は私を香港でも最も高級とされる餐庁れすとらんに招いた。商談もまとまり気分を良くしていた私は、気負うことなく彼と話すことができた。彼もまた気安く話しかけてくれ、互いに打ち解け合った。酒が入り少し酔いが回ったところで、私は

不躾ぶしつけな言い方で申し訳ありませんが、日本を発つ前に戴いたメールをお読みして、なかなか手強そうな相手だと感じ、少々恐縮していました。肩肘張って商談に望みましたところ、以外にも物腰の柔らかい方で安心しました。」

と言った。言ってすぐに私は通訳が上手く伝えたのか心配になった。「肩肘張る」や「物腰の柔らかい」に相当する言葉が中国語にはあるのだろうか。意味が通じず、不快に佐瀬はしなかっただろうか。だが、それは無用な心配だった。

「皆さんから、よくそんな風に言われます。」

煌社長は頬をゆるませ、穏やかな表情で言った。その表情を見ていると、確かに私がメールで受けた印象は思い過ごしでしかなかったように思われる。

「メールですと、どうしても心情まで伝わらないですからね。それに私は文章を書く時は一切感情を滲ませないように努めていますから尚のことです。」

煌社長の言う通りかも知れない。私は取引先とメールでやり取りすることなど滅多にないが、たまにメールでやり取りする場合はつい文面が固くなってしまう。煌社長も同じなのだ。

「これは私の流儀なのですが、初対面の方には、少し態度を硬化させるところがあります。それで相手がどんな方か様子を見極めて付き合い方を考えるのです。私だけではありません。恐らく、香港でビジネスをする中国人は皆そうだと言っても過言ではないでしょう。ある意味で、ここではそれが一つのマナーだと言って良いかも知れませんね。」

そこは我々日本人とは全く違うところだな、そう思いながら、私は煌社長の顔を見てニッコリ微笑んだ。「いや、これだ。これがいけないのだ。」私はすぐに気付き、うっかり浮かんだ微笑を殺すように唇を真一文字に結んだ。相手のことを知りもしない癖に不用意に笑みをたたえてしまう、日本人の悪い癖だ、煌社長にはそれくらいに映ったかも知れない。我々日本人は初対面の相手であっても愛想良く接する。決して打ち解けている訳でもないのに、そうすることで、相手の兜の緒を緩めさせ、徐々にその懐に忍び込み、遂にはよろいを脱がせる、それが極意であるかのように考えているが、彼らは全く正反対なのだ。恐らく多民族国家の中国にあって民族間の宥和は考えているほど容易たやすいものではないのだろう。その上、香港は永らくイギリスの統治下にあって、欧米人に虐げられてきた歴史があるから、警戒心が強いのだろう。

私はそう考えながら、ついまた煌社長に微笑んでしまった。それにつられてか、煌社長も微笑んだ。そして彼は盃を手に取り机を軽く叩き、「乾杯かんぺい」と言った。それはこれまで何度か中国に来て私が覚えた向こうの社交術だった。白酒ぱいちゅうを注ぎ、互いに顔を見合わせながら、盃を机に軽く叩く。それを何度も繰り返す。「乾杯」はその度に発する必要はない。何度かに一度、興に乗ってきた時に発すれば良い。そうして何杯も酒を重ねている内に、私は酔っ払ってしまった。煌社長も初めのうちは笑みを湛えながらも様子を伺うような目をしていたが、次第にその眼差しから鋭い眼光が消え、まどろむような目つきに変わって来た。互いに泥酔状態になっていったが、どうにか正体を崩すまでには至らなかった。煌社長は真っ赤な顔に虚ろな眼差しを浮かべ、右手を差し出してきた。通訳が「今日は楽しかったです。この辺りでお開きにしましょう。今後ともよろしくお願いします。」と囁くように言った。本当にそのようなことを言ったのかは定かではないが、煌社長の表情からは堅苦しさはすっかり消えていた。私は煌社長の手を取って握手を交わした。手を解くと、私は右手で拳を握り左手の平に合わせ、古い中国風の挨拶をした。

部屋には何時いつどうやって戻って来たのか、さっぱり記憶がない。煌社長の秘書がタクシーを呼んでくれたような記憶はあるが、確証はない。不覚である。

翌日は十時過ぎまで眠ってしまった。ベッドから這い上がると、頭がふらふらする。夕べの酒が未だ残っているようだ。洗面所の鏡を見ると、頬の辺りが浮腫むくんでいるようだ。二、三度、両の手で頬を強く叩いた。

