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番犬  作者: 新界徹志
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吠える犬


私が長年手塩に掛けて育て上げてきた会社が遂にその幕を閉じた。

世間にはよくある話で、建前は民事再生法に基づく整理ということになっているが、再建の目途などあろう筈もなく、実質上の倒産である。そうなった原因と経緯いきさつは明白である。だが、今更、それを掘り返してみて、その張本人らに責任を問うてみたところで仕方あるまい。いずれ、全ての問題は代表者である私自身の愚かさと経営の杜撰ずさんさに帰するよりほかない。経営とはそういうものだ。最後の幕引きくらい私が引き受けなくてどうする。そのくらいの潔さは持ち合わせているつもりだ。

こうなった今、それよりも私が心配するのは田口の息子だ。

私を愚か者、底抜けのお人好し、と揶揄やゆののしる者はいるだろう。だが、田口の息子が元気な姿となってくれることが今の私にはせめてもの救いである気がするのだ。


颱風たいふう一過の空は一片の雲なく、まるで一枚の帆布を広げたように淡いあい一色に染められていた。私は身体ごとその色に溶け込み、そのまま一体になって消えていくような気がした。否、そうありたいと、とりとめもない空想にふけったのだ。

街が動き始める前の静寂な時間、私は前日の暴風雨が撒き散らしていった木の葉や砂塵の残骸を乱暴に踏みつけるように車を走らせた。

朝っぱらから太陽は威勢良く照りつけていた。だが、熱情的で荒々しい夏の色は既にせ、虚勢を張っているようにも見えた。街の風景は一夜のうちに変わってしまい、落ち着いた秋の色に収まろうとしていた。開け放した車のウィンドウからは、少し肌寒い風が吹き込んできた。それら一切が私には嫌味のように思えた。

何年もの間、車で通い慣れた道。早朝につき人も車も見えぬ静寂な街路を走り抜け、アクセルを踏み込むことなく五分とせぬ内に、私は会社に着いた。始業時刻まで二時間以上もある。従業員は誰もまだ出勤して来ない。普段でさえこんな早くに出勤する者などいないと言うのに、まして会社を閉鎖するというこの日に好きこのんで早朝に出勤してくる者などいる筈もない。社屋の周辺はひっそりとしていた。颱風の残していった爪痕つめあとはそこかしこで醜い残骸としてとどまっていた。そんなこととも知らず、辺りの街は未だまどろみの中にあるようだ。

私は周辺をぐるりと見て廻り、そこら中にかたまりとなった濡れ落ち葉やゴミを見つけては金鋏かなばさみで拾い上げもう一方の手に提げた袋に入れていった。創業以来、続けてきた日課であるが、最後の日になって多量に散乱したゴミを払わねばならない皮肉を忌々しく思った。いつもより早く出勤してきたのが良かった。そう思うことで私は自分自身を納得させた。

屋外の清掃が終わると、私は工場に入った。扉を開けると、照明の消えた暗がりの中、天窓から射し込む僅かな光で、縦列に並ぶ機械がぼんやりと浮かび上がって見える。私は中央の二列だけ照明を点け、ほうきちり取りを手に場内を歩き廻った。

ほんの数ヶ月までここは活気に満ちあふれていた。

整然と並ぶミシンから溢れ出すモーター音が大合唱となり、数十人の針子が慣れた手つきでせっせと服を仕立ててゆく。別の場所では生地を裁断する機械の音が静かに流れ、そして、また別の場所では仕上がった服を畳んで袋に詰めていく。製品はバックヤードとなった工場裏の倉庫に積み上げられ、運送会社がそれを運び出していく。

服飾の世界も工場生産が進んではきているものの、今はまだ大部分を人手に頼っているのが実情である。やがては全自動化の時代が来るのかも知れないが、少なくとも我が社はその時代の到来を見るまでもなく、家内制手工業を少しだけ進化させ集約しただけに終わってしまった。しかし、それだけに活気があった。大勢の人が一つの場所に集まって一緒に仕事をするだけでも、その息吹が工場に生気と活力をもたらすのだ。

ミシンが並ぶ列の間を歩きながら、私は針子である従業員の顔を一つ一つ頭に浮かべた。彼女らの仕事が基盤となって会社を支えてきた。ピーク時で年商十数億を稼ぎ出していたのは彼女らの仕事だった。売上が伸び、外注を増やすようになっても、やはり主力はこの工場の内にあった。また、商社部門を充実させ、他者の製品を扱うようになり、その売上の方が過半を占めるようになっても、私はこの工場の稼働を重視した。針子達は懸命に働いてくれた。失ってしまったとは言え、富と名声をもたらしてくれたのも事実だ。そんなことを思いながら、私は工場内を幾度となく往復した。