このホテルは朝食のルームサービスが可能となっている。前日までは一階のレストランでバイキングを利用したが、二日酔いで下まで下りるのが面倒であり、フロントに電話をかけ、洋食のセットを運んでくれるよう注文した。中国に来て、洋食もなかろうとは思ってもみたが、中華は前夜、飽きるほど食べたので、洋食に変えてみることにしたのだ。

部屋に運ばれてきた料理は朝食らしからぬ豪勢なものだった。だが、後一時間余りで昼食時である。ブランチと考えれば、おかしなことではない。

食事の後、私は残りの日程をどう過ごすか考えてみた。

いろいろ行ってみたい所はある。北京か上海まで足を延ばしてみたい気もあったが、予定には入れてなかったので、その時刻からは無理があった。ビジネスが目的だからと、一切、観光地に立ち寄る予定は入れて来なかったことがすこし恨みがましく思えた。

前々から本場の京劇をひと目見たいと考えていたことをふと思い出し、フロントに電話をかけた。日本語のできる女性が電話に応じた。

「香港市内で京劇を見ることのできる劇場があるか。」

と聞くと、フロント係は、京劇は北京が本場で、そこなら常設の劇場はあるが、香港にはそのようなものはないと応えた。北京までは四時間近くかかるが、流石に京劇を見るためにそれだけの時間をかけたくはなかった。フロント係は、他でも良いならと勧めたのが広東オペラだった。香港は広東省に属しており、昔から広東オペラが盛んだったと言う。京劇とは趣向は異なるが広東オペラも中国の風情を味わえると説明したので、私はどこかホテルから割合近くにある劇場を紹介してくれるように頼んだ。彼女は私の好みを訊き、それに沿うような内容のものをしている劇場を探して、後ほど電話をかけ直すと言って、電話を切った。

私には昔から中国に対する憧れのようなものがあり、特に京劇を初めとする中国演劇には興味があった。学生の頃、テレビで京劇が放映されているのを見て圧倒されたからだ。けばけばしい化粧に、やたら銅鑼を打ち鳴らす大仰さ、際物を見るような感覚だったが、私は何故か惹かれた。何時か本物を見たい、それが夢となった。中国には何度か訪れているが、一度も京劇を観ることはなかった。京劇だけではない、上海雑伎団も観たいと思いつつ、観ることができなかった。今回も京劇が見られないのは残念だが、広東オペラが観られるだけでもでも良い。それで私は諦めがついた。私は胸を膨らませ、フロントからの電話を待った。

十分ほど経って、電話が鳴った。フロントからである。

私は喜び勇んで受話器を取ると、先程の女性の声ではなかった。

「国際電話からです。お繋ぎします。」

誰だろう、そう思って訊き返すすまでもなく、国際電話に繋がった。

「社長、お早うございます。まだお部屋にいらっしゃったのですね。良かったです。」

それは経理部長の田口の声だった。

田口には前々日のうちに、商談が成立した旨を伝えてあった。前日の深圳訪問と会食についても伝えてあった。

私は田口からの電話を訝しみながら訊いた。

「お早う、何か急用でもあったのか。」

「い、いえ、会社のことではありません。」

そう言いながら、田口は何か慌てている様子である。私が訊く前に田口は恐る恐る言葉を継ぐように言った。

「社長、私用で申し訳ないのですが、実は」

と言って言葉を詰まらせた。言いあぐねている様子である。

「田口、用件を言ってくれ、電話代だって勿体ないだろ。」

私は事務的な感覚で言った。すると、田口は言い淀んでいた言葉を吐き出すように言った。

「じ、実は、せ、聖哉が、聖哉が倒れたんです。救急車で病院に運ばれて、妻から連絡を受けて今、そこに居るんです。」

しどろもどろに話す声は通信状態の悪い国際電話のノイズによって掻き消され、はっきりと聞き取ることができずにいたが、どうやらそう言っているように聞こえた。受話器の向こうで硬貨がじゃりんと落ちる音が聞こえた。病院内で携帯電話の使えないため公衆電話でかけてきたのだろう。

「田口部長、私の方から君の携帯にかけ直すから、病院の外に出てくれないか。出たら私の携帯にかけてワン切りしてくれ。そしたら折り返しかけ直すから。」

そう言って、私は電話を切った。

暫く経って、携帯電話の着信音が鳴った。画面に田口の名前が表れたのを確認すると、私はすぐに折り返し彼に電話をかけた。

「はい、田口です。」

恐らく、走って病院の外に出たのだろう。彼は、はあはあ息せき切っていた。

「部長、聖哉君がどうしたって。」

聖哉とは田口の長男坊である。

「今朝から少年野球の練習に出かけていたんです。そこで倒れたらしいんです。グラウンドを走っている最中だったそうです。

田口の話によると、聖哉はウォーミングアップでランニングを始めて間もなく、何かにつまずいたように倒れ込んだそうだ。夏休みに入って二日目のことで、その日は朝から三十度を超える暑さだったから熱中症にでも罹ったのかと思ったそうだが、監督が駆け寄ると聖哉の顔面からは生気が失せ呼吸も苦しそうだった。これはただ事ではないと監督は気づき、聖哉を動かさずそのままの状態で、その上にパラソルを立て直射日光が当たらぬようにした。見学に来ていた母親を呼び寄せ、同時に救急車を呼んだ。救急車を待つ間、横になった聖哉は、スポーツ少年らしい健康的で溌剌とした表情はなく、真っ青な顔をしていた。救急車が来て、聖哉を担架に乗せようとすると、四肢はダラリと垂れ下がり、重篤であることを思い知らされた。田口の妻は救急車に同乗し、息子に付き添い、監督も行く先の病院を確認し、自分の車で後を追った。

病院に着くと、医師は聖哉をベッドに寝かせ、診察を行った。採血など検査を行うと、応急処置として点滴を施した。

一方、田口の妻は夫に連絡し、連絡を受けた田口は部下に事情を説明した後、会社を退けると、すぐに病院に駆けつけた。到着を待っていた医師は夫婦を医務室に呼び、病状について説明した。医師は冷静沈着に話したが、その内容は親にとって重々しいものだった。

「精密検査をしてみないとはっきりとしたことは言えないが」

と前置きした上で、聖哉の病気について説明した。病名は伏せたが血液の病気だと言い、命に関わるものだと言った。そして、検査のために緊急に入院が必要だと告げた。田口は貧血程度に思い込んでいたものだから狼狽し足下に力が入らなくなった。

医師の説明が終わると、夫婦はロビーで待機していた野球チームの監督に状況を説明した。監督も驚きを隠せない様子だった。

「無事を祈っております。」

それしか言葉が浮かばないようであり、暗い表情で「お大事に」と告げグラウンドに戻って行った。

その後、田口は、妻に「社長に電話してくる。」と言って離れ、院内の公衆電話から私に電話をかけてきたのだ。

「大丈夫か。」

そうでないからこそ、私を頼って電話をかけてきたのも分かりながら、私はそう言うほかなかった。

「部長、こちらの用事は済んだから、夕刻の便で帰ることにする。聖哉君の見舞いに行かせて貰うよ。」

「見舞いと仰って頂いても、意識も未だもどっておらない状況で、今日のところは絶対安静です。」

「そうか、でも気になるから、今日中には戻るようにする。空港に着き次第、連絡する。」

電話を切ると、私はすぐにフロントに電話をかけた。私が田口と話している間、何度かフロントからだろう、電話が入っていた。広東オペラの件に違いない。

「もしもし、八〇四号室の松永です。」

「あ、何度かお部屋に電話をかけたのですがお出にならなかったので、お申し出頂いた件ですが、、」

「もう良いんです。こちらからお願いしておきながら申し訳ないんですが、急な用が出来たので、帰国することになりました。」

「そうですか。承知致しました。」

「お手数かけて申し訳ないです。」

そう言って電話を切ってから、私は慌てて荷物をまとめた。

フロントで清算を済ませると、タクシーを呼んでもらい、空港まで飛ばしてもらった。空港に着くと、午後三時過ぎの便があった。これなら九時前には着く筈だ。私は買ってあった航空券をキャンセルし、その便の航空券に買い直した。出発まで約三時間ある。土産物でも買おうかと思ったが、その気にはならないでいた。気持ちが落ち着かないので空港のファーストクラスラウンジに入った。しかし、そこでも矢張り気持ちは落ち着かず、ナッツとクラッカーをつまみながら、ビールを飲んで気を落ち着かせようとした。