始業のベルが鳴り響いた。

従業員、と言っても、最後まで残ってくれたのは僅かに十数名だが、彼、彼女らは今頃、什器や調度品の始末をし、社屋の中を綺麗さっぱり片付けているところだろう。私もその中に加わるべきなのかも知れないが、私が入った途端、気まずい空気が流れるのは間違いない。皆もそれは望んでいないだろう。私の無念を心得てくれており、再起を促してくれている連中だ。最後まで心配をかけっぱなしでは余りに心許ない。私はもう暫く工場に留まって物思いに耽ることにした。

工場の壁や天井、床を眺め、ミシンや椅子に触れ、場内の空気を思いっ切り吸いこみ、五感を働かせ、さまざまな懐かしい光景を思い起こした。

いけない、そう思いながら、私は思わず涙ぐんでしまった。誰にも見られていない、その油断による不覚だった。ハンカチを取り出して、目頭を覆った。こんな場面を見られたくはない。誰も入って来ぬ事を祈った。

涙がれて、暫くすると、またもや切ない感情が押し寄せ、図らずも涙が零れた。十五年という歳月によって拵えてきたものがその結晶さえも残さず消えていく空しさだろうか、それとも経営という土俵で負け犬となった闘犬の惨めさだろうか、何をか自分でも計り知れぬが、私の目からは止めどなく涙が溢れ出た。

思い直して涙を止め、しかし、暫く経つとまた涙が溢れ出し、その繰り返しで薄暗い工場の中、私は何時間も過ごした。ハンカチはビッショリ濡れていた。

薄暗がりの中、西の天井窓が明るくなってくるのを感じた。私は、今朝、工場周辺の清掃をする際に腕時計を外し、ポケットに忍ばせていたのに気づいた。ポケットを探り、純金製の時計を取り出した。取引先の社長に、「服飾を扱っている以上、身に着ける物にも気を付けないと」と言って勧められ買った時計であるが、今となっては恨めしいばかりだ。時計の針は、三時半過ぎを指していた。

もう、こんな時間か、時の経過の速さに驚きながら、私は工場を出た。

雲ひとつない澄み渡った空、それは家を出る時に見たのと同じだった。今朝からずっとその状態であったのだろうか。淡い藍色の帆布を拡げたような空、その澄明さは美麗よりも寧ろ私に虚空を思わせた。

耳をつんざくような轟音を立て一機のジェット機が目の前を横切って行った。上空めがけて一気に駆けのぼると、エンジンから噴き出した蒸気が頭上を覆っていた淡い藍染めの帆布に一筋の裂け目を作って飛び去った。その痕跡はやがて帯のように広がり鮮やかに染め抜かれた藍色を滲ませていった。僅かな引っ掻き疵が周りを淀みの中に引きずり込んでいくその理不尽さを私は思わずにおれなかった。

ジェット機の後に棚引く帯を狂おしげに目で追い、私は暫く、その場に立ち尽くした。

その帯は蒼天に忍び込みつつある茜と混濁し、やがて辺り一帯が闇に飲み込まれていくその前の、最後の足掻きにも見えた。皮肉アイロニーを籠めて流れる帯は次第に周りの色に溶け込み、そして消えていった。

界隈で一際目立つ建物が、くすんだシルエットを浮かび上がらせていた。風雨に晒され壁面の随所ががれ落ちたりいたんだりしているのはこの建物の歴史そのものである。そして、今まさに、施錠した扉のノブに鎖が巻かれ雁字搦めとなって、外界との接触を固く拒み、その歴史が閉ざされようとしていた。もぬけの殻となったその姿は惨めであり、おどろおどろしくさえ見えた。

建物の前に広がる敷地の閑寂かんじゃくは、淀んだ空気が堆積たいせきし、息苦しく思えた。仕事を終えた私たち十余名の者は、その中にうずもれるように立ちすくみ、皆、曝涼ばくりょうの彼方へ引きずり込まれて行くような不安で、只、呆然としていた。

突然、けたたましい音が重く沈んだ空気を震わせた。

引込柱の上部に取り付けたベルが終業を知らせる音である。耳慣れた音がこれほどけたたましく聞こえ煩わしくさえあるとは、私の頭の中でその音は暫く唸っていた。そして 、突然、襲撃に遭ったように感じてしまったことに私は凋落の無念を噛みしめざるを得なかった。事務所からも工場からも鳴り響き互いに共鳴し合う音が、私をあざけるように、なじるように、あるいはののしさげすむようにも聞こえ、そうした負の感情が私の中でとぐろを巻いていた。