田口と私は二十年来の付き合いである。彼は元銀行員であった。銀行に勤めていた頃、彼は私の会社を何度も訪問し、彼の熱意にほだされて取引することになった。最初は預金だけのつもりだったが、彼は税務や法務などに詳しく、色々アドバイスをしてくれた。手厳しい意見も物怖ものおじすることなく述べたが、そう言うところも私は気に入った。税務の知識など並の税理士よりも詳しく、税務調査は本来、違法だと言うことを教わったのも彼からだった。脱税などするつもりは毛頭ないが、たとえ税務署と言えども機密に関わる資料まで見せる必要はないことを知り心強くなった。経営者はどうも税務署となると怖じ気づくところがあるが、彼のお陰で私は堂々と調査に応じるようになった。

彼が「転職を考えている」と漏らした時、私は「うちへ来ないか」と誘った。どうやら、彼もそれを望んでいたようで、迷うことなく私の誘いに応じた。転職の意思を私に漏らしたのも元々、そのつもりがあったからだろう。

彼は私より一回り下である。何となく馬が合い、社長と従業員の関係を超えて、個人的にも親しくなった。私の会社に転職した頃はまだ独身であった。それまでつき合っていた彼女がいたらしいが、理由も分からぬまま彼の元を去ったらしい。その傷心もあって、転職の二文字が浮かぶようになったと言う。その後も、何人かの女性と交際したようだが、何れも結婚には至らなかった。妙に生真面目で不器用なところがあり、それがあだとなっているのだと私は思った。三十歳を過ぎた頃、彼は私の自宅を訪ねて来、会って欲しい人がいると言って紹介してくれたのが奥さんである。美人と言うのとは違うが、愛らしいお嬢さんだった。小中学校の同窓生で、友人の結婚式で再会し交際するようになったのだと照れ隠ししながら言った。彼は私に媒酌人になってくれと頼み、私は快く引き受けた。結婚して二年後、生まれたのが聖哉だった。

田口が所帯を持つようになってから、私たちはより一層親密になった。彼の家は私の自宅から比較的近いところにあったので、行き来するには便利だった。彼の家系は祖父の代までこの辺りの地主だったそうだ。話によると、私の自宅もかつては彼の家のものだったらしい。彼の親父さんが相続した土地の一部を三男坊の彼も分け与えてもらい、そこに家を建てたのだ。分与してもらった土地は僅かだと言うが、それでも百坪はあり、この辺りでは桁違いに広い部類である。

私たちは家族ぐるみで海水浴やスキーによく行き、そして互いの家の庭でバーベキューもよくした。

聖哉は小さい頃から活発な子だった。風邪など引くことは滅多になく、いつも元気よく動き回るような子だった。

私の二人の息子によくなつき、遊び相手になってもらって喜んでいた。

特に兄の颯太そうたは聖哉の憧れだった。

颯太は、小学生の頃から少年野球チームに入り、四年生にはピッチャーで四番という好選手になっていた。中学に入ってからも学校の野球部には入らず、クラブチームの一員として活躍を続けた。地元ではいっぱしの選手として名を馳せ、その名前が轟くようになり県内でも注目される選手となっていた。しかし、プロ野球に対する意欲などなく、高校は普通に進学校に進んだ。颯太は一年生から四番でエースとしてレギュラー入りを果たし、夏の大会では八強に名前を連ねた。高校創立以来の快挙であった。高校野球は一人の力によって左右されるとは聞いていたが、まさか我が息子にそれだけの力量があるとは思いもよらなかった。勿論、チーム一丸となって為し得たことではあるが、それを牽引したのは颯太であった。弱小とさえ言われた高校をそこまで引き上げたのは、颯太の活躍に依るものだと言うことは誰も疑わなかった。秋の大会では四強にまで上った。準々決勝で敗退した相手校が優勝し、甲子園は最早夢ではなくなった。高校球児という晴れがましい美名の下で、彼は甲子園をめざして、日々、健闘していた。親にまで夢を与えてくれる息子は頼もしく私はそれを誇りに思った。