日常のかたちが失われていくみぎわの落差に私は疎外感を覚え、ベルの音が怪物の唸り声にも聞こえたのだった。この先、どうなるのか考えると、たちまち目の前が暗くなり、現実に何一つこうすることもできない愚かな自分に腹が立たってきた。

つい先程、役目を終えたばかりの建物に向かい、明日あす明後日あさって明明後日しあさっても、その次の日も、更にその次の日もこの耳障りな音が意味なく響き渡るのを想像すると、その滑稽さに私はいたたまれない気持ちになった。私は慌てて社屋の裏に回り、配電盤の蓋を開け、通報ベルのスイッチを切った。そうしてすぐに、明日になれば必然、電気は止まるのだと気付いたのだが、そのことがまた余計に空しくなった。私は目の前の現実に振り回され、ただ怯えていただけなのだ。

ベルが鳴り止み、敷地はまた閑寂の中に沈んだ。暮れなずんでいく景色の中で、私は無音の海にただよっているような感覚になった。二本の足で地面を踏んでいる感覚はなく、当てもなく流れに身を任せている、そんな感覚だった。その場で私と同じ空間を共有する従業員達の顔にも同じような感覚が表情に出ていた。

鬱屈した感情ばかりが込み上げ、最後まで苦労を共にしてくれた十余名の仲間を前に、私は何を話せば良いか迷っていた。

空洞のようになった頭はつばきさえ出すのを忘れ、口の中がカラカラに乾いていた。このままではいけない、そう思いながら私は焦っていた。目の前にいる彼らの顔をまともに見ることもできなかった。ようやく気持ちを落ち着けようと、大きく息を吐くと、乾いた口の中を湿すために唾を溜め、ぐっと飲み込んだ。そして、深々と頭を下げて、

「申し訳ありませんでした。」

と張り詰めていた思いを一気に吐き出すように言った。土下座のような芝居がかった真似をするつもりは毛頭なかった。そのパフォーマンスはかえって彼らを虚仮こけにするだけだと分かっていたからだ。だからと言って、続く言葉がすんなりとは出てこなかった。ねぎらうことも励ますことも今となっては何の意味も持たない。この場に相応ふさわしい言葉など容易に見つかろう筈もなかった。頭を下げたまま、私は尚も考えあぐねた。

また暫く沈黙が続いた。さまざまな言葉が頭の中を逡巡しゅんじゅんした挙げ句、どのような言葉も、またどのような上手うまい表現も、この場に相応ふさわしいものなど何ひとつないことに気付いた。

今、私に必要なことは弁明することでもなければ、謝罪することでもなかった。弁明も謝罪もこうなっては単なる自己保身の算段でしかない。平謝りなど単に姑息なだけだ。だが、他に術を見出すことができず、矢張り、私は只管ひたすら詫びることに決め、頭を下げた。そして、ゆっくり、言葉を選ぶようにして最後の挨拶をした。

松永綿縫まつながめんほうは本日を以て幕を閉じることとなりました。私の不甲斐なさで皆さんに多大なご迷惑をお掛けし、このような結末を迎えてしまったことを心よりお詫び申し上げます。今まで、ご尽力頂きました皆さまには誠に感謝に堪えません。これからの人生、決して無難ではないと思いますが、心よりご多幸を念ずる次第です。これが私の最後の挨拶となります。皆さま、これまで、本当に有り難うございました。」

毅然として挨拶を終えるつもりであったが、不覚にも涙が零れ落ちた。堪えようとしても堪えきれずに自然と嗚咽が漏れ、啜り泣く従業員らの声と唱和した。

拍手で締め括る場面でないのは分かりきったことだが、その場の静寂は私の心を掻きむしり息苦しさの上にむず痒さを残した。そしられるでもなく、なじられるでもなく、たださざ波のように流れる嗚咽を、私は耳の奥に溜めながら、その場に釘付けになっていた。従業員らも誰一人として立ち去る気配がなかった。

暫くして、この膠着こうちゃく状態を破るように

「社長」

と呼ぶ声が飛んできた。

その声の主は工場長だった。仕事はできるが融通の利かない男であり、彼とはしばしばぶつかることがあった。だが、役員の中で最後まで付き添ってくれたのは彼だけだった。もう少し、素直に彼の意見を聞き入れるべきだった、と、今更、後悔しても遅い。

「津崎さん、もういですよ、社長なんて呼ばなくて。」

「いえ、私にとって社長はいつまでも社長ですよ。」

「いや、本当に良いんだ。」

謙遜ではなかった。また、遠慮でもなかった。私としては最早、「社長」と言うのは重荷でしかなかった。津崎が皮肉を言う人間でないのは分かっているが、その呼称は最早、心地良い響きでないのは確かだった。そんなことを知ってか知らずか、津崎はまた私を