そんな颯太に田口の息子も特別な思いを抱いていた。

聖哉もまた、息子を真似て、少年野球のチームに所属した。聖哉が入ったチームは息子が籍を置いていたチームとは違うが、強豪チームである。強豪というだけあって、優秀な選手が揃っており、ほとんどのチームメイトが小学校に入ると同時に加入してくる。その中にあって、聖哉が野球に目覚めチームに入ったのは小学三年の時だ。すでに同年代のチームメイトは実力を上げている。聖哉は中学三年の颯太がグラウンドで投げ、打ち、走る姿を食い入るように見た。そして、地方紙が注目する選手となっているのに感化され、自分もそうなりたいと思ったのだ。聖哉はチームに加入すると、颯太に手ほどきをしてくれるように頼んだ。颯太は選手として活躍するのは勿論だが、コーチとしての才能もあるのか、手取り足取りコツを教えると、聖哉はみるみるうちに上達していった。加入してまだ半年も経たないうちに、聖哉はベンチ入りをさせてもらうことになった。三年生が十名以上いる中でベンチ入りしたのは彼ともう一人だけである。監督の話では技術が優れていたと言うよりも身のこなし方が他の子らとは違っており、将来に期待が持てると言うことだった。練習試合でバッターボックスに立つチャンスを与えてもらった聖哉は、豪腕で鳴らした相手の投手にひるむことなく、積極的にバットを振り、まぐれであったかも知れないが見事にヒットを放った。思いっ切り振ったバットの真芯にボールが命中し、左中間を抜けるクリーンヒットとなった。それによって聖哉の評価は忽ちにして上がった。それが自信となって聖哉はますます磨きをかけていった。四年に上がる頃には、聖哉はショートのポジションをものにしていた。本当は颯太と同じく投手を夢見ていたのだが、監督には投手向きであるようには映らなかったらしい。しかし、その判断は正しかったのだろう。動きが敏捷な聖哉は捕球してから送球するまでの動作がスムーズであり淀みが全く感じられないのである。監督は敏捷さに目を付け、技術が未だ十分でないにも関わらず、他の選手よりも早くレギュラーに上げたのだ。

春に行われた試合で、聖哉は相手チームが満塁となったところ、ライナー級の球を見事に捌き、三塁に送球し、トリプルプレーで討ち取る端緒を作った。それが元となって、チームに勢いがつき、結局、その試合は逆転勝利となった。

監督は勝因となった聖哉のプレーを讃えた。

応援に来ていた田口は歓び、翌日、出社してからもまるで自分のことのように嬉しそうに私に話した。私は半ばあきれ顔で聞いていた。

そんなことを思い出しながら、聖哉が無事であってくれれば、とそのことが頭から離れずにいた。

搭乗手続きが始まる時間となった。

私はラウンジを出て、搭乗待ちの列に並んだ。


飛行機が着いたのは九時前だった。太陽が沈むのと逆の方向に飛ぶため、時間が進むのが異様に早く感じられた。滑走路を照らす誘導灯がやけに眩しく感じられた。

空港を出ると私は出迎えに来ていた社員に田口の息子がいる病院まで送らせた。

病院に着き、憔悴したような顔でロビーに並んだシートに座っている田口を見つけると、わたしは傍まで駆け寄り、

「只今、聖哉君の容態はどうなんだ。」

と声をかけた。

「お帰りなさい。社長にまでご迷惑をかけて済みません。」

田口はそう言って返したが、その声は上ずっていた。

「今は、点滴中ですが、まだ意識が戻らないのです。今は妻が付き添っていますが、面会謝絶となっていますので、他の者は誰も入室できないこととなっています。」

「そうか、それなら仕方ない。で、聖哉君の容態は」

改めて私は聞き直した。

「それがはっきりしないのです。先生が仰るには、明後日には検査の結果が出るから、それで病名ははっきりすると言うことです。只、決して楽観視は出来ないと仰るので」

田口の話す声は涙声となっていた。

私は何と言って慰めて良いか分からなかった。

田口は元々、生真面目で気の弱い処がある。息子の聖哉が強気であるのが不思議に思えるくらいである。そんな彼が気落ちして、どうにも自分を律していられないのは良く分かる。彼の内心ではくずおれんばかりの気持ちでいっぱいなのだろう。

私は気遣って、それ以上、何も話さないことにした。

彼を一人にしておくのも気掛かりではあるが、さりとて傍に居たところでどうにもならないばかりか、却って彼の心をいたずらに掻きむしりさえするような気がした。

「気をしっかり持てよ.きっと聖哉君は良くなるから。」

励ましにもならないような根拠のないことを口走る自分が少し嫌になったが、他にその場で言う言葉など見つかりそうにもなかった。

「部長、明日は休めよ。経理部と総務部には僕の方から連絡を付けておくから、君の方からは連絡しなくても良い。それより聖哉君の容態を見守ってやってくれ。変わったことがあったら、僕の方に連絡くれ。」

そう言って、私は別れを告げ病院を去った。

「変わったことがあったら」

帰宅の途上、私は自分が放った言葉が気になった。田口はどう受け止めたのだろう。彼にとってその言葉は尋常でない響きを持ったに違いない。

街路灯が飛び去っていくように見えるのをボンヤリ眺めながら、行き場のない考えを巡らせた。


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