「社長」

と呼んだ。

「早く立ち直って、もう一度一緒にやりましょう。社長の再起を祈っています。呉々もお体だけは気をつけて下さい。」

気安めにしろ、その言葉は嬉しかった。涙が溢れるのを止めもせず、私は津崎の手を握りしめた。

「ありがとう。ありがとうございます。工場長も頑張って下さい。」

社長と呼ばれる心地の悪さを感じている自分が、何の躊躇ためらいもなく、津崎のことを工場長と呼んでしまったことに、内心、苦笑した。しかし、今更、「津崎さん」などと気安く呼ぶのも却って余所余所よそよそしく、他の呼び方も見つからなかった。津崎が「社長」と呼ぶ気持ちにようやく私は気づいた。誰もが知らず知らずのうちに肩書きに馴らされ、それに振り回されていたのだ。常識と言うものが一人一人の人格を飲み込み、一つの色に染めていく現実が空しく浮かび上がるのを感じた。

「さあ、皆さん、愚図愚図していないで、帰りましょう。」

津崎はわざと明るく言った。

いつまでそうしていてもらちが開かない、津崎はそう思ったのだろう。何より、この場から一刻も早く逃れたい気でいる私の気持ちを察してくれたのだ。

肩を抱き合って泣いている女子社員らは、津崎の言葉に押されるように、一人、また一人と姿を消していった。津崎も、

「社長、私もこれで失礼します。お元気で。」

と、言葉少なに述べ去って行った。きっと、これが今生こんじょうの別れになるに違いない、そんな気がした。津崎の思いやりは嬉しい。だが、私がそれに応えられる自信はない。

「ああ、工場長も達者でな。」

津崎を見送り、全員の姿が消えた後、夕闇に包まれた敷地に一人残された私は社屋の玄関に架かる「松永綿縫株式会社」の看板の前に立った。陽に焼けて赤茶け、ところどころに染みが付いた木製の看板は、会社のかがみであり守護神のようなものであった。それを外すのが最後の仕事となった。

「松永綿縫」という屋号から起ち上げた事業がどうにか軌道に乗り、さらに拡張しようと目論んで適当な用地を物色していた頃、ここは靴下工場の跡地で閉鎖されて何年も経ち、気味の悪い残骸を晒していた。建物が古い上に、敷地が半端に広いのがあだとなって、買い手がつかないまま放置されていたのだ。今なら周辺に人家が立ち並び、住宅業者が喜んで買い求めるだろうが、まだ周辺に農地が広がっていて、面妖めんような雰囲気を漂わせながらぽつりと建った工場跡地など手に入れようと言う物好きはいなかったようだ。いつしか幽霊が出没すると言う噂も立ち、ますます買い手が遠ざかったらしいが、そんなことを気にする私ではなかった。敷地の広さと言い、価格と言い、何より人家から離れているという点が私には好条件であり、案内してくれた不動産屋に即決で返事し契約した。まだ家内工業に毛の生えた程度であり、分不相応にも思えたが、将来を見越して思い切って手に入れることにしたのだ。当時の私はそれだけの自信と覚悟があった。この場所に移ってから事業は好調に推移しみるみるうちに売上が伸びていった。

そして法人成りを遂げた際、その記念にと贈ってもらったのがこの看板だった。単に屋号に株式会社と加えただけであるのに、私には宝物を得たような喜びを感じた。悲喜交々(ひきこもごも)の人生で感じた喜びの中でも最上級のものであった。その私以上に喜んで下さったのが、私をいっぱしの企業家へと育てて下さった大恩ある江口社長であった。江口社長の下で働いたのは数年にも満たないと言うのに、物心両面で一方ひとかたならぬ支援を頂いた。書道に覚えのある社長は、知り合いの材木商から如何いかにも高級そうな無垢むくひのき板を手に入れ、手ずから筆を執り書いて下さったのだ。江口社長もまだ現役でご活躍されていた頃であり、文字には並々ならぬ勢いが感じられた。私は出社する度、看板を見、社長の恩義を噛みしめると共に、いつもその文字に励まされ、恥じないようにと努力を重ねることができた。

会社が成長し、社屋を建て替えた際に事務機器や備品の殆どは新調したが、この看板だけはそのままにしておいた。「痛みがひどくてみすぼらしい」「木製の看板など今の時代にそぐわない」などと社内にはそんな声も聞かれた。だが、私はそれには一切耳を貸さず自分の意見を通した。そして今日この時まで只の一度も外すことはなかった。それが果たして恩義に報いる術であったかは疑問である。江口社長の期待に応えることもできず、このような結果を招いたことは逆心のようにさえ思える。既に鬼籍に入られた社長にこのような惨めな姿を晒さずに済んだことだけがせめてもの救いかも知れない。

今はその会社もどこか知らぬ土地に移り、何のゆかりもなくなったが、豪放磊落ごうほうらいらくだった江口社長の笑顔がまざまざと頭に浮かぶ。

私は感懐かんかいを込めて赤茶けた板をそっと撫でた。木痩せして浮き出た木目の感触が私がこれまでに失ったものの一つ一つを思い起こさせた。豊かに盛り上がっていた墨字ぼくじも今はもうその誇らしげな厚味を失い、ところどころ剥げてさえいた。年代物となった板に刻まれた軌跡を辿れば、栄光に輝いて見えた時期もあったと言うのに、それをさえぎって思い起こさせるのは、この数ヶ月の懊悩おうのうの日々ばかりである。それしか浮かばぬ事が私にとって何より悲しい。

大切に扱ってきた看板が不要となり、記念に残しておきたくとも、保管しておく場所も気持ちのゆとりももう私には残されていないことが尚悲しい。己の不甲斐なさを嫌と言うほど思い知らされ打ちひしがれた。

「こんなに重かったのか。」

高さ二メートル余りの木製の分厚い板が両腕にずしりとのしかかり、その重量で私は危うくけるところであった。よろめく足下に、これまで背負ってきた責任の重大さを改めて感じさせられた。未練などはない。だが、その重みをまともに受け止めることができない自分の弱さを嘆くしかない。

看板を下ろすと、私はきずがつかないようにそっと地面に寝かせた。今更、疵が付こうがどうなろうが私にとってはもうらぬものだ。明日になれば、産廃業者が他の廃棄物と合わせて回収に来る。それに委ねてしまえば、後はどうなろうが知らぬ事ではあるが、せめてもの最後の心遣いのつもりだった。それはけじめと言うよりも精一杯のあらがいのようなものでもあった。

こうして遂に私の会社は幕を閉じた。

「やれやれ。」

そう言ってホッとできるような気分では勿論なかった。

また、自分が生み育ててきた会社の最期を見届け、感傷に浸るような状況でもなかった。「最期」、その言葉に私はにわかに違和感を覚えた。会社にも法人という人格があり、生身の人間になぞらえられはするが、決して生身の人間と同等ではないことに改めて気付かされた。最期と言って会社のために葬儀まで出す馬鹿な経営者は何処にもいない。法のもとでいくら人格を与えられても、そもそも会社に生命というものなど存在しない。会社の魂などと言うのはあくまで比喩でしかない。その会社がひとりひとりの人間の魂を飲み込み、人格を装っているに過ぎないのである。つまり、会社というのは唯の木偶でくでしかない。長い歳月をかけてようやく私が辿り着いたのは、その結論だけであった。自分の愚かさがみにくく、一層惨めな気分になった

「お前のために、私がどれほど身を削って人生を捧げてきたことか。」

最後にそう言って悪態をついてやりたい気がした。しかし、その言葉はこれまで尽くしてくれた従業員の気持ちを逆撫でするようなものであり、周りに聞く者などいなくなったとは言え、流石にはばかられた。

辺りは既に闇に包まれていた。

敷地を照らす柱灯も、明日からは日が暮れても自動的に点灯することもなくなる。この界隈に住む人々はこれまでそれを頼りに夜道を歩いただろうが、これからは不用心になるな、などと要らぬ心配をした。

私は一箇所にまとめた廃棄物の山にブルーシートを掛け、産廃業者に分かるようにしておくと、急ぎ足で駐車場に向かった。先日までベンツを停めてあった場所には古い型の軽自動車が停めてある。資金繰りのためとは言え、新車で購入して一年にもならないベンツを手放すのは惜しかった。だが、僅かでも手持ちの金が欲しかったし、それに会社を破綻させておきながら高級車に乗っていては、世間が快く受け止めることなどあろう筈もない。

私は軽に乗り込むと、エンジンをかけ発車した。

振り返るつもりなどなかった。一刻も早くこの場を立ち去りたい、その気持ちでいっぱいだった。誰かに追われる身ではないが、この場所に取り憑いた魔物、それはあるいは自分自身の影かも知れないが、そんなものに付きまとわれたくない、そんな気がして逃げ出してしまいたかった。

車を走らせる間、無心でいるつもりだったが、矢張り募った思いは止めようとしても溢れてくるばかりだった。

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